pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
03月15日
11:05

よみめも40 汝が双眸の炎は燃え立ちしや

  

 ・メモは10冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。




1. パウル・ティリッヒ 『芸術と建築について』 前川道郎 訳 教文館

 ひとはみずからの有限性を覚知しており、そしてこの覚知を不安として生きている。不安とはひとの有限性の覚知である。この不安は、特別な危険の恐れではない。それは、外的な脅威の現存あるいは不在に従って現われたり消えたりするようなものではない。そうではなくて、われわれの有限性はとり去ることができないのであるから、それはわれわれの存在の深層におけるたえざる駆動力である。この不安から、われわれが有限であるということおとわれわれがそこから排除されているその無限性にわれわれが属しているということとの二重の覚知からわれわれが有る〔存在する〕ということの本質的一体性を、宗教的でありかつ芸術的である諸シンボルにおいて表現したいという衝動が起こる。ひとは、彼を創造したところのもののシンボル、彼がそこからやって来て、またそこに帰還することを望んでいるその無限なるもののシンボルとして神がみを創造する。この一体化の先取り〔予期〕と、この先取りの宗教的な芸術表現において、彼はみずからの有限性と、みずからの有限性の不安とを自分自身に引き受ける勇気をかちとる。彼は有ることの勇気〔存在への勇気〕をかちとる。
 人間の文化のどの領域も、人間のどの創造も、ひとの有限性と不安と、ひとの潜在的無限性と彼の有ることの勇気との構造を洞察することなしには理解できないのである。 59-60


 驚くべき一著。
 まず、日本語における建築批評や美術批評の文脈では(恐らく)殆ど目配りされることのない視点からの現代建築論および現代美術論が展開されていること。次に、ここまで研ぎ澄まされた慧眼をもちバウハウスへもアクセスしながら、かつ大戦により欧州を追われ米国へ移るという戦後の文化潮流シフトとの同軌を見せながら、ティリッヒが50年代以降の抽象表現主義には(最終的に)乗れなかったこと。にもかかわらずティリッヒの掲げる、プロテスタントの聖堂建築が論理的帰結として必然的に至る理想形態としての「聖なる空虚」'sacred emptiness'こそは、抽象表現主義以降冷戦崩壊に至るまで、現代美術シーンにおける最重要主題の一つ(少なくとも美学的課題としては)であったように思えること。
 この三点に限っても、のけぞるほどに凄まじい。たじろぐ。おののく。わななく。
 
 今日通じ合うことの困難さが増大している。そしてこのことは典礼や教会建物においても、神学においてさえも、表現されるべきである。「聖なる空虚」はあまり遠くないつぎの時のために卓越した態度でありつづけるべきである。「不在の神」の経験と呼ばれてきたわれわれの経験を表現すべきである。(略)世俗化の勝利によって起こったであろうことは、《神》の悪いイメージが神ご自身によって破壊されてしまったということである。それゆえ教会建物の表現は、ひっ込まれてしまい、われわれがふたたび待たなければならない隠れた《神》が帰ってこられることを「待つこと」であるべきだ。 298

 と、「聖なる空虚」の説明もなしにここだけ引用しても何のことやらという話だろうが、とにかくびびったのだ。おわかりいただけただろうか。びびっときたのである。きちゃった。




2. ウィリアム・ブレイク 『ブレイク詩集』 寿岳文章訳 彌生書房

 In what distant deeps or skies,
 Burnt the fire of thine eyes?
 On what wings dare he aspire?
 What the hand, dare seize the fire?


