今回は8月末~9月上旬の日本公開作と、東南アジア美術サンシャワー展企画上映、新文芸坐シネマテークなど計10作品を扱います。
※本記事は[Web全体に公開]にしています。コメント書き込みの際はご留意くださいませ~。2017/9/9追記。(“いいね”は外から見えません)
タイ移住後に劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第70弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■8月25日公開作
『エル』
襲い来る暴力を、引きずり出される“彼女”の過去が圧倒する。主人公のゲーム会社社長の、欲望も野心も丸出しなのにゲームキャラっぽい無機質さを孕む不気味はイザベル・ユペールありきで、感情を等閑視するようなその演技が心底怖い。特に目づかい。そして“彼”へと継承される刻印の秘蹟。
■8月26日公開作
『パターソン』
路線バスの運転手パターソンは、淡々と言葉へ写しとる。眼前の光景を、時々の心の形を。詩はそこで、寄せては返す波のようにただ書かれる。ブルドッグの瞳がそれを見つめる。宝石の内で幾重にも折りかさなって放たれた光の描く多彩色の反映を、銀幕の上に眺めるひと時。その豊かさ。
ジム・ジャームッシュ『パターソン』に、歳を重ね枯れることの凄味をみる。限られた字数の中では短く便利な言葉に頼りがちで、例えば『ラ・ラ・ランド』も『ハクソーリッジ』も派手な傑作ではあるけれど、それらを遥かにしのぐ充溢を『パターソン』の内にみる。傑作の語に収まらない映画の喜びをみる。
『戦争のはらわた』
1977年作サム・ペキンパー『戦争のはらわた』こそは戦争映画の最終進化形態で、以後の戦争物名作は全てここから派生した。犠牲者4千万に及ぶ独ソ戦、その局地で生じる狂気と渾沌を雨霰と見せつけつつ、窮地でなお欲望と野心の虜と化す人間の愚昧を鋭く嗤う。デジタルリマスターによる蹂躙の鮮烈。
戦争映画新作の内に過去作の名シーンからのオマージュを読みとることは常だけれど、『戦争のはらわた』ほどその逆を連続的に味わう体験は初めてだった。『プラトーン』や『シン・レッド・ライン』等々は無論、押井守『攻殻機動隊』のタンク戦やエルマンノ・オルミ『緑はよみがえる』の塹壕描写すら。
■9月2日公開作
『セザンヌと過ごした時間』
エミール・ゾラとポール・セザンヌとの、幼少期から続く交友。林檎に始まりサント・ヴィクトワール山へと至るその物語は、ありがちなナイフの刺し合いや恋人の奪り合いからは縁遠い。だが不可逆の侵食を始めた芸術観の隔絶を前に二人は。パリ人物模様や南仏自然の良描写。
『セザンヌと過ごした時間』。エンドロールで登場する、セザンヌ《サント・ヴィクトワール山》連作群のイメージを使用したモンタージュが、本編とは独立した見世物としてもなかなか良かった。山のシルエットのみ固定された風景が、タイムラプス調に移り変わる。最も余白の多い一枚がラストを飾る妙趣。
ちなみに『セザンヌと過ごした時間』監督ダニエル・トンプソンは自身美術収集家で、祖母は印象派の画家達と交流があったらしい。なるほど扱いに余裕があるというか、セザンヌへの目線にしても「近代絵画の父」の鋭角的な凄みにがっつくような姿勢はない。「印象」としての美こそ肝要というスタンス。
「君には心がない。だから偉大な芸術家にはなれない」というゾラの台詞は印象的だ。確かにこの時代、「芸術」を体現したのはゾラの方で、セザンヌが連作で何に専心したかを理解する者は少なかった。決別説を覆す近年発見された手紙に基づき、映画『セザンヌと過ごした時間』では二人の密会も描かれる。
『禅と骨』
あるアメリカ人禅僧の物語。横浜で白人父と新橋の芸者母との間に生まれ、戦時は日系人強制収容所暮らしも経験した青年が、家族を連れ京都に居着く過程の、突き抜けたベタさに慄く。関東大震災直後、朝鮮人襲撃の噂に怯え武器をもつ兄弟の写真とか。禅を語る言葉の妙な頽落感も印象的。
■FUN! FUN! ASIAN CINEMA/サンシャワー:東南アジアの現代美術展 関連プログラム
@国立新美術館 http://jfac.jp/culture/events/e-funfun-asian-cinema-sunsh...
