pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
05月09日
20:38

よみめも41 台湾・キルギス篇

 

 いま上海の宿へ入ったところです。
 上海の空港は過去幾度となく使ってきましたが、実は空港の外へ出るのは初めてだったりします。
 
 で。そうか、ツイッター&FBだけでなく、グーグル検索もできないのか、って今さら。てかアンドロイドのスマホ、なぜかwifi反応してくれないんですよね。これは困った。でもこのまま数日過ごすのもいいかな、とも。

 というわけで、紙の地図だけが頼りなナツカシ世界に今おります。上海すごいね、思いのほかもろもろ圧倒的ですな。



 ・メモは10冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。




1. 呉明益 『歩道橋の魔術師』 天野健太郎訳 白水社

 バイトしていたころ、午後になるとよく夕立が降り、雷が鳴った。まるでどこかで照明係が操作しているみたいに、空はいつもいきなり暗くなった。雨が降ってきたら、ぼくは決まって軒下に逃げた。雨やどりしながら、音もなく進み、そして速度をゆるめ、左右に曲がっていく車の流れを見ていた。一台一台ゆっくりとひとつ前の車について続いていくさまは、まるで長い葬列を思わせた。信号待ちの女の子が、持っていたアイスクリームを落として、泣き出した。アイスクリームはみるみる雨に溶けて、痛々しい乳白色が広がった。雨のなか、ぼくは女の子に駆け寄り、風船をあげた。女の子のお母さんはとても礼儀正しく、ぼくにありがとうと言った。女の子は気持ちがこんがらがって、泣いたまま笑い出した。このとき、ぼくは少しだけ顔を上げた。すると、通りの向こう側に、ひとりの男が見えた。彼はぼくを見ているようだった。雨は強く降っていた。男もぼくが見ていることに気がついたらしく、すぐに身を翻して、その場を立ち去った。 83


 原題は『天橋上的魔術師』。台北の中核に存在した魔窟的商業建築群「中華商場」で育った子供たちの幼年期と中年の現在とを、商場の屋上で暮らす魔術師がつなぐ連作短編集。叙述の透明感と喚起力の確かさに痺れる。描かれるのはエドワード・ヤンや侯孝賢のウェットに揺らめく都市情景そのもの。


 それからどのくらい経ってからのことか、ぼくもよく覚えていない。でもたしか春が終わって、ぼちぼち熱くなり始めたころだと思う。きっと清明節と、端午節のあいだだったんじゃないか。脳裏には、線路側のコンクリート壁に掛かった日除けの布に、午後の強烈な西日があたる光景が焼きついている。風が強くなると布はバタバタとはためいて、まるで商場全体が飛び立ってしまうんじゃないかと思った。あれは、小学校最後の学期だった。ぼくは中学校生活への不安でいっぱいだった。 111


 「布はバタバタとはためいて、まるで商場全体が飛び立ってしまうんじゃないかと思った」 簡潔かつ象徴的なこの一文。エドワード・ヤン『恐怖分子』そのものだなと。

  
 それはシマウマだった。
 まちがいない。それはシマウマだった。一頭のシマウマがトイレの入り口から体を半分出して、こちらに顔を向けた。純朴そうな目は、見たものの心とつながる二本のトンネルの入り口だった。体の白黒模様は、どこかの天才画家が描いた作品にしか見えなかった。伸びやかで美しい二本の前脚が、その体をゆっくり前へ押し出した。薄汚い商場のトイレに、どうしてこんな華麗なシマウマがいたんだろう? どうやって隠れていたんだろう? 202-3



 たんなる連想の所産として。
 学生時代に北インドを旅行中、同行者が病気で倒れデリーの病院へ収容された。外国人向け病院は高級ホテルのようで、保険で賄われた付き添いの簡易ベッドですら、ぼくが自腹で泊まっていた安宿よりも快適だった。そうして予定外の数日を、無目的にふらふらと周辺を歩いて過ごすなかである夜、唐突にふしぎなロバと目が合ったことがある。ロバは路地の小さな工事現場の中央2m超の高さで築かれた砂山の頂きに、一切の身動きなしに佇んでいた。




