pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
02月07日
23:11

ふぃるめも104 爆音メコン

 
 

 今回は2月8-9日の日本上映開始4作と、《爆音映画祭2019 特集タイ/イサーン Vol.3》上映7作の計11作を扱います。(含短編1作)


 タイ移住後に劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート[https://twitter.com/pherim]まとめの第104弾です。強烈オススメは緑超絶オススメは青で太字強調しています。(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)



■2月8日公開作

『ちいさな独裁者』

裸の王様ファシズム版。名もなき脱走兵がナチス将校になりすまし、次第に配下を増やして凶悪化する。実話ベースで、バレる瀬戸際で回避を重ねるスリルが毎度手に汗握る。望んで騙される人々の描写は『帰ってきたヒトラー』の風刺に通じ、ポスト・トゥルースの現代をも鋭利に貫く。

"Der Hauptmann" https://twitter.com/pherim/status/1088763858339061761

きのう公開の『ちいさな独裁者』、本国ドイツでは興味深いことに、日本と異なりモノクロームで上映されてたり。原題"Der Hauptmann"で画像検索し気づきました。ナチス軍装ほか美術入魂の作だけに、モノクローム独特の美しさと色彩の映えどちらも捨て難かったのかもですね。






『アクアマン』
期待値の斜め上ゆく快作。水中の利点を活かした、立体的に自在な魚類アクションが驚異的。アトランティス伝説を下地にたった一作でSF巨編級の世界観を創出し得たのは、『ソウ』『死霊館』連作をまとめ上げたジェームズ・ワンだからこそ。そしてきらめく海中文明都市の絢爛、眼福地獄。

"Aquaman" https://twitter.com/pherim/status/1080097000383627264

ジェイソン・モモアが『ジャスティスリーグ』から継続出演する2018年末映画『アクアマン』期待。海洋ファンタジーって単独だと凡庸にまとまりがちだけど、一連の流れからスピンアウトしてくると意外に突き抜けたりする。帆船物にも言えるし『モアナと伝説の海』がまさにそれ。

  『モアナと伝説の海』: https://twitter.com/pherim/status/805399342878101504




■2月9日公開作

『山〈モンテ〉』

イランの傑物アミール・ナデリ監督新作は、全編イタリア・アルプスでのロケによる、山と格闘する一家の物語。先祖伝来の土地を日陰に貶めてきた急峻との対決が何を象徴するかを問うのも野暮なほど、岩肌や瓦礫と直接闘う肉体の即物表現に圧倒される。ハマる人はドハマりする怪作。

"Monte" https://twitter.com/pherim/status/1092417047537963008

きのう日本公開の『山〈モンテ〉』、公開に併せアミール・ナデリ監督来日中との由。昨秋のTIFFで印象的な場面の一つが『エルサレムの路面電車』上映後Q&Aで、客席からナデリ監督が「この25年で最も新鮮」とアモス・ギタイ監督へエールを送っていたこと。共闘意識を感じました。

  『エルサレムの路面電車』: https://twitter.com/pherim/status/1067321916388560896




『ナポリの隣人』
元豪腕弁護士の独居老人が暮らす家に漂う、かつて家族と暮らした時間の残滓。引っ越してきた若い家族が蘇らせる色彩と、法廷通訳の長女が働く政府建物の醸す寒色空間との対比がナポリの街と人々の今を象徴する。移民を後景としゲニウス・ロキの気配に充ちた、この街ならではの秀作。

"La tenerezza" https://twitter.com/pherim/status/1090084081805578240




■爆音映画祭2019 特集タイ|イサーン Vol.3
 http://www.bakuonthai2019.com/

『暗くなるまでには』(ดาวคะนอง)
鬼怪作。1976年タンマサート大学虐殺事件を生きのびた女性作家に、若手監督が取材する冒頭からの飛躍が恐ろしい。訥々と語られる言葉が切り開く世界の実相、偏在しゆく己の相貌。並行世界展開を始める後半はまさに言絶、強いて言うならDNAの螺旋銀河を駆け上がる快楽。

