pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2019年
04月07日
13:19

よみめも50 半盲

 


 よみめも記事シリーズも、ようやく50回を迎えた。

 5年半前タイ移住を機に始めたのち、同時期スタートで映画を扱うふぃるめも記事群と2年ほどは量的にも併走。やや先行気味な時期すらあったが、いまや周回遅れである。ここから挽回していく、のかもしれない。先のことはわからない。

 さて今回から、本SNSともゆかりの深い物理空間である「美容室ATOM蔵書シリーズ」(写真2枚目↑)が加わる。本は単立せず、文字は情報ではない。ゆえ血肉となる。

  美容室ATOM蔵書をお譲り頂くの儀:
  https://twitter.com/pherim/status/1110465958060003328



 ・メモは十冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。




1. 『曹洞宗日課聖典』 八屋山普門寺

 無上甚深微妙法
 百千万劫難遭遇
 我今見聞得受持
 願解如来真実義


 広島市中の普門寺=吉村昇洋宅への何度目かの滞在時にいただいた冊子で、よく法事などで渡されるお経集の体裁として子供の頃から見慣れてきた外観のため、よくわからないけれど何か「そういうもの」として放置していたのだけれど、あらためて読んでみるとけっこう面白い。

 若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
 玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去
 雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散   
 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦   
 具足神通力 廣修智方便 十方諸国土 無刹不現身  


 いわゆる観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)の情景豊かな一節、ほぼ『ゲーム・オブ・スローンズ』だよね。以前から思想哲学書やノンフィクションの類を文学として読む性向があるなと感じてきたし、原詩にこだわる向きとの対比から言えば詩集など絵画のように観ているところがあるようだし、なんなら映画に物語が不可欠の要素とはまったく思わない人間なのに、お経はなぜか「お経」でありつづけてきたんだなと今さら気づく。もったいないのでは。

 摩醯摩醯唎馱孕。俱盧俱盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。娑囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。

 ひるがえって情景も意味もさっぱり浮かんで来ない一幕もあり。これはこれでなんか乙。唵。
 「大悲心陀羅尼」ってよくみる文字列(なぜだろう)だけれど、あらためて意識するに事態としてとっても不思議。
 それから巻末、「正信無常観」の結びが清々しい。

 心は高く真如の都に遊びて煩悩の塵垢に汚されず。気は卑く世間の衝に交わるも。本覚の霊光を昧まさず。顯には世人の為に愛護せられて。諸願速に成就し。幽には佛神の為に冥助せられて諸難漸く除き。自利利他円満具足して。可慶二世安楽の素懐を成就るものぞと。深く信じて安心決定すべきものなり。

 吉村昇洋和尚よりご恵贈の一書、感謝。




2. 柳宗悦 『蒐集物語』 中公文庫

 《柳宗悦の「直観」 美を見いだす力》展にあわせ通読。会場の日本民藝館にて読了。

  《柳宗悦の「直観」 美を見いだす力》展@日本民藝館:
  https://twitter.com/pherim/status/1108481936224219136


 宗悦著『蒐集物語』の章題作を包括する展示。機内で読み終えられなかった同著を、館内にて読了。良い時間だった。その後、月数度公開する西館(柳旧邸)の書斎で、居並ぶ蔵書を眺めているとなぜか高まるものがあり、急に涙ぐんでしまい困った。(続

 と呟いているが、そも感極まったのは本書の読了直後にその端源に触れた気がしたからだろう。没後整理の手が入っているとはいえ、息遣いが残る本棚だった。

 それはそれとして《柳宗悦の「直観」 美を見いだす力》展で良かったのは、キャプションや説明文が極力省かれたこと。公立では現状難しい思い切りだが、「直観」に沿うとても心地の良い試み。会場から言葉が減った余波で「手を触れないで下さい」の注意書きが強迫的に目についたのも面白い発見だった。

 柳宗悦は「直観」を主客未生の境地における「ものの統合的把握」(蒐集p242)とし、分析的理解としての「概念」と対置する。ぼくの「直観」定義は無意識に走る論理軸を重視するため始め違和感を覚えたが、「直観的基礎のある民藝論は一種の信仰的表現に近い」と続き逆に感銘。

  「イルカにはイルカのロゴスが恐らくあり~」直観と論理をめぐるアボリジニ連ツイ
   https://twitter.com/pherim/status/699843756556554240