 「いかなる深淵、いかなる大空の彼方に、汝が双眸の炎は燃え立ちしや?」

 ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』生田耕作訳の章頭に引用されたブレイクのこの一節に痺れたあげく、衝撃の圧力のほか本論部について具体的にはその大半を忘却しながら双眸の炎は熾火となって心中に燻り続け、世紀を隔て初めてその全文に原語で、というかブレイク本人による彩色版画(冒頭画像)で接するという奇跡。この奇怪な軌跡の突端にこのバンコク宅で深夜立つことのどんよりとして鈍い恍惚の、素焼きの皿のざら目を撫でる掌が受ける刺激の数え切れなさにも近い官能の。

 "Auguries of Innocence":https://en.wikipedia.org/wiki/Auguries_of_Innocence

 "Proverbs of Hell":https://www.poets.org/poetsorg/poem/proverbs-hell

 He who binds to himself a joy
 Does the winged life destroy
 He who kisses the joy as it flies
 Lives in eternity’s sunrise

 ―"Eternity"


 訳の語感が最後まで馴染めなかったので、ネット上の原詩リンクを書き留めておく。いずれゆっくり読みたい。

 誤りの多い旧制度を打破しようとするこれら革命家のもつ実行的な熱情、権威に屈することなくつねに所信を貫こうとするかれらの勇気、それをブレイクは深く愛したが、しかし死霊の予言者と理神論者とは、結局袂を分かたねばならなかった。(略)ブレイクはジョンソン書店の連中ともわかれ、かれ自身の目にうつる人生の諸相を、新しい神話を、みずからの作品に歌いこむ孤独な作業に帰った。「わたしは一つの体系を創らねばならない。創らなかったら人の体系の奴隷となってしまう。わたしは、推理したり、比較したりすることをやめよう。わたしの仕事は、創造することにある。」との心構えは、すでにこの時からきまっていたのである。 150(訳者解説)




3. 堀江敏幸 『熊の敷石』 講談社文庫

 立ち上がると、血の気が引いて、軽いめまいがする。さきほどより勢いが増している波打ち際までふらふらと歩き、手についた砂を落としながら目覚ましにと両の掌で水を掬って顔を洗おうとしたとき、黒や茶色の細かい砂利が水の篩にかけられてまとまっている一角に、蟻たちの運んでいく木の葉みたいに頼りなく突き出してひらひらと翻る薄い桃色の破片が見えた。あわてて両手を突っ込み、砂利ぜんたいを掻きあげようとしたが、思わず発したわたしの嘆息に、十五歳の少女が振り返る。その口もとはうっすらと白い砂をまとって、小爪の三日月のようだ。 153

 軽く十年以上は前に読みかけのまま放置していた本。幽かにしろ記憶にあるのは表題作のみで、他に短編「砂売りが通る」(上記引用)「城趾」の計三篇。川上弘美の解説(下記引用)も良かった。
 
 水の上を流れてゆく一枚の葉の軌跡、を描くことが多くの小説であるとするなら、堀江敏幸の小説は、一枚の葉を流してゆく水のさまざまな姿、を描いているのかもしれない。水はいたるところにあって、澄んでいたり濁っていたり、あるときは流れあるときは淀み、凍ったりもするし蒸発して空気に溶け入ってしまったりもする。それらを描くとき、文章は移る。 186




4. 池澤夏樹 『詩のなぐさめ』 岩波書店

 詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて
 そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ
 意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を

 それは無意識とちがって明るく輝いている
 夢ともちがってどんな解釈も受けつけない

 言葉で書くしかないものだが詩は言葉そのものではない。
 それを言葉にしようとするのはさもしいと思うことがある
 そんな時ぼくは黙って詩をやり過ごす
 すると今度はなんだか損したような気がしてくる
 
 詩の稲光りに照らされた世界ではすべてがその所を得ているから
 ぼくはすっかりくつろいでしまう(おそらくは千分の一秒ほどの間) 
 自分がもの言わぬ一輪の野花にでもなったよう

 だがこう書いた時
 もちろんぼくは詩とはるか距たった所にいる

 詩人なんて呼ばれて

 ――谷川俊太郎「理想的な詩の初歩的な説明」



 李白の詩をもとにしたマーラーのある歌詞から、途中に4人もの訳者が挟み込まれていることをさらりと見いだす章など、いかにも池澤夏樹という風味。その知的厚みとはべつに、その過程で漢詩が元の3倍近い行数へ増えていったというあたりなど、微笑ましいし共感できる。その章の末尾を一部下記に。

