・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※コミックは別腹にて。書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌は特集記事通読のみで扱う場合あり(74より)。たまに部分読みや資料目的など非通読本の引用メモを番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。
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1. 石牟礼道子 『[完全版] 石牟礼道子 全詩集』 石風社 155
卑弥呼
あえかな矛にさしぬかれ
乳量よりもあざやかな血潮が
コロナのように
むすめをつつんだ
債の石にうなじをあずけて
死にゆく卑弥呼の額髪の上に
夜目にもしろいくちなしの花が香り
風は遠い祖霊の国から
吹いてくる
立ちつくす若者の肩は
山野の齢をしぼった露にぬれ
しずかにほぐれつつ
むすめの指の
虚空にかざせば
そのあわいより
鬼道への
小径のような月
永遠
原初にひかれた円が
最初の四角い線になった時
人はみずからその枠組の中に入って
くぐってゆくところと感じたろうか
出てくるところと思ったろうか
あるいはまた
世界をとじこめてやった
世界は二重 いや三重四重である
と思って感じ入ったのか
ともあれいま
最初の四角が
輪廻というものを容れて
なにげなく首を突っこんでみたら
しゃらっと音がして
なんのことはない
首かざりであったのだ
尺取り虫
花びらを
縁どりながらひろがる海が
天上の夕映えを 懐胎しつづけていた
潮は朝々満ちて
山奥に 赤んぼが生まれたとき
お婆さんたちはうなずいていた
ちょうどなあ 潮満ち刻じゃったよ
きのうの茜空が
なんともいえんじゃったもの
そしてこのころ 巷の車をのがれた
一匹の尺取り虫が 歩道橋のてっぺんで
瑠璃光億年の夕刻に うなじを傾け
前世をおもいだして呟くには
おや 潮の香りだよ
とおいねえ あそこは でも
このぶんじゃあ 町にゃあ赤子が
二、三千人生まれるよ
そのような空の色といっしょに
不知火という名の海は
人が自分のなかに封じこめ 押し殺した
大切なものを
ぜんぶ 呑みこんで
今朝も満ちているのだよと
海霊さまの声が 耳元でして
生まれる前に死んだ
きれいな泡のような 赤子たちの
声といっしょに
尺取り虫がゆく
以下は抜粋。の方針は他回に同じ。石牟礼『はにかみの国』よみめも(前々回)で、同じ「少年」と「死民たちの春」の各々別パートが引用候補になっていたと気づき、再読して湧く感興は別物よな、でも通じる基底音みたいなものもありそうかな、とぞあらためて。
常世の海底の妖々とひかり
凶兆の虹が
吐血している列島の上にかかるときに
浮いて漂う
死民たちの曼陀羅図絵
(「死民たちの春」149-150)
そこは宇良部缶の頂上近くで、ガジュマル掛林の近くでした。アコーの根ばりのふさぎ神は、ほんとうに逢いたいものに、やっと逢えたような気がしました。
なぜって、九州の南の海岸のアコーの木と、与那国のガジュマルの気根をくらべて見て下さい。どちらも神々の宿る木ですし、よく似ておりますから。それに、石垣島あたりの干潟には、潮の中に苗代をしたてたように、マングローブの稚ない木が游いで来て、生え着いているんですもの。その姿の愛らしいこ
とといったら、あの照葉林帯、じゃあない、漂流気根醬林帯の子どもたち、という恰好なんです。
与那国のおおきな夕陽が沈みます頃、ガジュマルの葉っぱの木の下闇は、しずかにゆらめいて、夢見神がくぐって来た深海の底のようになるんです。ほんとうです。海底の闇からかがよい出てきたような、緑亜紀の色をした小さな蝶が何千羽だか、何万羽だかびっしり、まぶたの前に漂いひろがっていました。
まぼろしかと思ったのですが、静かに浮游しているその景色は、たしかに現実で、夢の中からこの世に出てくるための、蝶たちがつくってくれた殺なのかもしれません。
そこはもうふたたび、深海林なんです。だって隆起珊瑚礁の上なんですもの。
(「緑亜紀の蝶」258-9)
「ああ極楽じゃ」というような顔をして
温泉に入るのも山にはいる
