・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※コミックは別腹にて。書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌は特集記事通読のみで扱う場合あり(74より)。たまに部分読みや資料目的など非通読本の引用メモを番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。
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1. 柳田國男 『遠野物語』 新潮文庫 [再読]
遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。
願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。
三島由紀夫は、現代小説に感激することが減ったと書いたあと、なお希求する小説の豊穣を『遠野物語』こそに見てこう書き記す。
柳田氏の聴書が、かくもみごとな小説たり得ているのは、氏の言語表現力の一種魔的な強さ、その凝縮力、平たくいえば文章の力のために他ならない。 145
三島の言うこの言語表現の魔的な強さの根に、その中沢新一は土地と生命の水準で結びついて抽象化されることのない、生きられた時間の息吹を読みとる。
『遠野物語』通読は震災後のボランティア滞在時が初めてになり、意外にもよみめも初登場となる。水木しげる版とかも印象深いんだけど。自宅には角川文庫版と集英社文庫版があるのだが、今回は図書館で新潮文庫を借りた。山本健吉解説のほか、吉本隆明と三島由紀夫が寄稿しているからだ。岩波文庫は今西錦司だし、角川文庫は折口信夫とか各社張り合っているのも今回初めて知ったことで、他にも講談社学術文庫とか光文社文庫とかあって、集英社文庫は中沢新一寄稿なのだけどつい数日前一緒に呑んだ図書館女史が「この並びだと中沢新一は霞む」と宣うのも尤もな陣容ですね。
下記引用部を三島は挙げ、「くるくるとまはり」の全体への利きかたを魔術的とベタ褒めする。
ニニ 佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族集まり来て其夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心の為離縁せられたる婦人も亦其中に在りき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むが所の風なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裡の両側に座り、母人は旁に炭籠を置き、折々炭を継ぎてありしに、ふと裏口より足音して来る者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かゞみて衣物の裾の引きずるを、三角に取上げて前に縫附けてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取にさはりしに、丸き炭取なればくるくるとまはりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打臥したる座敷の方へ近より行くと思う程に、かの狂女のけたゝましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。其余の人々は此声に睡を覚まし只打驚くばかりなりしと云へり。 26-7
井上ひさし『新釈 遠野物語』とか、吉本ばなな『ヨシモトオノ』など派生作も今回目につき、とりま両方図書館でみてみる。吉本ばななは十代終わりに深く深くハマったし、その後も王国シリーズとか独特の研ぎ澄ませを感じたけれど、近年はどうもピンとこない。でも隆明没後の「父の思い出」的な文章はとても良かった。井上ひさし版は読んでみようかという気になった。なにせ吉里吉里のひとですし。
遠野滞在@震災ボランティア時ツイ:https://x.com/pherim/status/169630468315168768
遠野市立図書館、神戸、石垣島ツイ:https://x.com/pherim/status/1023537327174369284
拙稿「未西の語り」:後日URL追記(遠野物語に大きく依拠した漫画評を書きました)
2. 井上ひさし 『新釈 遠野物語』 新潮文庫
本作は1976刊行だけれど、この文庫版が出た1980年に解説で扇田昭彦は下記のように述べている。
むろん、いまインドネシアの近代化は急に進んでいる。だが、都市から一歩外に出れば、そこにはまだ圧倒的に豊かな自然が待ち構えており、ランプがともる深く長い本当の夜が私たちを包みこむ。宗教も精霊信仰(クバティナン)も伝説(ドンゲン)も、ここでは人々の日常生活に密着して生きている。リー・クーンチョイの『インドネシアの民俗」(一九七六年、邦訳サイマル出版会)は、いまなおこの国のいたるところに生きている伝説について、次のように書いている。それはおそらく柳田国男が明治末年に『遠野物語』を書いたころの遠野郷の人々の生活状況とかなり重なりあうものだろう。
