pherim

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pherimさんの日記

(Web全体に公開)

2020年
10月14日
20:46

ふぃるめも156 沖縄/タイ深南部オンライン映画祭

 
 

 今回は、沖縄/タイ深南部オンライン映画祭(2020/9/7-13, 国際交流基金バンコク日本文化センター他主催)上映作から、18作品+αを扱います。(含短篇15作)

  公式HP:Deep South - Deep South Movie Matchmaking: Cerebration of Okinawa and Thai Deep South Filmmakers
  https://www.facebook.com/events/2676749032564423/


 タイ移住後に始めた、劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート[https://twitter.com/pherim]まとめの第156弾です。強烈オススメは緑超絶オススメは青で太字強調しています。(2020年春よりネット配信作扱い開始。黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)

  ※今回は恒例のyoutube嵌め込み動画不在の作品が多いです、ためねん。

 

□タイ深南部篇

“I’m Not Your F***ing Stereotype”

2001.9.11タイ深南部生まれのマルヤムは、バンコクへ転校すると、ムスリマゆえの偏見に曝されイジメに遭う。陰口はまさにStereotypeのオンパレードで、イジメっ子の無個性こそ万国共通なのねとか。自身の体験ベースのヒーサン·チェママ(ฮีซัมร์ เจ๊ะมามะ)監督作。

"I’m Not Your F***ing Stereotype" https://twitter.com/pherim/status/1333181748578975744




“Neverland”
波打ちつける海辺に遊ぶ人々は、海と陸のあわいにつかのま漂う泡にすぎない。滴の一粒が映しだす世界はしかし各々異なり、他との連環により孤独を知る。
ジェンダー不明の人物が、おおらかに笑って浜から海へと歩み入る。その姿を南タイのムスリム住民たちが怪訝に見つめる。この楽園。
"Neverland" https://twitter.com/pherim/status/1314840621476007936




“The Journey of Isolation” (ฉันจึงมาหา)
2017年タイ深南部パッタニーでの、スーパーマーケット爆弾テロ事件のその後。ムスリム独立派によるテロ実行犯の嫌疑をかけられ射殺された男の死。
その死に際を語る遺族の沈んだ声音と、バンコク発のニュースを伝えるテレビ画面の喧騒との不穏な対照。

"The Journey of Isolation" "ฉันจึงมาหา" https://twitter.com/pherim/status/1318189146960064512




“The Life” (ชีวิตในโลกใบเดียวกัน)
狩る者と狩られる者、食う者と食われる者。
追われる者は誰か、追う者とは本当のところ何なのか。
森の中に響いた一発の銃声が、狩猟採集を生業とする男とその家族の穏やかな生活に与える変容の、不可視で不可逆の痛切が耳奥へ木霊する。
"The Life" "ชีวิตในโลกใบเดียวกัน" https://twitter.com/pherim/status/1337904319056625666




“Youth” (หวานเย็น)
タイ深南部に暮らす女子高生ティチャーとエヴァは仲良し、男子ドンとジェダイも親友同士。
ティチャーへ恋するドンの姿を、相談に乗ったジェダイやドンの幼馴染エヴァが微妙な顔して見つめる甘酸っぱさ200%。イスラーム&タイ十代、華僑系マレー系など設定+ギミック配置が諸々好趣。
"Youth" "หวานเย็น" https://twitter.com/pherim/status/1312201611037483010




“Learning With You” (เรียนรู้ เพื่อรักเธอ)
漁師の少年ウェーマは、港町に暮らす女性フォンに憧れ、英語を教えてと頼み込んで接近する。
マレー系ムスリムのウェーマは恋人の改宗を望みスカーフを贈るが、華僑系のフォンは肩にかけ笑顔を残して旅立ちゆく。にじみでる切なさとぎこちなさの永遠感。
"Learning With You" "เรียนรู้ เพื่อรักเธอ" https://twitter.com/pherim/status/1324722333555154946




