↑漫画喫茶@新宿。漫喫の進化に感心。検索機の快適さとか、飲み物の豊富さとか。
・メモは10冊ごと、通読した本のみ扱う。
・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。
・感じた面白さのみによる10段階評価。
※詳細は「よみめも 1」にて→ 後日掲載&URL追記予定
1. 柳田聖山 梅原猛 『仏教の思想7 無の探求<中国禅>』 角川文庫ソフィア 〔7〕
禅と聞けば多くのひとがまず石に座しての達磨大師や、チンプンカンプンの代名詞でもある禅問答の語をイメージするだろうけれども、さてその中身についてどれほどが周知されているのだろう。ぼくはといえば、たとえば永平寺の厳しい修行僧の生活だとか禅画の類、岩波文庫のとても薄いのに颯爽と読むのを拒んでくる臨済録や碧巌録くらいしか思い浮かばない。
本書によれば仏教のインドから中国への伝播の過程で、道家との絡まりによって神異など超越方向へ振れ形を成したのがその発端で、これにより論理展開よりも身体的認知を尊ぶ性格が生じたらしい。『維摩経』において維摩が
「三界(現実的な欲望と物の形と、形のない世界)のうちにいて、身と心を現さぬのが、宴坐(安らかな瞑想)である」 p.79
と主張するくだりがあって、この宴坐はそのまま坐禅のことを指すとの由。「身と心を現さぬ」、つまり瞑想は林の中で身や心を静かにおさめることではなくて、
「形のある世界、および形のない世界の、いっさいのところに、どこにも身心を現さぬこと」 p.79-80という記述が興味深い。森林瞑想はいいところまで行きやすいのだけど、それにかまけてもダメなんだよね、とは去年の一時出家中タイのお坊さまにたしなめられたことの一。
禅で説くのは、道徳性の教えではない。むしろ、道徳を超えた自由な心をもつことを禅は教えるのである。五祖が、この偈を、「この偈によりて修行せば、即ち堕落せず、この見解をなして、若し、無上菩提をもとめば、即ち未だ得るべからず」といったのは、道徳性の限界を指摘したからである。 p.293
宋密『禅源諸詮集都序』解説部
(p.157-)の南宗禅における二つの立場の腑分けなどは手つきがとても鮮やかで、およそこの身に考え得ることなどすでに考えられているという自明の事実をどうしてこうもとぽややんとした心地に浸る。
「もし修行して仏を求めようと思うなら、仏は生死の迷いのはじまりだ」(p.183) 御意。
あらゆるものにとらわれない自由な心のあり方、それが慧能の思想の中心である。
このように、人間の自由を主張するとき、なによりここで、対象的な仏が否定される。仏というもの、それは、この自己であり、自己の中にある法身仏をのぞいて、何があるか。 p.297
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日掲載&URL追記予定 ]
2. 高村薫 『晴子情歌』 下 新潮社 〔9〕
誰もがまるで膿んだまま永遠に破裂しない腫瘍のような隠微さだった。 p.136
膿んだまま、永遠に破裂しない腫瘍のように隠微なこの一篇。
初めて眼球に沁み透らせたその海の光の粒は、一つひとつ爆発しそうな熱をもって眼窩の奥深くへ、脳髄へと達して集まり、溶け合い、共振しながら、種々の神経や物思いの層を溶かしだしていくように感じられた。そのとき彰之は、生物が生きるのに必ずしも必要でない感情や言葉の、大部分を溶けださせた後に残る生命の明快さといったことを考え、そんなものこそ幻想だと言う理性もいま少しで蒸発しそうだと感じながら、少なくともいまよりは身軽で透明であるに違いない地平を当てもなく待ち望んだのだ。なるほど十九年夏、前線へ赴く足立は先ずあの南シナ海の白熱を見たのか――――。 p.104
それからまた私は夜明けまでざわ々々ひう々々鳴りわたる風音を聞き續けましたが、そのときの私の半睡の身體も、あるいは淳三が云ふ生命の集中に一寸近いものだつたか。何一つ思ひ巡らさない生命の輕いと云ふよりは茫洋とした薄明るさが私に教へるのは、細胞一つの營みの單純さ、規則正さ、緩慢さと云ふものです。またこゝに横たはる私のなかで、生命は私がわざ々々時計を持ちだしてその時間を計ることもない、この意識で知る必要もない或る集中、或る無限や極限、或る靜止と云つた豫感だけ呼び覺まし續けるのですが、生命がさう云ふものであるなら、この私の意識や感情も同じやうに無限定で無明であってもいゝ。そんなことも考へてみた昨晩でした。 p.349
3. 富永智津子 『ザンジバルの笛 東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化』 未來社 〔10〕
本書をベースとするツイキャス放送
by ふぇりむ:
http://eurasia.yallow.info/archives/373
関連過去日記「インド更紗とモンスーン貿易風 補記」: 後日掲載&URL追記予定
