今回は緊急事態宣言下の非常時回、恵比寿映像祭およびクルグズ映画特集上映作と、日本未公開作などから10作品を扱います。
タイ移住後に始めた、劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第137弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■第12回恵比寿映像祭上映作
https://www.yebizo.com/jp/
『クラビ、2562』“Krabi 2562”
タイ南部の観光地クラビを舞台に、古い映画館からタイ版もののけ姫伝説残るプラナン洞窟を経て先史時空との混淆へ。ベン・リヴァース&アノーチャ・スウィーチャーゴーンポン共同監督作。上映主催的に前者推しだが、私的にはアノーチャ期待満々で臨み拍子抜け。華僑タレントの浮世感笑う。
"Krabi, 2562" https://twitter.com/pherim/status/1234424207401816064
“Krabi 2562”のタイ人女性監督Anocha Suwichakornpongを巡る、怪作
『暗くなるまでには』(ดาวคะนอง/Dao Khanong)ツリー紐づけ。当ツイ機縁に論創社『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯』で彼女の頁を担当させていただきました宣伝乙。あとアノーチャの他短篇作群に比べても、ベン・リヴァースの恵比寿映像祭出典他作に比べても、目立つのはクラビの小粒感。
『暗くなるまでには』連ツイ:https://twitter.com/pherim/status/1089312170582564864
■上映特集《キルギス(クルグズ)映画の過去と現在》アテネ・フランセ文化センター
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/ki/kino2s.h...
『赤いりんご』“Кызыл алма”
キルギス映画。水兵姿の若き主人公テミールによる街で見かけた女性への思慕と、家庭抱える中年画家テミールの鬱屈。街角尾行や馬上の目配せ、レナ河での船上結婚式など水平に流れ続ける映像が、叙事詩マナス語りやシベリアにいる妻映すTV映像時のみ静止する象徴性。トロムーシュ・オケーエフ監督1975年作。
"Кызыл алма" "Красное яблоко" "The Red Apple" https://twitter.com/pherim/status/1236223737709481985
アテネ・フランセ文化センター上映特集《キルギス(クルグズ)映画の過去と現在》へ少々無理押しでも行かねばと思ったのは、2年前に観た草原遊牧映画
『馬を放つ』のなかで、今はモスクとして使われる旧映画館建物の元映写室扉に
『赤いりんご』の古いポスターが貼られたまま登場する場面があったから。
『馬を放つ』:https://twitter.com/pherim/status/974567944469454849
気になっておくものだねと。観られて良かった。
『白い豹の影』
18世紀キルギス、天山山脈に暮らす白豹族の一代記。自然崇拝や掟と懲罰、浮気や裏切りの生々しい描写にもまして、人が走るまま雪崩に呑み込まれたり馬と崖から落ちたり、なにげなく雪豹まで登場してもう、うなるしか。旧ソ連圏映画に散見される“規格外”作品の極ゆくオケーエフ’84年作。
"Ак илбирстин тукуму" "Потомок белого барса" https://twitter.com/pherim/status/1239158847303892992
『白い豹の影』は、馬や驢馬から駱駝まで登場し動物映画の趣向も深いのだけど、殊に鮮烈なのがクルグズ語原題“Ак илбирстин тукуму”(ユキヒョウの子孫)採用もされた雪豹による威嚇の一閃。コムズ奏者ウメトバエワさんへ尋ねると、一帯で聖獣視&国章化されてる由。検索してWow!
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-uz-samarkand2e3.htm...
『白い汽船』
イシク・クル湖畔の里山に暮らす少年は想像力豊かに駆け回り、遠く湖面へ浮かぶ汽船に父の面影をみる。婿の暴虐に苛まれる祖父の苦悩が少年の孤独に重なる中盤から、母鹿伝説の大地が近代論理に駆逐されだす本作の底部に木霊する、滅びゆく者らのうめきに耳を澄ませる。キルギス映画’75。
"Белый пароход" "Belyy parokhod" "The White Ship"
『白い汽船』から想起された映画中の2作言及。まず欲望の塊=貪獣と化す婿に、南インド・マラヤーラム映画の問題作
『水の影』“Shadow of Water”の圧倒的暴虐漢。
→https://twitter.com/pherim/status/1201345451598893056
そして翁&孫の鉄板なごみ構成に
『独裁者と小さな孫』。名匠マフマルバフによる全編ジョージア語映画。
→https://twitter.com/pherim/status/686833749376413696
『樹の詩』(2018)
18世紀天山山脈麓の村を舞台にマナス英雄叙事詩を翻案した、クルグズ(キルギス)語による初のミュージカル映画。語り口や画作りが陳腐で退屈ながら、自然は雄大で色鮮やかな衣装も眼福。高島兄弟のような主人公に武術を伝授する流浪のスナフキン親父と、天幕設営の場面は良かった。
"Дарак ыры"
マナス通読ツイート:https://twitter.com/pherim/status/981845944097320960
アテネ・フランセ文化センターでの上映後シンポにて、解説&コムズ演奏。後日追記。
■日本過去公開作(含国内映画祭上映作)
『ファンタズマ』“O Fantasma”
