・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※コミックは別腹にて。書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌は特集記事通読のみで扱う場合あり(74より)。たまに部分読みや資料目的など非通読本の引用メモを番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。
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1. 茨木のり子 『詩のこころを読む』 岩波ジュニア新書
見えない季節 牟礼慶子
できるなら
日々のくらさを 土の中のくらさに
似せてはいけないでしょうか
地上は今
ひどく形而上学的な季節
花も紅葉もぬぎすてた
風景の枯淡をよしとする思想もありますが
ともあれ くらい土の中では
やがて来る華麗な祝祭のために
数かぎりないものたちが生きているのです
その上人間の知恵は
触れればくずれるチューリップの青い芽を
まだ見えないうちにさえ
春だとも未来だともよぶことができるのです
――詩集『魂の領分』
いつも思うのですが、言葉が離陸の瞬間を持っていないものは、詩とはいえません。じりじりと滑走路をすべっただけでおしまい、という詩でない詩が、この世にはなんと多いのでしょう。
第一行で、すでに中空高く舞いあがり、行方もしれずなりにけり、という本格派もあり今まであげてきた詩からも、いくつも探しだせるでしょう。詩歌を志す人は、大半の努力を第一行で舞いあがることに注いでいるようにも思われるのです。そこが散文とちがうところで、重装備でじりじり地を這い、登山するのが散文なら、地を蹴り宙を飛行するのが詩ともいえます。「便所掃除」は散文的な言葉のつみかさねからおしまいに、もののみごとに飛翔し、誰の目にもあきらかな離陸をやってのけているので、良い参考になります。 128-9
便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません
しゃにむに書いてゆくうち、なんのために生まれてきたか、自分はどんな詩を書いてゆくべきかがつかめてきたように見えます。この世には面をそむけるような残酷なことが平然とおこなわれ、その反面、涙のにじむようなやさしさもまた、人知れず咲いていたりします。無残に断ちきろう断ちきろうとする強い力がある反面、結ばれよう結ばれようと働く力もまたあるのでした。たぶん芸術というのは、この結ばれようとする力に、美しい形をあたえ、目にみえ耳にきこえるようにしたいという精神活動の一種なのかもしれません。
モーツァルトの音楽をきくとき、私たちの全身をひたしてくるこの世ならぬ恍惚感、百散のほほえみにひきよせられてしまう心、舞踏の跳躍や静止の一瞬に魂をうばわれるのも「世界に自らを真似させようとやさしい目差でさし招くイマージュ」に誘われるためでしょう。イメージのフランス語よみがイマージュですが、そういうものがこの世に一つもなかったとしたら、どんなにさびしく砂かむ思いの日々でしょうか。
谷川俊太郎はパウル・クレーの絵にことよせて、自分もまた、そういうやさしさにだけ加担したいと言っているようにみえます。つい最近も「ぽくは妖精のように人々の間をとびまわっていたい」と書いています。女の子ならともかく、大の男が妖精とは?
でも谷川俊太郎がいうとあんまり違和感を感じさせないのは、ことばだけでなく、すでに実行してしまっているからです。どんな場所へも気軽に入ってゆき、映画の台本、作詞、絵本、マザーグースやスヌーピーの翻訳、自作詩朗読、詩人としてできることなら何でもジャンルを越えてやってのけ、しかもそれぞれの質が高いのはおどろくべきことです。まるで貴重な「おとし物」を次々思い出そうとするように。これも結ばれよう結ばれようとしている動きに力を貸したいというあらわれで、かるがるとやってのけているようにみえますが、すべては全力投球で、肉体労働者と同じくらいの消耗をともなう勤勉さです。
今までの詩人のイメージー俗物を軽蔑し孤高、世に容れられず、ひねくれもの、破滅型、借金の名人、大酒のみしそれらをみごとにくつがえしてしまったのも彼の新しさの一つです。
詩人が人々に供給すべきものは、感動である。それは必ずしも深い思想や、明確な世界観や、鋭い社会分析を必要としない。むしろかえって、それらが詩人を不必要にえらぶらせ、そのため詩の感動を失わせることが少なくない。詩人は感動によってのみ詩を生み、感動によって人々とむすばれて詩人になるのである。
とも言っていて、なまはんかな学問だったら、かえって詩を濁らせてしまう、と言いたげです。たしかに、そういう例があまりにも多い。たえず自分の感受性を全開にし、世界と相がそうとしているのは、谷川俊太郎が自分の書いたこの文章に、責任をもとう、としているかのように見えるのです。
樹がきこりと
少女が血と
窓が恋と
歌がもうひとつの歌と
あらそうことのないように