3. 上妻世海 『制作へ』 エクリ編集部

 「注目の若手現代美術キュレーター」による初の理論書、のような触れ込みの一書。「キュレーション」「キュレーター」の語が、やや稚拙なデフォルメを伴いつつ人口に膾炙したのは実のところ佐々木俊尚が出てきて以降でそんなに昔のことではないのだけれど、1989年生まれの著者にとっては活動開始時すでに佐々木俊尚的「キュレーション」のニュアンスこそ正当という空気が醸成されていたはずで、本書タイトルの『制作へ』にはこのニュアンスに対する反駁の方向性をまず感じた。
 制作と理論の「言分け」上の境界が時とともに揺れ動くのは至極自然で、大きくとればゴシックからバロックへとか、ロマン主義の勃興みたいな変遷の一過程の中に今もあることを忘れがちな読者にこそ本書はことのほか効くだろう。

 つまり文字面の外皮を削り取った主張の中核はけっこうオーソドックスな芸術創作論なのだけれど、本書をそういう仕方で捉える批評なり書評なりは恐らく存在しないことも容易に想像される。ムーヴメントがあることこそ重要で、その中身など二の次なのが現状だからだ。しかしこの現代思想から文化人類学まで固有名詞を多用する衒学的な素振りが、本当に若い世代にウケているとすれば意外というか、もはやそういうことは実感できない立ち位置なんだなと感じた(収穫)。

 あと、表面的な論理化を拒む事象すべてに適用されるマジックワードとしての「身体」の使用、これは正直げんなり来る。この雑さは、人類学者の奥野克己に誘われボルネオ島へ渡航する前の文章における「マラリアとかで死ぬかもしれない場所に行く」といった物言いの雑さに通底し、いやまぁ今はそうでもこれから変わり得るし、けれど結局は都会っ子の上滑りこそ需要の本丸であるうちは変わらないのかも、など思う。




4. 井口淳子 『亡命者たちの上海楽壇: 租界の音楽とバレエ』 音楽之友社
 
  《新世紀の横光利一》展@日本近代文学館:
  https://twitter.com/pherim/status/1111069787503755264


 を観に行った流れから、「よみめも44 上海編」の連なりにあわせ、
 
  試写メモ54 「損なわれないもの、音色、傷痕。」: https://tokinoma.pne.jp/diary/3267

 へと至る過程で読む。直接的には映画『芳華-Youth-』(日本公開2019/4/12)における、文革期の軍歌劇団によるバレエと京劇とを融合させた舞踊場面をめぐる記述に活かせた。が、それ以上に上海租界往時の劇場模様や世界史スケールでの人的移動&相関が面白く、一気に読めた。というかAmazonから届いたのが締切日当日で、読むなら読み切る必要があった。そこで読了できないと、性格上いつまでもしない可能性に己が開かれてしまうからだが、こういうブースト読み(以前詳述)の機縁がもてる読書によってこそ日常を締めるべき、とも昨今おもう。ほんに。




5. アゴタ・クリストフ 『文盲』 堀茂樹 訳 白水社

 もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんな人生になっていただろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。 67

 世界的名声を誇る作家の自伝タイトルが『文盲』という、それも決して奇を衒ったり浅ましい逆張り狙いなどでは当然なく、文字通りに『文盲』となる経験こそこの人の作家としての起点であり、上記引用における孤独と分裂の契機であったこと。

 ベルリンでは、その日の夜、朗読の夕べが開かれる。人びとが集まってきて、わたしの声を聞き、わたしに質問を投げかけるのだという。わたしの本について、人生について、わたしが作家になった経緯について――。さて、人はどのようにして作家になるかという問いに、わたしはこう答える。自分の書いているものへの信念をけっして失うことなく、辛抱強く、執拗に書き続けることによってである、と。 83

 これは現状、Amazonでは起こりえない機縁でもありますのう。たまたま地元図書館の新着棚で見かけ手にとっただけの本だが、いやまぁ手に取るだけの理由はあったのだなと。東京に十数年も住んでいて、頭も良いのにいまだ日本語が読めない白人の知人とか、バンコク移住当初に知り合ったタイ育ちなのにタイ語読めない日本人とか、ずっと不思議だった。いまは実感をもってよくわかる。読めない日常に慣れると、いつのまにか引き受けちゃうんだよな、文盲である自分をね。




