今回は9月中旬の日本公開作と、東南アジア美術サンシャワー展関連上映企画、ジャン・ルーシュ生誕百年記念上映企画など計10作品+αを扱います。
※試みに今回から、《ふぃるめも》記事のみ[Web全体に公開]にしてみます。コメント書き込みの際はご留意くださいませ~。(“いいね”は外から見えません)
タイ移住後に劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第71弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■9月9日公開作
『三里塚のイカロス』
闘争により道行きの変わった人々を、半世紀後の視点から撮る。半世紀前の暴力行為を正当化する男達の論理は不変でも温度が違う。地元農民との結婚により生活原理を変えた元女子学生が、変わり切れずに自死した女子学生を思いやる。音楽大友良英、坂田明・山崎比呂志らが吠える。
『散歩する侵略者』
黒沢清による前川知大戯曲の映画化作『散歩する侵略者』がとんでもない。黒沢映画の鬼気先鋭そのままに、物語進行も有名俳優居並ぶキャスティングも完璧な娯楽作が具現化。概念に規定された人間本性の滑稽を暴く本作は、《見えないもの》をどう映り込ませるかに専心してきた黒沢清の正統的現到達点。
黒沢清『散歩する侵略者』を観ながら、前半は三島由紀夫『美しい星』、後半は東浩紀『クリュセの魚』が脳裡にチラついたのは宇宙人潜伏→人間のこの世界への執着という展開ゆえ。加えて長谷川博己は完全に霞ヶ関へ行かなかった版の矢口蘭堂。楽しいよ。
『美しい星』関連tweet: http://twitter.com/pherim/status/865523516350709761
ちなみに『散歩する侵略者』で主人公のジャーナリストがやさぐれ矢口蘭堂に見えたのは同じ長谷川博己が演じているからだけでなく、宇宙人役の一人・高杉真宙が、
『シン・ゴジラ』安田オタク課長役の高橋一生を想起させるから。目つきや風貌だけでなく、役柄のかもす現実との渇いた距離感もピタ一致。
『ナインイレヴン 運命を分けた日』
2001年9月11日、WTC北塔エレベーターで孤立した5人を描く。舞台劇原作だけに台詞主体の場面進行が緻密で飽きない。ウーピー・ゴールドバーグ他名演光る中、久々にみたチャーリー・シーンのスーパーシリアス演技が
『プラトーン』を彷彿とさせ心に残る。
『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
撮影のため、街角で車が途絶えるのを待つ老人。アフリカ内戦から精神病棟、仏大統領選など膨大な現場を潜り抜けた写真家の到達したフランスの郊外風景。ロメール映画現場で知り合った妻への視線の温もり、妻からの視線を伴う過去への遡行。
『あしたは最高のはじまり』
あなたの子よ、から始まる父娘の物語。赤ちゃんを押しつけられたプレイボーイが、娘の成長に多くを教わり変化を遂げていく姿を
『最強のふたり』のオマール・シーが軽快に演じきる。無責任な母親の再来から揺れだす後半の意外性に感心。抱腹絶倒しんみり切なみてんこ盛り。
■ワーキングタイトル―日本と東南アジアの実力派映画プログラマーによるセレクション
サンシャワー:東南アジアの現代美術展 関連プログラム @国立新美術館(9/3上映分)
http://jfac.jp/culture/events/e-working-title/
『蛇の皮』
2066年シンガポールで、カルト教団の生残者は過去を語りだす。日本兵が猫となって新潟へ帰り着き、襲われた女性は米国へ瞬間移動する。語る主体は融通無碍に変容する。挿話個別の薄さと総和としての余韻の深さが、断絶の連鎖が映す都市の神話の在り処を仄めかす。空白による闇の横溢。
『サンペン ある中華街のモンタージュ (Sampeng: The Chinatown Montage)』
バンコク中華街深部を撮る1982年作品。半年をかけたという映像は、光景を切りとる瞬間毎の手つきに磨き抜かれた思想を感じてやまず、また小気味良い音響も手伝い素晴らしくテンポが良い。16mmならではの優しい光質も魅力的で、圧倒され通しの60分。
(※動画未発見。本記事冒頭画像→ http://jfac.jp/assets/uploads/sites/3/2017/08/the-chinato...)
『3つの呪文 (Three Enchantments)』
フィリピン発の実験的短編作。民間伝承に由来した馬男、人魚、セントエルモの火と章立てされた映像断片が、退屈でカオスな日常を駆動する呪文となって連続生起する。本編の難解さに対し、上映後質疑における本職教師の監督によるブレなく一直線な応答がギャップ萌え寸前の良さあった。
『紙は余燼を包めない (Paper Cannot Wrap Up Embers)』
プノンペンの娼館で働く女性たち。そこではクメール・ルージュの傷痕が娼婦の過酷をさらに深める。口紅の痕により描かれる落書きは、寄る辺ない彼女たちへの鎮魂詩となり刻印をあとに残す。人は消え、傷は残る。
『紙は余燼を包めない』は、
『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』(
『アクト・オブ・キリング』の手法的元ネタ)などで日本でも知名度の高いリティ・パン(パニュ) 監督作。衝撃的なのは、娼婦たちの暮らす廃墟化した住宅を調べると、
ヴァン・モリヴァンと並びカンボジア現代建築を代表するル・バン・ハップの設計とわかったこと。日本で言えば丹下健三建築が廃墟し娼館になっているようなブレードランナー的終末SF図で、現実は小説よりマジ奇なり。
■ジャン・ルーシュ生誕百年記念上映&シンポジウム
@草月ホール http://www.athenee.net/culturalcenter/program/rou/rouch.h...
『ある夏の記録』でジャン・ルーシュは、パリの若者達が人生や政治を巡って議論を交わすなか進行する映画制作そのものを写しとる。一貫した楽天的なムードの下、白昼のコンコルド広場を歩く女性がふとホロコースト犠牲者の父へと語りだすシーンが纏う、見えないものへ向き合おうとする表現意志に震撼。
『ある夏の記録』冒頭、女性二人が「あなたは幸せですか」と道行く人へ尋ねる。伊丹十三が同じことをする映像を以前観たけれど、元ネタこれかと。またアフリカばかり撮るルーシュに「自分の部族を撮れ」とエドガール・モランが促したのが本作の起点とか。なるほどあの雑踏での距離感は人類学由来かと。
余談。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』先週公開、評判は上々のようですね。ぼくは昨年10月にバンコクで観ていました。この邦題案知ったのはそのしばらくあとだけれど、のけぞったなあ。原題を直訳すれば『釜山行き』、英題"Train to Busan"でした。
"Train to Busan" tweet(ふぃるめも48):
https://twitter.com/pherim/status/786341594966351872
これどうなんだとかなり以前から話題だったこの邦題もまぁ、ね。仮に「釜山」が一部の噂の通りNG対象だったとしても、かつて
『重慶森林(Chungking Express)』を
『恋する惑星』にした気概、今の邦題作成界(謎)には薄いですね。
おしまい。
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