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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2018年
07月16日
22:33

よみめも44 上海編

 

 ・メモは10冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。



 上海に滞在した数日の余韻の内に、まだいる。芥川龍之介、横光利一、堀田善衛、武田泰淳……。驚くべきことに、いずれの書く上海もあの数日から思い描ける。うち最も衝撃を受けたのは横光、最も軽快に楽しんだのは芥川の筆致だった。5月の上海滞在は、ゴールデンウィークの余波でLCCバンコク直行便よりも上海経由中国系エアラインのほうが安いタイミングがあったから行った。しかしそこをきっかけに、この時機にこの読書体験をもてたことは幸運だった。
 酒タバコギャンブルはあとに疲労しかもたらさず、セックスもドラッグもいずれ空しい。至上の快楽はそういう仕方で生起しない。書を捨てず町へ出よう。


  写真付tweets(気長に継続更新予定)
  https://twitter.com/pherim/status/1012886455058755584



1. 横光利一 『上海』 岩波文庫

 塵埃を浴びて露店の群れは賑わっていた。笊に盛り上った茄卵。屋台に崩れてゐる烏の首、腐った豆腐や唐辛子の間の猿廻し。豚の油は絶えず人の足音に慄えていた。口を開けた古靴の群れの中に転げたマンゴ、光った石炭、潰れた卵、膨れた魚の気胞の中を、纒足の婦人がうろうろと廻っていた。 93

 枝を截り払われた菩提樹の若葉の下で、宮子は瓦斯燈の光りに濡れながら甲谷の近づくのを待っていた。
 「瓦斯燈のある所なら、あたし、誰どれも仲良くできるのよ。」
 勝ち誇った華碧な宮子の微笑が、長く続いた青葉のトンネルの下を潜っていく。坦々砥のように光った道。薔薇の垣根、腹を映して走る自動車。イルミネーションの牙城へと迫るアルハベット。 75


 こうした描写の緊密度が保たれたまま、五・三〇事件を舞台とする横光利一『上海』の登場人物たちは、暴徒と化した群衆の異様を体験する。租界警察、すなわち外国支配勢力が学生・労働者からなるデモ隊へ発砲し死傷者を出すこの騒擾の渦中で、その光景には呑み込まれながらも主人公視点をとる参木やお杉らが「群衆」に同一化しきることはない。

 今は最後だ、と思った高重は、仲間と共に拳銃を群衆に差し向けた。彼の引金にかかった理性の際限が、群衆と一緒に、バネのやうに伸縮した。と、その先端へ、乱れた蓬髪の海が、速力を加えて殺到した。同時に、印度人の警官隊から銃が鳴った。()彼らは円弧を描いた二つの黒い潮流となって、高重の眼前で乱動した。方向を失った背中の波と顔の波とが、廻り始めた。逃げる頭が塊った胴の中へ、潜り込んだ。 197

 さて彼ら登場人物たちが光景に呑み込まれながらも人々へ同一化しないのは、まずもって彼らが日本人だからだが、それは上海の路上で横光自身の感じた日本人であるゆえの同一不可能性そのものだろう。

 彼は支那服を着たまま露路や通りを歩いていた。彼はもう市街に何が起っているのかを考えなかった。ただ彼はときどきぼんやりしたフィルムに焦点を与えるように、自分の心の位置を測定した。すると、遽に彼の周囲が音響を立て始め、投石のために窓の壊れた電車が血をつけたまま街の中から辷って来た。彼は再び彼自身が日本人であることを意識した。しかし、もう彼は幾度自身が日本人であることを知らされたか。彼は母国を肉体として現していることのために受ける危険が、このようにも手近に迫っているこの現象に、突然牙を生やした獣の群れを人の中から感じ出した。彼は自分の身体が、母の体内から流れ出る光景と同時に、彼の今歩きつつある光景を考えた。その二つの光景の間を流れた彼の時間は、それは日本の時間にちがいないのだ。そして恐らくこれからも。しかし、彼は自身の心が肉体から放れて自由に彼に母国を忘れしめようとする企てを、どうすることが出来るであろう。だが、彼の身体は外界が彼を日本人だと強いることに反対することは出来ない。心が闘うのではなく、皮膚が外界と闘わねばならぬのだ。すると、心が皮膚に従って闘い出す。武器が街のいたる所で光っている中を、参木は再び歩きながら、武器のためにますます自身を興奮させている群衆の顔を感じた。それらの群衆は銃剣や機関銃の金属の流れの中で、個性を失い、その失ったことのためにますます膨脹しながら猛々しくなるのであった。 224-5