6. 西加奈子 『まく子』 福音館書店

 「サーイセッ!」
 ソウジはいつの間にか泣き止んでいた。ぼんやりと炎を見ていた。ぼくはその表情に見覚えがあった。上半身裸になって炎と戦っている男たちのことを、眩しく思っている顔だ。いつかぼくらが良を見ていたときのような顔をソウジはしているのだった。 125


 小学生たちが作った神輿を大人が壊し燃やす祭の過程で、子どもらが泣きだす場面の後半。思春期の芽生えをうっすらと感じさせるこの数行は悪くない。
 最近ちょくちょく読む西加奈子作品、海外にルーツをもつ自身の経験を基とする話が多いのに対し、本作『まく子』は少年が主人公。福音館書店刊だけあって文体も子ども主観へ寄せた、習作的要素が楽しめるものでした。(他作と比較するかぎり、本作の格落ち感は否めず。)

 慧は、どんどん、どんどん変わっている。
 だから見たいの。今の慧を見たい。見るだけじゃない。名前を呼びたいし、においを嗅ぎたいし、舐めてみたいし、触ってみたい。
 今の、たった今の慧に。」
 金玉は、これ以上ないほど熱くなっていた。その熱さでおかしくなりそうだった。 206


 本作の映画版試写を前に読む試み、でした。

 映画版『まく子』(ふぃるめも107)https://twitter.com/pherim/status/1105299196360310785

 なお装丁に蛍光塗料使用との由、画像検索で知るなど。
 →https://twitter.com/pherim/status/1106036992049967104(画像)
 



7. 畠中恵 『しゃばけ』 新潮社

 もっぱら背表紙でのみ存在を認識しているシリーズ物について半ば無意識に思うのは、「シリーズ化され絶版にもならず書店に並び続ける以上はそれなりに面白いのだろう、いつか読みたいな。」ということであり、しかし実際に読み出す例は不幸にしてほとんどない。

 『しゃばけ』は《しゃばけ》シリーズの第1弾ということで読み始めたが、読み終えるまで4冊で終わると思い込んでいたシリーズは現在13冊まで出ているらしい。それを知っていたら読まなかった公算は大きいし、そもバンコク会社在庫になければたぶん読まなかったし、在庫にあり1セットを自宅に引き取っても、バンコク宅そのものを引き払う段になるまで読み出さなかった。が、すこぶる面白い。

 なんだろうな。江戸の怪異物なんだけれど、描かれる物語の舞台が神田から上野までの、今日なら地下鉄千代田線の数駅に収まる範囲で完結していて、ミニチュアによるストップモーション劇を観るような箱庭的楽しさがたまらない。
 
 まあそういう面白さは続作でたぶんまた書き連ねるとして、こうしたとき思い至るのはようやく出逢った幸運であるよりも、いまだ出逢えてないあなた彼方のほうなんだよな。これ、なんだろうね。

 バンコク会社在庫の一。 




8. 松岡正剛 『多読術』 ちくまプリマー新書

 考えてみると、これまで読んできた松岡正剛の文章は過半がネット上の「千夜千冊」で、彼の編集による本は恐らくふつうに二桁は読んでいるだろうけれど、読了済みの単著となるとにわかには思い出せない。この思い出せなさと、自身の人文系知識人マッピングにおける松岡正剛の位置には、なにか近しいものを感じる。輪郭線の薄さというか、茫漠として個の表現性が放つ爆発力および泥臭さのようなものの無さ。

 とまれ“ATOM本”の読了第1冊には、松岡正剛こそ相応しいとの思いも手伝いまず読了。なぜならATOMの二人は濃厚な松岡フォロワーだからだ。内容は要するに、不可欠の滋養としての読書を説くもので、必然的に速読術や上滑りのコミュニケーション消費のための読書術や読書会の類はdisられる。