リスボンでゴミ回収員として働くゲイ青年の、性衝動に貫かれた日々。奇天烈な行動やグロテスクな性描写が続くのに、不思議と生理的嫌悪も興奮も起こらずただ“感触”だけを受けとる。全てを舐め回す舌先の触覚、疾走する回収車のまとう風の圧力にも共振する表現の貫通力に心のけぞる。
"O Fantasma" https://twitter.com/pherim/status/1247000073000480768
あとラストのキレが無茶苦茶良い。このキレを活かすための90分にわたる溜めだったと告白されても充分納得。
■日本公開未定作(含国内VOD公開/DVDスルー作)
“The Awakening of the Ants”
若い母親の穏やかな覚醒。コスタリカの海辺の町で幼い姉妹を育てるイザベルの気忙しい暮らしが丹念に描かれるうち、彼女の言い知れない不安が妄想的な形をとり現れだす。中南米カトリック圏の父権的風土への声高でない抵抗の表現が瑞々しい、1986年生まれの女性監督による充溢作。
"El despertar de las hormigas" "The Awakening of the Ants" https://twitter.com/pherim/status/1243403983625969664
原題は
"El despertar de las hormigas"。3人目として男子出産をとの周囲の期待に対する、体の奥底からの拒否反応が心に像を結ぶまでの過程描写が、切ないほどに静謐で豊かなのです。幸せだし、義務のように性交を迫る夫を愛してないわけではない、でも。
無自覚な心の動きは言表されず、意志的な行為へ結実しない。けれども目に映る日常の表層とは別の物語が映像の奥底で進行しつづける。見事だなと感じました。黒髪と蟻が鍵。“コスタリカ映画と女性”をめぐるイタリア移民系監督Antonella Sudasassi Furnissのインタビュー動画→
https://www.facebook.com/watch/?v=2831032400240098
“Olanda”
ルーマニア、カルパチア山麓の森へ分け入るキノコ採集業者達の交わす会話は、金勘定に終始する。朝夕で変わるキノコ相場により、携帯電波もない隔絶環境に暮らす彼らは欧州市場のプレイヤーと化す。樹皮上に幽かな夾雑音を響かせる巨樹の根元映す終盤から、突如始まる映像的跳躍に圧倒される。
https://vimeo.com/320708841
"Olanda" https://twitter.com/pherim/status/1244200744804159489
“Olanda”にはキノコ採集人が集って祈りを捧げる場面もあり、敬虔で素朴な信仰心にじむその流れで金の話が始まるゲンキンさと、森や霧の奥行きとの対照がとても鮮やか。(正教か否か判断できず)
終盤突如の跳躍に『暗くなるまでには』の宇宙的飛翔も想起され。キノコのちから。
『暗くなるまでには』(ดาวคะนอง): https://twitter.com/pherim/status/1089312170582564864
“I Travel Because I Have to, I Come Back Because I Love You”
ブラジル北東部の荒野を旅する地理学者のモノローグ。水路掘削の調査を名目とするエッセイ調で始まり、光景と内面が同期したロードムービーへ転調する。移動による緩やかな映像変容と、粗い静止画との往還の刻むリズムが心地よい。(’09)
"Viajo Porque Preciso, Volto Porque te Amo" https://twitter.com/pherim/status/1251353907839696896
“Keteke”
ガーナ作品’17。列車に乗り損ねた夫婦の珍道中。抱腹絶倒のロードムービーで、低予算映画の鑑のようなミニマルに磨かれた構成ながら、温かみある夫婦版スタンド・バイ・ミーの趣き醸す巧さは圧巻。老魔術師の咆哮と遠く響く鉄道の汽笛により、呪術と近代の対置を効かせた汎アフリカ性の露出にときめく。
"Keteke" https://twitter.com/pherim/status/1245244391234473985
「汎アフリカ性」と書いた瞬間に「アフリカってぜんぶ一緒にするな」と心の声がまくし立てても来るけれど、それを黙殺したのはやはり通底する主題たり得るから。たとえばガーナの
“Keteke”に対するザンビアの
"I Am Not a Witch"、からキウェテル
『風をつかまえた少年』等々。
"I Am Not a Witch" https://twitter.com/pherim/status/1105784373956116481 (連ツイ)
『風をつかまえた少年』 https://twitter.com/pherim/status/1155364540705492992 (連ツイ&インタビュー)
『ようこそ、革命シネマへ』 https://twitter.com/pherim/status/1245813308101259269 (ふぃるめも136)
余談。これまで当《ふぃるめも》記事群では基本的に劇場/試写室で観た作品(+試写用サンプル)のみを扱ってきましたが、今回から動画サイト視聴作も本格的に扱っていくことにしました。とはいえ、現行の仕方でNetflixやAmazon Prime等で観る映画やドラマまで網羅することは無理なので、とりあえず主としてMUBI視聴作を扱います。
言うまでもなく、コロナ禍により劇場/試写室での鑑賞が事実上不可能になったことが、方針変更の大きなきっかけとなりました。ネット配信はいずれ扱わねばとは常々感じてきたし書いてもきましたが、まさか災害発生に背を押されるとは夢にも思わず。優先的にMUBIを扱うのは質の良さもさることながら、日本語字幕も吹替もなくフィーチャー作品の大半が英語音声でさえないために、ながら作業での視聴が難しくなる結果として劇場並みに集中して観るからです。(こう書いてしまうと身も蓋もありませんね)
今後ともどうぞよろしく。
おしまい。
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