pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
01月16日
07:53

よみめも48 立棺に貞く

 


 ・メモは十冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。




1. 『現代詩文庫 田村隆一詩集』 思潮社

 空は
 われわれの時代の漂流物でいっぱいだ
 一羽の小鳥でさえ
 暗黒の巣にかえってゆくためには
 われわれのにがい心を通らねばならない (「幻を見る人」抜粋) 10

 わたしの屍体に手を触れるな
 おまえたちの手は
 「死」に触れることができない
 わたしの屍体は
 群衆のなかにまじえて
 雨にうたせよ
  
   われわれには手がない
   われわれには死に触れるべき手がない (「立棺」抜粋) 25

 詩人にとって想像力とは、その詩人の感情を絶えず刺戟して再創造する力をいうのです。この力の強い持続がないかぎり、詩人のうちなる感情の歴史は発展して行くことはありません。想像力を強めるために詩を書きたまえ、とルイースも忠告しております。()鍛えられた想像力は詩人や画家や音楽家のうちなる感情の歴史をさらに推進させ、あらたなる胎児を外部に押し出すのです。ここに力と技術のはげしい相関関係があるのです。ですから、わたくしが前に述べた、詩人は詩を書くことによって詩を書くのだという意味がおわかりになるでしょう。
 ()
 「立棺」という言葉が、わたくしの「無自覚的意識」のなかに忍び入ったとはどういうことでしょうか? それは鮎川氏の手から離れていつの間にかわたくしのものになっていたということなのです。わたくしたち個人の持っている大部分のものは、「無自覚的意識」という拡大な土地なのです。 (「路上の鳩」抜粋) 67

 あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
 きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
 ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる (「帰途」抜粋) 32
 
 ああ
 意味がほんのすこし入ってきただけで
 いかなる近代都市も粉砕されてしまう
 光りがごくわずか入っただけで
 ネガの世界は崩壊する
 床からピンがはねあがる
 乳色の河流は血の色にかわり
 なめらかな皮膚の下に
 死んだふりをしていた心があらわれる
 窓がひらく (「恐怖の研究」抜粋) 43

 水脈ひくような薄青い時間の中で、私は呟く、「振りかえったらそれまでだ」水脈ひくような薄青い距離をつくって、おまえは無言で遠ざかる、私の唯一の孤独を背に閉じこめて。そこから坂がはじまっていた。 (「坂に関する詩と詩論」抜粋) 54

 「今日の日本の詩というものは、いわば裸の詩であって、何の衣裳も着ていない。それゆえ詩そのものが直接言葉にあらわれれば詩であり、詩が直接感じられていない言葉の並列は詩ではない。詩は一種のエネルギーであって一篇の詩の本体であり、書かれた事柄や、感情や、理性はただその放射のための媒体にすぎないのである。詩が批評であるというようなことも、それは理論からくる批評ではなくて、ある人間生活に対する体当たり的なエネルギーの放射する色合、ひびき、リズムの物いう批評なのである」(日本の詩歌)
 この二つの引用文は、前者は昭和十八年太平洋戦争のさなかに書かれた自分の詩作態度について、後者は戦后に書かれた詩に対する光太郎の一般的な見解をのべたものから抜萃したものですが、そのどちらも、彼の本質的な詩観がうかがわれる点で、きわめて興味深いものがあります。 (「癌細胞 高村光太郎小論」抜粋) 75





2. ベルナール・レモン 『プロテスタントの宗教建築』 黒岩俊介 訳 教文館

 さてまったくの門外漢が手探りで読みだした領域とは、ここまで見通しが悪いものか、と新鮮で楽しめたのが、この2年ほど散発的にではあれ続けてきたキリスト教建築関連の読書紀行なのだった。

 日本語で読める“キリスト教建築にも言及する建築専門書”ではなく、“キリスト教建築そのものの専門書”は意外に少ない。写真主体とか観光ガイドでなく、かつ分野の全体を一貫した論理に基づき概観できる良書となると一層限られる。パウル・ティリッヒ『芸術と建築について』(よみめも40)につづき、本書はようやくたどり着いたそのような一書。手元に置いておきたいが、自腹で買える額ではない。