 「心が闘うのではなく、皮膚が外界と闘わねばならぬのだ」 まさしく、ね。バンコクでぼくの皮膚はもう闘おうとしていない。そのくせ東京で泡立ちだしている。鬱陶しいことに。

 その澎湃とした群衆の膨脹力はうす黒い街路のガラスを押し潰しながら、関門へと駈け上ろうとした。と、一斉に関門の銃口が、火蓋を切った。群衆の上を、電流のような数条の戦慄が駈け廻った。瞬間、声を潜めた群衆の頭は、突如として悲鳴を上げると、両側の壁へ向って捻じ込んだ。再び壁から跳ね返された。彼らは弾動する激流のように、巻き返しながら、関門めがけて襲いかかった。このとき参木は商店の凹んだ入口に押しつめられたまま、水平に高く開いた頭の上の廻転窓より見えなかった。その窓のガラスには、動乱する群衆が総て逆様に映っていた。それは空を失った海底のようであった。無数の頭が肩の下になり、肩が足の下にあった。彼らは今にも墜落しそうな奇怪な懸垂形の天蓋を描きながら、流れては引き返し、引き返しては廻る海草のように揺れていた。参木はそれらの廻りながら垂れ下った群衆の中から、芳秋蘭の顔を捜し続けていたのである。 212-3

 ところで主人公・参木が騒擾の渦中に追い求めつづける芳秋蘭が、川島芳子と李香蘭を併せたような造形なのはどうしたことだろう。名がそうである以上に、表裏ある調略ぶりからファム・ファタルの醸す妖艶さまで二人の、というより二人に充てられた大衆イメージの、芳秋蘭は具現化そのものであるように感じられる。しかし横光利一『上海』が書かれたのは1928~31年で、川島芳子は当時すでに「男装の麗人」としては知られるものの、現実に諜報活動に関わるのは1930年の上海渡航以降だし、それが具体的に世に知られるのは終戦以降のことだ。李香蘭=山口淑子にいたってはまだ十歳前後の女児である。

 彼は逆に、落ちつきを奪い返す努力に緊張すると、弾丸の飛ぶ速力を見ようとした。彼の前を人波の川が疾走した。川と川との間で、飛沫のように跳ね上った群衆が、衝突した。旗が人波の上へ、倒れかかった。その旗の布切れが流れる群衆の足にひっかかったまま、建物の中へ吸い込まれようとした。そのとき、彼は秋蘭の姿をちらりと見た。彼女は旗の傍で、工部局属の支那の羅卒に腕を持たれて引かれていった。しかし、忽ち流れる群衆は、参木の視線を妨害した。彼はその波の中を突き抜けると、建物の傍へ駈け寄った。秋蘭は巡羅の腕に身をまかせたまま、彼の眼前で静に周囲の動乱を眺めていた。すると、彼女は彼を見た。彼女は笑った。彼は胸がごそりと落ち込むように俄に冷たい死を感じた。 213-4

 芳秋蘭は上海外灘のダンスホールで舞いつつも、裏で内外の権力とつながり大衆を扇動する。川島芳子が金で雇った中国人集団に上海の路上で日本人僧侶を襲わせ、返す刀で日本人居留民を焚きつけ、中国人街へ放火・殴り込みをかけさせて第一次上海事変のきっかけをつくったのは1932年、横光利一『上海』発表の翌年だ。どゆことー。