『ハリームとファーン』(ฮาลีมกับเฟิร์น)
ムスリム少年ハリームと、夏休みになると現れる少女ファーン。ふたりはいつも一緒に遊ぶが、歳をかさねるごと開きゆく心の距離に焦りとまどう。さっぱりとした幕切れの余韻が好き。
不朽の名作『蝶と花』の掌篇2020年版をみた心地。
"ฮาลีมกับเฟิร์น" "Haleem and Fern" https://twitter.com/pherim/status/1312246177581023234

  『蝶と花』 https://twitter.com/pherim/status/821009413704060928




“Melagu” (มือลาฆู)
3世代のミュージシャンが語る、タイ深南部での西洋音楽受容。
面構えが良い翁世代の醸す自然体に、アユタヤで泊まった老音楽家経営のレトロ木造宿が想起される。反骨の残滓とか。地球上のどこであれ、各々の『スウィング・キッズ』が成立し得るんだよね。
"Melagu" "มือลาฆู"

  『スウィング・キッズ』https://twitter.com/pherim/status/1278886016992997378

“Melagu”(มือลาฆู)だけで語れるとは無論思わないにしても、バンコクなどタイ中部や山下洋輔なりドリフターズなり日本の戦後模様、韓国『スウィング・キッズ』や『カンボジアの失われたロックンロール』にくらべ、米軍の「直」の影響が薄いのかもと感じた。

  『カンボジアの失われたロックンロール』https://twitter.com/pherim/status/1091600614633525248

 ※タイ中部以北の西洋ポップ文化受容の入り口がパタヤなどベトナム戦争需要に支えられた米軍基地周辺の歓楽街であったのに対し、告知にも使用された“Melagu”場面画像(→https://twitter.com/pherim/status/1316502796087173121)の右上に踊る“The Pattanian”の文字はイスラーム・マレー系パタニ王国に由来し、タイ政権/タイ王室を大向こうに張る姿勢が凝縮されたカットといえる。




“Ka-Pho”(กะโผ๊ะ)
父が当局に拘束されたことを不当におもう少年が、役人となった旧友にある窮地を助け出される。
それだけのシンプルな筋立てによって、大文字で「国」と言分ける対象のうちに「人間」を発見する清々しい成長譚。タイ深南部の鬱蒼気味な田園をモーターサイで駆け抜ける疾走感は爽快。
"กะโผ๊ะ" “Ka-Pho” https://twitter.com/pherim/status/1328095199151620097




“The Ghost’s View”
廃工場に集う若者が、映画撮影を巡り議論する。
一見ありふれたその光景は、しかし拷問場面のリハーサルへと移り、警官が工場内へ立ち入ると彼らは散る。“存在を許されない視線”の残滓があとに漂う。
深南部マレー系住民の苦悩を背景とする本作、タイ語題の不在にも意志を感じる。
"The Ghost’s View" https://twitter.com/pherim/status/1313752864389439490




“When the Fish Sauce Was Illegal” (หยุดตรวจ)
ナンプラーよりドロっと濃い魚醤ブードゥー。タイ南部では一般的なこの調味料が非合法化され、ブードゥー屋を営んでいた兄妹は密売ビジネスに手を染める。
タイ官憲の目をかいくぐる命懸けのサスペンスが、ただ魚醤配達のため展開する諧謔の昏い煌き。
"หยุดตรวจ" "When the Fish Sauce Was Illegal" https://twitter.com/pherim/status/1318874751272579072




“Dek Ponok”(เด็กปอเนาะ)
ムスリムの寄宿舎へ転校した主人公は、お化けの噂が気になって仕方なく、ある夜寝床を抜け部屋を出ると……
イスラーム圏に幽霊や妖怪はいないとしたり顔で言う人がたまにいるけれど、“いるとは何か”を巡るその観念の昏がりにこそ彼らは現象するのです。きっと。
"เด็กปอเนาะ" "Dek Ponok" https://twitter.com/pherim/status/1315655659350757377




“End Game”
妊娠した17歳のムスリマ少女とその母親の道行き。好きな男子との子ながら、欧米ドラマとは異なるイスラーム圏ゆえの展開が興味深い。
男子側の父が見せるいかにも父権的かる受容性のある振る舞いに、ふしぎと懐かしさを覚える。こういう役柄は昨今の日本や欧米のドラマにはないものかも。
"End Game"