「これらの伝説は、口伝てに何世代も伝えられた文化的伝承の一部を形成している。家族が集まった時とか、村の集会の際に、長老たちは子供にせがまれて興味深い話を聞かせる。年のいかない子供たちにとって、そのような話から受けた影響は、容易に薄れるものではない」(伊藤雄次訳)。
ことに大事なことは、この国ではまだ、神話や伝説ばかりか、精霊や死者たちとの交感までもが、リアルなものとして人々の心のなかに棲み家を持ちつづけているということだろう。バリ島で私たちは、この国に何年も住んでガメラン音楽の研究に打ちこんだ日本人の若い女性に出会ったが、その聡明で魅力的な女性は、「バリでは最近まで、人が空を飛んでいたんですよ」と事もなげに語って、私たちをびっくりさせたのだった。
なぜインドネシアの話かというと、この解説文が扇田と井上ひさしがジャワやバリへともに旅した8日間への回想を起点とするからだ。にしても、雑誌取材でっていうのが時代感あってまぁいいよね。今なら動画YouTuberなのか、いやぁ、まぁ。
遠野物語の現代翻案なので面白さの核にはむろん怪異共生があるのだけど、ところどころ吉里吉里人味も感覚され、つまりそれがこの身にとっては井上ひさし味ということなんだろう、など思う。
もし自動翻訳の精度向上で、井上ひさしとか阿部和重とかが非日本語話者に読まれるようになったなら、っていう仮想ラインを、言語表現的にはAI翻訳能力の画期かなと思うんですけど、そんな時は来るのでしょうか。翻訳者の色がそのまま作者の色というか言語感覚の繊細な出し処を消しちゃいそうなライン、というか。
3. クレア・キーガン 『ほんのささやかなこと』 鴻巣友季子訳 早川書房
“人の生に意味があるというのでなく、人のそばを吹く風や辺りに棲む動物の体温にこそこの世の秘密は宿っているというような。霧のたちこめる、小雨のやまないヒースやイグサの生い茂る荒れ野こそが本当の主人公というような、ささやき声の物語。”
クレア・キーガンを初めて読んだのは初邦訳作『青い野を歩く』、2010年初頭のことで当時書いた感想ツイートが残っている(↑)。
クレア・キーガン『青い野を歩く』感想ツイ https://x.com/pherim/status/9533000286
『コット、はじまりの夏』感想ツイ https://x.com/pherim/status/1750363244064346602
2010年は、同時代の海外文学を読むと共に感想を逐一書き留めるようになった初期でもあり、『青い野を歩く』における自然ベースの情感描写は深く印象に残っていて、この印象は2024年にキーガン原作の映画化作『コット、はじまりの夏』を観た際にも十全と強化された。だから本作『ほんのささやかなこと』が、現代アイルランド社会のタブーともされてきた“マグダレン洗濯所”を舞台に据えた訴求的な面をもつことにまず驚かされた。
クリスマスが近づいてきた。もう広場にはしゃれた樅の木が据えられ、その隣には、イエスがお生まれになった飼い葉桶と、降誕を祝う人々の像も飾られていた。まだペンキ塗りたてのこの像は、聖ヨゼフの赤と紫のローブについては、色がどぎつすぎると苦情が出たものの、聖母マリアは伝統的な青と白の出で立ちで奥ゆかしく跪いており、おおむね好評だった。たがいにそっくりの茶色いロバも、眠る二匹の雌羊と飼い葉桶を見守るように寄り添っていて、クリスマスイヴにはこの桶に幼子イエスの像が置かれるだろう。 23
冒頭部の町の描写は、『青い野を歩く』で抱いたイメージそのもので、しかしここが地獄の入口ともなる。『ほんのささやかなこと』の映画化作『決断するとき』(日本公開2026年3月)は、このあたり心理描写までも極めて鮮明な映像化に成功しており、見応えある。
マグダレン洗濯所は、1996年までアイルランドに実在した母子収容施設で、当時の社会的に歓迎されない仕方で妊娠した女性が送り込まれ、労働を強制されていた。収容女性の数は1~3万人と言われ、出された里子は膨大な数にのぼるはずだが、記録が破棄されたため確かなことはわからない。2021年に調査が行われた18施設だけで9千人の子どもが亡くなったことが判明した。これらの数字はキーガン自身による本書あとがきに拠っている。施設はカトリック教会とアイルランド政府により運営されていた。作中にも描かれる、修道院が運営する町一番の伝統と格式を誇る私立学校とマグダレン洗濯所とが壁一枚で隣り合う様子は、内実が明らかとなった今日の目にはどうにもグロテスクな皮肉と映る。
映画版で石炭商人である主人公ファーロングに扮するキリアン・マーフィーは、自らプロデューサーとなってこのキーガン原作映画化を推進した。彼が原作および役柄をどれだけ深く消化しているかは、映画の端々で見せる無言の演技の逐一が、小説ではキーガンの地の文による描写を過不足なく肩代わりしていることからも窺える。炭小屋に幽閉されていた少女をめぐり、稀代の名優エミリー・ワトソン演じる修道院長と暖炉の炎を前にくり広げられる静かな対決シーンは、原作よりむしろ映画において作品のハイライトとして昇華されている。
少女たちの過酷な現実を知ってしまった主人公ファーロングは考える。「不義の子」として生を受けた自分や母もまた、一歩間違えばマグダレン洗濯所へ送り込まれていただろう。身近な人々の助力もあって運良くそうはならずに育ち、慎ましやかだとしても妻と娘たちに今は恵まれ、彼女らへ贈るクリスマスプレゼントに悩むような幸福の中に自分はいる。娘の進学を考えても、ここは修道院長に従って何も見なかったことにすべきなのは明らかだ。しかしそれでいいのだろうか、本当に?