4. 森下ヒバリ 『タイのお茶・アジアのお茶』 ビレッジプレス 〔8〕
かわいらしい装丁や簡潔なタイトルからは、よくある癒やし系紀行ガイドの印象を受けるが、その中身は意外や意外、タイ文化と茶の交接を軸にかなりのハードモードで深い歴史考察や鋭い文化批評のひしめく好著だった。なかでも現中国雲南省の西双版納をめぐる記述は、茶を起点に置いた他に類のない視座からよくまとめられており、刮目。
本書を主な底本に、そのうちツイキャス放送を行う所存。本書の内容についてもその折にあらためてより詳しく書く予定。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日掲載&URL追記予定 ]
5. 川内有緒 『バウルを探して 地球の片隅に伝わる歌の秘密』 幻冬舎 〔9〕
ベンガル地方に伝わる、知られざる吟遊詩人の文化。彼らはロマのような民族ではなく、カーストにより固定された被差別民でもないが、土地をもたず流浪する旅芸人の側面をもつ。国連職員であった著者が、本部での事務仕事に没頭する日々に疑問を抱いて退職を決意したあと、ふと思い起こされたのが彼らバウルの存在だった。バウルの生態と現状に、著者自らの足で迫る好著。
バングラデシュ農村部の描写も素敵。
入れ物である肉体(鳥籠)はいつか壊れて、鳥はどこかに飛んで行く。
私たちは、知らない。鳥がどこへ飛んでいくのか。
知らずに、その瞬間までのいくばくかの時間を生きる。メラで会った若者の言葉を借りれば、人類のグレートジャーニーのほんの一瞬を。そこをどう駆け抜けるかは、自分次第だ。お腹が出たグルは、気持ちよさそうに歌い続けた。それは、原理主義のグルらしい、ハルモニウムも派手なドラムもない素朴な歌だった。裏の田んぼからは、柔らかな風が吹き続けていた。 p.275-6
6. 中島マリン 『タイのしきたり』 めこん 〔7〕
同著者によるタイ文字テキストが秀逸だったので、他の著作にも関心をもったのが読んだきっかけ。タイ日本ハーフに生まれ、両文化に深く精通する著者ならではの視点が面白く多々参考になった。とはいえタイ文化への言及は広く浅くまとめられているため、すでに二年住んでしまったぼくには既知の事項が多かった。それよりもタイとの比較で語られる日本文化や現代日本人の性向への批判的視線が興味深く、かつそのほとんどに同意できた。自分たちがそうと気づかず人種差別の眼差しをもつことに無自覚なのはそう珍しくもないけれど、どちらかといえば日本人は無自覚すぎる部類に入る。
また明治以降《お上の意識》が内面化され規律化されてきた日本人と、仏教的規範が今も統治の論理をしのぐタイ人とのコントラストに言及する箇所も秀逸。言うまでもないことだけれど、法治国家に暮らす個人の意識としてどちらが優秀という話にはまったくならない。東南アジア人の倫理をテキトーと評する日本人がたまにいるけれど、視野狭窄的な教条に縛られたこの無神経さは率直に言ってキモい。異文化圏にあってはこうしたあたりをゆったり踏まえて渡り合うのでなければ、嫌中嫌韓の類と論理構造的に大差ないのだけれど、そもこのような視線のアンフェアぶりこそがたいていご当人の無自覚さに由来するので救いはない。もちろん嫌中嫌韓なりの正義を前提しない蔑視もまた構図的には同様で、けれどぼく個人はごめんまったく興味がない。という自戒をこめて。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日掲載&URL追記予定 ]
7. フォークナー 『死の床に横たわりて』 佐伯彰一 訳 講談社文芸文庫 〔6〕
短編以外のフォークナー作品を読み通したのは、たぶん初めて。バンコク都心のDVD屋で、本作原題タイトルの"As I Lay Dying"を見かけて興味を持ったのがきっかけ。原作は1930年著だが、DVDで売られていた映画作品は2013年の製作。
ジュエルとヴァーノンはまた河に入った。ここから見ると、上半身だけ無暗と滑稽なほど、しずしずと動いているといった具合だ。まるで長いこと、見慣れ、耳に慣れてしまった後の機械みたいに、穏やかに見える。まるで、人間のからだという魂が、とけて無数の運動そのものと化し、見る力、聞く力までが、無力になって、怒りそのものも澱んで静かになってしまったみたいだった。しゃがんでる、おれたち三人の空ろになった眼には、デューイ・デルの濡れた着物が、大地の地平線や谷間を思わせる、あの哺乳類の滑稽な形をえがき出していた。 p.175
フォークナーだけではない。あらかじめ「文学の巨匠」というイメージが刷り込まれている多くの未読作家のうち、20世紀の作家はともあれあと回しにする傾向が自分のなかにあることに、いまさら気がついた。あまたあるなかでは、19世紀以前のもの、つまりこの自分からなるべく遠い作品の優先順位が高くなる。だがしかし。機縁が機縁だったとはいえ、持っていたイメージとはだいぶ異なる読後感には少し驚く。このデカさはむしろ遠い。なんだかなぁ。
