・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。非通読の資料読み等は省きます。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。よろしければご支援をお願いします。
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1. 池澤夏樹 『「メランコリア」とその他の詩』 書肆山田
生まれて間もないおまえはまだおぼえている、
ついこのあいだまでいた世界の匂いとざわめきを。
子供たちはいつも澄んだ声で地理学を歌った。
カモメは天の一番青いところへ昇って
水圏全体に正午を告げた。
その時おまえは小さな魚の形
仲間と一緒に雲の洪水を泳ぎわたって
大地などには目もくれなかった。
かつて彼女はテロリストとして
五大陸の間で爆弾を運びまわっていた
その頃がいちばん優しかった
その後アンナは
貧しい国の病気の人々の世話をする
奉仕活動グループに加わった
性格は格段にきつくなった
それから
修道院に入ると言って
私を捨てた
そこを十日後に出たことを
私は知っている
2. オラフ・ステープルドン 『最後にして最初の人類』 国書刊行会
感情的であることが感情への隷属を意味するとすれば、むしろ逆であった。こうした高められた感性が感情を抑えたものとなったことが、空中生活時のもっとも顕著な特徴であった。個人が空中にある限りは、嵐との恍惚的な愛の舞踊の最中であろうが、世界のはるか上空での孤独な瞑想の旋回であろうが、自らの冒険が幸運なものとなろうが、暴風に引き裂かれて墜落死しようが、当人の陽気な定めも悲劇的な運命も常に同じように超然たる美の歓喜をもって見据えられた。たとえ最愛の伴侶がなんらかの空中災厄で不具になったり死んだりしても歓喜した。もちろん一命を賭して救出を試みるのではあるが。しかし、地上に戻ったとたん悲しみに暮れ、失われた幻影を取り戻そうと空しくあがき、心臓麻痺でこと切れたりしたのである。 299
夭折の映画音楽家ヨハン・ヨハンソンが遺した、奇作映画の原作小説。
映画『最後にして最初の人類』 https://twitter.com/pherim/status/1418023357274935297
映画では、20億年の隔絶を跨いで“最後の人類”から現生人類へのメッセージ部が読まれる。それはこの小説全体のトーンであると同時に、直接的には序章とほぼ終章に近い部分からの引用で構成される。“最後の人類”とは現生人類を第1期人類とした本作の区分による第18期人類を指し、すでに地球から遠く海王星に棲息するが終末を控えた何者かである。序盤ではアメリカや中国、フランスやイタリアといった現国家名もやや事大的に使用されるものの、パタゴニアに発祥する第2期人類以降、現生人類に関する固有名は時折比喩や形容で採用されるソクラテスやキリスト、ゴータマなどを除き消え失せ、ただ想像力によってのみ書き綴られる壮大な叙事詩は途上で火星からの襲来や金星への移住を経た、まさにスペースオペラ的展開をみせる。
"Last and First Men" https://twitter.com/pherim/status/1418023357274935297
〈はじまり〉そして〈終わり〉と呼ぶ宇宙の出来事を究極のものと考えるのは、その出来事を超えた出来事について無知だからにすぎない。()〈終わり〉のあとには、知りようのない出来事が〈はじまり〉以来経過しているであろう期間よりもはるかに長い期間生起しつづけるだろうが、結局は〈はじまり〉でもある同一の出来事が循環していくことだろう。
しかし、時間は循環しても反復するわけではない。時間の反復が可能となるような時間がほかに存在するわけではないのだ。()すべての出来事は全体として連続する循環なので、反復の存在にかかわるような恒常性はなにも存在しないのだ。それゆえ、出来事の連続は循環しても反復しない。いわゆる〈はじまり〉のなかの偏在的なガスの誕生は、わたしたちの時代から随分経ってから、またいわゆる宇宙の〈終わり〉から長い時間が経過してから生起する、もうひとつの誕生に似ているというだけではない。過去の〈はじまり〉は未来の〈はじまり〉にほかならないのだ。 346-7