冬は上がってからどうやって 濡れた毛を乾かすのだろう
タオルは持っていないようだが
この檻の中の大猿は どこの国の山奥から来たのだろうか
人間に捕まって どこかの国の港で船に乗せられ 海を渡ってきたのか
夕方になって遠い故郷を思い出しているのかもしれない
一瞬の間にいろいろ連想した
おまえは誰だ
名前は何というのか
どういう一生であったろう 猿の言葉は分からない
思春期もあっただろうに
どんな人間たちに会ったのだろう
赤の他人の私は どうしてあのような目で見られたのか
長い間見つめ合っていた
その目の色は ただならぬ悲哀をたたえ
私などより はるかに辛く 暗い生であったろう
一人で檻に入れられて よほどに狂暴なことをしでかしたのか
大集団の中に入れば
大ボスになるに違いないのに
それなのにこの大きな檻は何だ
憂愁に満ちた瞳の色 風格そのもののような容貌
彼は哲学者ではあるまいか
人道主義者はたくさんいるが
たとえば聖書を持たせたら
彼が一番よく似合うだろう
(「檻の中の哲学」412-3)
2. 角田光代 『方舟を燃やす』 新潮社
ノストラダムスの予言を真に受け、オウム真理教事件を自分ごととして捉えた世代の過去と現在、未来。
子ども食堂がクローズアップされる時代が直後に待つことなど誰も想像しなかったバブル期日本と、己に都合の良い信仰をSNSからたやすく享受するコロナ期日本の、終末への不安と無自覚の欲望。
「あのねママはりっちゃんのところにいるの、りっちゃんはママの妹で、りっちゃんが赤ちゃんを産んだからそのお世話をするって言って、園花お利口だからお留守番できるよねって言ってりつちゃんの、りっちゃんの赤ちゃんは双子でね」
不三子は濡れるのもかまわずしゃがみこんで衝動的に園花を抱きしめる。開いた扉から見える部屋の床は服や雑誌や化粧品や空のペットボトルが散乱している。その奥の部屋には敷いたままの布団が見える。猫の家族、アメリカにいった友だち、母親のモデルの妹、ころころ変わる園花の話をまともに聞く子どももスタッフもいなかった。みんなてきとうに話を合わせて聞き流していた。作り話だと思っていた。でも、この子がしているのは作り話ではなくて、じたい現実ではないかと、りっちゃんの双子の赤ちゃんについて話し続ける園花を抱きしめて不三子は思う。そうであったらどんなにいいか。母親は自分を置いてきぼりにしていったのではなくて、母親にしかこなせないたいせつな用事があったのだ。そうであればどんなにいいかと不三子だって思う。
湖都だってそうだ。子どもを産めなかったのはわけもわからず打たれたワクチンのせい。得体の知れない新型ウイルスも、異様なスピードでできたワクチンも、だれかの思惑によるもの。そうであれば、どんなにいいか。理不尽の理由があったら、どんなにいいか。私たちのだれだってそうだ。何がただしくて何がまちがっているか、ぜったいにわからない今を、起きているできごとの意味がわからない今日を、恐怖でおかしくならずただ生きるために、信じたい現実を信じる。信じたい真実を作ることすらする。
「だからみんなでママを待とう、ここで待ってますってママにメモを残していくから、いっしょにいこう。ね、あたたかい食べものもあるかもしれない。鍵はある?」
「あたたかいのってコーンスープ?」
「コーンスープもきっとある。だからいこう。何か羽織るものがあれば持ってきてちょうだい」
「台風、こわい? もっと大きくなる?」 410-1
虚言癖をもつ厄介な子、園花こそが、初老へ至った主人公のひとり不三子を静かに救うこの構図のありえないほど切ない巧緻、そしてこれほどに深く重いテーマを扱いながら、信じがたい読みやすさ。いや、凄いでしょ。正直これにくらべたら大半の「純文学」が依ってたつかしこげなムーヴとか空気よな。
「え、何だあそれ、混線?」
「使われていない電話に掛けるとずっと呼び出し音が続くけぇ、そのときにだれかいますか1って話しかけると、呼び出し音の向こうからだれかが答えるけん。それで会話するの。名前や電話
番号を交換することもあるんだって」
「知らん人と?それって無線と同じだけぇ、無線にしたらいいがあ」「無線だったらつまらんのじゃない?不確定なのがおもしろいんとちがうかな。すごくはやっとって、休み時間、みんな公来電話に群がってるから、無線なんかより、きっとぜんぜんおもしろいんだと思う」 107
