今回は9月15~23日の国内ロードショー作品と、東南アジア美術サンシャワー展関連企画上映など計11作品を扱います。(含再掲1作品)
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タイ移住後に劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第72弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■9月15日公開作
『エイリアン コヴェナント』
崇高へと至る一歩手前。
『プロメテウス』続編となる本作は生理への訴求力が圧倒進化、暗がりを歩む緊迫感の再現性でVR以前期の極北作となる予感。多岐に渡る神話聖典由来の舞台設定は、
『ローグ・ワン』や
『ヱヴァQ』の自己模倣化マニエラ化を好む人には特に一押し。
■9月16日公開作
『あさがくるまえに』
一件の心臓移植をめぐる人々。そこには葛藤があり衝突があり、迸る慟哭も克己も全てが深い蒼色の内へ溶け込んでいく。カテル・キレヴェレ、この若い女性監督の画作りは鮮烈。即物性の徹底が宿す詩性、その音無しの手つきが孕む現在性の、密やかな呼吸のような連なりの無限と死。
『あさがくるまえに』は、9月16日公開です。命が青く踊るのです。実はフランス映画祭2017上映作中、最も気に入った作品でした。好みすぎる作品についてはツイートしてもむやみに力むため、RTもいいねも全然されないという事態にしばしば見舞われます。でもいいんです。おすすめ!
フランス映画祭2017連続ツイート: https://twitter.com/pherim/status/875886003914915840
『サーミの血』 (再掲:ふぃるめも57)
極北ラップランド、サーミ人の少女は白人コミュニティへの憧れを強く抱くが次第に孤立して。大胆な行動にも関わらず血からは逃れられないと知るに至る苦渋が、彼女の歌うサーミ民謡ヨイクに痛切な響きをもたらす。突き放す母の愛。緻密な構成により民族の悲劇が一人の少女へ結晶する。
『サーミの血』、シベリアを挟んでアイヌの反対側に暮らしてきた極北の民サーミ。政府による身体検査の場面が印象深く、また本物のサーミ起用とはいえ、本作登場の子たち遺伝子的にもだいぶ欧化していそうとも感じました。江戸幕府や明治政府とアイヌとの交接を思わせる場面も。今週末9月16日公開。
『50年後のボクたちは』
学校で変人扱いされるドイツ人少年は、いかついロシア人転校生チックと意気投合しゆえあって大冒険へ。トルコ移民監督ファティ・アキン、近年の社会派重厚傾向から原点回帰を突き抜け逆振りする瑞々しさに驚く。ホームレス少女の美しい変貌に、少年期の全てが象徴された感。
ファティ・アキンの日本公開作はほぼ全て観ているけれど、『50年後のボクたちは』のドイツ移民社会を背景とするシンプルなストーリーラインは初期恋愛作群を想わせる。ちなみに前作
『消えた声が、その名を呼ぶ』は、トルコ政府がなお認めないアルメニア人虐殺を「トルコ人」の彼が撮った重厚な傑作。
このファティ・アキン『消えた声が、その名を呼ぶ』は、個人的にもキリスト新聞社寄稿の初仕事となった印象深い作品。アルメニア大使と話せ給料まで出る夢ですかとがっつき全面記事となってひるんだ。自腹で過去作群購入したため赤字なのは内緒。
『消えた声が、その名を呼ぶ』記事「あるアルメニア人の旅路」:
https://note.mu/pherim/n/n2871bb175b07
古代の趣き残るアレッポ旧市街の街隅でチャップリンが映写されるシークエンスの神話空間だけでも、十分に味わう価値ある一作です。
で、話を戻して『50年後のボクたちは』は、9月16日公開。それでこのファティ・アキン監督前作『消えた声が、その名を呼ぶ』でアルメニア人の主人公を演じるタハール・ラヒムの主演新作『あさがくるまえに』も同日公開。周囲とは異なる時間軸に佇むような独特の存在感をたたえる名優です。
『笑う故郷』
アルゼンチン産ブラックコメディ。どこへも行けない閉塞と、どこへも帰れない孤独。30年ぶりに帰郷したノーベル賞作家は目撃する。グローバル化の波に乗る者とローカルに留まる者とに生じる欲望格差が、相互の現実に亀裂を走らせる様を。南米らしいマジックリアリズム的幕締めも見事。