第18期までの各期人類はそれぞれ個別かつ詳細に記述されるのだが、画期となる幾つかの人類をめぐる描写は印象深い。そのうち冒頭引用部↑は金星で有翼となった第7期人類をめぐるもので、感性重視の“この”人類の前段には知能を圧倒的に拡張させ脳そのものを肥大化させた第5期人類が存在した。“火星人”も登場するのだが、形状は“人”でなく、そも互いが互いを意識的存在と認識できないまま侵略戦争が行われる過程は非常に読ませる。放射作用を尊ぶ火星人が地球に埋蔵されるダイヤモンドを信仰するくだりなど、突き抜けて面白い。ものを切断したり音楽を聞く道具として神を使用する地球人ゆるせん、滅。って。
すべてのダイヤモンドは張り詰めたエネルギーと宇宙の永遠の均衡を極限まで体現したものであり、崇拝されてしかるべきであった。火星のダイヤモンドはすべて聖堂の頂で太陽にかざされた。 193
本作は哲学教授となったステープルドン44歳時の小説デビュー作だが、訳者解説に述べられるオックスフォード在学時には優生学とジャンヌ・ダルクへ傾倒したなんてエピソードもなかなかアツい。悪の象徴と化す以前の優生学、半世紀後の原子力工学をみるような。
脳を特化した結果肉体性の希薄化が致命的弱点となる第5期人類部では、映画『マトリックス』の“現実”めぐる相克そのものが語られるが、ここから時間をめぐる思考記述が異次元へ昇華される点が『マトリックス』よりむちゃんこ深く新しい。
かくして、現在という名の移ろう瞬間は、もはや唯一の微笑な現実ではなく、永続的な存在の樹の成長しつづける樹皮として顕現した。今や過去こそがもっとも現実的だと思われる一方、未来はなお空虚な印象があり、現在は破壊不能な過去の、実体のない派生物でしかなかった。
過去の出来事は畢竟永続的なものであり接近することができるという発見は、もちろん〈第五期人類〉にとっては深い喜びの源泉であったが、新しい災厄をもたらしもした。過去が単なる非存在という亀裂だと考えられていたときは、()済んだこととして無視できた。()しかし今や、過去の喜びと同じく過去の悲惨も永続することが明らかになったのである。 276
ね。もはや“Arrival”(邦題:メッセージ, 原作『あなたの人生の物語』。そういえばテッド・チャン『息吹』も読みさしのままだった)の世界。
恐るべきは本作初版が1930年刊行で、初期人類の使用する高性能爆弾の描写はキノコ雲含めまさに原爆そのものであり、インターネットや遺伝子工学と倫理をめぐる現代社会の最前線課題さえも十全と踏まえた内容に感じられ、かつ日本語訳は絶版でネット古本市場ではAmazonで4万円、他の有力サイトは軒並み品切れという点だろう。(映画公開前は4桁代後半だったけど)
これね、なにしろヨハン・ヨハンソン遺作の原作なのだから、復刻すればやや高めで出しても初年度内に2000部は売れるだろう。図書館購入を仮に500部と見積もっても数百円高め設定で2500部実売あがれば4000部は刷れるだろうから、要はそういうこまいところで動くに至るほど映画観てかつ行動する余力ある出版人はいないということなのだろう。素材はあるのに活かせない、いかにも下り坂文化圏の一幕という感じ。もちろんこんな素人読みの数字などぶち抜くほど状況は厳しいのかもしれないけれど。
国書刊行会の果敢さは称賛してし過ぎることはないものの、せめて絶版高騰本の電子化をですな。
わたしたちの優位な視点からは容易であるが、助けがないと過去にとっては不可能であるような真実や価値への直観を授けたいのだ。他者を助けるように、わたしたちは過去が自らを最大限に活かすよう手助けしたいのだ。過去の諸個人や諸民族の注意を、真実や美へと向けてやりたいのだ。こうした美や真実は、彼らの経験に暗に含まれているのだが、介助がないと見逃されてしまうのである。
()ある存在が別の存在に出会い愛するようになると、新しく美しいものが創り出される。 364-5
愛。