 彼は激昂しているように、茫然としている自分を感じた。同時に彼は自身の無感動な胸の中の洞穴を意識した。――遠くの窓からガラスがちらちら滝のように落ちていた。彼は足元で弾丸を拾う乞食の頭を跨いだ。すると、彼は初めて、現実が視野の中で、強烈な活動を続けているのを感じ出した。しかし、依然として襲う淵のような空虚さが、ますます明瞭に彼の心を沈めていった。彼はもはや、為すべき自身の何事もないのを感じた。彼は一切が馬鹿げた踊りのように見え始めて来るのであった。すると、幾度となく襲っては退いた死への魅力が、煌めくように彼の胸へ満ちて来た。彼はうろうろ周囲を見廻していると、死人の靴を奪っていた乞食が、ホースの水に眼を打たれて飛び上った。参木は銅貨を掴んで遠くの死骸の上へ投げつけた。乞食は敏捷な鼬のように、ぴょんぴょん死骸や負傷者を飛び越えながら、散らばった銅貨の上を這い廻った。参木は死と戯れている二人の距離を眼で計った。彼は外界に抵抗している自身の力に朗らかな勝利を感じた。同時に、彼は死が錐のような鋭さをもって迫めよるのを皮膚に感じると、再び銅貨を掴んで滅茶苦茶に投げ続けた。乞食は彼との距離を半径にして死体の中を廻り出した。彼は拡がる彼の意志の円周を、動乱する街路の底から感じた。すると、初めて未経験なすさまじい快感にしびれて来た。彼は今は自身の最後の瞬間へと辷り込みつつある速力を感じた。彼は眩惑する円光の中で、次第にきりきり舞い上る透明な戦慄に打たれながら、にやにや笑い出した。すると、不意に彼の身体は、後ろの群衆の中へ引き摺られた。彼は振り返った。
「ああ。」と彼は叫んだ。
 彼は秋蘭の腕に引き摺られていたのである。
「さア、早くお逃げになって。」
 参木は秋蘭の後に従って駈け出した。 214-5


 陶酔と諦念、凝視。疾走。
 いまこの瞬間もあなたがどこかで息している。その奇跡。

すると、その中の短く鼻下に髭を生やした一人の男が、擦れ違う瞬間、素早く参木の右手へ手を擦りつけた。参木は彼の冷たい手の中から、一片の堅い紙片を感じた。彼ははッとすると同時に、それが男装している秋蘭だったことに気がついた。しかし、もうそのときには、秋蘭は他の二人の男と一緒に、肩を並べて行きすぎてしまっている後だった。参木は紙片を握ったまま、しばらく秋蘭の後から追っていった。しかし、彼がそのまま秋蘭の後から追っていくことは、彼女を一層危機へ落し込むことと同様だと思った。彼女は優しげにすらりとした肩をして、一度ちらりと彼の方を振り返った。参木はその柔いだ眼の光りから、後を追うことを拒絶している別れの歎きを感じた。彼は立ち停ると、秋蘭を追うことよりも彼女の手紙を読む楽しみに胸が激しく騒ぎ立った。 244-5




2. 芥川龍之介 『上海游記・江南游記』 講談社文芸文庫

馬車が動き出すと、鉄橋の架った川の側へ出た。川には支那の達磨船が、水も見えない程群っている。川の縁には緑色の電車が、滑らかに何台も動いている。建物はどちらを眺めても、赤煉瓦の三階か四階である。アスファルトの大道には、西洋人や支那人が気忙しそうに歩いている。が、その世界的な群衆は、赤いタバアンをまきつけた印度人の巡査が相図をすると、ちゃんと馬車の路を譲ってくれる。交通整理の行き届いている事は、いくら贔屓目に見た所が、到底東京や大阪なぞの日本の都会の及ぶ所じゃない。車屋や馬車の勇猛なのに、聊恐れをなしていた私は、こう云う晴れ晴れした景色を見ている内に、だんだん愉快な心もちになった。 13

 芥川の紀行文が、こんなにも軽妙だとは知らなかった。しかも今回読んだ他の上海を舞台にした随筆のどれよりも雑味が多く、しかしそれら雑味の大量混入が全体の印象をまったく澱ませないから不思議というか、端的に巧すぎるがゆえの韜晦とか、神々の戯れ級。

 たとえば清末民初の革命家・章炳麟の書斎を訪れる。その冒頭で「章炳麟氏の書斎には、如何なる趣味か知らないが、大きな鰐の剥製が一匹、腹這いに引っ付いている」と記される。そして支那を憂う彼の長舌を聞きながら、つまりはきちんと己の紀行文の内で再現もしながら、「私は――唯寒かった。」としてこう閉じられる。