 いつものように引用付きメモ書きを始めると果てしなくなるので、通読の成果は教会建築記事シリーズ「十字の肖像」の文面を以って代えるとする。ここでは、これら「日本語で読めるキリスト教建築の専門書」が、具体名を伴う幾筋かの細い命脈から成っていることの「発見」について書いておく。なかでも上記ティリッヒ『芸術と建築について』の訳者・前川道郎を中軸とする流れは見逃し難い。たとえば本書訳者・黒岩俊介は、本書の翻訳それ自体を病床の前川氏から依頼されたと訳者あとがきで述べている。日本の教会建築史は人脈依存で形成されており、カトリック系、聖公会系、正教系などと教派ごとの整理がかなりの程度有効である一方、前川道郎自身はカトリックで受洗しており、その視野は教派を境としない。要は多く出ている前川関連の書にpherimはもっと親しむべき。

 むろん、コロンブスに発見されるまでもなく米大陸はあったように、この言及は個人的探索覚え書きの域を出ない。にしても、本書でも引用言及のあったハンス・ゼーデルマイヤ『大聖堂の生成』前川道郎訳読みたいなと思いAmazonで古書6点を見つけたけれど、最安値が31,057円、最高値75000円。どゆこと。

 神学構造と建築構造: 14左,18左,22右,90,100左,134左(シャトー・ブリアン『キリスト教精髄』),231,269右(鐘)
 環境・自然・礼拝: 77(ゲニウス・ロキ),87,92左,102,138,176,235,332
 技術・様式: 99右,110,123(18c protestant baroque),133(greek vs neogothic),150(Tillich & Bauhaus),296(ヴェネツィア憲章1964とICOMOS)



 
3. 高橋源一郎 『日本文学盛衰史』 講談社 [再読]

 平田オリザ作・演出の青年団第79回公演『日本文学盛衰史』観劇に併せ再読。観に行った頃のツイートを探ると6月下旬で、積ん読ならぬ積みメモ状態が激しく、サラサラ血液循環目指さねばなるまい(え。

 高橋源一郎、今やどこか大江健三郎なきあと(「……」)の左翼文豪筆頭座感すら醸す近況諸々だけれど、もともと彼はナチュラルに文学の本道歩むひと、今なら「なろうサイト」とかから職業作家になるようなひととは真逆の、「文学」をパフォーマンスするひとだったんだよね。それは競馬TVタレントの頃も今も変わらずそう。だからストレートじゃないんだよな、読みもまっすぐ素直なのは本来負けなのに、そういうスタンスこそきょうびはポストモダンとかくくられ小馬鹿にされ純情ガチ直感で動く派がどこでも吠えちゃう。いやそれ単なる動物化だから、あなたはよくても子や孫の代が滅びますよという近代の輪廻をくり返す昨今ゆえに「教育勅語を現代語訳してみた」とかやることになる。

 再読は楽しかったぜい。うん、初読時より笑ったかもしれない。たぶん前は逍遥とか四迷とか独歩とか、中学受験単語でしかなかったからね。まったくピンときてなかったはず。
 余談になるけど、演劇に関しては近頃観には行っても言語化するに至らないこと多く、今年にかぎっても平田オリザも岡田利規もとても楽しんだけれど、ほんの1ツイートすらしてないのよね怎么写了。というわけですこし自ら背を押しつぶやいたのが以下↓

 温泉ドラゴン『The Dark City』@ブレヒトの芝居小屋をめぐって:
 https://twitter.com/pherim/status/1054198909701042176




4. チャールズ・ディケンズ 『クリスマス・キャロル』 村岡花子訳 新潮文庫

 いまさらながらの初読である。初読なのにかつて馴染んだ懐かしい感じすら催すのは、ある種の古典の恐ろしい古典力ゆえとでも言うべきかな。

 指は墓から彼の方に向けられ、それからまた元に戻った。
 「いいえ、幽霊さま! ああ、いやだ! いやだ!」
 指はなおもそのままだった。
 「幽霊さま!」 167


 黙して語らず、ただ指すのみ。の象徴性が恐ろしく、3度くり返されることの怖さにヴィジュアル的には貞子に殺されたあと化けて立つ顔なし真田広之がイメージされてしまったのは内緒としても、このすぐあとに「この時はじめて幽霊の手がふるえているようだった」とつづくことのそこはかとない膝がっくん感と、いや場合によってはこっちのほうが衝撃なのかも私すれちゃったのかもという懸念。

 11月30日に日本公開となる映画『Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男』試写に先立って読んだ。『クリスマス・キャロル』着想へといたる若きディケンズのドタバタコメディ。けっこう良作。