それでも確かなことがひとつあります。少なくとも、人間そのものが音楽であり、その壮大な伴奏、すなわち嵐や星たちを生み出す音楽を創造する雄々しい主旋律なのです。その限りでは人間そのものが万物の不滅の形式に潜む永遠の美なのです。人間であったとは、なんとすばらしいことでしょう。ですからわたしたちは、心の底からの笑いと平安を胸に、過ぎ去りし日々とわたしたち自身の勇気に感謝を捧げつつ、ともに前進すればいいではありませんか。どのみちわたしたちは、人間というこの束の間の音楽を美しく締め括ることになるでしょうから。 373-4
3. エマニュエル・カント 『純粋理性批判 〈5〉』 中山元訳 光文社古典新訳文庫
きわめて奇妙なことに経験論には通俗性がまったく欠けている。一般的に考えるなら、ふつうの人の知性は、経験的な認識と、その合理的な枠組みだけで満足させるような構想に強く惹かれるものであり、これにたいして超越論的な独断論は、ふつうの人の知性に、思考に熟達した人々の理性的な能力と洞察の限界をはるかに超えたさまざまな概念にまで上昇することを求めるものであると、考えたくなるのである。
しかしまさにこれこそが、ふつうの人の知性を熱中させる根拠となっている。()それはじつは理念については何も知らないので、それだけきわめて雄弁に語れるというわけなのである。()さらにこうした人の知性にとってはすべての思索にかかわる関心は、実践的な関心の前では姿を消してしまうのであり、懸念や希望によって駆り立てられて想定したことや信じ込んだことを、みずから洞察しているとか知っていると思い込んでしまうのである。 550/135-6
あなたはどのような可能的な知覚のもとでも、つねに空間とか時間とかいう条件のもとに囚われているのであり、〈無条件的なもの〉に到達することはない。だからあなたは、この〈無条件的なもの〉というものが、総合の絶対的な端緒のもとにあると考えるべきなのか、それともいかなる端緒ももたないような系列の絶対的な全体性のうちにあると考えるべきなのかを決めることはできない。 558/151
このように双方ともに巧みに相手を反論できるのであるから、この争いを双方の当事者に満足できる形で根本的に解決するためには、究極のところ双方ともに実際には争うべき争点をまったくもっていないことを納得させるほかに方法はないのである。ある超越論的な仮象が存在していて、実際には何もないのに、ひとつの現実的な争点があるかのように思い描かせていただけであることを、納得させるしかないのである。最終的な判決を下しようもないこの係争を調停するために、わたしたちはこれからこの道をたどりたいと思うのである。 580/183-4
637 理性の命法
()あるものが、それぞれのあらゆる時間的な関係において、実際にそうで〈ある〉のとは別のものであるべきであるということは、自然においてはありえない。この〈べきである〉ということは、自然の経過だけに注目している人にとっては、まったく意味をもたない。わたしたちは「円はどのような性質をもつべきであるか」と言うことができないのと同じように、「自然において何が起こるべきであるか」と言うことはできない。 637/256-7
理性はこの秩序のうちに経験的な条件をあてはめ、生起しなかった行為を、あるいはおそらく生起しないはずの行為を、この理念に基づいて必然的なものと宣言するのである。理性はそれにもかかわらず、すべての行為における原因性が理性のもとにあることを前提とする。それでなければ理性は、みずからの理念が経験のうちに何らかの結果を作りだすことを期待できなくなるはずだからである。 638/259
だからわたしたちが自由な行為について判断するときには、その原因については、叡智的な原因にまでは遡ることができるが、この叡智的な原因を超えて判断することはできないのである。わたしたちは、この叡智的な原因は自由に、すなわち完成とは独立して規定するものであること、そしてさまざまな現象について、感性の条件にはしたがわない条件となりうることは認識できる。しかしその人物の叡智的な性格が、そのような経験的な性格を示すのかは、わたしたちの理性のいかなる能力をもってしても答えることのできない問いである。それは「わたしたちの外的な感性的な直観の超越論的な対象が、なぜ空間の中における直観だけを与え、それとは異なる直観を与えないのか」という問いに答えることができなかったのと同じである。 647/273