 私は耳を傾けながら、時々壁上の鰐を眺めた。そして支那問題とは没交渉に、こんな事をふと考えたりした。————あの鰐はきっと睡蓮の匂と太陽の光と暖な水とを承知しているのに相違ない。して見れば現在の私の寒さは、あの鰐に一番通じる筈である。鰐よ、剥製のお前は仕合せだった。どうか私を憐れんでくれ。まだこの通り生きている私を。…… 39

 蘇州では、路上で両肌脱ぎで刀と槍の試合を繰り広げる大道芸を目にし「大いに水滸伝らしい心もちになった」とし、日本における馬琴の八犬伝から神稲水滸伝、本町水滸伝など類作には再現できていない「水滸伝らしさ」=支那思想の閃き、について語る。

天罡地煞一百八人の豪傑は、馬琴などの考へていたやうに、忠臣義士の一団じゃない。寧数の上から云えば、無頼漢の結社である。しかし彼等を糾合した力は、悪を愛する心じゃない。確武松の言葉だったと思ふが、豪傑の士の愛するものは、放火殺人だと云うのがある。が、これは厳密に云えば、放火殺人を愛すべくんば、豪傑たるべしと云うのである。いや、もう一層丁寧に云へば、既に豪傑の士たる以上、区区たる放火殺人の如きは、問題にならぬと云ふのである。つまり彼等の間には、善悪を脚下に蹂躙すべき、豪傑の意識が流れてゐる。模範的軍人たる林冲も、専門的博徒たる白勝も、この心を持つている限り、正に兄弟だったと云っても好い。この心―― 云はば一種の超道徳思想は、独り彼等の心ばかりじゃない。古往今来支那人の胸には、少くとも日本人に比べると、遥に深い根を張つた、等閑に出来ない心である。天下は一人の天下にあらずと云うが、さう云う事を云う連中は、只昏君一人の天下にあらずと云うのに過ぎない。実は皆肚の中では、昏君一人の天下の代りに彼等即ち豪傑一人の天下にしようと云うのである。もう一つその証拠を挙げれば、英雄頭を回らせば、即ち神仙と云う言葉がある。神仙は勿論悪人でもなければ同時に又善人でもない。善悪の彼岸に棚引いた、霞ばかり食う人間である。放火殺人を意としない豪傑は、確にこの点では一回頭すると、神仙の仲間にはいつてしまふ。もし譃だと思ふ人は、試みにニイチエを開いて見るが好い。毒薬を用ゐるツァラトストラは、即ちシイザア・ボルジアである。水滸伝は武松が虎を殺したり、李逵が鉞を振廻したり、燕青が相撲をとったりするから、万人に愛読されるんぢやない。あの中に磅礴した、図太い豪傑の心もちが、直に読む者を醉わしめるのである。
 私は又武器の音に目を見張った。あの二人の豪傑は、私が水滸伝を考えている内に、何時か一人は青龍刀を、一人は幅の広い刀をふり上げながら、二度目の切り合いを始めている。―― 114-5


 この間、芥川の実際の動作はただ、路上で大道芸を眺めているだけだ。路上をゆく多くの人々が、そうしてふと足をとめ、なにかを眺める。それは大道芸でなくてもいい。夕焼けの空でも、川面に揺れ落ちる花や葉でもいい。そのとき人は個々になにかをおもう。おもっているはずである。しかし多くのひとはそれを言語化しない。する動機がない。ないからといってこのように、路上の一端景こそが天下国家をいや存在のすべてを映しだしていないとは限らない。しかしこの普遍を感じさせる路上描写はなかなかない。芥川紀行文の軽快な凄味をそこに感じる。

 「長江游記」はこう始まる。

 これは、三年前支那に遊び、長江を遡った時の紀行である。(略)
 私は長江を遡った時、絶えず日本を懐かしがっていた。しかし今は日本に、――炎暑の甚だしい東京に汪洋たる長江を懐かしがっている。長江を? ――いや、長江ばかりでない。蕪湖を、漢口を、廬山の松を、洞庭の波を懐かしがっている。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この私の追憶癖にもちらりと目をやってはくれないだろうか。 165