 翻訳というのは情感や思想の共有である。少女たちが花を摘み、そこに騎馬の少年たちが来て、少し離れたところからその姿に目を留める。心が動く。どこの国でもあることだから訳してもメロディに乗せても価値が保たれる。 133

 古事記への言及に始まる章では、ネコは「寝る子」だ、の俗説から、ネズミは「根の国に住むもの」だという新井白石の説に切り返して古事記の「根の国・根の堅州国」へとつなげていく。しなやかに。


 南風は柔い女神をもたらした。
 青銅をぬらした、噴水をぬらした、
 ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
 潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
 静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
 この静かな柔い女神の行列が
 私の舌をぬらした。

 ――西脇順三郎「雨」

 

 
5. 鵜飼秀徳 『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』 日経BP社

 「消滅可能性都市」の衝撃後一部で話題となっていた書、ようやく読む。寺分布は戦後の人口移動のようには柔軟に変われるわけもなく、人口減少に都市集中に団塊世代の大量昇天が重なれば、それはもう廃寺の大量発生待ったなしな事態はマクロには自明なのだけれど、個別の視野で見渡せばそこにはやはりなかなかショッキングな事例が山ほど予見できるしすでに起こり始めてる。といった記述の束とは別に、300ページ近い厚さをはじめはどうかとひるんだが、秋田は大潟以外全部消滅とか、明治初期の鹿児島での坊主一旦全滅とか、ジャック・ウェルチ盟友で禅僧となった元横河電機役員の来し方など、描かれる脇道的光景が諸々興味深く飽きずに読めた。

 解説がプロテスタントの佐藤優で、本書を個人的にご贈呈いただいたのが聖公会司祭さまというあたりも通読中に多面的な刺激を与えてくれたように感じる。あと個人的に親交のある同世代で日本人の坊さんたちはみな比較的恵まれており、かつやはり都会的な立ち位置に偏っているのだなとも再認識。今後反映可能域の大きそうな読書体験。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日更新予定 ]




6. エドワード・フォーリー 『時代から時代へ 【改訂新版】 礼拝、音楽、建築でたどるキリスト教』 竹内謙太郎訳 聖公会出版

 視点と読後感の珍しい本。西洋キリスト教史を、聖餐の展開を軸に据えて、祭具や音楽、建築や書物など具体的諸側面から定点的に語り倒すのだけど、各章ごとつまり時代から時代への変遷の部分に1,2ページほどの短編小説が挟み込まれる。謎。でも地味に読ませる。というかこの小説パートがじわじわ来る。終始ローマと改革派の対立軸で語り通すのに聖公会出版というのも面白い。(英国も時々出て来る)

 律儀に網羅的客観的論理的であろうと四角張る本より好めるかな。個人的性癖の問題として。

 キリスト新聞社よりご提供の一冊、感謝。




7. 想田和弘 『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』 ミシマ社

 『港町』公開を控えた想田和弘監督インタビューの準備として読む。

 想田和弘監督作『牡蠣工場』の製作過程に随伴する一著。「観察映画」を掲げる想田の製作姿勢における根本を、新作撮影という具体例をネタにミシマ社の編者があぶり出す体裁。当該の「新作」とは『牡蠣工場』のことだが、同時に撮られた撮影素材から2年後に編集され来月(2018年4月)公開となる『港町』の登場人物、場面群にも必然的に多く言及する内容となっており、しかしそれを知らず読み出した自分としては大変に興味深かった。


 