■9月18日よりリヴァイヴァル上映@シアター・イメージフォーラム他
『三里塚に生きる』
闘争と日常、農作業の風景と離着陸の爆音。「あの時代」と現代、逝った者と残った者。地に足のついた独白の迫力、淡々と語られる時間が纏う、音無しの激しさ。大津幸四郎監督遺作となった本作が、共同監督・代島治彦の新作『三里塚のイカロス』公開に併せ9月18日より再上映。
『三里塚のイカロス』(ふぃるめも71)tweet:
https://twitter.com/pherim/status/905760844067123200
■9月23日公開作
『ジュリーと恋と靴工場』
安定した正社員職が欲しい一心で靴工場へ入ったジュリーは、経営合理化に反発する年配の女性靴職人たちのストに巻き込まれ、ハンサム労働青年と恋仲になり、というフレンチミュージカル。若年層の失業増加や工場の海外移転等を背景としつつコミカルな一編。初老女性たちのダンスがいい。
『わたしたち』
いじめと格差社会の今日を少女視点で描く韓国映画。子役が皆素晴らしく、棒読みも不自然な硬直も皆無。是枝裕和『誰も知らない』同様の台本なし撮影、ワークショップに3ヶ月かけたとか。幼少期の甘い追憶にひたる和み系からは程遠い、社会のあらゆる歪みを少女の日々へ封じ込めたような怪作。
『わたしたち』はユン・ガウン監督の執念を感じる作品でもあったけれど、彼女を支え若手育成に励む後見のイ・チャンドン相変わらず素晴らしい。すでにイ・チャンドン門下の若手ならと触指が動くようにすら。までも彼オリジナルの監督作が削られるのは寂しいですけどね。
■ワーキングタイトル―日本と東南アジアの実力派映画プログラマーによるセレクション
サンシャワー:東南アジアの現代美術展 関連プログラム @国立新美術館(9/10上映分)
http://jfac.jp/culture/events/e-working-title/
『姓はヴェト、名はナム(Surname Viet Given Name Nam)』
人類学やフェミ系著書も多いトリン・T・ミンハ監督作。幾重にも抑圧されるヴェトナム女性が内面を語るが実は役者で、という構成も、平板で滑らかな英語の作り物感と構築的過ぎる印象が先にたつ。対象化の試み自体を呑みこむオリエンタリズムの膂力と時の経過を少し思う。
『エンドレス, ネームレス(Endless, Nameless)』
父親の庭で働く徴兵者たち。白袋の内で蠢く蛇と、白布で目隠しされた捕虜に仕掛けられる蛇牙の罠とが共鳴する。隠喩的にも映るこの思わせぶりが何を意図するのか俄には読み取れず、しかしその困難が生む余韻に足を囚われる。パットンポン・モン・テスラティープ監督作。
『オン・ブロードウェイ(On Broadway)』
NYマンハッタン、モスク、金曜礼拝。視点は移動しない。ミフラーブ(メッカ方向への窪み)は見当たらない。青シートの折り重なりが仄めかす。壁の简体字は囁きかける。開幕1分を待たず定点映像が終幕まで続くと予感させる本作が映しだすものはしかし、恐ろしく豊穣で分厚い。
余談。
前回につづく《ワーキングタイトル》は、東南アジア美術サンシャワー展に連動する国際交流基金アジアセンター企画。
ちなみに本企画の正式題は《ワーキングタイトル:日本と東南アジアの実力派映画プログラマーによるセレクション》。で、日本側「実力派プログラマー」のYCAM杉原永純とアテネフランセ高崎郁子、記憶に違いなければ学生時にどちらとも会っている。ぼくにはできない頼もしく彼ららしい道行き。陰援。
国際交流基金アジアセンターの無料配布冊子は昔から公的資金力にもの言わせた充実内容で、今回も9/3回は例に漏れず、しかしそのデザインが正直ファミレスメニューのようにいつも無難で退屈。けれど9/10回の冊子は少し違うなと思い奥付を見たら、なんとバンコクで印刷されていた。デザイナーも恐らくタイ人。英文併記とはいえ日本語ベースの冊子なのに。
こんなことに気づく人間も稀だろうし、気づいたうえネット上で言及する奇行種など他にいないだろうし書いておく。Nice trial and good designed by Cattleya Paosrijaroen, Parbpim Printing & others!
おしまい。
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