"ดาวคะนอง" "Dao Khanong" "By The Time It Gets Dark" https://twitter.com/pherim/status/1089312170582564864

『暗くなるまでには』では、前半でいかにも本作の中心人物という存在感をみせる女性作家と女性監督の二人に対し、中盤以降次第に比重を増してくる謎の若い女性が出てくる。彼女は物語の各所で客室清掃係やウェイトレスなど端役として幾度も登場し続ける彼女が箒を持つ比丘尼となる。(画像)→https://twitter.com/pherim/status/1089322850446536704

『暗くなるまでには』の原題"ดาวคะนอง"はバンコク近郊の地名で、私的な話だが都心からバンコク拙宅と同方向にあり、何も特徴がない街並みが広がる。その凡庸さは物語の鍵でもなる。プロンポンのホテルやチャオプラヤ川などよく知る風景を、見たことのない角度から切り取る画自体に没入を一層誘われた感



『暗くなるまでには』Anocha Suwichakornpong監督トーク要約
 ・初めに固めた人物は、偏在する女性(前々ツイ)
 ・編集が秀逸
 ・原題Dao Khanong(ดาวคะนอง)直訳はwild starで地名
 ・フィルム時代の終わり(涙ぐむ)、軍政の抑圧
 ・1976虐殺、タイ公教育でタブー視。記憶に残す使命感




『ザ・ムーン』
プムプワン・ドゥワンチャンの生涯。タイ演歌ルークトゥンの女王に君臨するまでの紆余曲折、特に二人の師匠との関係性やドサ回りの生活描写が密で楽しい。夭逝へと向かう終盤の物語る力は、この半年ヒットしたどの洋物音楽映画にも容易に匹敵し、世界の真の豊かさとかしみじみ思う始末。

"Pumpuang" https://twitter.com/pherim/status/1089715901400666112

『ザ・ムーン』でもう一つ興味深かったのは、主人公の夢として幾度も「デュシタニ・バンコクで歌いたい」と語られ、ホテルの特徴的な姿(2019年1月に49年の歴史を閉じた)が登場すること。田舎者の歌と蔑まれたルークトゥンの女王が、上層階級の象徴であるその場所で歌う日を夢見たことの物語性。




『花草女王』
モーラム(タイ東北部イサーン伝統音楽)楽団の上京物語。歌姫とバンコク出身青年との恋路を軸に、文化ギャップで笑わせながらモーラム自体の多様性を見せつけ、首都で働く地方出身者から絶大な支持を得る過程を描く。ラストに響く虐げられる者への応援歌ですべてが昇華する光景は圧巻。

"Rachinee Dok Ya" https://twitter.com/pherim/status/1090456760542842880

ちなみに実話ベースの『花草女王』では、『ザ・ムーン』(前々ツイ)ヒロインのプムプワンがラスボスとして降臨し主人公と対決する。デュシタニ・バンコクを目指す上昇志向が歌詞や佇まいに表れギラつく悪女と化したプムプワン描写の、『ザ・ムーン』で描かれる少女の可憐さとのコントラストが面白い。

『花草女王』のタイトルは、石鹸会社主催の“妖精女王”を選ぶ人気投票で不正がありプムプワンに敗れた後の展開に由来する。冷戦下&ポルポト健在の情勢下、斑状にメコン・クメール域へ連続するイサーンの文化統合が人気投票で進む様に『民衆のミス・ベネズエラ』が想起された。

  『民衆のミス・ベネズエラ』: https://twitter.com/pherim/status/935855362909003777




『モンラック・メーナム・ムーン』
タイ最東部ウボンラチャタニーでメコンへと注ぐムーン河畔で繰り広げられる音楽活劇(音楽:スリン・パークシリ)。笑いあり泣かせありだがドラマより数々の音曲が前面に立つ構成で、終始ケーン(笙)の響きに身をくねらせ舞い踊る人々の熱気に酔いしれる。風土描写眼福。