石垣りんにとって詩は、誰のためのものでもなく、自分自身のバランス、舵をとるための行為で、その必死の作業が読者にも「板子一枚、下は地獄」の生の深淵をかいまみせてくれるのです。そこはかとなく漂うユーモアや、ほのあかるさにも特徴がありますが、手術前夜の緊張と、おそってくる痛みにさえ、横に寝かせて起こさない病気が私の恋人みたい、病気になってはじめて休めた私一人の祝祭日、といえるほど自分を突っぱなしてみられるところから、生まれてきています。小学生のころからこつこつ始めた詩作が、ほぼ四十代に至って、いっぺんに開花したさまは、ほれぼれするくらいの見事さでした。 190
その夜 石垣りん
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく、
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
―ー詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』 185-7
2. ハン・ガン 『少年が来る』 井出俊作訳 CUON
僕たちの体にくっついて腐りつつあった血まみれの服が、真っ先に燃えて灰になったんだ。次に髪と産毛が、皮膚が、筋肉が、内臓が燃えていったよ。茂みを飲み込むように炎が立ち上ったよ。真っ昼間のように空き地が明るくなったよ。
そのとき分かったんだ、僕たちをここにとどまらせていたものは、まさにあの皮膚と髪と筋肉と内臓だったってことが。僕たちを引き寄せる体の引力がたちまち弱くなりだしたんだよ。茂みの隙間の方に退いてもたれ合い、互いの影をなで合っていた僕たちは、自分たちの体からぼうぼうと噴き上がる黒い煙に乗って一気に宙に舞い上がったんだ。
彼らがトラックに戻り始めた。最後まで見ておけという命令を受けたかのように、一等兵と兵長の階級章を着けた二人の軍人だけが、直立不動の姿勢でその場に残ったんだ。僕はその幼い軍人にゆらゆらと降りていったよ。彼らの肩とうなじの周りに広がりながら、幼く見えるその顔をのぞき込んだんだ。おびえた黒い瞳の中で燃えている僕たちの体を見たんだよ。
僕たちの体はずっと炎を噴きながら燃えていった。内臓が煮え返りながら縮んでいったんだ。間欠的にシューシュー噴き出る黒い煙は、僕たちの腐った体が吐き出す息みたいだったよ。そのざらざらした吐息がほとんど出なくなった所から白っぽい骨が現れたんだ。骨が現れた体の魂はいつの間にか遠くなって、ゆらゆらする影がもう感じられなくなったよ。だからとうとう自由になったんだ、もう僕たちはどこにだって行けるようになったんだ。
どこに行こうか、と僕は自分に聞いたんだ。 76-7
あなたが死んだ後に葬式ができず、あなたを見ていた私の目が寺院になりました。
あなたの声を聞いていた私の耳が寺院になりました。
あなたの息を吸い込んでいた肺が寺院になりました。
まるで目を開けたまま夢を見ているように、宙に向かってキイッ、キッと声を出しながら女が唇を動かしている間、麻服の男が舞台に立つ。両腕を宙にぶんぶん振り回しながら女の肩をかすめて行き過ぎる。
春に咲く花々、柳、雨と雪片が寺院になりました。
日ごとに訪れる朝、日ごとに訪れる夕暮れが寺院になりました。 122-3
良心。
そうです、良心。
この世で最も恐るべきものがそれです。
軍人が撃ち殺した人たちの遺体をリヤカーに載せ、先頭に押し立てて数十万の人々と共に銃口の前に立った日、不意に発見した自分の内にある清らかな何かに私は驚きました。もう何も怖くはないという感じ、今死んでも構わないという感じ、数十万の人々の血が集まって巨大な血管をつくったようだった新鮮な感じを覚えています。その血管に流れ込んでドクドクと脈打つ、この世で読も巨大で紫高な心臓の脈拍を私は感じました。大胆にも私がその一部になったのだと感じました。 140-1
ある記憶は癒えません。時が流れて記憶がぼやけるのではなく、むしろその記憶だけが残り、ほかの全てのことが徐々にすり減っていくのです。カラー電球が一つずつ消えるように世界が暗くなります。私もまた安全な人間ではないということを知っています。
今は私の方から先生に聞いてみたいのです。
つまり人間は、根本的に残忍な存在なのですか? 私たちはただ普遍的な経験をしただけなのですか? 私たちは気高いのだという錯覚の中で生きているだけで、いつでもどうでもいいもの、虫、獣、膿と粘液の塊に変わることができるのですか? 辱められ、壊され、殺されるもの、それが歴史の中で証明された人間の本質なのですか?
釜馬民主抗争で空輸部隊に投入された人とたまたま会ったことがあります。私の経歴を聞いて、自分の経歴を打ち明けたのです。できる限り過激に鎮圧せよという命令があったと彼は言いました。特別残忍に行動した軍人には、上部から数十万ウォンずつの賞金が渡されたということでした。同僚の一人が彼に言ったそうです。何が問題だというのか?むち代を渡しながら人を殴れというのだから、殴らない理由がないじゃないか?