2. 林水福 是永駿 編 『台湾現代詩集』 国書刊行会

 24人の台湾詩人による作品を収録。以下印象に残った詩の作者&タイトル覚書。

 陳秀喜「若葉」「魚」
 余光中「東京新宿駅」 新宿駅頭で妻を見失う三分間に全人生と千駅を幻視する
 商禽「消火器」  両眼に映る二本の消火器
 李敏勇「備忘録」 
 白霊「愛と死の関係」
 焦桐「夢遊病者」「軍中楽園規則」
 顔艾琳「わたしとあの人との間の密告してはいけないこと」

 以上、登場順で概ね生年順。陳秀喜は1921年生まれでザ・オーソドックスという感。顔艾琳は1968年生まれの女性詩人で、彼女と焦桐の作品にとりわけ好印象、というか最も感覚的な近しさを覚えた。あとはあれだ、とくに上の世代は台湾「島」や台湾「国」への意識がある種詩作の前提になっているとも感じた。日本の詩人もやはり私小説的というか、基本的に「詩とは、詩人こういうもの」という枠組みそのものがもつ日本的文脈に適応したひとが脚光を浴びる結果なんだろうけれど、個人的なんだなと。その良し悪しはべつとして、対照的に。

 しかしまあ、原詩を載せない点は紙幅上やむなしとしても、タイトルくらい原題も載せようぜ、とも。一冊の書物として、台湾現代詩全体の紹介を目的に謳うわりに自閉的な印象が拭えない点、とても惜しい。




3. 黒川創 『鷗外と漱石のあいだで:日本語の文学が生まれる場所』 河出書房新社

 『一八九五』という台湾映画の描写を切り口に、日本軍進駐下における北白川能久親王と森鷗外の台湾での交接を序章として本書は始まる。黒川創は以前講演を聴いたことはあるが、その著作を読むのはこれが初めて。重厚な読書体験。

 かつて台湾の知識層は、ロシア文学を中国語訳でなく日本語訳から吸収したという。これは明治以降の日本が、全世紀末まで一種異様な翻訳大国であり続けたことの余波とも言えるが、第二次大戦終結後にも、台湾なり韓国なりで文学的想像力による日本語の冒険があったことは、そろそろ公に研究・言及されても良い頃だとも。

 この世界には、自分の知らないこと、まだ語られずにいることが、実はさらにたくさんある。明るみは、そちらから射してくる。 33

 シベリア流刑が多くのロシア知識人を考古学者や人類学者にした。 166

 何か考えていたに違いないけれども、それについては話さずに終わった人びとのえんえんたる連なりによって、伝統というものはできている。 202


 その一人ポーランドの革命運動家ブロニスワフ・ピウスツキが東京で宋教仁と会っている。この宋教仁というひとの軌跡は味わい深い。漱石、孫文との絡みから、30歳にして国民党を組織して事実上の党首となるが、その3ヶ月のち袁世凱に上海で暗殺される。上海。

 ――三木竹ニの劇評は、戯曲の主題、その役の性根との関係で、型の善悪正邪を論じた。舞台の批評は、そこに論理性を求め、感覚を体系化するためには、型を問題にするしかない。これが竹二の覚悟であり、劇評の新しい視点であった。
 その舞台を論ずるためには、まず舞台の印象が共有されなければならない。この点、竹ニの描写力、文章は抜群であった。そこで「批評」は「文学」になったのである――。 260-1


 本書は末尾で、北白川家を襲った不幸の連鎖と、台湾各地に創建された公式の神社六七社の末路を、能久親王大妃富子の献詠詩歌に重ねて終わる。巧い。
 あと漱石「坑夫」「野分」、要再読(メモだよ)。




4. 王惠君・二村悟著 後藤治監修 『図説 台湾都市物語 台北・台中・台南・高雄』 河出書房新社
 
 台湾の歴史的建造物に焦点を当てた好著。副題に四都市が挙げられているものの台北が全編の2/3を占め、主に近代建築が扱われ台北駅周辺など日帝時代からの都心部に多く所在するため、今回の台北滞在で「あ、この建物あの本で見た」「見たような気がする」「でも勘違いだった」等々のケースに幾度も遭遇し楽しかった。