 そして本書はこうして締められる。

 しかし僕のジャアナリスト的才能はこれ等の通信にも電光のように、――少なくとも芝居の電光のように閃いていることは確かである。
   大正十四年十月

 芥川龍之介記 205 


 横光利一『上海』における主人公・参木の彷徨には、緩慢な自死への衝動が付きまとう。武田泰淳『審判』(↓)における青年の自己犠牲による償いへの試みもまた、今日的価値観に照らせば自己投棄というに近い。堀田善衛は『上海にて』(↓↓)のなかで、文学者の自殺をめぐって一章を割いている。そんなものから最も遠い軽快さを放つ芥川による、これは服毒2年前の作。




3. 武田泰淳 『上海の螢・審判』 小学館

 私は横光利一の「上海」を思い出しながら歩いている。五・三〇事件を取り扱った「上海」では、揚樹甫の紡績工場から、(略)中国人労働者の漂わす殺気と、異国の民衆に紛れ込んだ日本人男性の、どこにも遣り場のない憂愁が彩りをなしていた。街頭の光景は横光が描写した通りだ。(略)だが、何かがくいちがっている。何かが足りない。彼の善意と情熱と才能にもかかわらず、あまりに文学的なものが多すぎる。文学者の新しい企てのすべてが消え失せ、描写された上海だけが、かすり傷一つ負わずに存在しつづける。そう私は考えたくない。 129-130

 武田泰淳は1937~39年の2年間日中戦争へ従軍し、1944年6月~46年4月の2年を上海で暮らしている。今となっては悪名高き大東亜文学者大会を斜に構えた視点で語る筆致は冴えるが、戦後かなり経ってから書いた点は考慮に入れる要を感じる。

 彼(火野葦平)は一刻も早く、時間つぶしの会話を続ける文学者たちを離れて、血腥い空気をいやというほど吸いこんで、それでも兵隊でありつづけることを黙って引き受けている兵隊仲間のもとへ帰りたいのだ。 115

 「上海の螢」は上海滞在を主題とした未完連作の冒頭作タイトルで、「審判」は敗戦後の上海に残る「私」がある青年の戦場における告白を聞く話。当然その由来には武田自身の従軍体験が憶測されるが、「私」である武田と青年である武田の狭間で戦争の記憶が増幅される。巧いと関心するようなものではないけれど、上海暮らしの描写がもつ軽快さに対するその重さはなかなかのコントラスト。

 「審判」における「私」は、作中で幾度か「杉さん」と呼ばれている。性別こそ異なれ、根無し草の娼婦となり虚空を見つめるお杉の視界を描いて終わる横光利一『上海』との呼応が感じられる。おそらく偶然ではないだろう。

 「杉さんなら中国人になれる。中国人になってしまえば心配はいらないのに」と、もと使っていたアマさんに言われたこともあった。()日本人を廃業するという会話が平気で通用することに、私は底抜けの自由を感ずると共に、底抜けの不安を感じた。いったいどうなるのかとわが胸に問うのは、これからさしあたって個人生活の問題が主であるにしろ、やはり日本人が地球の何処かで暮して行く姿や動きがひろく心にかかっている証拠であった。そしてその姿や動きはどうひいきめに見ても、地獄の霧につつまれ、破滅の地鳴りにおびやかされていると思われた。 224




4. 堀田善衛 『上海にて』 集英社文庫

 1945年8月15日、堀田は昭和天皇の「終戦勅語」を円明園路の印刷所で聞き、憤慨する。円明園路は上海外灘バンドの一画を通る小路だが、たまたま7.『はじめての中国キリスト教史』(↓下記)著者の一人から上海渡航前にリコメンドを貰って歩いた通りの一つだった。こうした連環は経験をたやすく血肉化する。感謝の極み。

 しかし、あのとき天皇はなんと挨拶したか。負けたとも降伏したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌味な二重否定、それっきりであった。
 その余は、おれが、おれが、おれの忠良なる臣民が、それが可愛い、というだけのことである。その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた。
 放送がおわると、私はあらわに、何という奴だ、何という挨拶だ、お前の言うことはそれっきりか、それで事が済むと思っているのか、という、怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた。
 ()
 私は聞きおわって、これでは日本人が可哀想だ、というふうに思った。なぜ可哀想か。天皇のこんなふうな代表挨拶では、協力をしてくれた中国人その他の諸国の人々に対して、たとえそれがどんな人物であれ、またどんな動機目的で日本側に近づいてきたものにせよ、日本人の代表挨拶がこれでは相対することさえ出来やしないではないか……。 120-1