純粋理性の二律背反をめぐる第一~第四の抗争のくだり、定立命題と反定立命題を上下に分け同時並行的に展開する記述が、見開きの谷により視覚的に四分割されて進行する様にゾクゾクきた。(↑本稿冒頭画像3枚目) そんなところで興奮するのかと我ながら特化されすぎた性感帯の変態ぶりに切なみを覚えなくもないけれど、ページ構成的に訳文が生む空白も込みで、四分割の視覚フィールドが生理的なリズムさえ醸す読字感は、そこへ至るまで想像も期待もしていなかったからこそ斬新に感じられたということはある。
この爽快感は、敢えていえば十代の頃に舞城王太郎小説から受けた感覚に近い。と連想が及び、マジか~とも思うけど。
たしかに舞城王太郎とか司馬遼太郎とか、童貞捨てた頃から読まなくなったな。(いったんは)
話がそれ申した。
しかし理性は経験から超えでることによって、奇妙な矛盾に直面するようになる。これはほとんど避けられない「罠」のようなものである。
すでに理性は、主観である〈わたし〉が、絶対に単純であり、同一であり、人格であるような「実体」であることを証明しようとして、誤謬推論に陥っていたのであるが、つぎに世界について、現象について、それが絶対的な全体性をそなえていることを、「理念」として考えようとして、二律背反に陥るのである。 296
ライプニッツは人間と時計の違いについて、「人体やすべての動物の中で生じていることはすべて、時計の中で生じていることと同じように機械的です。差異はただ、神の発明による機械と、人間のように有限な職人の作ったものとの間にあるはずの差異ぐらいのものです」(p注『ライプニッツ著作集9』工作舎p385)という。人間は神の時計なのである。
それでも人間は自由である。というのも、「物体の自然的諸力はすべて機械的法則に従っており、精神の自然的諸力は道徳的法則に従っています。前者は作用原因の秩序に従い、後者は目的原因の秩序に従います。()」 367
4. モハメドゥ・ウルド・スラヒ 『グアンタナモ収容所 地獄からの手記』 中島由華訳 河出書房新社
「あなたの宗教では、天国に至る道とは何です?」と、私は■■■■■■に質問した。
「キリストが救い主であると認め、自分の罪のために身代わりになって死んだと信じることだ」
「私はキリストが偉大な預言者の一人であると信じていますが、私の罪のために身代わりになって死んだとは考えていません。それでは筋が通らない。私は正しいことをして、自分の身を自分で救わなければなりません」
「それだけでは救われるに足りない」
「では、私は死後にどこへ行くんです?」
「私の宗教では、地獄へ行くことになる」
私は腹の底から笑った。そしてこう言った。「それはとても残念だ。毎日神に祈り、お赦しを請いましょう。率直に言って、あなたよりも私のほうが頻繁に神を礼拝していますよ。」 391
14年にわたりグアンタナモで米軍に拘束されつづけた一人のモーリタニアンが獄中で書き連ねた手記。米軍検閲による黒塗り箇所が、翻訳版でもそのまま■■■■で記される。(↑本稿冒頭画像2枚目) 全面黒塗りのページが続くことも。元の手記は表記にブレや乱れもあることから出版側での編集も介入しているようだから、全面黒塗りページはもっと多かったのだと想像される。(黒塗りページばかりでは印刷費が上がるだけだ)
なお2017年には、黒塗り箇所の復元版も刊行された模様(未訳)。
"The Mauritanian" https://twitter.com/pherim/status/1452054509748834309
邦訳版で全447ページにおよぶ本著、このタイミングで新作映画がなければ手は出さなかったろう。その意味では『最後にして最初の人類』も同じで、映画の延長線上で読書し書きだすこの人生。若干の転倒感ある。
映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』 https://twitter.com/pherim/status/1452054509748834309
