なんということはないのですが、普段の生活で「ンン〜コイツふざけんなよ〜٩(๑❛ᴗ❛๑)۶」と思った時でも「まあしょうがない事態かも知れない…腹を立てるのは筋違いだな」と思えば表に出さず堪えたりもするのですが、運悪くそれが度重なると、「俺はこんなに何度もお前を庇っているのにこの上まだ庇わせるのか(♯◉益◉)」と、個別の事態への憤りではなく何度も我慢を重ねたことに対する憤りが生まれてくるものなのだな、という体験をしました。
しまいにはその人と話すのも何だか嫌になって。良かれと思って庇ったのに、続けるうちにいつかきっと嫌いになりそう、そんな未来が見えました。
良かれと思って我慢しているから、非は自分にはないとしか思えない。なんなら「我慢してやった」という自負がある。恩着せがましい思考回路の果てで相手を嫌いとしか思えなくなる。我ながら手前勝手だなあと思う。勝手に堪えたりしないでそのつど素直に対応していれば嫌いにならずに済むかもしれないのに。
ただ、もう一つ発見もありまして。
「ああ、自分は今、腹立ちを何度も我慢したせいで腹が立っているんだな」と気づいたとき、ちょっとだけ腹立ちがマイルドになった気がしたのです。自分を客観的に見られたような、そんな感じ。
昔のお話でよくあるじゃないですか、妖怪だの魔性だのに襲われたとき、撃退法として相手の名前を暴くってやつ。あれと似てると思ったんです。正体を知ることで弱体化できる的な。
客観視したところで腹立ちはすぐには消えないけど、弱体化できれば他の関心事で上書きできて、そうこうするうちに忘れられて、いずれは気持ちをリセットできる、ような希望を見出しました。
誰かを嫌いになるのはストレスなので、なるべくやりたくないなあ、の精神です。
コメント
05月17日
18:32
1: コズエ
いい方法ですね!!
誰かを嫌って「穢れ」として切り捨てるより、ネガティブな気持ちに名前を与えて弱体化するのって、断然アリだと思います♪
真似させていただきたいです!!
05月26日
19:40
2: そらまめ
>コズエさん
コメントありがとうございます!返信遅くなってすみません。
めったに会わない相手なら切り捨てでもいいのでしょうが、しょっちゅう顔を合わせる相手ならうまく付き合っていきたいな、と思います。