 《近代建築散歩が楽しめる都市》でもし世界ランクを作るなら、西洋・東洋の混在に加え東洋の帝国主義建築というレアケースも多く保持する点で台北はかなり上位を行くとおもう。ニューヨークとロンドンを別格とすれば、ほか上位候補としてはハンブルク・モスクワとかかな。行ったことないけど。パリやサンクトペテルブルグは近世寄りということで。
 あと上海。
 



5. 三橋広夫 『これならわかる 台湾の歴史 Q&A』 大槻書店

 一応Q&A体裁の、諸々アンバランスな箇所も目立つ微妙本。以下覚書3点。悪くないが良くはない。

 士族の不満を背景とする台湾出兵時、清は雲南~甘粛のムスリム反乱にかかりきりで、英国公使の仲介により手打ち、清から日本側への見舞金で琉球へ蒸気船送るも琉球側拒否。

 台湾の中学で人気だったレア日本人校長=琉球出身、分け隔てしなかった。

 美麗島事件で首謀者を匿い懲役刑を受けた牧師「匿えば教会全体に迫害のリスク、しかし彼らを見捨てたら台湾に未来はない」




6. 『地球の歩き方 台北 2018~19』 ダイヤモンド社

 台北育ちの友人に見せた。面白かったのは、大量に載っている屋台レストラン群も大抵知っていて、かつそれなりに評価の高い店であったこと、しかし本人が行く店は他にあり、つまり「最良」ではないこと。『歩き方』に載るということは日本人旅行客が爆増するということで、この爆増が店の質を上げることは決してない。というかサービスの質も含め基本落ちる。これは個人的な過去の経験則にすぎないけれど、台北でも該当するらしい。

 ここでさて、日本はどうなのだろうと思う。中国版『歩き方 日本編』に載った店の変貌が、十年来の古参客を悲しませる。その数にいたっては、想像するまでもなし、かな。




7. 『マナス少年篇 キルギス英雄叙事詩』 若松寛訳 平凡社東洋文庫

 本書は全八部の内の第一部マナスの事績を扱うものの内、『マナス 少年編』と題付けされたもので、原詩は約1万行に及ぶらしい。ちなみにジャンガルは、 内容的にも「カルマク人」と称される西モンゴル系オイラト人との攻防が主題となる。キルギス傑作映画『馬を放つ』をきっかけとして読んだ流れは下記試写メモにて。

  試写メモ35「草原で十字を書き入れること」:
   http://tokinoma.pne.jp/diary/2826


 ちなみに全八部では約20万行詩、wikipediaによれは50万行詩とも。語り部マナスチによる口伝のため、長短もバージョンも原理的に無限なのだろう。第二部『セメティ』はすでにマナスの死後、マナスの遺児セメティが主人公となる。ともあれ父ジャクィプの器がとても小さく描かれ、戯画的な可笑しさを通り越した切なさすら。

 あと見境のないイスラームの混入が甚だしい。たとえば名づけの場面において、托鉢僧が「マホメットからとるミーム(M)、聖者の名を表すヌーン(N)、獅子を表すシーン(S)でマナスじゃ」と言ってみせたりする。(ちなみに関連性の委細はともかく、タイ語でも獅子はシンハ、虎はスィアで、日本語も含め獅子を巡る文化伝播はS音と連携しているのかもしれない)
 けれど語りの語られる現場において、通時的な前後関係が二義的な意味、相対的に低い重要度しか持たないとして、それはあらためて考えるなら当然すぎる話だなと。

 ここで昨秋キルギスでの乗馬旅を経験されたcalxさんによる、お勧めマナスチ動画を下記貼付。







8. 『マナス青年篇 キルギス英雄叙事詩』 若松寛訳 平凡社東洋文庫

 ヒマラヤ山脈と黒海、タクラマカン砂漠に画域された草原世界限定の国盗り物語の観があり、スコットを彷彿とさせる両軍対峙場面の緊張から馬上槍による一騎打ちへの手に汗握る展開で突如火縄銃が火を噴いたり、中世騎馬軍の戦闘描写からシームレスに魔法や火竜の活躍場面へと移行する様はまさしくゲーム・オブ・スタニスタン。