映画をプロデュースし、ジョディ・フォスターらとともに主役をも張ったベネディクト・カンバーバッチが演じたのは、収監された本著者の死刑を目的に動き出すアメリカ軍人スチュアート・カウチ中佐である。しかしカウチ中佐は次第に、グアンタナモで行われている尋問に疑問を抱き始める。劇中のこの流れが本書においてはその冒頭、編者ラリー・シームズによるはしがきにまとめられている。それによればカウチ中佐は2009年のインタビューで、何ヶ月も関連の情報と格闘したのちのある日曜日教会へ行き、洗礼式で唱えられる言葉を聞きながら以下のように思ったと答えている。
ええ、そうなんです。日曜日に教会にやってきて、キリスト教徒としてあらゆる人の尊厳を重んじるという教えに賛同し、世の中の平和と正義とを追い求めると宣言しておきながら、ああいう種類の証拠を用いて検察の仕事を進めることなどできやしない。そのときなすべきことを悟りました。中立の立場を降りなければならない、と。 42
グアンタナモへと収監される前の段階で、モーリタニアからヨルダンへ移送された際に現地の尋問官からと詰問されるくだりがある。押収されたパソコンの中に、商業イベントでモーリタニア大統領の近くに著者が映り込む写真があったことを根拠としたようだが、その後のやり取りが面白い。
「知っているぞ、お前は大統領暗殺を企てていたんだ」と■■■■■■■■が言った。
私は思わず笑ってしまった。「それで、実行しなかった理由は何なんです?」
「知らないな。そっちが説明しろ」と■■■■■■■■が言った。
「たとえ私が自分の国で、自分の国の大統領を暗殺しようとしたとしても、あなたがたにもアメリカ人にも関係ないでしょう。私をモーリタニアに送還し、処遇を委ねればいい」 217
このとき、つまり2001年暮れの段階で、著者はアメリカが自分に濡れ衣を着せたがり、かつアメリカが自分を死刑にするためには、罪を確定させたうえモーリタニアに送還しなおす必要が生じると見抜いていた。そしてアメリカ側にもっとよい選択肢が思いつけるはずがなく、アメリカ側に代わりヨルダン側が自分に鎌をかけようとしているが、「尋問されているときに鎌をかけられていることに気づいたら、尋問官が手詰まりになっていると思ってよかった。」(218)
「真実は汝を自由にする〔Wahrheit macht frei〕」。
私は、彼がそう言うのを聞いたとき、真実は自由になどしてくれないことを悟った。というのも、「労働」はユダヤ人を自由にしてくれなかったからだ。かつて、ヒトラーのプロパガンダ部門は「労働は汝を自由にする〔Arbeit macht frei〕」をスローガンにして強制収容所のユダヤ人を幻惑した。だが、労働はユダヤ人を自由にしてはくれなかった。 66
これら本稿の引用部だけからも恐らく、著者モハメドゥ・ウルド・スラヒが卓越した知性の持ち主であることは窺えよう。彼がドイツ語を話せると言ったとき、尋問官らはまさかと笑い、うちドイツ語に自信のある者がスラヒを試した会話が上記引用部になるが、単に生活の必要から外国語会話を覚えただけの人間には決してできない推量を働かせる。そもこうした機転の利いた記述が全編に散りばめられた本著の元となる手記は英語で書かれたが、収監されるまでスラヒは英語を聴き取ることさえできていなかった。主として看取とのやり取りから学んだのである。すっごい。
ドイツのことわざに、「軍隊が出動すれば、真実が落伍する」というものがある。軍隊が動きだせば、真実がそれに追いつけず、取り残されてしまうというわけだ。
戦時の法はたいへん残酷だ。戦争にわずかでもいい部分があるとすれば、戦争によって人間の最善と最悪とが引き出されるところだろう。無法状態に乗じて他人を傷つける者もいれば、苦しみを最小限にしようと努力する者もいる。 96-7
たとえばここで、尋問官らが笑ったというあたりにも、本書の肝はある。実際、冒頭に引用したキリスト教とイスラムをめぐる宗教問答はその後もつづき、さながらドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』最大の山場《大審問官編》の現出をみる思いだが、テロリストと疑われる西アフリカの国モーリタニア出身の一囚人が発するこの知性の煌めきこそ、ハリウッド一線級のスター俳優起用により本著が映画化へ至った要因であり、メインタイトルが『モーリタニアン』(原題“The Mauritanian”)とされた由来だろう。そこには日本を含む現代社会が広汎に抱えもつ蔑視にも近い“アラブ人”イメージや“アフリカ”表象が確実に根強く作用する。