"Mon Rak Maenam Moon" https://twitter.com/pherim/status/1091137149217337345

『モンラック・メーナム・ムーン』の舞楽行列が練り歩く場面で、踊り手の素朴な腕の動きに、タイ宮廷舞踊よりも琉球のカチャーシーや阿波踊りに不思議と親しさを覚えた。上映後トークでスリン・パークシリさんがサヨナラ~♪と歌い出すのを聞き、現代的混淆の古層に横たわる緩やかな連続性を幻視した。

『花草女王』(1986)での、モーラムの内なる多層性が次々に披露されるシーンに『モンラック・メーナム・ムーン』(1977)を継ぐ製作意図をみる。微細な差異が聴くうち次第に鮮明な輪郭をとりだす感覚に、町ごとに踊りが変わる『J:ビヨンド・フラメンコ』(邦題劣悪)が想起された。

 『J:ビヨンド・フラメンコ』: https://twitter.com/pherim/status/933686545524994049




『カンボジアの失われたロックンロール』
仏コロニアル&米カルチャー混淆の60年代カンボジアン・ロックシーンが放つ底抜けの明るさと、クメール・ルージュによるまったき断絶。歌い踊る若きシアヌークの無邪気さが散った後の凄惨と、失われた時代への憧憬を語る生存者達が見せる表情の明暗は忘れがたい

"Don't Think I've Forgotten: Cambodia's Lost Rock and Roll" https://twitter.com/pherim/status/1091600614633525248




『音楽とともに生きて』
クメールポップス年代記。カンボジア系米国人女性によるルーツ探しの旅を入口に、物語は黄金期の68年、圧制下の76年へと舞台を移す。各々仏米育ちという監督二人の痛切な想いが、ポップスと伝統を融合させたシーサモットの名曲群に宿り全編へ響き渡る。哀愁の映像美も印象的。

"In The Life of Music" https://twitter.com/pherim/status/1091898832055500800




『ラップ・イン・プノンペン』"RAP in Phnom Penn"
プノンペンのラップシーン潜入録。過去に見聞してきた“カンボジア”とはまるで異なる様相にめまい。『音楽とともに生きて』監督の代に始まるラップ集団KlapYaHandzが息子世代へ継承されスタジオも規模拡大中と、瀑布の勢いを感じさせる映像ルポは鮮烈。
"RAP in Phnom Penn" https://twitter.com/pherim/status/1093049182808494080

『ラップ・イン・プノンペン』は、20分作品がネット公開されていたようで、今回の爆音映画祭チラシにも同様の記述があったけれど、当日上映直前に40分の拡大版と告知される嬉しいサプライズ。“長い予告編”なのね。あとRT先@sakaganさんの東南アジア・ラップ連ツイ一読推奨。https://twitter.com/sakagan/status/1070118837280944128

空族『Rap in TONDOの長い予告編』の後継作とも言える『ラップ・イン・プノンペン』、発展途上のシーンの逐一で続きが気になる。↓RT先でツリー言及した他作同様、空族作は単体の完結性がどうというより、部分が全体を凌駕する万華鏡のような展開の予感が全編に充ちているなと。

  『Rap in TONDOの長い予告編』:
   https://twitter.com/pherim/status/842264915523993600




 

 爆音映画祭タイ|イサーン特集をめぐっては、後日もう少し追記ツイートする所存です。個別の作品はもとより、構成的にもすばらしい上映企画でした。

 



おしまい。
#ふぃるめも記事一覧: https://goo.gl/NXz9zh

コメント

2019年
02月08日
03:14

アクアマンで小学校の頃「アトランティスから来た男」というドラマがあって、手を使わずに体を上下させて泳ぐアトランティス人の泳ぎをみな真似したのを思い出しました

2019年
02月09日
13:13

ドルフィンキックみたいなものですかね。地底人がいるなら海底人も当然いるわけで、いつ起こるかわからない想定外の邂逅に備えあらゆる修練を積んでおきたいものです。(え”

2019年
02月09日
17:36

>あらゆる修練
「元特殊部隊エリート」ってのも必須教養ですよね

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