 映画版tweet(ふぃるめも100): https://twitter.com/pherim/status/1066597532204056576




5. 西加奈子 『i(アイ)』 ポプラ社

 いつもは一緒に行ってくれていた綾子もミナもいない中、アイはひとりで若い女の子の集う店に行かなければならなかった。店に入るのに蛮勇を必要とした。はっきりと緊張したアイは、でも、そこで思いがけずこんな風に言われたのだった。
「お綺麗ですね!」
 それは販売員特有の社交辞令だったのかもしれなかった。それでもアイにとっては鮮やかな爆弾のような言葉だった。それはアイの体に吸収され、体内で弾けた。 160


 シリアからアメリカへ養子へ貰われた少女アイの物語。日本の学校で過ごす十代から、数学専攻で大学院進学する二十代後半までを描く成長譚で、テヘラン生まれカイロ・大阪育ちという著者の生い立ちを直に反映した生々しい描写は読み応えある。

 9・11で、自分の同級生たちが、そして両親の恵まれた友人たちが生き残ったことと、アニータたちが生き残ったことに、自分はわずかでも違う安堵を覚えていたのではなかったか。例えば他の「恵まれた国」で起こる地震と、ハイチで起こる地震に、自分は違う反応を見せていたのではなかったか。 128

 文学的重厚さのようなものをカケラも感じさせない軽さは一見、雨後の筍のように常時現れては消えていく直感系新人女性作家のそれを思わせるが、むしろその系譜にひそむ独特の訴求力を意図して利用する巧緻がある。テヘランに始まる履歴の利用も込みで今日日の純文学市場に適応した職業作家の一典型なのだなと。




6. 齋藤孝 『呼吸入門』 角川書店

 茂木健一郎や内田樹、勝間和代らと並ぶ老練テレビ知識人、というのが齋藤孝について抱いていたイメージだ。彼らに共通するのは、出す本の9割は他の本と中身が同じということで、残りの1割のなかにあるその雛形はそれなりに読む値するということでもあり、『声に出して読みたい日本語』はその代表だけれども本書はそれを凌ぐ雛形本なのではという気がした。(他知らないので知らない)

 この感覚は野口三千三も「おもさに貞く」と表現しています。重さを感じることが大切ですと。
 自分のからだの内側に閉じたものというふうにはしないで、地球の中心というものに開いていく。垂直な力の軸が自分の中心を貫いているとイメージする。 58-9


 腰肚、型の文化からこの文脈における日本の至宝たる野口三千三&野口晴哉へつなげる「呼吸」語りはサーベイランスとして良質、そこからコミュニケーション技術として「自分が能動的にやっている時は、むしろ受動的な感覚を開いたほうがいい」と述べ、《積極的受動性》=傾聴へとリンクさせる語り口の妙。

 学習とは、自分にとって受け入れがたいものに、自分を浸していくことによってずれを解消していくプロセスです。
 ()あるいは息をぐっと吸ってゆるく吐いて、一度自分の中にスペースを作れるか。 194-5


 それとは別に、例示にピカソやマイケル・ジョーダンなど大御所を並べるビジネス自己啓発系翻訳書にありがちな前半部から、自分語りで深部へといざなう後半への展開は、単純に巧いなとおもう。というあたりから、恐らく直に話したり、間近で話を聞いたりしたことは一度もない気がするけれど、実際面と向かうとまた異なる能力を発揮してくるひとなのだろうな、とも。
 
 バンコク会社在庫の一。




7. 会田誠 『カリコリせんとや生まれけむ』 幻冬舎文庫

 そこそこの長文を書いた。斎藤環の解説も込みで引用打ちもした。けれどなぜかテキストノートの保存が、ふぃるめも共々半日巻き戻っており、再度やる気力もなければ効力も薄く感じるため割愛。

 会田引用は、料理と味覚の関係性から展開する絶対音感ならぬ絶対三原色感覚からみる凡庸美術評論家の騙され具合をめぐるもの。→p205

 斎藤環解説引用は、ADHD“的”心性をもつ「星の子」の表現性における「抽象→順接」の特徴がもつ意味と効能をめぐるもの。→p269

 デスクトップPCは壊れており、ノートPCはこのザマで買い換えも厳しい。すべてがバカらしくなる。ができる範囲でつづける。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]