キリアン・マーフィーは2024年、本作を第1作とする映画会社《Big Things Films》を立ち上げた。“Small Things Like These”。『ほんのささやかなこと』の原題であり、映画の英題でもあるこのフレーズは、直接的には作品終盤でようやく回収される。いま目の前にある、ほんのささやかなことたちと、自らはどう関わるか、あるいは目を背けるか。それこそを、だいじにする生きかたもあるということ。神のことを脇においても、私たちは人生から問いかけられている。それは確かだ。
町を歩けば知った人にも知らない人にも行き会ったが、ファーロングはいつのまにかこう自問していた。たがいに助けあわずに生きてどうする? そこにある現実に勇気を奮って立ち向かうこともせず、長いこと、何十年も、下手したら一生すごしたうえで、それでもキリスト教徒を名乗り、鏡の中の自分と向きあうことなんておれにできるか?
セァラと連れだって歩くうちに、心が軽くなり、気が大きくなって、新たな、生まれたての、なんとも言いがたい喜びが胸にこみあげてきた。自分の最良の部分が輝きだして、浮かびあがってきた、そんなことはあり得るだろうか? 自分の中の、なんと呼べばいいのかーそもそもこれに名前なんてあるのか?
――なにかが、どうしようもなく熱くなっている、それはわかる。実際問題、この代償は払うことになるだろうが、自分の平凡な人生のなかでこれに似た幸福感はこれまで味わったことがなかった。わが娘たちをそれぞれ初めて腕に抱き、元気いっぱいの、強情っぱりな泣き声を聞いたときの喜びともちがう。
ウィルソンさんのこと、あの人の日々の思いやり、折々に自分を正し励ましてくれたこと、彼女が言ったりしたりしたささやかなこと、決して口にも行動にも出そうとしなかった小さなこと、知っていたに違いないことを思った。そうしたことが積み重なってひとつの人生が出来あがったのだ。ウィルソンさんがいなければ、うちの母さんは十中八九、あの施設に入れられていただろう。自分がもっと昔に生まれていたら、いま助けようとしているこの子は母さんだったかもしれない。これを「助け」と呼べればの話だが。母さんがあそこに入っていたら、自分の身の振り方もどうなっていたか、どこに行き着くことになったか、わかったものではない。
最悪のことが起きるのはこれからだ、わかってる。すぐ隣で待ち受けている厄介な世界の気配をすでに感じるが、最悪の未来はもう後ろに置いてきた。起きかねなかったが、起きずに済んだこともしそれを見過ごしていたら、死ぬまで悔いを抱えて生きることになったはずだ。これから出会う苦しみがなんであれ、それはいま横を歩いているこの娘がすでに味わってきた苦しみ、これから乗り越えるだろう苦しみからは、おそらくほど遠い。こうして裸足の娘を連れ、エナメル靴の箱を抱えて、わが家の玄関へと坂を登りながら、ファーロングはあらゆる感情を圧倒する恐れを感じつつも、おれたちならやり遂げるさ、と心のどこかで愚かしくも楽観するどころか、本気で信じているのだった。 135-7
拙稿「マグダレンの十字架 『決断するとき』」https://www.kirishin.com/2026/03/26/81989/
4. 焼まゆる 『絵が上手くなる5つの習慣 大切なのは練習や勉強だけじゃない!』 KADOKAWA
少しやっただけで身につく「誰でもできること」では、特別なスキルにはなりません。逆に言えば、みんながやらないことを周りよりたくさんやることができれば、あなたは「特別」になれるのです!