 ここにある感情は、『この世界の片隅に』の主人公すずがあらわにした怒りと通じ合う。読んで即座に映画館で慄えたあの場面が脳裡に浮かんだ。あの激昂は現実にあったのだ。それも様々な場所で、様々なありかたで。





 アカイ林檎に唇ヨセテ
 ダマッテ見テイル青イ空
 林檎ハナンニモ言ワナイケレド
 林檎ノ気持ハヨクワカル
 林檎カワイヤ、カワイヤ林檎

 という、「リンゴの唄」であったが、約一年と九ヵ月、それこそ日本からの梯子をはずされてしまっていた私は、敗戦後に日本にありうべき感情の基本というものが、恐らくは“怒り”であろうか、と推察していたので、この唄のかなしさ、おだやかさ、けなげさ、デリケートさに、つくづくびっくりしたのであった。もとよりしばらくして、あの荒涼とした焼野原での生活に、林檎の新鮮な赤さというものが、どんなにか眼にしみ入るほどのものであったのであろうという事情を諒解したが、いまでも私は、あの薄暗い船艙のなかでの演芸会で、若い警官がこの唄をうたったときのおどろきを忘れない。 138


 1997年、香港・マカオに初めて滞在した頃、まさか両者が橋とトンネルで直につながるなんて思わなかった。長期的なエネルギー効率をふつうに考えれば、いずれ朝鮮半島や樺太経由で東京からウラジオストク行きの列車が開通する日が来るのは「妥当」な想定だろうとか、どうせこれからも何かを考えてしまうなら、そういう前提は忘れずにおきたいものですの。

 長江にわたされた武漢の「長江大橋」を見たとき、私はそこに歴史を見た、と思った。いかに長大なものであろうとも、それは要するにソヴェトから青写真をもらってつくったタダの橋ではないか、歴史などという御大層なものではない、といわれるであろうと思う。それはその通りだ。
 けれども考えてみよう。長江は何万年だか何千万年だか、人類が発生する以前から流れていただろう。中国人民がそこに住むようになってからも流れていた。その間、誰も橋をかけることが出来なかった。それは不可能だったのだ。没有法子(仕方がない)、没有弁法(手が出ない)ものだった。それが有法子であり有弁法になったとなれば、それは没有法子、没有弁法哲学の全否定である。その否定を誰が可能にしたか、人民自体である。そういう否定、そういう現実をこそ私は歴史と呼びたい。 225





5. 和田博文 大橋毅彦 真銅正宏 竹松良明 和田桂子 『言語都市・上海 1840-1945』 藤原書店
 
 極めて面白く特異な上海日本文学ガイド。占領期を中心とした上海をめぐる膨大な日本語文献が渉猟され拾われた引用文の束がとにかく読ませる。横光利一、金子光晴、吉行エイスケ、武田泰淳、堀田善衛ら文人の作が素晴らしいのは言うまでもなく、軍属や記者、市民視点からの言及も各々良い。初の上海滞在を最も豊かにしてくれた一書であり、ここから上海を巡る多くの文学作へと旅立てる起点となることもはや確定。(成果の一端が上記4冊)




6. 『上海時間旅行―蘇る“オールド上海”の記憶』 山川出版社

 東亜同文書院卒業者による在学時代の回想や高杉晋作の上海体験、李香蘭や川島芳子への着目など目配りの仕方が素晴らしい一著。文化的沈黙を強いられた文革期の上海にまつわる思い出話で締められるのも良い。

 Amazonなどでは佐野眞一の著書のように扱われているが、実際には8人の書き手と2人の語り手からなる。要は編集者の功績が大きい本で、しかも佐野眞一が編者とも思われない。世間的な評判が地に落ちた今なら彼をタイトリングしたりはしないだろうな。しかし内心に公平を期して言えば、「阿片王・里見甫」を追う佐野眞一による掌編「上海の夜と霧」は端的に面白い。センセーショナルな面白さというか、大衆誌への売文仕事で蓄えた巧さはやはり、他の学者肌や「体験者は語る」的文章に比べ際立っている。面白けりゃいいんじゃね、という評価軸にも一定の理はあろうもん。