ベトナム戦争に派遣されていた韓国軍のある小隊に関する話も聞きました。彼らは田舎の村民会館に女性や子ども、老人たちを集めておいて全員焼き殺したというのですよ。そんなことを戦時中にやっておいて爽賞を受けた人たちがいて、彼らの一部がその記憶を身に付けて私たちを殺しにきたのです。済州島で、関東と南京で、ボスニアで、全ての新大陸でそうしたように、遺伝子に刻み込まれたみたいに同一の残忍性で。
忘れずにいます。私が日々出会う全ての人たちが人間だということを。この話を聞いている先生も人間です。そして私もやはり人間です。
日ごとにこの手の痕をのぞき込みます。骨が見えていたこの部分、白っぽい粘液を噴き出しながら腐っていった部分を日ごとにさすってみます。平凡なモナミの黒のボールペンとたまたま出くわすたびに、息を殺して待っています。泥水のように時間が私を押し流すのを待っています。私が昼も夜も負っている汚い死の記憶が本当の死と出合って、きれいさっぱり私を解き放ってくれるのを待っているのです。
私は闘っています。日々一人で闘っています。生き残ったという、まだ生きているという恥辱と闘うのです。私が人間だという事実と闘うのです。死だけが予定を繰り上げてその事実から抜け出す唯一の道なのだという思いと闘っているのです。先生は、私と同じ人間である先生は、私にどんなふうに答えることができるのですか? 163-4
夜は更けたけれど、あなたは眠くない。リュックが重くて、背中と肩が汗でぐっしょり濡れたけれど気にしない。目覚めているときより鮮明な夢を思い出しながら、あなたは歩き続ける。
数百枚もの鉄の銀を縫い重ねたような無を着て、あなたは高層ビルの屋上から落ちる。頭から地面にぶつかったのに死なず、また非常階段を歩いて上る。再び屋上からためらわず落下する。今度も死なずに非常階段を上る、もう一度落ちるために。あんなに高い所から落ちるのに鎧が何の役に立つかしら。一つの夢の壁を開きながら、あなたは自分に問う。だけど目が覚める代わりに、次の夢の髪に入り込んでいく。巨大な氷河があなたの体を上から押さえつける。固体のあなたはつぶれる。氷河の下に流れていきたいとあなたは思う。海水でもいい石油でもいい溶岩でもいい、何か液体状のものになって、この重さから抜け出さなくてはならない。そうするしか道はない。その夢すらも開いて外に出ると、ついに最後の壁の夢が待っている。灰白色の街灯の下で暗闇を見つめながら、あなたは突っ立っている。
目覚めに近づくほど、夢はそんなふうに残酷さが弱まる。眠りはさらに浅くなる。書道半紙のように薄くなってカサカサ音を立てているうちに、ついに目が覚める。悪夢なんかどうということもないと悟らせる記憶の数々が、静かにあなたの枕元で待っている。 197-8
あんよ、こっちにあんよ、手をたたく母ちゃんの方に一歩、二歩とよちよち歩きをしたものだよ。にこにこしながら七歩あんよして、母ちゃんに抱っこされたんだよ。
八つになったときにおまえが言ったんだ。僕、夏は嫌いだけど、夏の夜は好き。どうってこともないその言葉が耳に心地良くてね、母ちゃんはおまえが詩人になるかも、とひそかに思ったものだよ。夏の夜、庭の縁台で父ちゃんと三人兄弟がそろって西瓜を食べたときに。口元にべとべとくっついた甘い西瓜の汁をおまえが舌の先でぺろぺろなめたときに。 240
私がこっそりその本を開いたのは、大人たちがいつものように居間に集まって九時のニュースを見ていた夜だった。最後の章までページをめくり、銃剣で深くえぐられてつぶれた女の子の顔と向き合った瞬間を覚えている。私の中の、そこにあると意識したことのなかった柔らかい部分が、音もなく砕けた。 251
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
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3. 坂部恵 『かたり』 弘文堂
ちなみに一言いい添えれば、「源氏物語」「蛍」の巻に、ほぼ同工の物語論が見られることは、多くのひとの知るところだろう。
ともあれ、「むかしのことならねぇ、あったかねかったか知らねどもあったことにして聞くのがむかし」という一句には、〈むかし〉に関する〈かたり〉の発話のもつ〈有効性の拡大〉の効果について、無限に多くの真実が秘められているのである。 166-7
〈かたり〉や〈ふり〉の世界は、目前日常の効用の世界を離れ超出して、いわばその水平の次元を二重化・多重化し裏打ちする記憶と想像力の垂直の世界の奥行に参入する分だけ、夢の世界に似、一方、それは、つい身近な日常世界の記憶から、ときに通常の記憶を絶した〈インメモリアル〉のはるかな時間の記憶までを凝集するその度合において、目前日常の効用の世界にしばられた生活により深く奥行のある生命の彩りと味わいを加え、ときにまた、記憶と想像力の範型(パラダイム)の膨大な貯蔵庫から、あれこれの目前の行動や決断への指針を提供するものとしてはたらくことにもなるだろう。 54
(b) ふるまい――ふり――まい
さきの言語行為に関する図式団の場合とおなじく、ここでも上から下へと進むほど、二重化的超出・統合の度合が高くなり(〈しじま〉には世阿弥のいう〈せぬひま〉が対応するだろう)、さらに水平の〈ふるまい〉から垂直の〈ふるまい〉(としてのたとえば儀礼における宗教的な意味を帯びた身体演技(ミーメーシス)から、憑依状態における〈ふり〉さらには〈まい〉等)へと反省的屈折や凝縮また共同的生の基盤への根づきの度合が高まることは、あらためて説明するまでもないだろう。(a)と(b)の図式をつきあわせてみると、〈かたり〉が、〈ふり〉の一種であること、あるいは、よりくわしくいえば、〈かたり〉が、言語行為という象徴的意味を帯びた人間の〈ふるまい〉のレベルの系列における一種の〈ふり〉にほかならぬことがおのずからあきらかとなろう。 50-1