なにかを継続してあなたの特別を手に入れましょう。 69
絵を練習や勉強しないススメ。要は、絵が上手くなるっていうのは、努力でなく習慣で楽しんで実現させるほうが良いですよ、っていう。
・絵を継続する習慣
・描き方を決める習慣
・目を肥やす習慣
・考えて描く習慣
・インプットとアウトプットのバランス習慣
たとえば私が中学生のときは、学校の宿題やワークのご美に絵を描いていました。「ワークをここまでやったら絵を1枚描いてよい」とルールを決めて、ノートに鉛筆でたくさんの絵を描いていました。
私にとって絵を描くことは「ご美のチョコレート」のようなものだったので、勉強と両立しながら長く続けられました。その結果、お絵描きノートが段ボールいっぱいになるほど絵を描けたのです。 44-5
絵を描いてないと死んじゃう星人を自分の中に育てましょう、習慣の力で。と把握。良書。
5. 川上未映子 『すべて真夜中の恋人たち』 講談社
校閲を生業とする37歳独身女性の日々と恋。職種に合わせちょっとレトロ進行する恋愛描写がなんとも良い。川上未映子小説は、巧くなったことで失った部分をときに切なく感じたりもしていたけど、本作についてはそういうのとも違う熟れた巧緻を感覚し、職人性というのかな、想い人の壮年男性のほうは輪郭がいまいち明晰にならないあたりも、しかし読者の関心をそちらへ逸らせず主人公へ集中させる手管よなと思えたり。つまり巧い。
ともあれ、校閲の目をもった主人公を惚れさせる像が描けた男の嘘は、どちらかといえば現実よりも心の真実に近いやつなんだろうけどやっぱり現実には嘘としてしか機能しない部分が残り、という外枠もきっちりロマンスの本性を捉えてる、のですよね。んむ。
6. 新川帆立 『帆立の詫び状 おっとっと編』 幻冬舎文庫
前継作てんやわんや編に近い構成で、アメリカ編の代わりに欧州編、後半に創作関連のエッセイが並ぶ。ファンタジーからSF、ミステリーへ傾斜した経緯とか、バッグへの偏愛など。
文章について書いているのは純文学で活躍されている作家さんが多いので、エンタメ小説としての「いい文章」に理解が及んでいないと感じることも多々ある。エンタメ小説のために一番参考になったのはスティーヴン・キング『書くことについて』(小学館文庫、田村義進訳)だ。とても勉強になる文章読本でありながら、なぜだかほろりと感動させられる。さすがキング、レジェンドである。
文章については本当にいつも考えている。
正解がないから難しいのだが、自分なりにしっくりくる方向性はある。私がすごく共感するのは井上ひさしさんだ。何冊も文章指南本を出しているが、「自分にしか書けないことを、誰が読んでも分かるように書く」大切さを繰り返し教えてくれる。
例えば、人は日常的に大和言葉と漢語と外来語を使い分けている。井上さんは舞台の言葉は大和言葉で書くことにしているらしい。漢語を並べたセリフだと、短い文字に意味が詰まりすぎているため、お客さんが聞いて考えているうちに次のセリフに移ってしまう。
これは大変面白い視点で、小説でも参考になる。文章も、読むスピードと理解するスピードが一致したほうが読みやすい。新聞記事のように短い文章に多くの内容が詰まっていると、視線がぎこちなく止まり、300ページを超えるような長い物語には適さないからだ(途中で読者が疲れてしまう)。 160-1
スコットランド訪問記、アメリカの写真屋で撮る証明写真がキマり過ぎちゃう話、旦那様によるあとがき、が極私トップ3。
7. 『小出楢重 新しき油絵』 青幻舎
東京美術学校の油画へ入りたかったが、入試の都合から日本画へ入って転科した、というあたりがのちの道行きにもそこそこ影響しているように思え興味深い。滞欧中パリの街なかスケッチなど軽妙で楽しく、谷崎や佐藤春夫の挿画や裸体画におけるマティスからの影響など、時代のなかで格闘ないし回遊していた痕跡をあとから眺めるような心地。心地というか、そのものだけれども。