7. 石川照子 桐藤 薫 倉田明子 松谷曄介 渡辺祐子 『はじめての中国キリスト教史』 かんよう出版

 中国におけるキリスト教の受容と展開を、ネストリオス派、東シリア教会の古代すなわち景教から現代まで記述する好著。個人的には、あまり系統立てて考える動機づけをもたなかった日本のキリスト教史をめぐり、過去の体験が諸々整理される機会にも。具体的にはたとえば、昨年閉館した東京銀座の聖書図書館でみた現物の出版者らの幾人か、幕末明治初期における欧州からの宣教師たちの名を、本書では「中国を拠点に活動したキリスト者」として読む体験など。日本への布教を、上海や香港を全体の拠点とする東アジア布教の一環としてみることは、「日本史」の方角からはなかなか持ちがたい視点だろう。

  過去日記「聖書図書館から多層宇宙へ」:
  http://tokinoma.pne.jp/diary/2304

 ちなみに太平洋戦争から21世紀今日までの現代パートを担当した松谷曄介牧師は、2年前の深圳&香港滞在の同行者であり、現地事情に通暁した研究者でもある。先月の上海滞在時にも的確な情報をいただき、おかげで数日の滞在ながら大変濃密なものとなった。

 日帝時代から国共内戦、共産党支配確立へと激動した現代にあって、呉耀宗や丁光訓など信仰と政治との狭間で引き裂かれる重要人物に関し、その評価の分かれるポイントに焦点化することで現代史全体を逆照射してみせる端的さは殊に読みごたえあった。

  深圳・香港滞在をめぐる過去日記群(共産党政府監視下の家庭教会取材など)
  http://tokinoma.pne.jp/diary/search?keyword=%E6%B7%B1%E5%...

 先々月は初の上海滞在となったが、空港から地下鉄で市街へ入り最初に地上へ上がった駅直上のビルの隣に上海YMCAが建ち、単純に建物が気になったので内部へ入りしばらく過ごしていた。上海を離れたあと本書を読み、丁光訓の拠点であったことを知る。そういえば、建物内でその名をみた記憶がある。順序が逆なら理想的だけれど、こういう体験の連環こそ生きる醍醐味だなと。

 キリスト新聞社よりご提供の一冊、感謝。




8. 追手門学院大学 『上海アラカルト』 和泉選書

 周辺の学者の集団作業による点で5.『言語都市・上海 1840-1945』に体裁は近しいが、おしなべて考察が浅く精度に欠ける一著。ただ個人的な上海滞在の目的と嗜好に照らして永吉雅夫による第5章の「徐家匯天主教堂――上海の芥川と泰淳――」と、第二部「アヘン戦争史料 『海外新話』」の奥田尚による論考、『海外新話』そのものの復刻収録は大変興味深く読む。




9. 『地球の歩き方 D02 上海 杭州 蘇州 2017~2018』 ダイヤモンド社

 考えてみれば『歩き方』だけは読むに値すると感じている。日本語で出ている他のガイドブックに比べ「余計」な情報がいまだに多いからだけれど、結局は載っていないところを歩くことのほうが多いのも常だから、つまりは海外文学の読み方に思いのほか似ているのかもしれない。
 あとはあれだ、奥付をみれば一目瞭然のごとく、関わっている人数が外の日本語ガイドブックより数倍多いんだよね。端的にこれは強み。




10. ブルーガイド編集部 『わがまま旅歩き33 上海 杭州 蘇州』 実業之日本社

 2017年1月発行。独特の地図表記に見やすさを覚え、内容的にも悪くなさげと携行したが、結果から言えば使えない。『歩き方』にかなり寄せているし、『歩き方』もまたこの十年来かなり一般のガイドブックに寄ったけれど、外見上の類似は必ずしも構造の類似を招来しないのだなと。内容の浅さは薄さという利点を得るけれど、練られていない使いにくさはどうにもならない。




