今回は6月14日の日本上映開始作と、特集企画
《アテネ・フランセ シネマテーク 映画の授業》上映作品から10作品を扱います。(含再掲1作)
タイ移住後に劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第115弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■6月14日公開作
『ハウス・ジャック・ビルト』
ラース・フォン・トリアー監督新作は、シリアルキラーによる現代版ダンテ
『神曲』地獄篇。途中退席者数で過去作を凌ぐ事態すら想像される反倫理展開の暴風雨。引導役にブルーノ・ガンツ&グールド擁し、#MeToo どこ吹く風でこのまま行くぜってなトリアー流の信仰告白作。
"The House That Jack Built" https://twitter.com/pherim/status/1137909374318342150
『The Crossing ザ・クロッシング Part Ⅱ』
後編は、巨大客船・太平輪号の沈没を仔細に再現。
『タイタニック』が露骨に意識されつつも、運命的に乗り合わせた人々を好演する金城武やチャン・ツィイーらの躍動にジョン・ウー演出の冴えをみる。乗船してない長澤まさみのやや強引な再降臨が微笑ましい。
"The Crossing 2" "太平輪 彼岸" https://twitter.com/pherim/status/1139370996043931650
前編『The Crossing ザ・クロッシング Part Ⅰ』tweet(ふぃるめも114):
https://twitter.com/pherim/status/1136965632769966081
試写メモ62「ここではない、どこかへ」: https://tokinoma.pne.jp/diary/3343
『旅のおわり世界のはじまり』
黒沢清新作は、全編ウズベキスタン撮影の奇想映画。マーケットを疾駆し草原でハッスルする前田敦子の存在感が情景に終始拮抗し、ふと迷い込むナヴォイ劇場で始まる内面への潜航から、黒沢映画十八番の不穏さが頭をもたげる構成の秀逸。遠く響く東日本震災への応答に戦慄。
https://twitter.com/pherim/status/1138629488630124544
試写直後ツイート:https://twitter.com/pherim/status/1120250856341786629
『旅のおわり世界のはじまり』中盤の“本当の夢は歌手だが歌えない”という一幕は前田敦子でこそ光る場面で、その場がウズベキスタンであることの「遠さ」が逆に活きる。これは震災への言及にも言えることだけれど、敢えて最大限の距離をとることで、弓弦のごとく正鵠を射抜く鋭さに黒沢清のキレを看取。
『パージ:エクスペリメント』
“パージ”シリーズ4作目は、政府に封鎖されたNYスタテン島の貧民区で、KKKを偽装する謎集団に黒人ギャング達が立ち向かう。弱者排斥の頽廃描写でトランプを風刺した前作の流れから、黒人若手監督を起用した本作はさらにキレを増す。主演女優&男優のシュッとした顔立ちに見惚れた。
"The First Purge" https://twitter.com/pherim/status/1139003294154539008
※ふぃるめも94 改変
18年夏の鑑賞時ツイート(atバンコク):https://twitter.com/pherim/status/1031846786061676544
「シュッとした顔立ち」という形容で済ませてますが、これ人物描写に限らず情景中の煙の使い方とかね、どこか
『ムーンライト』や近年のLGBTQ秀作映画群に通じる美学を感じとり、その点が前作までのジェームス・デモナコ監督の手つきと一番違うなと。ジャンル的に勘違いかもしれませんが、いずれ判明することもあるやと覚え書きまで。
毎年ひと晩だけあらゆる犯罪が合法化される並行世界の米国描く“パージ”シリーズの4作目
"The First Purge"が、
『パージ:エクスペリメント』の邦題で6月日本公開との情報確認。ミニシアターかDVDスルーかと思いきやTOHO全国公開と。ちな脚本は1~3作監督&脚本のデモナコ続投。
『The Purge』:https://twitter.com/pherim/status/369087402582614018
監督James DeMonacoが密室劇の前作で評価を固め、より大掛かりな製作環境を得る過程はいかにもな新進気鋭ぶり。地力を感じるし、イーサン・ホークが下駄を履かせた意図も納得。
『The Purge: Anarchy』:https://twitter.com/pherim/status/525200363003985920
■《アテネ・フランセ シネマテーク 映画の授業》@アテネ・フランセ文化センター
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/lc/lc2019.h...