〈かたり〉の諸相。おもに物語と歴史叙述をめぐる時間軸の解像度が上がる読書体験。あとがきで著者自身が《「ヴァインリヒとヤーコブソンを読む」とでもしたい》とあるように、周辺の所見を淡々とまとめ概説していく筆致がありがたく信頼度高い。読書の「つぎ」へつながる固有名の提示も参考になる。伊藤整の文芸理論、藤井貞和の物語論など。
しかし、ここでは、ひとつには、〈暗喩〉ないし〈隠喩〉の語が、すくなくとも日本語では、あまりに比喩的表現形式のひとつの種類を指す意味でのみ理解されており、ここでの用法の訳としてはいくらかそぐわないこと、第二には、meta超えてpherein 出る、という原語の意味(transpositio, Ubertragung)を生かして訳したほうがここではある意味で適切とおもわれること、そして第三に、いくらか以下の本書の叙述を先回りしてあらかじめ種明かしをしておけば、のちに人称の問題や隠喩の問題をひとつの総合的な枠組みのもとで論ずる伏線の意味を含めて、ことさら精神分析ないし精神医学にいう〈感情転移〉(Gefihls-Ubertragung)への連想をもともなった〈転移〉の訳を、あえて採用した。ちなみに、〈Metaphorik〉は、すでに本書のはじめのほうでもふれたように、ガダマーの解釈学のキー・コンセプトのひとつでもあり、影響関係の有無についてはさしあたって何ともいえないとはいえ、内容上のつながりは、のちにもすこし見るように、きわめて密接なものがある。) 100-1
むしろ現在只今の自前の状況に拘束されることのない、たとえば、未来に関する一定の程度の一般性を帯びた予測とか、おるいは、場合によってはそれに関連しで、何らかの度合の普遍的基準からする過去の出来事の評価というようなことを仮に基準にとるとすれば、発話の〈有効性〉の〈制限〉とか〈増大〉の評価に関して、おのずからまた別な基準が立てられるであろう、ということである。 155
歴史的素材を対象とする文学的あるいは制度的構想力への鷗外の十九世紀のドイツ哲学・美学に拠る考察は、「山椒大夫」とその創作余話「歴史其儘と歴史離れ」において、口頭伝承の〈かたり〉の世界と出会うにいたったが、鶴外のこの領域の取り扱いにはなお、柳田国男が「山荘大夫考」において批判し、またのちに和辻哲郎が『歌舞伎と操り浄瑠璃』で指摘するような、伝承資料の古層への顧慮の不足という近代主義的な(あるいは、より正確にいえば、近代の文学概念によりかかった)限界が見られた。その点、鷗外と柳田の右の一連の作品・論考の二年後に発表された折口信夫の「身毒丸」とその創作余話としての「附記」は、第一に、折口がすくなくとも柳田を通してフレーザーをはじめとする西洋の前世紀末以来の民俗学による無文字社会・基層社会の口頭伝承の世界の探求と発見に通じており、その分だけ、近代歴史学や近代文学の枠へのとらわれから自由であることによって、また、その結果第二に、伝説童話の原始様式の探索において、今日から見ればまだ多分に素朴であるとしても、方法論的により周到に、中世の無名の民来の構想力の古層の回路にまで推察の眼をおよぼしえたことによって、鷗外(やさらには逍遙)にはないあらたな境地を拓くことができた。
歴史叙述の〈かたり〉による対象の構成の問題は、ここに、〈かたりもの〉とその〈原始様式〉を対象としてもち、〈かたり〉に出て〈かたり〉に行き着くことによって、今日のことばでいえば、その〈解釈学的循環〉の回路を閉じる。ここに、一方で、「兎に角わたくしは歴史離れがしたさに「山椒大夫」を書いたのだが、さて書き上げた所を見れば、なんだか歴史離れがし足りないやうである。」という、「歴史其儘と歴史離れ」の未尾での外の感慨が生じ、他方では、また、〈かたりもの〉についての〈かたり〉の文体と、民俗学研究の制度化とを、アカデミズム史学の外側あるいは周縁で確立することへ向けての柳田の以後長年にわたる努力と模索が生まれ、また、泰西においては、はるか後年、ウィトゲンシュタインからウィンチにいたるいわゆる原始心性の原理的な理解可能性をめぐる批判・考察が生じてくる、という次第となる。 18-20
この種の用法が重要性をもつのは、いうまでもなく、ここでは、〈かたり〉の内容でも、その言語行為のさしむけられる客体でもなく、まさにその主体のありかたが問題となるからである。「誰某をかたる」という表現においては、その言語行為の主体は、あきらかに意図的、意識的に二重化されている。「誰某をかたる」とは、みずからの舌先三寸の〈かたり〉によって、(本当はそうではない)誰某としてみずからを相手に借じこませることにほかならないからである。
わたくしは、こうした二重化を、たんなる付帯的なものとしてではなく、むしろ、およそ〈かたり〉なるものが(無意識的にせよ、あるいは神がかりなどの場合のようにいわば超意識的にせよ)本来すくなくとも潜在的にもつ二重化的超出ないし二重化的統合といったはたらきのひとつの顕在的なあらわれと解したい。このように考えてみれば、「誰某をかたる」という表現が、〈かたり〉の主体のありかた、さらにはおよそ人間の主体一般の元来二重構造をそのうちにはらんだありかたについてひとつの透徹した見通しをあたえる所以がただちにあきらかとなるだろう。ここに見られる〈かたり〉の主体のありかたは、〈かたり〉という言語行為が、「わたしは一個の他者である」というランボーの有名なことばに示される人間の自我主体の二重構造――いずれ以下の諸章でその具体的なあり方の諸相を、〈かたり〉という事態に即しておいおいあきらかにして行くことになるはずの二重構造――の真実がもっとも典型的にあらわになる場面にほかならないことを示していると見なされうるのである。