『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』
フィリピンのブリランテ・メンドーサ、カンボジアのソト・クォーリーカー、日本の行定勲によるオムニバス。この3人3作の構成意図より2017以降の継続性に意義を感じる。プラナカン住宅舞台の行定作は、津川雅彦と永瀬正敏演じる父子のズレが切ない。
極寒の北海道帯広のばんえい競馬の牧場で働く不法滞在者のフィリピン人男性が、強制送還となり数十年ぶりに帰郷する。
『ローサは密告された』のブリランテ・メンドーサ監督作
『SHINIUMA Dead Horse』の、視覚的訴求力の厚みに驚く。
ブリランテ・メンドーサ
『ローサは密告された』(ふぃるめも68):
https://twitter.com/pherim/status/889123911438184448
『シアター・プノンペン』のソト・クォーリーカー作
『Beyond The Bridge』は、友好橋建設に携わる日本人社長とカンボジア人女性の、内戦時の過去を映す。金で解決するバブル期日本人への皮肉が、制作意図を越えた凄味と化し露出する。
ソト・クォーリーカー
『シアター・プノンペン』(ふぃるめも38):
https://twitter.com/pherim/status/747627279140806656
『セブンレターズ』
シンガポールの監督7人によるオムニバス。多民族都市国家の今日における家族の変遷、共同体内の軋轢、世代間格差等がマレー、華僑、印僑各々の視点から描かれる。制作意図を超え多くを象徴したように思える、冒頭で深夜の橋上にふと現れるジュリエット・ビノシュの立ち姿は異様。
『Art Through Our Eyes』
アピチャッポンや『ローサは密告された』のブリランテ・メンドーサ、エリック・クーなど東南アジアの監督達が、シンガポール国立美術館所蔵のチュア・ミア・ティー絵画からテーマを採り短編を撮る試み。企画自体に物語る意志と気概に充ちたオムニバス。
※予告動画見当たらず。監督達による本作紹介動画を。
■新文芸坐シネマテークVol.17 ジャック・ベッケル特集
@新文芸坐・池袋 http://www.shin-bungeiza.com/topics/2436
『幸福の設計』
大戦直後のパリに暮らす一組の恋人を描くジャック・ベッケル『幸福の設計』は、下町に生きる庶民の生活細部こそが主役で、映像も物語も全てが生活描写に随伴する。この眼福感は余りにも鮮烈で、帰宅後画像検索しモノクロだったかと驚く。本当に多彩色の記憶しかない、それほどに豊かで稀有な映画体験。
ジャック・ベッケルは青年期、大西洋航路の乗組員となって米国東海岸へ通いジャズの本場へ出入りしたという。『幸福の設計』でも音響演出は各所で斬新。また本作と同じ1946年のブルム=バーンズ協定との絡み話は、仏文化政策への印象を拡げてくれ新文芸坐シネマテーク・大寺眞輔講義安定の充溢。
『七月のランデブー』
ジャック・ベッケル『七月のランデブー』、若者たちが水陸両用車でパリの目抜き通りを疾駆しセーヌ川を渡りさえする冒頭部の至福感がいきなり凄い。直近の大戦からのお下がりとひと目でわかる軍用車が、希望に溢れた主人公たちに乗り回され復興のパリを自在に彩るこの圧倒的表現性の高みに酔いしれる。
余談。
1949年作『七月のランデブー』、パリ下町暮らしの細部描写(見てスマホ並みにカジュアルなこの電話使い
→ https://twitter.com/pherim/status/902006451685646336 )に惹かれた点は46年の前作『幸福の設計』同様だけれど、異なって感じられたのは作品の放つエネルギーの方向性。生活世界内での閉じた充溢から、未知のリスクへ己を晒す外方向へ。3年、の転回。
アテネ・フランセの古典上映にしろ新文芸坐シネマテークにしろ、『戦争のはらわた』などデジタルリマスター試写から毎度受ける衝撃にも言えることだけれど、新作映画ばかりを観て何の蓄積もない感性を働かせ面白いのつまらないの言い募ることそのものの貧しさは、いかんともしがたいなと本当に思います。一方でそんな葛藤を軽く吹き飛ばす『パターソン』のような名作との出会いもふと訪れる。やめられませんの。
今回は10作中、青文字強調3作。実はとても珍しいことです。初めてかもしれないけれどまあ、《ふぃるめも》記事シリーズ70回到達記念ということで。
おしまい。
#ふぃるめも記事一覧: https://goo.gl/m2VcKs