「受けていない子が多いって、それならほかの生徒が感染して亡くなったりしたら、おまえはいったいどうやって責任を取るつもりなんだ!」看護婦の言葉に真之輔はさらに激高する。
泣きたくないのに、涙が出てくる。いったいこの人は何を言っているんだろうと、真之輔を見上げて思う。ワクチンのことを勉強し、事故について調べ、子どものいる母親たちの話を聞き、考えに考えて必要ないと決断する、そのあいだ、あなたは何をしていたの。湖都が、まだ言葉もしゃべれないくらい幼いときに、熱を出し、下痢をし、吐き戻し、その都度看病し、手当てをし、食事に気をつけてきた、そのときにあなたは何をしていたの。弁当持参でいいかと学校に掛け合ったとき、友だちの家に持っていくお菓子を作っていたとき、あなたは何をしていたの。ゼロ歳のとき、一歳のとき、もし何も考えず「ただだから」などと安易な考えでワクチンを打たせて、もし後遺症が残ったり、最悪死亡してしまったら、この人はきっと同じように私に向かって怒鳴りつけたに違いない、おまえは何をやっているんだと、自分は何もせず何も考えなかったことを棚に上げて私のせいにするに違いない。なぜ悪いことはぜんぶ母親のせいで、よいことは母親の手柄にならないの。母原病なんて言葉があるのに父原病とだれも言い出さないのはなぜなの。
湧き上がる言葉を不三子はすべてのみこみ、看護婦の誘導どおりに深呼吸をし、立ち上がる。なぜあやまるのかと自分で自分を責めながら、すみませんでしたと頭を下げる。 200
駅にたどり着いたとき、不三子ははっとする。
厳密には、名刺の男性の団体が何をしているのか知らないし、子ども食堂が何かもわかっていない、小川さんが何ものなのかもわからないのだが、世間というものに、いや、社会というものに、ひさしぶりに触れた、と思った。できあいの惣菜とスナック菓子を食べる夫もいない、人間ドックの数値を心配してあげる夫もいない、反抗期の子どももいない、行方知れずになった子どももいない、孫に会わせない子どももいない、三歳児神話がどうとか言ってくる子どももいない、そんな場所に足を踏み入れたのは、いったいいつ以来だろうか。
あの教室だ、勝沼沙苗の料理教室。あれ以来だと不三子は気づく。
あのとき、自分の前で扉が開いた気がした。扉の向こうに、見たことのない景色が広がっている気がした。今もまた、そんな予感がする。扉はまだ開いていないけれど、自分があたらしい扉の前に立っていることが、不三子にはわかる。 208-9
男性が気づいて叫ぶように言い、みんながいっせいに不三子を振り向く。不三子は慌てて彼女たちに背を向けて顔を覆う。みっともないと思うのに、あふれる涙を止めることができない。
手料理を、子どもたち――しかも幼いときの子どもたち以外から、おいしいとはじめて言われたことに気づいたのだった。四十年以上、もっとも心を砕き、手抜きをせずに作り続けてきた料理を、おいしい、かわいい、コツは何かと、はじめて言われた。そのことがうれしいというよりも、不三子には衝撃だった。泣いているのはうれしいからではなくて、驚いているからだった。
だれにもめられなかったことを、なぜ四十年も続けられたのか、という純粋な驚きのせいだった。 302
孤食をなくしていくこと、地域の寄合所を作ることが目的だと、山本大棚は言っていた。でも、ひとり親や、事情があって、満足に食べることのできない子どもがいるとも話していた。そんなはずはないだろうと、はっきり言葉にして思ったわけではないが、何か誇張して話しているのだろうと無意識にとらえていた。高度成長期もバブル期も、ずいぶん昔のことだと知っているが、この日本に、食事も満足にできない家庭があるなどと不三子にはどうしても思えないのだった。けれどももしかしたら、と不三子はふと思い、振り返る。女の子の姿はとうにない。もしかしたら、あの子こそ、満足に食べることのできない子どもなのかもしれない。今日は日曜日だと気づいてはっとする。日曜日は給食がないから、ああして教会にやってきたのではないか。もしあのとき自分が出ていかなかったら、あの子はどうしていたのだろう。