一旦このような見通しを立てておくと、われわれは、〈かたり〉という言語行為に本来内在すると考えられる二重化の構造の顕在化のいまひとつのより大規模な例が、〈かたり〉ないしは〈ものがたり〉における〈作者〉と〈語り手〉の区別というしばしば論じられる事柄のうちに存することに思いいたる。古形においては、たとえば、〈巫女〉とそれに憑いたへもの〉ないし〈もののけ〉との二重化的超出ないし二重化的統合の関係として典型的にあらわれたでもあろう、こうした〈かたり〉の二重構造において、われわれは、〈かたり〉の主体の位相が、いってみれば共同体の共同性の創出基盤ともなる遠い神話的記憶の一種垂直的な時間の次元と交錯し、その範型的な生のかたどりの力の一端にあずかる場面に立ち会うことになる。
くわしくは、いずれ後続の諸章において検討することとして、〈ものがたり〉の語り手は、いわば、日常効用の生活世界の水平の時間の流れと直交する、〈ミュートス〉の遠くはるかな記憶と想像力の垂直の時間の次元の奥行へと参入し、二つの次元を往来しつつかたることによって、共同体の共同性の繰り返しての創出基盤ともなり、またわれわれの心性と宇宙の根底の形成力とのきずなともなるもののうちへとこころを根づかせ、また、世界と人間の生を解釈し、行動の指針をあたえる一連の母型(マトリックス)ないし範型を凝縮された形で提供するというようなこともあるだろう。 46-8
4. 舞城王太郎 『短篇七芒星』 講談社
ろくでもない人間がいる。お前である。
くだらないことに執着して他人に迷惑をかける人間がいる。これもお前である。
何を触っても誰と関わっても、腐敗と不幸をもたらす人間がいる。まさしくお前である。
マジでびびるほどだ。おいおい、神様はどうしてお前みたいなクソをこの世に配置したのだろう?どのような側面においてもプラスとかポジティブとか前とか上とか善とか良とかとは反対の性質しか持たないお前が、どのような因果でここにいて、ひたすら周囲をダメにしているんだろう?
お前はすでに赤ん坊の頃から親に好かれてなかった。 152
逢坂冬馬の流れでマークスマン主人公の2篇目「狙撃」、唐突に息子を犠牲に捧げ、妻の恥骨内部の豚=神との格闘しだすヤコブ父ちゃんになる最終篇「縁起」など印象深く。しかしなんといっても「代替」。これはちょっと、今年読んだ短篇ベスト3に入れねばなるまい。
というわけで本項引用はすべて「代替」より。
お前じゃなかったときのお前をただ見つめていたときの俺が誰だったのかはわからない。俺には名前はなく、体や手足があったような気もしない。俺はいわば視点みたいなものだったのだ。でも俺には俺の考えと感情と知識や認識があった。俺は実際には観た憶えのない「未知との遭遇』や「ハンナとその姉妹』の物語を知っているし読んだことのない『プレーンソング』って小説の内容を……はっきりとは憶えてないけれども猫が出てきたのを憶えている。 162
唐突なる保坂和志フォロワーアピ、なのかなのかな。
集合意識みたいな曖昧な感覚としての存在だった俺が、血が通い電気信号で働くリアルな脳を持ったことで初めて思考というものを行ったことで俺にはわかる。
生命は尊い。
お前のようなクソよりクソいクソクソのクソに対しても皆が期待をかけてくれるのは、お前が生命だからだ。
生きていること自体が善を行うことと同義なのは、生きるために人は周囲により良きものをもたらすことが決定付けられているからだ。
別に難病の治療薬を見つけなくていい。世界平和を実現するためにこの世に漏く広がるような思想やスピーチを捻り出さなくてもいい。善とは、優しい微笑みであり、温かい声がけですらなくていい。その根本は、自分が大事であると認識することだけだ。他人になす何かではない。自分を許し、励まし、正すことなのだ。他人への振る舞いはその後にすぐついてくる。 173-4
5. チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ 『なにかが首のまわりに』 くぼたのぞみ訳 河出文庫
色あせたピンクの唇が動いて、ちいさな歯が見えた。スクリーンにさえぎられた、そばかすだらけの顔のなかの、色あせたピンクの唇。彼女はヴィザ面接官に「ニュー・ナイジェリア」の記事は子どもの生命を犠牲にするだけの価値があるのかとききたい思いに駆られた。でもきかなかった。ヴィザ面接官が民主制を擁護する新聞のことを知っているかどうか疑わしかったから。大使館の門の外の交通遮断区域にできた長蛇の列のことを、木陰ひとつなく、容赦なく照りつける太陽が友情と頭痛と絶望を作りだしていることを、このヴィザ面接官が知っているかどうか疑わしかったから。
「あのね、あなた、合州国は政治的迫害の犠牲者に対して新生活を提供しますが、それには注意が必要なんです……」
新生活。彼女に新生活をくれたのはウゴンナだった。彼がくれた新しいアイデンティティをたちまち好きになって自分でも驚いたのはウゴンナのおかげだった。彼女を新しい人にしてくれたのだ。「わたしがウゴンナの母です」と保育園の先生に、ほかの子どもの親たちにいったものだ。ウムンナチで埋葬したとき、彼女の友人たちや家族がおなじアンカラ・プリントの服を着ていたので、だれかが「お母さんはどの方?」とたずねた。彼女は顔をあげて、一瞬われに返って「わたしがウゴンナの母です」といったのだ。彼女は、先祖代々の故郷の町へ帰って、イクソラの花を植えたかった。針のように細い花弁の先を子どものころによく吸ったっけ。植えるとしても一本だけ、あの子の墓地はとても狭いから。花が咲くとミツバチがやってくる、その花を摘んで、彼女は泥のなかにしゃがみ込んで吸いたかった。そのあとで、吸った花をひとつひとつならべたかった。
ウゴンナがレゴブロックでやったように。それが彼女の望む新生活だった。
降りの窓口で、アメリカのヴィザ面接官がマイクロホンに向かって大きすぎる声で話していた。「あなたの嘘を認めるつもりはありませんよ、サー!」 196-7