▽コミック・絵本

α. 松本大洋 『Sunny』4 小学館

 どのように形容を試みても言葉足りずの感しかない。部分の総体は全体を成しえないという時の全体を、そのようにして『Sunny』が感覚させるのは、ここにおそらく松本大洋のすべてが内包されているからだろう。だから淡々と描かれる星の子学園の日常は、宇宙そのものと等価になる。親と生きられない子供の孤独が銀河の色になる。
 
 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]




β. 弐瓶勉 『人形の国』 2 講談社

 これはヤヴァイ。傑作過去作『BLAME!』『シドニアの騎士』を置き去りにするほど作品世界の基盤に強度を感じる。1巻を読んだのが9ヶ月前(よみめも35)でバンコク宅にあり現在一時帰国中なこともあり、まず再読を期したい。その前にあれこれ言分けするのは押井気すらする楽しみすぎる。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]




γ. よしながふみ 『愛すべき娘たち』 白泉社

 安定のよしながふみ語り。母から娘へ受け継がれる関係性因子の連鎖と同世代間での共鳴を、気づけばスケールブレなく一定距離で俯瞰しつづける匠の技おそるべし。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]




ω. 九井諒子 『竜の学校は山の上 九井諒子作品集』 イースト・プレス

 九井諒子的奇想てんこ盛り短編集。ラストの表題作、まんま『ダンジョン飯』の萌芽を思わせる幻想ギミック調理法への執着描写があってなごめる。しかしこのリアル世界前提で少しズレた舞台設定が生む哀切表現の巧さをおもうと、面白いとはいえ『ダンジョン飯』にいつまでも縛りつけるのはもったいないなとも思えて求む九井二人世界。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]





 余談。

 堀田善衛は武田泰淳と同時期の上海に暮らし、ともに上海で敗戦を迎えている。二人で南京を訪れたりもして、この時期を書く互いの文章には互いの名がよく登場する。ちなみに武田泰淳の横光への私淑ぶりは上記に引用した通りだが、横光利一の上海滞在は芥川龍之介に「上海くらい見ておけ」と勧められたからだった。その横光の上海滞在を金子光晴は『どくろ杯』で「いなか者丸出し」と評しているのだが、こうした明治から敗戦直後の文人たちの距離の近しさはどこか眩しい。いまでもそういうことはあるのだろうか。というか、今の小説家とこれら文人たちとはすでに似て非なるものだという気もけっこうする。

 今後機会あれば読みたい上海関連作のある作家等をメモしておくと、吉行エイスケ、高見順、火野葦平、金子光晴、川端康成、河上徹太郎など。

 上海日本租界へは長崎から一昼夜で着く定期航路があり、上陸するのにパスポートは不要だった。韓国台湾にも言えることだが、この距離感をともすれば忘れがちになる。





 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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コメント

2018年
07月17日
16:25

ちょうど『3億人の中国農民工』を読み終え、上海から農民工たちが追い払われて清浄化されていこうとする現状を知ったところでした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0777DQDP9/ref=dp-kindle-redi...
私が上海に行ったのは、何を隠そう、高校生訪中団(77か78年)のときのみですが、そのときのことを懐かしく思い出しました。

2018年
07月17日
20:33

おおお、こんな本が。上海滞在中、実は最も惹きつけられ歩き回ったのは、たぶん追い出されつつある彼らの居住区なんです。超高層のたもとにもまだ半封鎖・半廃墟状態でけっこう残っていて、ガードマンの目を盗んで侵入したりもしてました。私生活密着しすぎだし写真Twitterに挙げていいものかまだ決めかねてますが。

にしても77か78年て、たぶん観光目的の入国も簡単ではない頃ですよね。かなり異次元感あったんじゃないでしょうか。97年に香港の大学生たちと深圳入りしたんですが、もう香港学生たちのキョドりぶりが凄かったです。隣町の同世代の若者達を完璧に恐れてた。おととし深圳・香港を再訪して、都市の相貌ってこんな極端に変わるものなんだなと。

2018年
07月17日
21:23

当時は外国人はすべて招待制で「~団」を組んで向こうから招待されるというかたちでしか入れませんでした。みなさん人民服で毛沢東を崇め、四人組の顔を描いた紙に石を投げていらっしゃいました。私は田舎の高校生だったので、右も左もよく分かりませんでした。

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