何んといっても夏は骨人の世界だ、だから夏を愛し、夏を待って躍り出す連中といえば、皆私のような骨と皮のいでたちか、あるいはガラス、セルロイドの如く煙の如く淡く、あるいは透明半透明の軽装な奴が多いようである、私なども半透明の人間かも知れない、私の他にも幽霊、人魂、骸骨、妖怪、蝉、蜻蛉、蜘蛛の巣、浴衣、帷子、西瓜、などいろいろと控えていて夏を楽しんでいる。 200
府中市美術館よりご提供の一冊、感謝。
8. 秀島迅 『クリエイターのための物語創作ノート』 日本文芸社
大昔にセールかなにかで衝動買いし積ん読だった本、この機会に消化しないならずっとしないやつと思い取り組んでみる。後半の書き込みノート部も部分的ながら埋めてみる。それなりの内容だけれど、実際に読み通すうち大判デザインの良さでごまかしてる面も大きいことに気づき始める。たとえば~すべきと言い切る箇所にも、いやまさにそれこそこの著者の実作において制約になってるのでは、と首を傾げるものが少なくなかったり。
日本文芸社って文芸社と関係ない、わりと漫画も強い古めの出版社なのね。しかも本社が竹橋の毎日新聞社があるとこ。あのビル、パレスサイドビルって言うのか。エレベーターホールとかキューブリック的レトロSF感すごいけど、日建設計なのね。
9. 『宮崎駿イメージボード全集 1 風の谷のナウシカ』 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/hayaomiyazaki_imageboard/
ナウシカ前史(全集4, 前回よみめも)につづけて堪能。ペジテの町って、超巨大な宇宙船が崩壊した跡にアメーバのように住居がぼこぼこ寄生してできた設定なのだと初めて知り、納得。だから深部がやけに構造化されていて、巨神兵も格納されていたんだね、っという理解(が合ってるのかは不明)が進む。
開幕の予言的な長回しタペストリー、こうして画集になってもガチ良いなぁと。『君たちはどう生きるか』にも、これ由来のデザイン登場してたよね。やっぱ宮崎駿の中でも重力あるんだなと。高いので図書館借りだけど、これは脇に置いておきたい、何なら本バラして何枚か壁に貼りたい。そういう暮らし、したいねぇ。
10. かとうひろし 『マンガのマンガ 初心者のためのマンガの描き方ガイド 伝わるマンガの描き方編』 銀杏社
絵が巧いマンガとか、ストーリーが深いマンガ以前の大前提、《わかるマンガ》を描くススメ。具体言及レベルではもう少し早く読めば良かった感も多いけれど、このキモに関してはまさに絶好のタイミングで己に念押しできたつまりは大収穫。とひと月半後に思えたなら最高の。
ダメな初心者作例が毎度いかにもやりがちなやつに充ちていて、そこからの模範作例がまたよく出来ており唸らされる。ストーリー構成編(よみめも104)もそうだったけど、淡白簡潔に見せながら滋味深い、説得力の高いシリーズだわこれ。残りの
▽コミック・絵本
α. 永井豪 『デビルマン』 1 小学館
幼い頃まったく興味を持っていなかったのに主題歌が脳裡に刷り込まれ、しかもアニメ本体の放映を観た記憶もまったくなく、要はありがちな「メジャーだからこそ敬して遠ざけちゃう」系に属す作品としてデビルマンはありつづけ、かつ原作漫画ともなれば紙芝居にも近いレトロイメージを勝手に抱いていたために、読もうという気にはとんとならずにこれまで来た。ところが直近でベタ褒めする声なり言葉なりを立て続けに見聞し、読んでみたらまぁすごい。
全方位に想像を超えていたというか、喰わず嫌いマジ良くない。乱暴さが雑さではなく緻密さとセットであること、少年漫画の勇気もイキりも設計の賜物であってガチというより現に同ページ内へウィットさえ同居して、次のページで颯爽と裏切ってみせたりする巧緻も凄まじいこと。なるほど画期の作品は多面的に画期なのであり、どこか誰かの語った言葉はその一面しか捉えられるはずもなく、それらから受け取るイメージでいくら裁いたところでそれは虚像に過ぎず実作を舐めることにしか繋がらない。もっとフラットに構えようね、でないと見逃すあなた自身が惨めになるだけ、とぞ反省の極みたり。