知らないうちにドズィエが移動してきみのすぐ後ろに立っている、すごく近くなので彼から柑橘類の匂いが立ちのぼってくるのがわかる、ひょっとするとオレンジをいた手を洗わなかったのかもしれない。彼はきみを振り向かせて、きみをじっと見つめる、きみも彼をじっと見つめる、その額には細かな皺が走り、目には見慣れぬ厳しさがある。彼がきみにいう、大事なのはきみが欲しいものだったから、自分が欲しいものなんて考えもしなかった。長い沈黙があって、そのあいだきみは黒い場が列をなして幹を登っていくのをじっと見ている。どの蟻もちいさな白いかけらを運んでいるので、黒と白の模様ができている。彼が、きみも彼のように夢を見たかときくので、きみはその目を避けながら、見なかったと答える、すると彼はきみから目をそらす。きみはいいたい、きみの胸のなかの痛みのことを、耳のなかの空虚のことを、彼が電話をかけてきてから騒ぎつづける気持ちのことを、ばたんと開いてしまったドアのことを、平らに押しつぶしてきたものが飛び出てしまったことを、でも彼は歩み去っていく。そしてきみは泣いている、アヴォカドの木の下にひとり立ち尽くして。 176
下記は訳者あとがきより、著者発言引用。
『闇の奥』的なイメージのアフリカは、アフリカを半人間としての「他者」と見なすことが可能な場です。つまり西側諸国の人びとがその人間らしさを試す場ということです。これはアフリカについて書かれた多くの書物のなかに、いまもはっきりとあらわれています。最近になって少しちがってきたのは、アフリカ人に奇妙なねじれが与えられたことです……(中略)……アフリカ人は「野蛮人」とはいわれなくなりましたが、書かれたテキストの背後の意味はいつも、アフリカ人は野蛮だとほのめかしています……(中略)……リシャルト・カプシチンスキのような人が、多くのアフリカ人がそうは思わないのに、アフリカのあらゆることをめぐる決定的な声だとされるのは本当に困ります。(「新進作家フォーラム」◯四年)
6. 『描きたい!!を信じる 少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方』 集英社
企画の勝利だな~、という一冊。定価1000円切らせたのを含め、これは10万部行くよね、その数字が何でもなく見えちゃうくらい、マンガ需要の一般書籍に対する桁違いのパワーが知られるよね、みたいな主旨でわりと長めに書いた文章がどこかへ消えたので、がっかりである。
なにせ一千万部超えの漫画家が何人もアンケートに応えていて、てか数百万部超の漫画家が十数人参加していて、っていうの、漫画家を小説家に換えた瞬間に数字が二桁落ちるわけで、一桁じゃないんだよな明らかに、二桁。っていう。これはさ、いまだけっこう見逃されがちなことだろうけど、“文学はハイソだから”とかじゃないんだよね。マンガの中にすでにある“ハイソ”と“一般”の振れ幅に文学とかもう埋没していて誤差の範囲ってか見えなくなってることに気づいてない人たちが今はまだいる。という話だし、マンガだってたぶん端っこではもうそうなり始めている。でも、マンガならまだマスにはこういう企画がウケる、という話。
内容は、大変タメになる良書でした。
7. 村上春樹 『街とその不確かな壁(上)』 新潮文庫
村上春樹の長編新作は、出るたびに買って読み通すという自認が学生時以来ずっと続いてきたけれど、2年前本作単行本を買ったあとついに途絶えた。とくにつまらなかったわけでもないのだけれど、なんとなく前半で途絶したまま3年が経ってしまった。3年といえば次の長編さえすでにかなり進行していておかしくない歳月だし、この数年は村上春樹再読も細々と続けていたくらいなのに、ふしぎである。と書いて、いやだからこそ本作は興を削がれたのかもしれない。やはり既視感がすごいわけで、先の展開への期待感も限定的にならざるを得ない、みたいな。
というか、考えてみれば私はこの今、日本国中どこでも好きな場所に移り住むことができるのだ。しかしどこに行けばいいのか、具体的な場所をひとつとして思いつけなかった。
そう、私はこの地上に停止した鉄球でしかない。ずしりと重い、求心的な鉄球だ。私の思念はその内側に堅く閉じ込められている。見栄えはしないが、重量だけはじゅうぶんそなわっている。
誰かが通りかかって、力を込めて押してくれなければ、どこにも行けない。どちらにも動けない。
私は何度も私の影に向かって問いかけてみる。これからどこに行けばいいのだろう、と。しかし影は言葉を返してはくれない。 (27)192
まぁ村上作品でくり返される、どうにか想いびとと再会したいっていう道行きはかなり好物なんですけどね。
8. 逢坂冬馬 『歌われなかった海賊へ』 早川書房
ナチスへ反抗した少年団“エーデルヴァイス海賊団”の史実を元に、メインキャラに少女を加えぐんと逢坂ワールドを展開させた秘史感覚のある冒険小説という体裁。ソ連の女性狙撃兵を描く『同志少女よ、敵を撃て』2021年刊行につづく2023年刊行で、どちらも400ページ近い長大さながら、比較するとこちらはかなりあっさりとした印象を受ける。高揚と雑味に欠ける感じは、もしかしたら実際に取材や執筆へかけた時間と熱量の差なのかもしれない、とも思わせる。
こなれている感じが、あまり良くない意味でのウェルメイド性看取を生んでいるというのは、すこし不思議だけれどまぁよくある話でもあり、後年ふり返るならそこはむしろデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』こそ別格だったということになるのかもしれない。近著『ブレイクショットの軌跡』(よみめも前回)も読んだうえでそう予感する。
9. 小野不由美 『月の影 影の海 (上) 十二国記1』 新潮文庫
シンジくん=エヴァの、まるで前継作のような主人公「絶対戦いたくない」物語。しつこいほど世界からせき立てられ、剣を握らされるが、投げ捨てる。投げ捨てるのはさすがに笑った、つまりよく練られた展開ということなのか。蒼猿がしつこすぎて、主人公の影なのかとさえ思えてくる。『魔性の子』メモで書いたような、“記憶の中のむかしみたアニメ版世界”のような十二国記へこれから着陸しゆくのか、あるいはしないまま新世界を味わうのかも現時点では皆目読めない。
10. 吉井雅之 『思考習慣』 大和書房