そうして電車に揺られながら不三子は夢想する。子どもたちが幼かったころによろこんで食べた玉ねぎとカリフラワーのピザを焼いたり、玄米のちらし寿司を作ったり、かぼちゃのケーキを作ったりして、好きなだけ食べてもらう。そんなのはもちろん無理だろう。でも、お弁当を作ってあの子のおうちに届けることくらいならだいじょうぶかもしれない。いや、わざわざ知らせなければいいのだ。だめだと言われたら、ごめんなさい知りませんでしたと言えばいい。お弁当は茶色はかりにしないで、パプリカやかほちゃやしそをうまく使って色鮮やかにしよう。不三子のなかで、名前も知らない女の子は、まずしくて、いつもおなかを空かせている子どもになっている。 318-9
3. 吉田修一 『国宝 下 花道篇』 朝日新聞出版
渋滞した車道に、そっと降ろされたその足の、なんと白いこと、濡れた路面に映るその姿の、なんと艶やかなこと。
渋滞した車列のあいだを縫うように、喜久雄が羽織る打掛の裾が流れていきます。
今、喜久雄の目に映るのは、銀座のネオンか、はたまた降りしきる吹雪の世界。その耳に聞こえるのは銀座の喧騒か、鳴りやまぬ笛太鼓か。
信号の変わったスクランブル交差点に、喜久雄がよろめきながら飛び出したのはそのときでありました。
歩道から悲鳴が上がり、同時に無数のクラクションが響きます。
突き刺さるような車のヘッドライトが、阿古屋の顔を白く浮かび上がらせたその瞬間、喜久雄はいつものように、
「はい」
と、小さく頷いて、出の合図をしたのでございます。
〽️ 吉野龍田の花紅葉 更科越路の月雪も
一節語り出せば、あとはもうすべて体が覚えております。泣きどころも、笑うきっかけも、怒り方も、喜ぶ仕草も、何もかもこの体が覚えております。あとは眩しいほどの照明と鳴りやまぬ拍手。それさえいただければ、役者はどこにでも立つのでございます。芸を見たいと言って下さるお客さまがそこにお一人でもいれば、ほかに何もいらないのでございます。
愛想笑い一つできぬ、不器用な役者でございます。我が道しか見えず、多くのお客さま方からお叱りも受けてまいりました。おそらく当代の人気役者としては失格なのでございましょう。しかしそれでも、この歌舞伎座の大屋根から見下ろしておりますと、その不器用な役者の姿が、父親の仇を打とうと、朝礼の最中に駆け出した、あの一途な少年の姿に重なってくるのでございます。
ですからどうぞ、声をかけてやってくださいまし。ですからどうぞ、照らしてやってくださいまし。ですからどうぞ、拍手を送ってくださいまし。
日本一の女形、三代目花井半二郎は、今ここに立っているのでございます。
(完) 352-3
映画『国宝』 https://x.com/pherim/status/1932635647082414139
4. スティーブン・ビースティー画 リチャード・プラット文 『帆船軍艦』 宮坂宏美訳 あすなろ書房
輪切り図鑑クロスセクションというこのシリーズ、良い。ほかに欧州古城や人体なども出てるらしい。大砲弾込め図など、宮崎駿戦車物と並んで参考にさせてもらった。ウォーリーを探せ式に密航者イラスト付きクイズなんかも仕込んであったり。描き手のスティーブン・ビースティーって検索するとほかにも大量の図鑑や絵本を描いていて、界隈の大物らしい。1961年、英国コベントリー生まれとの由。
5. リチャード・ハンブル文 マーク・バーギン画 『16世紀の帆船』 杉浦昭典訳 三省堂
上述輪切り図鑑の進行方向面切断版みたいな内容で、見開き2ページにぎっしり書き込まれた訳者解説が謎に良い。北海のクリンカー造りロングシップ→コグ展開と、地中海のカーヴェル造りガレー→キャラベル展開の合せ技としてのキャラック→ガレオンという整理が端的に為されていて、ガレオンのガレー要素説明や、速度競争が戦列艦よりあとの時代になって初めてヒートアップした理由なども密輸船と官憲船の争いなど、単なるクリッパー競争で済ませないながらもスッキリとして説得力ある。
6. るきち 『空想世界のもちもの』 日貿出版社