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β. 桜玉吉 『伊豆漫玉日記』 KADOKAWA
エッセイ漫画のお奨めとして漫画家畏友より言及いただいた漫玉日記、のうち以前旦那さまよりお贈りいただいていたものがあったなと想起されたのが本作で、ネカフェ描画生活から伊豆生活へ、っていう展開のレアおひとりさま生活感がなかなか良い。てか漫画っていうどんな荒唐無稽も描けるジャンルは、それだけに現実感から遠ざかりがちなところを、エッセイ漫画というジャンルの力によって鎮圧のうえ半径2mの生活空間を生々しく描きだせる、その強みを遺憾無く発揮しているこれはたしかにお手本のような描き口で、しかしなんだろう、そうと頭で理解はできてもそれだけじゃないよなって予感もやはり大きく、要は解像度がいまめっちゃ低い状態なんでしょうねぇきっと。あとから振り返って懐かしく読めればいいなと思いこのように書き残し置く。エッセイ的に。
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γ. 水上悟志 『放浪世界』 マッグガーデン
『戦国妖狐』以外の水上作としては初めて読むため、SF未来物や異世界メタ物など戦国舞台ではない描写や話運びを諸々新鮮に感じた。あと連載でないからか、同じ絵柄でも基本的に画が『戦国妖狐』よりも丁寧で輪郭鮮明に感覚されたが、これは勘違いかもしれない。16p作品の手際良さから、表題の元となったラスト74ページ作の重厚さまでそれぞれに面白く、期待値以上の短編集。
こういうの、またやってほしい漫画家さんですの。
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(▼以下はネカフェ/レンタル一気読みから)
δ. 野田サトル 『ゴールデンカムイ』 26-31 集英社 [完結]
26巻、わりと重要キャラがバタバタ斃れる展開続きでたどりついた不良看取門倉死すな流れに乗ったラスト3ページの、煙突倒壊から工場崩壊、失神門倉引っかかり飛ばされ布団着地酒瓶添えENDのぶっ飛び感笑う。この着想をこのドラマの中で描き遂げちゃう腕力すき。
27巻、顔面皮剥ぎと内面劇との妙なる交錯、からの意外すぎるタイミングでのタイトル回収。「ゴールデン」がネガティヴ文脈背負う流れは好感度瀑増。
28巻、物語的に一段深まった感すごい。時系列や関係性が錯綜しながらわかりやすく見せる洗練度の凄味。
29巻、夢の五稜郭土方再戦闘、これはアツい。ロシア極東少数民族の夢まで載せるとか、構造がもう凄い。
30巻、五稜郭から函館全体を使った戦闘、そして列車内バトルへ。やりたい放題、面白すぎる。
最終巻。土方歳三まさかの神懸かり復活獅子奮迅。走行列車中アクションの限定条件下で、鯉登や尾形ら皆に魅せ場をつくる手際さすが。白石が薄いなと思ったら、最後にもってく白石わらう。そしてリアル日本戦後史への着地END、これはもう文句なしっていうか。さいごに己の使命を語るアリシパ、ちょっと大人びてる横顔がめちゃ美しかっこよくって泣ける。まことにお見事。
ε. 瀬下猛画 濱田轟天原作 『平和の国の島崎へ』 1-10 講談社
5等身キャラというのか、微妙に顔がでかいデフォルメ世界で、砂漠の過激派リアルを生き抜いた元日本人少年が密かに帰国し潜伏生活を続けるやつ。描かれる舞台そのものはごく平和なリアル日本の住宅街なのだけど、主人公目線を通すと半ば終末化する殺伐感をこの五等身デフォルメがほどよく抑制し日常系のどかさをも醸すという。
7巻巻末の、島崎日本上陸直後を描く、婆さん&自転車少年の回想2短編、良い。
8巻、商店街おこし企画篇、主舞台喫茶店の地縁的周辺の解像度上がる仕掛けとして面白い。ただ商店会長2世の若造がクズすぎて、この空気支配社会でその共同体内地位を保てる状況に説得力がなく正直つまらない。
9巻、突如始まる東欧篇。ここにきてカウントダウンが輪郭もってきましたねぇ。100日が近づいてからこう感じられるのって、そういう構成だからっていうより、ダンバー数的にそう感じられるからこういう構成にしました、って話なのかも。