誰にでもできることを、誰にもできないくらいに続けることが重要
仕事を楽しむためには、「がむしゃらにやる」という方法もあります。人間の脳は、がむしゃらになるとストレスがかかり、それが大きくなるとドーパミンなどの快楽物質を分泌しはじめます。そうなると、それまで否定的だった脳が、肯定的に変わり、何かを達成するごとに喜びを感じるようになります。だから、仕事や人生に迷ったときは、「考える」より「がむしゃら」になってみましょう。そうすることで、自分を大きく活かす道が見いだせる可能性が高まります。
何が起きても、何を感じても、まずは「前に進む」ことを考えましょう。いかなる状況におかれても、笑顔で、全力で、前に進むエネルギーを持ち合わせていたら、「解決」は、あなたのあとからついてきます。
良質な睡眠を得るためには、前項でも書いたとおり、毎晩「決まった時間に就寝する」ことを意識する必要があります。また、ただ単に寝る時間を決めるだけではなく、就寝前の時間をどう過ごすかも大事です。寝る前に脳をムダに刺激しないよう、寝室にスマホやパソコンを持ち込まない、寝る前にニュースを見たり本を読んだりしないといった、「睡眠の質を上げるための工夫」も意識するようにしましょう。
「準備」とは言い訳を排除すること
「言い訳の材料」を徹底的に排除することで緊張することはなくなり、結果に納得できる
人を責めるより、自分の未熟さを認めましょう。
そして、すべての人に対して、自分にできる手段を尽くして、自分にできる限りのすべての時間を使って、やり切る人生を目
指しましょう。
自分の中にある「弱さ」を認め、自分をつくろわずに人とつき合おう
ノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング枚師は、こう言いました。「あなたが道路清掃人なら、最高の道路清掃人になりなさい。ミケランジェロが影刻をするように、ベートーヴェンが作曲をするように、シェークスピアが戯曲を書くように、あなたの道路を清掃しなさい。あなたの死後すべての人たちから、自分の仕事を立派に成し遂げた道路清掃人がここにいたと言われるくらいに、見事に道路を清掃しなさい」
「作業」ではなく「結果」に対する使命感が大切
「目標を達成するために何が必要か」を考える。仕事は「しないといけないこと」ではなく、「楽しいゲーム」と解釈すれば楽しくなる
相手の言動は自分の言動の反映
人を育てたければ自分が成長するしかない
会話の上達のコツは「相手の話を聞く」こと
相手の話に興味を持って聞く習慣を意識しよう
一人を指導するためには信頼関係の構築が必要
相手を信頼しなければ、相手も信頼してくれない
無意識に流されないように「自分軸」をつくる
自分の習慣を変える努力をコツコツと続ける
「人は自分の「思考習慣」に左右されている自分で自分を奮い立たせる能力を高めよう
あなたがイメージした「理想の自分」を超える現実が訪れることはありません。
今日という日が「残された時間の中で一番若い日」だということです。
①人生を変えるのは、些細な日常の積み重ね。「続けること」そのものに意味がある。
②その習慣が意識せずにできるようになったら、次の習慣に挑戦する。常に新しいことをはじめる。
③挫折したら次のものを設定すればいい。無理してできないことを続けない。できない自分を知り、いったん認めて、現在地を認識する。
④決して「他」にしない。すべては「自分が源」と心得る。
⑤人に親切にする。相手の気持ちを考える習慣を持つ。
重要なのは「自分が自分に与える教育」
人は何歳からでも、必ず変わることができる
▽コミック・絵本
α. ゆうきまさみ 『新九郎、奔る!』 19-21 小学館
新九郎の伊豆調略いよいよ始まる。伊勢家備中所領篇が決着ついたことで西国要素が薄まって細川家周辺のみで引き受け、坂東要素も太田道灌の死で直接描写からは退き、当面は伊豆と京へ視点集中させる構成絶妙。穏和な性格を描き続けた新九郎のやむにやまれぬ発奮を支える伊豆公方~新将軍の軋轢描写も、シンプルに整理されて入り込める。トータルに巧い。これNHK大河されない理由が益々わからなくなってきたなん。
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β. 都留泰作 『ういちの島』 1 新潮社
寄生獣 in サイレン島、の趣き。岩明均のその後の展開を考え併せると、『ういちの島』によってより明確化する寄生獣の輪郭もありそうに思える。全方位的に面白いにも関わらず、全方位的にまだまだ発展の余地がありそうと感じさせるのも興味深い。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
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(▼以下はネカフェ/レンタル一気読みから)
γ. 桑原太矩 『空挺ドラゴンズ』 1-20 講談社
ちょいちょい単なるオマージュ水準を超えた宮崎駿摸倣タッチ&ギミックが登場する世界、悪くない。STEAMゲーム世界にいくらかありそうなその作品世界の軽さはすこし鶴田謙二にも似てなかなか好み。
メルヴィル『白鯨』やヘミングウェイ『老人と海』における鯨や巨大魚の位置づけを、不意に宙空へ出没するドラゴンが担う着眼点の良さにまず痺れる。そしてエモ描写が圧倒的に巧く、作品世界へ、人物らの感情へのめり込める。アニメ化もされているとはいえ、全方位高水準でもっと知名度が高くて不思議のない作品。アフタヌーン掲載とタイトルゆえかなー。いやdisとかでなく、マニア向けに大成功を収めた結果、中身はもっとスケールできるものになってるけど外皮が追いつかない感じ。
10巻あたりの新船建造へ向かうあたりから、描写も構造もぐっと深まりますね。
18巻、龍の天下り篇クライマックス最高。諸々巧いし、突き抜けた異世界感覚が清々しい。
19巻、極地篇開幕、描写たのしみ。20巻、ヴリトラ登場意外に早かった!