 美容室ATOM蔵書よりご恵贈の一冊、感謝。




9. 『CROSSCUT ASIA #5 ラララ♪ 東南アジア』 国際交流基金アジアセンター

 #4(よみめも40)のトーンダウンが残念だったこのシリーズ、第5弾は映画音楽に焦点化。まったく期待しなかったこともあり、けっこう読ませる記事多く良かった。『タレンタイム』(ふぃるめも59↓一部動画)の音楽監督ピート・テオやラヴ・ディアス関連記事、『僕の帰る場所』(ふぃるめも96)の監督・藤元明緒のヤンゴン上映レポなど。巻頭の細野晴臣インタビューがお飾り的で浅いのを除けば、むしろ文句のつけどころがない好企画冊子。無料配布ですしお寿司。



  本冊子取得機会となった『サイゴン・クチュール』上映企画
  《ベトナム映画の夕べ》連ツイ: https://twitter.com/pherim/status/1113775523161731074


  試写メモ24「霊性と情熱」: https://tokinoma.pne.jp/diary/2135

  試写メモ46「異境としての日本の孤独」: https://tokinoma.pne.jp/diary/3033





10. 藤田紘一郎 『ウンコココロ』 寄藤文平 画 実業之日本社

 すてきなウンコを持つ。
 それは身だしなみを整えるのと同じことです。 50

 
 ドクター寄生虫によるウンコ礼賛本。まぁ要約すると、バランスの良い食生活で良い人生を、という読む意味すらわからなくなる一冊だけれど、そこへと至るウンチくが面白い。
 寄藤文平による、ひところよく見たキャッチーなイラストも楽しい。なぜか英題もついていて(決して英訳されたりはしないだろうが)、“UNCOCORO for Natural UNCO LIFE”と。そう、UNCOの文字がそこらじゅうのイラスト内で国連機関かなにかのように踊っている。

 バンコク会社在庫の一。




▽コミック・絵本

α. おかざき真里 『阿・吽』1 小学館

 冒頭の数ページを読むだけで傑作と確信できる内容ながら、空海の野生性に最澄が侵食されている感じなのはやや気になる。それは1巻ではほとんどの紙幅が最澄に費やされていることの、時系列という以上の理由かなとも少し思える。けれどもそのため、この二人がありがちな対立軸では描かれないことは出会う前からすでに確定しているとも言え、次巻以降がとても楽しみ。
 とは言え、何年積ん読状態だったのだろう。仏教方向への読書が止まっているのと同様の兆候がマンガにも。




β. 五十嵐大介 『ディザインズ』 3 講談社

 神を志向し宇宙を目指すことによってのみしか、もはや自然へ還る術を失くした人間の愚かさ、という怪異を描くために怪異を描く、という作法。生物化学兵器ではない人造生物兵器を操る穀物メジャー・サンモントが宇宙開発を志向することは『ウムヴェルト』(よみめも38)に描かれる通りだが、現実のモンサントがアフリカ内陸で行っていることが、これより怪異的でないとは誰にも言えない、本人たちすら恐らく知らない、ということの人間性など想う。いやこれ世に正当な評価を受けるのは、きっとまだ先なんだろな。

 旦那衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日詳述 ]




γ. 森秀樹 『墨攻』 1-11 酒見賢一 原作 小学館 [再読]

 春秋戦国末期を駆ける墨者・革離の物語。雑誌連載時、父の枕元から盗み読み出逢った作で、成人後一度どこかで通読はしたものの、後半の展開はうろ覚えな部分も多く楽しめた。「墨攻」というタイトルのカッコよさ以上の巧さ(語呂とニュアンス、墨者が攻める/墨家が攻める/墨家を攻める)には初めて思い及んだ気もする。稲作はいやもっと前からとか、その舟で日本へは渡れなかろうみたいな、今日の作品とは詰めの観点がそもそも異なるのかも、など思う。

 森秀樹、駿河城御前試合の漫画版描いてるのね。面白かるべし、いずれ読まん。

 バンコク会社在庫の十一。 


 

σ. 松本大洋 『竹光侍』 1 永福一成 原作 小学館

 至近のよみめもで各回扱ってきた『Sunny』と『竹光侍』の執筆順序を間違えていた。『竹光侍』のほうが先、つまり『ナンバーファイブ 吾』の次に描かれた作品。が、原作ありの昼行灯侍というのは、すこし不思議な気もする。

 細部については2巻以降のメモで触れる。しばらくは日本滞在中の寝床にて、夜ごと一編ずつ読み進む感じになりそう。タイで読みだした畠中恵『しゃばけ』シリーズにダブり、主人公が凄味だす場面の物の怪感高まる。






 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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