□沖縄篇

『人魚に会える日。』
沖縄の高校生女子&男子が、基地問題を語り合うマジメ系展開かと思いきや、Coccoが不意に現れてからの離陸ぶりに驚かされる。
神=心のうちで滅びゆくものへの希求がCoccoに象徴されて生じる推進力は圧巻。この圧あってこそだろう、供犠めぐる後段の飛躍がもつ説得力に戦慄する。

"Girl of the Sea" https://twitter.com/pherim/status/1313396605970649091

『人魚に会える日。』はアマプラ/iTune他で鑑賞可。
神的な供犠にまつわる語りや人物の対照構図など、国立新美術館で観た山城知佳子《チンビン・ウェスタン『家族の表象』》(↓RT)も想起され。供される犠牲の暗喩するものが、声高にでなく自然風土の表出として描かれる点含め。

  山城知佳子《チンビン・ウェスタン『家族の表象』》@国立新美術館:
  https://twitter.com/pherim/status/1193702351208452096





『終わらない過去』
沖縄で半世紀以上を戦没者の遺骨や遺留品の発掘・収集に捧げてきた男性、彼を手伝い遺族との連絡を試みる本作監督の川田淳。
自治体や関係諸団体への電話録音が延々続くが、次第に予想外の様相を呈し始める。その展開に、過去との断絶を選ぶことの意味と可能性を考えさせられる。
"Endless Past" https://twitter.com/pherim/status/1344186579246481409




『完璧なドーナツをつくる』
現代美術ユニット・キュンチョメによる映像作。基地フェンス越しに《アメリカのドーナツに、丸い沖縄のサーターアンダーギーを組み合わせ、穴のないドーナツをつくる》試みの是非を尋ねて回る。
記号化されがちな各々の立場から漏れ出る、ためらい仕草や困り顔が愛らしい。

"Making a Perfect Donut" https://twitter.com/pherim/status/1315282473874386950





 余談。

 もとより時間破産の身のうえ、開催期日を微妙に取り違えたためもあり、十分に集中して鑑賞する時間を割けたとは言えず。一応全作を再生はした(しないよりはマシという程度の試みとして)が、ながら作業メインに終わったタイ作品・日本作品それぞれ数作ずつあり。きちんと観ずに適当なことを言うのも微妙なので、基本触れない。
 
 ただ“So-Khin”(โซ-ขิ่น)は、南部ゴム農園で働くミャンマー人夫婦を描くものでシリアスな感じだけは印象に残っていて機会あればきちんと観たい。
 “Ar-Por”(อาผ่อ)はダムに沈んだ故郷の村が38年ぶりに姿を表しお婆さんが訪れる作品で、空から幾度も見続けたタイ北部・東北部のダム湖のイメージが想起された。

 本企画主旨に照らして「沖縄:タイ深南部」という対比から感想を言えば、香港の低予算オムニバス『十年』を起点に制作された『十年』日本版およびタイ版を観た際の温度差とほぼ同じものを感じた。

  『十年』対比ツイート:https://twitter.com/pherim/status/1061173689146728448

 「差」と書けば優劣のニュアンスを読み込むひともいるだろうが、そういう単純な話ではもちろんない。ただ表現に対する姿勢に個人差を超えて明らかな集団差がみてとれ、それは製作者個々人の資質へも比較文化論みたいなものへも回収しきれない何かとして、着実に作品へと体現される。

 というあたり『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』という本のなかの『十年 Ten Years Thailand』の項目にも書きました。まだアマゾンにも在庫があったので、気が向いたら読んでみてください。
 
  『躍動する東南アジア映画~多文化・越境・連帯~』論創社:
   https://amzn.to/2FwrNae

  
 さて芸術の秋そろそろ本格化の時節到来しつつありますが、コロナ禍ゆえの特殊な光景もまだまだ色々目撃するんだろうなとか。映画祭とかも海外ゲストよう来られないはずだし、どうなるんでしょうねぇ。
 



おしまい。
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