8. 趙怡華 『たったの72パターンでこんなに話せる中国語会話』 明日香出版社

 複数のルートで説得力のある推薦の仕方をされていたので試してみる。たしかにこれは使える。類書は多いが、そう感じられるものはあまりないので、章立てや例文選択が磨き抜かれているのだろう。これから中国語会話を学ぼうというひとには、本書+実践は良いかもしれない。良くないかもしれない。




9. 西川英智 『クイズで楽しく 地図帳と遊ぼう!』 文英堂

 地図記号クイズから始まるのだけど、かんがえてみれば刺股の消防署とかそろばん珠の税務署とか、受話器アイコンがわからないスマホ世代の上をゆく現役記号ってけっこうそこらじゅうにありそうだなとか。子供向けにもかかわらず、小学生の思考だとふつうに混乱を誘うだろう文章が散見され、著者の頭の硬さが惜しい一冊。
 海岸線の最も長い都道府県が、北海道でも沖縄でもなく長崎というのが一番印象的だった。たぶん小学生の頃には知っていた知識なんだろうけど。

 バンコク会社在庫の一。




10. ダービー・チェケッツ 『自分の人生にレバレッジをかけなさい!』 苫米地英人 訳 三笠書房

 副題は「このやり方で、伸びない人はいない!」。どんだけ欲張りタイトルさんなのか。で、原題はシンプルに"Leverage"。てか「苫米地英人 訳」も、タイトルみたいなもんですよね。本人に聞いたらふつうに「いや、名前貸したのも覚えてない」とか言いそうな。「~しなさい」系タイトルのビジネス自己啓発本が流行った時代、ありましたね。幻冬舎の女性編集者が最初の仕掛け人だそうだけど、今は何を仕掛けてるのか。

 敢えて特記するなら、精神力を物象化のうえ3種に腑分けしどうにかドライヴさせようとする泥臭さはちょっと良かった。SWの「フォース」になぞらえるネーミングとか、その厨二感って日本で言うなら武将や野球監督になぞらえる昭和のビジネス書的なかわゆさ。
  
 マザー・テレサのもとをやる気満々で訪れた医師が「あなたが使う予定の飛行機代や宿泊費を貧しい人に与えてほしい」といなされるくだり、マイケル・ジョーダンにインタビュアーが「いや110%の力とかいう問題でなく、必要なだけの力を注ぐことだ」とすかされるくだり、レイ・チャールズの母親が視力を失いゆく幼い息子を敢えて放置するくだりが面白かった。
 
 バンコク会社在庫の一。




▽コミック・絵本

α. 羽海野チカ 『3月のライオン』 10 白泉社

 メインストーリーの良さ巧さは言うまでもなく、一人また一人と打倒されてゆくベテランだが凡庸、地味だがいぶし銀の煌めきを具える棋士たちが相変わらずとてもいい。ほんとう、珠玉すぎてこのままいつまでも続いてほしいと思ってしまうが、この圧力は他タイトルへ移っても遺憾なく発揮されるだろうから悩ましい。




β. 松本大洋 『Sunny』 5 小学館

 主舞台である星の子学園の園内描写が煮詰まってきたこともあり、物語の方向性が一段と外へ向かうようになった。各々に事情を抱えるどの子であれ、外部社会との交接こそ最も重たいテーマとなるのは必定で、そこを支えるため学園の働き手たちの内面描写もいきおい密になる。佳境だ。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日追記予定 ]




γ. 石川雅之 『惑わない星』 2 講談社

 『もやしもん』のバケガク的アニミスム+スタニスワフ・ レム+艦これ、とは1巻メモ(よみめも41)での形容だけれど、考えてみれば英仏戦争舞台の『純潔のマリア』における使い魔も同様で、小さき者の異質の声を聴く、あるいは飼いならすことへの執着。とみれば、『惑わない星』で未出の“太陽”と、『純潔のマリア』で不出の“神”が重なる。ではその空虚な中心が『もやしもん』において何にあたるかを考える。“摂理”かな。科学ではないし、著者とみるのは無粋ゆえ。

 2巻単体では、アイデア勝負の新鮮さも過ぎ多少グダった感ありけり。これも『マリア』に重なるので、3巻でどう引きとるかに期待ですの。ま、このひとは描線の麻薬的な魅力が多少のグダリも打ち消すし、相変わらず妙な不思議を湛える作家だな。






 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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