『光と影のバラード』"Свой среди чужих, чужой среди своих"
ロシア革命後の内乱期の、果てなき草原を舞台に繰り広げられるソ連期ボルシチウエスタン。赤軍兵士の護る金塊を狙い、白軍騎馬隊や無政府主義ゲリラが入り乱れる。西部劇ながら荒々しさより美しき友情が賛美され、BL的耽美さえ際立つニキータ・ミハルコフ監督長編第1作(1974)。
"Свой среди чужих, чужой среди своих" https://twitter.com/pherim/status/1138383219655495682
『砂漠の白い太陽』"Белоесолнцепустыни"
砂漠のただなかで、悪党一味から囚われの女たちを守る羽目になるぐうたら親父のハッスル譚。中央アジアの白い砂漠と青い水面との対照は鮮やかで、助太刀役や脇役含め、登場人物みなが不思議な魅力を湛える。孤立無援下での奮闘に謎挿入される白昼夢も印象的な秀作ボルシチウエスタン。
"Белоесолнцепустыни" https://twitter.com/pherim/status/1141527807199027200
『アメリカン・ストーリーズ/食事・家族・哲学』
ニューヨークへ移民してきたユダヤ人たち個別のエピソードを、ユダヤ人俳優が各々演じる。フィクションにはなり切れてない画面の不思議な浮遊感が故郷喪失の語りへ重なり、ドキュメンタリー性の際を考えさせる。シャンタル・アケルマン監督1988年作。
"Histoires d'Amerique: Food, Family and Philosophy" https://twitter.com/pherim/status/1142985895873658881
『東から』"D'Est"
ソヴィエト崩壊後の都市を、すべるように水平移動する画面が捉える日常の青色世界。やがてカメラは暮らしの諸相を映しだす。その静謐。一切の言葉なくこれほどに多くを語る2時間を他に知らない。あとに訪れた余韻が帰宅電車の窓景を深化させていた。シャンタル・アケルマン監督1993年作。
https://vimeo.com/162586239
"D'Est" https://twitter.com/pherim/status/1152069449572216832
『インディア・ソング』
マルグリット・デュラス監督'74年作。自身の小説『ラホールの副領事』を基に、大使館邸での愛と狂気の物語を描く。退廃的倦怠うずまく副領事の軸とは別に、“徒歩で逃れてきた女”の部分的に意味まで聴き取れるラオ語が、植民地様式の邸宅へ響くことの(私的)異化効果に驚き通し。
"India Song" https://twitter.com/pherim/status/1153910956478455811
『ヴェネツィア時代の彼女の名前』
マルグリット・デュラス
『インディア・ソング』('74)の音声をほぼそのまま使用し、舞台となった邸宅の廃墟化した現在を映しだす1976年作。続けて観たためか、無人の廃墟に響く役者達の会話が幽霊的なのに、とても新鮮に感覚される。予想よりずっと密で濃い映画体験。
"Son Nom de Venise dans Calcutta Désert" https://twitter.com/pherim/status/1154731771772076032 https://twitter.com/pherim/status/1153910956478455811
以上6作は、特集企画《アテネ・フランセ シネマテーク 映画の授業》にて鑑賞。それにしても、マルグリット・デュラス回などほぼ満席なのには驚いた。あと、観たあとでは必見と感じられる作品なのに、未見のままでいる作品の多さにいつまでたじろぐのだろうとか。いつまでも、なのだろうけど。
余談。
マルグリット・デュラス監督作
『インディア・ソング』("India Song" 1974)の原作は、アテネ・フランセのHPでも
『ラホールの副領事』("LeVice-consul" 1965)とされているけれど、デュラスの著作としては別に
『インディア・ソング』("India Song" 1973)がある。こちらは舞台/映画用の脚本という形をとった著作で、同年出版された“
『ガンジスの女』("Natalie Granger,suivi de La Femme du Gange" 1973)なしには成立し得なかった”と書籍版
『インディア・ソング』の冒頭部でデュラス自身が述べている。
デュラス『ラホールの副領事』(よみめも53): 後日追記
デュラス『インディア・ソング』(よみめも54): 後日追記
映画・書籍ともに登場する、「延々と西へカルカッタまで歩いてきたインドシナの女」は書籍版ではカンボジア出身とされ、滋賀における琵琶湖の存在と線対称を成す(?)トンレサップ湖も語りに登場するが、映画ではラオス出身と語られていた気がする。部分的に意味まで聴き取れた台詞もあるからおそらくラオ語だったはず(タイ語との距離はクメール語より数段近い)だが、おもわぬタイミングでそうしたフレーズが飛び込んでくることの違和感はなかなか凄かった。
この違和感には、バンコクでの時間と東京での時間とを根本的に切り離されたモードの下で息することに慣れた身体感覚が関与すると思われる。しかし日本で不意にタイ語を聴き取る頻度はこの6年で桁違いに増えたから、こうした感覚もまた一過性のものとなるのだろう。東京が、“体感の東半分”へと遷移した歳月の。
有限の時間をそうした感覚経験とその吟味に費やしていることの意味はよくわからない。
おしまい。
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