 青年篇のクライマックスは、なんといってもマナスの婚姻である。部下の四十バートゥル(四十人勇士)も同時に結婚する団結ぶりのホモ・ソーシャルな脳筋英雄譚たのしす。嫁サニラビイガ(のちのカヌィケイ)の父アテミル・ハーンは彼らの歓迎準備に奔走するあまり主賓へ目が届かなくなり、サニラのいたずらによって放置プレイされたマナスがブチ切れ無関係の人々を殺しだすあたりの無茶苦茶展開が雄大というか大らかでとても良い。ポリコレとか世界をつまらなくするだけだよなと。

 ちなみに結婚譚の直前には、キルギスに降伏したマイムン族ショールク・ハーンがマナスへ16歳の娘アクィライを差しだす挿話がある。ハーンが娘へ説得する語りの場面はなかなか異色だ。ここでも30人の美女が同時に差し出され、キルギスの若者の嫁にされている。謎すぎる。が、つまりはそういうことが昔あった、という種のいまや一つの寓話なのだろう。

 このアクィライとカヌィケイのエピソードの狭間に、どちらとも無縁に置かれるアルマムベト登場の挿話が格好良い。母国を離れ流浪の身となった彼はのちに、マナスの元で全軍の指揮を任され最終戦争へと赴く。(『マナス壮年篇』)

 「鳥よ、おまえの家を探し出せ。おまえの巣にはまだ雛もおるぞ」
 と言って、すぐに彼は鳥を放った。タゲリが青空へと飛んで行った。空へ飛んで行くタゲリの後を目で追って彼は空を見上げていた。 218





9. 『マナス壮年篇 キルギス英雄叙事詩』 若松寛訳 平凡社東洋文庫

 マナスにより強盛を誇る大国となったキルギスが、クィタイの都ベージンへとついに攻め込む。日本語の語感からクィタイといえばカラ・キタイが連想されるが、キルギスにとってのそれはまるっと東方を指し、その都ベージンとは否が応にも北京を想像させる。要はラスボス戦である。詳細は省くが、決して自画自賛に終わらないところがキルギス英雄叙事詩を傑作足らしめている最大の長所かもしれない。
 
 本巻の解説も面白い。たとえばそこでは、ジャンガル愛用の長槍の祭り方はスキタイとも共通し、スキタイでは軍神アレスが尊崇を受けることが指摘される。アレスとは言うまでもなくギリシア神話中の神である。本書『マナス壮年篇』に登場する一つ目の巨人マケルをめぐっても、「ギリシアからの影響」ではなく「ギリシアへの影響」が検討される。黒海を仲立ちにした文化交流の懐は、西欧的オリエンタリズムよりずっと深い。面白い。




10. 藤木高嶺 『秘境のキルギス シルクロードの遊牧民』 朝日新聞社

 1982年刊。東西冷戦下で中国もソ連も一般には“謎に満ちた壁の向こう側”だった時代、そして日本は経済大国化して、珍しいことをする人間には何であれ金が動いた時代の流れを下地として、エスキモーやジャングルでのルポ履歴のある探検家的新聞記者が、NHK登山隊に乗っかりキルギス奥地へ。小田実的《何でも見てやろう》の、沢木耕太郎ではない方向での帰結とも。

 「彼ら」が文明化し、貨幣経済や便利な生活と引き換えに誇りを失うことへの危惧、という今からみればそれもまたありふれたバイアスと時代性の感じられる記述に感慨も。草原の天幕に棲まう遊牧民とてスマホで仮想通貨をケアする今日、「彼ら」どころか80年代日本人の現代感覚すらも懐かしい。ともあれ辺境の地で文明化された人間に望まれる第一は即席の医者になることだったり、トレードをめぐる文化ギャップに翻弄されたりと体験描写がいちいち楽しい。