δ. 小山宙哉 『宇宙兄弟』 13-22 講談社
13巻、癖のある戦闘機実習教官翁に、背面飛行のさなか自分が最後の教え子だと告げられた瞬間の覚醒描写良い。にしてもいちいち癖の強い教官にあたる主人公補正よよ。
なぜだか……この瞬間から私は…… 窓の外の景色を鮮明に見れるようになった。
上を見ればそこには地球があり、下の方には宇宙が広がっていた。
14-15巻、ヒビチョフ!
16巻、兄の海底模擬宇宙基地作り楽しい。本物感あったらNGな模型=つくりもの感だすの大変よね。しかも海中。
17-8巻、からの弟プール格闘、そして兄の月行きサブチーム入り。兄トントンすぎるけど面白いからリアリティ云々とか問題じゃないわな。
19-20巻、弟まさかの裏ルート展開。でもこの予想外は裏世界好きとしては最高かも。
21巻、署名とかヒロインとの交接とか色々起こるけど正直停滞感。
「“真実”を見つけ出そうとするな。作り出せ。」
23巻、基本面白くなってるのだけど、NASA各プロジェクトに占める日本人宇宙飛行士多すぎ&日本以外のアジア人少なすぎ問題がちょっと目に余る水準で目立ちすぎる点が萎え要素になる水準。チームの半分が日本人なんてプロジェクトが並び立つわけもないし、東アジア系だけを合わせても日本人よりは多いくらいにしてくれないとこの点はなかなかつらい、バブル時代の日本イメージを引きずってる古さを帯びて、残念感が急拡大。マレーシアだの香港だのいたほうが面白くなるだろうに、っていう。
ε. 弐瓶勉 『タワーダンジョン』 1-5 講談社
地面と重力のある弐瓶ワールド。というまとめは多くの弐瓶読者が感覚するだろう大枠の印象だけれど、特権化されたドラゴンや、独特の物理感ともなう魔法ギミックなど、これまでにない設えが諸々楽しい。
一見雑な描線でも、アクションにおける身体的細部の描写が具体的で触感を想起させるの、匠よな。
4巻、キャラ数を絞った展開で、かつてなく各々個別のエモさが生じ、弐瓶らしからぬシン弐瓶勉あらわる感。この革新路線どう貫くのか後続巻気になる。
ζ. 松木いっか 『日本三國』 1-6 小学館
おもいのほか三国志してる。1巻後半で屯田制提案とか、これは思いつき一発屋の数巻で終わるやつじゃないな、という手応えを感じたら、巻末年表の作り込みが凄すぎて笑う。これは面白くなりそう。
金沢~福井のきめ細かいローカル描写が地味に読ませる。
5巻、ここまで不定期に、御前で平殿器を糾弾し処刑される重臣男女が現れるけど、なんだろうこの不自然描写は。しかも男女揃いがちなのも不思議。
6巻、先代攻防戦から壇ノ浦へ。
η. 荒木飛呂彦 『ザ・ジョジョランズ』 4-6 集英社
4巻、土地所有の虚構性が、スタンドのそれと絶妙に絡まる荒木飛呂彦だけに可能な金本位制フェティシズム描写とか。
5巻、数秒の出来事に一話を使い切って魅せる手法きた。イイ。
6巻、校長奮迅。
θ. 川原正敏 『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』 1-3 講談社
『海皇紀』の独特の大胆な余白感と、無表情寡黙キャラ健在でなつかしす。君主や武将でなく張良が主人公というのもなかなかに期待値高くなる。ページ単位密度が極薄な読み味もなつかしい。
3巻、数世紀後に劉備が下邳~小沛くんだりで呂布とやんやしてた理由がよく描かれてる感。ってことはあそこらへんだいぶ史実ちゃうんちゃうっていう。そして劉邦が人間味濃いって描写意図なのにちょっと韜晦しすぎて逆効果も醸してる感。
ι. 松浦だるま 『太陽と月の鋼』 1 小学館
描線と表情の巧さに見入る。とりわけ、出自があやかしっぽい妻の瑞々しさ眼福。てか憧れる。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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