ζ. 石塚真一 『BLUE GIANT SUPREME』 1-5 小学館
新章開幕。最初の十巻を楽しく読んで、痛切なその終わりに心中滂沱しつつ次シリーズへ突入したら、なんと驚きのミュンヘン着地。ボストンやNYニューオリンズとかベタすぎるからロンドンとか、何ならベルリン/ハンブルクくらいならあり得るかと思ったけれど、ミュンヘン! これはヤバい。ってか慄えて読んだ。
個人的に欧州で一番縁があるのがミュンヘンで、学生の家に滞在した経験まで本作と同じで、記憶にある広場や通りを主人公が歩いてくれるそれだけで楽しいのに増して、南都であり保守の牙城イメージあふれるミュンヘン起点っていう裏返しの攻め方すごい。スポ根的にストレートな感動モノとはちょっと違う懐深さを感じてたけど、この展開はすっばらしいな。つづきが余計たのしみになる。マジ、なる。
ドイツ北部に比べていちいち作りの大きな区画を歩く感覚、中心部の古い役所や教会群、条例で旧市街一番の高さをなお保つ双塔、止まったユースホステルの玄関構えまで、記憶の中のミュンヘンとガチ重なる。漫画でこういう体験はあまりない。
などと1巻について書いたら、2巻でなんとまぁハンブルクへ舞台を移した。心はもう喜び組である。いや、そうなんか。ハンブルク自由都市でバディ探しか。しかもベース。ピアノでもドラムでもなく。古都ミュンヘンにつづくのが、ビートルズも嚆矢を放った旧ハンザ都市。アツすぎんだろ実際。トルコ人のタクシー運転手との断章とかもうね、小エピソードこそがドイツ現代史背負っていく、ICEとBahnhof描写がきっちり章間でリズムをとっていく。これはハマる。Selbstverständlich!!
3巻、ビートルズ言及きた。なるほど、RGB的に訪れる街々でのパーティ編成編なのか。
4巻、意外に早いカルテット成立。オープンセッションで1人ずつステージに上がって場を圧倒していく展開さすが。
演奏時のクライマックスはつねに擬音不使用なの、スタイルとしてもキマってきて素朴に凄い。
η. 原泰久 『キングダム』 71-8 集英社
71-2巻、第2次趙北部侵攻。青歌軍の澄明感すき。ジ・アガ&カンサロの命名とか。まだ3万の飛信隊が敵ボス李牧から警戒されすぎて今後もつの感。
73-4巻、六将まであと一段階っていう、思いのほか早かった三若将軍の格上げきた。ってもう70巻すぎてんのなんか凄い。横光三国志ならまだ序盤感さえ。
75-77巻、韓首都攻略戦。韓側将軍たち過去の敵キャラに比べまったく魅力ないのに、きちんと主人公らが危機に陥る、と読者に感じさせる技術すばらしこ。韓軍ボロ負け生え抜き将軍たちせつなす。騰、韓の姫への肩入れが過ぎてミラクル着地わらう。でもくっつかないあたりも騰。
78巻、対趙3度目の正直戦。李牧とカイネの地味婚ステキス。いよいよ将軍格となった主人公による大一番を控えて、恋愛婚姻描写が折り重なる初めてのモードみた感。
θ. 河原和音 『太陽よりも眩しい星』 1 集英社
幼馴染の泣き虫な男の子がすくすくとイケメン男子高生に成長してしまい、想いを伝えられず彼は人気男子となってライヴァルかわゆす女子も現れ仲良しになってしまい、背の高い自分は相変わらず食いしん坊のイメージを持たれたまま(という自認)で。
読者からみれば、(いや、彼氏のほうも主人公のキミが好きだってこれ)とガンガンに確信的予想を誘いつつ、しかし主人公視点では「彼にも好きなひとがいるんだ」っていう認識から告白へのハードルはうなぎ上がるジリジリだけで焦らされてる感が1巻後半とみに強く、いろいろ巧くて読ませるのだけど、この引っ張り具合がつづくのだけは勘弁なと思ってまう。どうなんでしょう。
ι. 藤間麗 『王の獣』 1 小学館
主人公が護衛につく(命を狙う)第四皇子が、薬屋のひとりごとの壬氏クリソツなのが気になり続けた1巻。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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