8. アルボムッレ・スマナサーラ 想田和弘 『観察 「生きる」という謎を解く鍵』 サンガ

 『港町』公開を控えた想田和弘監督インタビューの準備として読む、の2。

 なにしろぼく自身がテーラワーダ圏での出家体験をもち、宗教系新聞の記事案件として監督インタビューへ臨む以上、読まないわけにはいかない本。というあたりを絡めつつ、インタビュー現場ではじめ本著を取り出した際、「お、読まれたのですね」と想田さんに問われたので、「他媒体との差異化を考えれば当然これを~」と答えると愉快そうに笑ってらした。
 
 想田監督自身、毎日瞑想を欠かさない(恐らくティク・ナット・ハン系)という事前入力もあり、この観点から彼の作品を読み解く試みは得るもの多かった。というかこれこそ想田作品に対し他媒体では絶対にとり得ない姿勢だろう。本著自体は、実質インタビュアー想田和弘によるスマナサーラ思想開陳といった趣きが主の内容。合理思考を貫く監督に対し長老が輪廻を説く一節など、新鮮だし勉強になったというか、イメージ的な把握がかなり進展した気がする。




9. 千野栄一 『外国語上達法』 岩波新書

 さすがの岩波。ハウツー本の棚に並ぶ類のものではまったくなく、楽して得する系の軽薄さ皆無の内容はしかし説得的だし、結局それよねっていう名言に満ちる一著で、たぶん前世紀から背表紙だけは眺めてきた本ゆえ遅すぎとはいえ読めて良かった。
 語学queerというしかない抜きん出た先輩泰斗たちへの、リスペクトあふれつつコミカルな描写が逐一微笑ましい。




10. 『CROSSCUT ASIA #4 ネクスト!東南アジア』 国際交流基金アジアセンター

 タイ、フィリピン、インドネシアと国別に展開してきた#1~#3に比べると表現物として明らかなトーンダウン。規模が縮小したとしてもタームが伸びたとしても、あるいは一旦の中断を置いた場合ですら、国(地域)別をこのシリーズでは継続すべきだったのではと惜しまれる。CUTしてないじゃん。巻頭エッセイが下川裕治というのも、本文の内容は悪くない、というか個人的には好めるだけに体裁とりつくろい感が残念すぎる。

 結局実質3回で終わるのかよ、な交流基金企画のガッカリ感は、4回で終わったアラブ映画祭の評判同様にドメスティックよりインターナショナルな水準でのダメージもあるはずだけど、企画中枢の人間にはきっと届かない。現場レベルでは今できることを積み重ねるのがもちろん正解だし、クールジャパンよりは100倍マシで充分に意義深いとはいえまあ、日本の文化政策残念履歴の一として後年顧みられることにもたぶんなる。続けろ、それが最大課題だ、とぞ生意気に。




▽コミック・絵本

α. 雨隠ギド 『終電にはかえします』 新書館

 百合系秀作7編。とまとめてしまうのが惜しく感じるほど、一つ一つ異なる方向性と工夫のある短編集。瑞々しさがすごいし、こんな中年おじさんたる自分すら十全と感情移入させられウルウルきてしまうガールズラヴとか、書きながら湧き上がる俺キモい感を圧してもそう書かざるを得ない面白さある。やむを得ん、これは良いストーリーテリング、絵も素敵。ほわわとなる。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日更新予定 ]




β. 柳本光晴 『響 小説家になる方法』 8 小学館

 それにしても15歳で芥川&直木賞を獲ってしまったあとの「小説家になる方法」というタイトルの、老朽化した新幹線感。ストーリーは相変わらず面白いのだが、小説の方法論的な話題はネタ切れと目されたかすでに皆無となって、テレビ制作の現場へ殴り込む態に。この、切れ者大胆女子高生主人公による殴り込み路線は拡張性しか感じなくて、どうせならドメスティックネタも早々に切りグーグルとかクレムリンへ殴り込むとこまで行ってほしい。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日更新予定 ]




γ. 松本大洋 『100』 小学館

 塵中に瞳あり。瞳中に宇宙あり。カバと少年が世界を巡る。→カバと少年を世界が巡る。眼福の大洋。




 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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