ナウシカの“森の人”や、草原の民系ファンタジー世界設定をめちゃんこ細密に仕上げた設定資料集。架空の民族文化を衣装や家屋のレベルでなく掛け具や留め金の水準で、なんならジブリや片渕須直アニメのそれを凌ぐ精度で作り上げており予想外に見応え読み応えある一冊。ベースとしてはチベットや中央アジア西アジアの山岳/砂漠民族系+アルプス大自然のリアルから借財されている感じがとても好ましいのだけれど、ゲーム世界内の3Dデザインなどを本業とするひとらしく、小中学生の頃から膨らませた世界設定というから本気度が凄い。
イノシシとトリの複合動物、の肉を使った料理、の精彩度などからは九井諒子的狂気も感じられ、しかしこのひとの嗜好はたぶん物語ることより環境設定そのものにあるのだろうし、けれども建築家やファッションデザイナーのようなリアルを志向はしないところへ落ち着く在りかたがどうにも良い。廃墟絵師とかにも近い生態かも。
7. 村上春樹 『四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』 高妍画 新潮社
高妍は台湾のイラストレーターで、台湾での小学生時代、教室で担任教師が表題作を熱く語ったエピソードから始まるあとがきが良い。
ほかに深夜の学校廊下でもうひとりの「僕」と向き合う短編「鏡」も収録されており、話のホラー味も相俟って最後の向き合う挿画など名作ゲーム&映画《返校》の趣きも想起され味わい深い。
8. かとうひろし 『マンガのマンガ 初心者のためのマンガの描き方ガイド ストーリー構成編』 銀杏社
14ページの実作例で各ページ&各コマの役割を解説するくだりが白眉。描きたい情熱だけはある少年が案出した「屁こきにより空飛ぶ戦隊ヒーロー」から、本人無自覚な“描き手の核”を見いだしていく流れも面白い。
9. スタジオジブリ 『ジブリがいっぱいSPECIALショートショート解説書』 ブエナビスタ ホームエンターテイメント
ジブリの仕事は何から何まで丁寧よな、というのはある。このDVD冊子にしても、独自の掘り込みが各所にあって、だれか外部のライターが一時の仕事で片付けたようなものとは違い、各々言及がコンパクトながらも多次元的で味わいある。日本語が豊かだとはこういうことで、詩的な言い回しとか明晰さとかじゃないんよね。
個別作本編の感想等は下記ツイまで。
『On Your Mark』1995他連ツイ https://x.com/pherim/status/1939304759099539918
中田ヤスタカ+百瀬義行コラボ連ツイ https://x.com/pherim/status/1935598834237018420
10. 犬丸 『かんたん! クリップスタジオ漫画術』 新書館
そもそもクリップスタジオなるソフトをまったく知らず、界隈ではAdobeのフォトショやイラストレーター以上に支配的なシェアを誇るという事実を知って、でも「こういう周知の事実すぎるため、かえって外野には知られない」みたいなことってどのクラスタにもあるもんかもな、など思う。そして外野に知られてないことを内にいると気づかないみたいのも。
など感覚したのは、実際に初めて触れてパーチクリンな部分は、本書を読んでもやはりわからない。初歩的すぎる人間が何がわからないかは、こういう本を書く著者自身には実感できないものだろうし、たとえその界隈にいる初心者に取材してもわからないものだろうから、仕方ない面は感じる。しかも2017年に連載されていたものなので、ソフト自体がアップデートされ項目名そのものが照合不能になっていたりする。そのあたり正誤表ならぬ更新表を添えてくれたらありがたいんですけどね。てか今ならネット配布か。確認してないし、されるかもね。
パーチクリンの語は書いた時点で死語だろうなNGだなって思ったけど、検索したら色んな解釈が勝手にされていてちょっと意外だったのが面白くこのままにしておく。べつに意味の正確性が意義もつ文脈でもなかろうし。
▽コミック・絵本
α. 高浜寛 『獅子と牡丹』 リイド社
高浜寛2025年新刊。これまで『四谷花園町』はじめ過去作のうちでも単刊本ばかりを読んできたため、代表作『ニュクスの角灯』など長崎物を初めて読む。高浜寛好きを公言しておいてこういう足取りも珍しいのではとも思うけれど、寛をひろしと読んで女性なのに変わってるなと思い続けていたくらいのライトファンとしては、とうとうたどり着いた感も濃い。