▽コミック・絵本

α. 松本大洋 『Sunny』3 小学館

 よみめもで1,2巻を扱ったのはなんともう2年近く前のことになり、そこで「松本大洋は好きすぎて、初読は一度しかできない貴重な体験だから大事にしすぎて、結果としてなかなか読み出せないという意味不明な病に襲われ」などと意味不明の供述を残しているが(よみめも31)、その後心境整ってさあ読もうかというときに限って手元にない事態がくり返され今に至る。毎度1巻の再読から入りたくなるのだが、日本宅とタイ宅に分散していて叶わず大事に先送り……とかね。

 というわけであまりに散発的かつ非網羅的にしか読んでいないので適当な物言いになるけれど、2000年末に出た『GOGOモンスター』あたりから松本作品は格段の深化を遂げ、しかしこの深化は表層の派手さとは無縁のため、松本大洋といえば『鉄コン』『ピンポン』『花男』のイメージと直結する向きもいまだ強いのではとも思う。この「深化」の「無縁」ぶりはつまりストーリーライン重視の読みの潮流からの離脱であり、「型」の獲得へのもがき、格闘がそこにあると予想もするのだけれど、なにしろその後の長編である『竹光侍』や近作『ルーヴルの猫』が未読であるため何とも言い難い。(ご支援のご検討いただければ幸。→https://amzn.to/2vj6keS

 とはいえ『Sunny』を描き通すことは、この漫画家にとってそれともまた別の意味で道行き上の関門であり表現上不可欠の営みなのだなとあらためて。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記 ]




β. 石川雅之 『惑わない星』 1 講談社

 『もやしもん』のバケガク的アニミスム+スタニスワフ・ レム+艦これキタコレ。斜め上な秀作ですね。描かれる内向的に堕落した日本国はもう完全にレムの『未来学会議』的世界で石川雅之の鋭角的な描線が痛いほど効いている。人間側主要登場人物の及川さんとか、それはもう痛いほど立ってんだよな。『もやしもん』の頃から不思議だったけど、てか及川さんて『もやしもん』にいたよね。てことはそれ単なる思いつき以上に素の感覚レベルで響き合ってんじゃないかな。

 人間の自意識の上でだけ滑りゆく人格とか物語とか、信じてないんよね。彫り絵かというくらいの刻み込まれた描線もそう。目なんかとくにそう。こういう天才が何人も並び立ってるジャンルはね、やっぱり幸福だと思うんよ。




γ. 五十嵐大介 『魔女』1,2 小学館

 いつもの五十嵐節的世界観に、多国籍企業や国家・軍隊が要素陥入してくるあたりは、『ウムヴェルト』から『ディザインズ』へと現在進行中の作品世界を前哨する態。とはいえ表題の『魔女』にも明示的でローマ教皇庁を始めカトリックギミック豊富な点は本作の特徴で、このことから元々以上にスピリチュアルへ振れてしまった反省がその後の現在活かされている、とも読める。実はかなり前に読んでいたのだけれど、なぜかよみめもには入れてなかったので今回追加。
 その後のマジカル五十嵐大介要素の萌芽が相当詰まっている気もするし、いずれきちんと再読したい。




ω. 九井諒子 『ひきだしにテラリウム』 イースト・プレス

 『ダンジョン飯』ではない方向性への才気をやたらに感じさせる短編集。同じ統合失調気質でも、このひとには冨樫義博のような病質性を不思議なくらい感じないんだよな。ネアカなのか、天然か。いやそうして人格類型に当てはめ納得を得ようとする発想はつまらないな。端的に愉しめるのだから愉しめば良い。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記 ]





 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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コメント

2018年
05月09日
22:07

1: calx

おお、『マナス』を読破されるとは!!!
是非、チベットの叙事詩『ケサル』と比較していただければと。

遊牧の民の物語は、文字でかかれるのではなく、語られるものであるということに惹かれます。

2018年
05月10日
18:49

有名なものですが
米軍が日本各地を爆撃するために作った地図 の台北版です
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/00/City_...

1945年の町並みを知るには、日本製のものよりはるかに見やすいので愛用しています

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