その時のアンスには、自分がもう死んでいることが判っていなかった。時折り、私は暗闇の中で、彼のそばに寝ていて、今は私のいわば血肉のものとなった土地の音を聞きながら、考えたものだった。(略)アンスという名前のことを考えているうち、しばらくすると、名前が一つの形、一つの容器に見えてきて、じっと見守っているうちに、アンスが液化して、容器の中に流れこみ、まるで冷たい糖蜜が暗闇から容器の中に流れこむみたいに、瓶はいっぱいになって、じっと立っている。戸の枠に戸がはまってないみたいに、意味はありながら、まるで生命のない、ただの形。(略)で、キャッシュやダールのことも、そんなふうに考えて、二人の名前が死んでしまって、ただの形になり変わり、やがて消え失せていった時には、私はいうのだった。ああ、いいわ。どっちでもいいの。何と呼ぼうと、どうだっていいの、と。 p.184-5
ちなみにDVDはもたもたしているうちに店から消えてしまった。こちらは正規DVDも安いし買うべきだったのだけれど、日本語字幕がないため文芸系映画はちょっと躊躇しちゃうんだよね。後悔先にたた呪。
8. ブッサバー・バンチョンマニー他 『タイ語レッスン初級1』 〔4〕
二年前にさらっとやりかけた本書、もったいないので今度はタイ文字による文章部も込みで通読を試みた。正直に言って、タイ人講師なりタイ語話者なりに書かせたり、監修させたりしさえすれば良いテキストができるかと言えばそうも言えない、の好例が本書。初学者には何がわからず何が迂遠かがわかってない感がものすごく、せっかく見栄えは良いのに粗雑感が拭えない。編集者の熱意に欠ける感じというかたぶんリサーチされてない。まぁこの水準であれ何であれ、音声付き+お手頃価格で商品化されていることそのものはありがたいのだけれど。
9. 水野潮 『タイ語の読み方 書き方』 Aree Books 〔3〕
「水野うしお」名で同出版社から出ている『タイの常識・非常識』
(よみめも17→ 後日掲載&URL追記予定)と同著者。「やさしく、わかりやすい」と表紙で強調されているぶんだけ、初学者にとってはむしろ悪書の部類に入るかもしれない。タイ語話者の日本人にとっては要素ごとによくまとめられ、一覧性も高く基礎事項の細部を確認するのに良い一冊かもしれない。声調と頭子音と末子音の相関に関するパートなどは、ロジカルで簡潔なまとめ方は他になく秀逸。しかし初学者にはおそらく意味不明に映るはず。
10. 旺文社ムック 『もう迷わないチョコレートの本』 旺文社 〔4〕
ある友人の仏さまが、現代的「女」性から繰り出される畏るべき三種の神器として「連ドラ・ブランド・スイーツ」をよく挙げるのだけれど、本書はうちスイーツの核心たるチョコレートに、おフランスの有名店&有名シェフというブランド力を掛け合わせたICBMも顔負けの一冊。
とはいえページ数でいえばメインは日本各地の洋菓子店紹介であり、おフランス感を気取るためか横書きデザインが目立つ構成なのに、なぜか右綴じ。という、ここらへんがターゲット的に正しくもつつましくまたかわいらしい。
▽コミック・絵本
α. 荒木飛呂彦 『スティール・ボール・ラン』 19-22 集英社 〔9〕
β. 羽海野チカ 『3月のライオン』 6-10 白泉社 〔10〕
γ. 冨樫義博 『Hunter x Hunter』 32 集英社 〔10〕
δ. 諫山創 『進撃の巨人』 8-16 講談社 〔7〕
ε. 花沢健吾 『アイアムヒーロー』 10-16 小学館 〔10〕
ζ. 森恒二 『自殺島』 8-13 白泉社 〔5〕
η. 王欣太 『達人伝』 1-2 双葉社 〔8〕
θ. 井上雄彦 『バガボンド』 33-36 モーニングKC 〔9〕
ι. 伊藤悠 『シュトヘル』 5 小学館 〔4〕
κ. 雲田はるこ 『落語心中』 3 講談社 〔6〕
λ. 東村アキコ 『かくかくしかじか』 1-2 集英社 〔8〕
μ. 沙村広明 『べアゲルター』 1 講談社 〔7〕
ν. 岡本健太郎 『山賊ダイアリー』 2 講談社 〔5〕
ξ. 吉田秋生 『海街diary』 5-6 小学館 〔7〕
ο. 坂本眞一 『イノサン』 1 集英社 〔3〕
π. 森薫 『シャーリー』 1 エンターブレイン 〔7〕
ρ. 三浦建太郎 『ギガントマキア』 白泉社 〔9〕
σ. 太田垣康男 『MILE』 14 小学館 〔6〕
一時帰国中、都心の漫画喫茶に都合3泊した折まとめて読んだ。毎度終電で帰るのが面倒とか自分に言い訳しつつ泊まるのだけれど、至福の時間。いあこの時代この国に生まれて良かったと思える理由の小さくない一。ガチだよ。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
#よみめも一覧: http://goo.gl/7bxPft
コメント
08月31日
16:45
1: コズエ
コミックの半数近くがワタクシも大好きな作品です。
「俺物語」と「セトウツミ」もぜひ。
「タイのしきたり」読んでみたくなりました。