で、天草埋蔵金伝説なのだけど、わりと正面から冒険ミステリー展開なのが意外性あって見入る。ロマンス要素が現状ない点も新鮮だし、地誌的なベースが深すぎてこれは他の誰にも真似できない、高浜寛が唯一無二なのは長崎物ゆえという筋の評価も今さらながら頷ける。てか、記事にできるやっちゃこれ。三部作読み通したらMustかな。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
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β. ニコ・ニコルソン 『ニコ・ニコルソンのマンガ道場破り 破』 白泉社
漫画家へのインタビュー漫画続編。各々の来し方や技術論、精神論が語られる。森繁拓真、押見修造、ももせたまみ、押切蓮介、古屋兎丸、羽海野チカ、花沢健吾、羅川真里茂、ヤマザキマリ、二ノ宮知子、石黒正数収録。
来し方と読んだことのある漫画との絡みで、羽海野チカ、花沢健吾、ヤマザキマリのエピソードが印象的。創作、技法面ではいずれも興味深く、描き手本人の欲望の底に横たわる嫉妬心も醸されることを厭わない情念性が、軽快なタッチと相反しており読ませる。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
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(▼以下はネカフェ/レンタル一気読みから)
γ. 花沢健吾 『アンダーニンジャ』 1-15 講談社
「コマの絵で表現していること」が、「吹き出しで説明していること」や「メインのストーリーライン」とは全く別の何かである場合の量やバランスが巧いんだ、そこが『アイアムアヒーロー』でとくに感心させられていたポイントだったのだと本作のアパート日常描写でようやく気づいた。木造アパート暮らしの細密描写がマジぱない。
読者の予想をガンガン裏切っていくことに一番の喜び感じてるよね花沢健吾。忍者ギミックの数々も、そのためにこそ視覚的に活きる良い思いつき、みたいな。
猫平ヤバい。カタストロフ最中のバイクAIとの神合体とか腹抱える。
13巻、衛星兵器スケールで色々あったあとに木造アパートの秘密地下道へ収斂させる膂力すき。
15巻、マッカーサーの喫煙中に愛用パイプ側面へ手裏剣立てたのが七人衆の祖先とかよくそんな武勇伝思いつくなぁって笑えすぎ。いや、全編極上すぎてなに特筆していいかわかんないと、逆に細部が際立つなこれ。
映画版ツイート: https://x.com/pherim/status/1952941783547363446
δ. 藤本タツキ 『チェンソーマン』 16-21 集英社
16-7巻、中だるみ感。チェンソーマン教会がいまいち切り立って来ない。なぜなのかは興味深い。
わたしの心臓が動いているのはな……! チェンソーマンと戦う為だ!
19巻末尾、耳の悪魔、口の悪魔、腕の悪魔、の畳み掛けスピード感あって良い。それまで正直しばらくガンツ的中だるみあっただけに。
20-1巻、至強キャラプリゼンツの裏世界転生、死なない世界の退屈感がもう凄い。森と泉だけのその場所で、誰も何とか文明発達させたりはしないのね。
ε. ヤマザキキマリ 『続テルマエ・ロマエ』 2 集英社
マルクス・アウレリウス・アントニヌスが先代アントニウス・ピウスの臣下として登場するの、イイネ!感しか。
人気シリーズ続編だからこその深堀り&悪ノリ感が楽しく、その一点をテコに同じ古代ローマ舞台の『プリニウス』 とまったく違うテンションを現出できてるの、さすが。
ζ. 南勝久 『ザ・ファブル The third secret』 1 講談社
The second Contactが終わったことに最終巻読んでたのに気づかず。とはいえほぼほぼシームレスに第三幕が始まっており、安定感パない。時系列は飛ばさず、急速に育ったサブキャラたちの多くを入れ換えることで、主人公らの感情的ナラティヴが持続するこの構成すてき。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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