そして実は現代アメリカを考える際、このことこそ今後は検討課題としてクローズアップされてくるだろう。というのも今日のBLM運動へも連なる北米での黒人差別を基礎づけた近世の奴隷貿易において、《西アフリカの知識人》の存在はなお看過されがちだからだ。奴隷解放後のアメリカ社会においてさえ、南部の元奴隷は無知で無教養《でなければならない》。あるいはカリブの奴隷反乱や中南米の独立闘争においてさえ、各所で民衆を牽引した“黒人”が知識人《であるはずがない》。ましてやブードゥ的世界観として一括して蔑んできた精神文化のなかに、黒人でもクレオールでもないアラブの知の伝統など《あるわけがない》。
本当にそうだろうか。
話がそれ申した。ともあれそんなこんな妄想(ですな、明らかな)を巡らせつつ、これより下記原稿へ挑みます。
拙稿「グアンタナモの倫理 再監獄化する世界(4) 『モーリタニアン 黒塗りの記録』」
http://www.kirishin.com/2021/10/29/51273/
時間はすでに切れかかっている。/(^o^)\
それはそうと、著者モハメドゥ・ウルド・スラヒからRTされたんだよね。映画ツイと記事ツイ両方。これは嬉しい。なんか抜けを感じるんだよな。だってモーリタニアのひとだよ! って釈放後白人女性と結婚してたから、住むのは欧米かもだけど。
ともあれ地味に遠い国の監督や俳優・プロデューサーらにRT&いいねされることは頻繁にあって、これこそツイッター一番の醍醐味とさえ感じているので、自動翻訳の向上はほんとずんずん進んでほしい。
こういうことは、そも外国語に関心のない層は省みもしないだろうから、自動翻訳の進化から最も恩恵を感得できてるのは現状、日常的に外国語へ触れある程度は使いこなしてる人間のほうなのだろう。これが当たり前のように誰でもフリーハンドに使える水準に達するのは、しかしそんなに遠い未来じゃないかもね。スマホ登場前には、ちょっと想像もできなかったことだけど。
話がそれ申した。
「いや、私は三位一体について真に理解しているわけではない。調べたり、専門家に尋ねたりしてみよう」
「それがいい」と私は言った。「でも、理解していないものをどうして信じられるんです?」
「理解しているけれど、説明できない」というのが■■■■■■の返事だった。
私は「それじゃ、つぎの話題に移りましょう」と提案した。「あなたの宗教によれば、私はどうあっても破滅するらしい。でも、イエス・キリストを知る機会に恵まれないアフリカ奥地の部族なら、どうなるんです?」と私は尋ねた。
「彼らは救われない」
「悪いことをしていないのに?」
「彼らが苦しむことには不服だけれど、私の宗教ではそういうことになっている」
「なるほど」
「イスラムの場合はどうなる?」
「コーランには、神は、まず使いを送って教えを授けるのでなければ、人を罰することはないと書かれています」 394-5
5. 川田耕 『愛の映画 香港からの贈りもの』 大隅書店
けれども張婉婷(メイベル・チャン)は、張君秋を逃亡すらできないという状況にあらかじめ追いつめている。中国本土から不法に入境し香港の居住権もない張君秋には、「逃亡」は役人に収束された時点で不可能となっており、逃亡したくても逃亡できない、貧しくコネもない多くの香港人と同じ条件下に置かれているのである。そして、実は、そのような国家から逃亡できないという状況は、大多数の日本人を含む世界中の多くの人の境遇でもある。 197-8
2019年夏のSTUDIO VOICE取材での香港滞在前後に3-4割ほど読んで以降、放置状態になっていた本書他の、最新香港映画まとめ記事執筆を機会とする読了。どうあっても記事という(疑似)必要に迫られないと手をつけないフェイク不精。これは脱却すべき、
理性の命法を発動させるべき局面。といういつのまにか析出されてる精神的機制を利用してる面はあれども。
時事的な社会批判や近未来の香港の寓話に留まらない憤怒の背後には、世界全体に対する許鞍華の、病的なまでに深く迫害的な不安と恐怖があることが感じられる。()むろん世界全体に対する恐怖と憤怒とは、陳果などをみればわかるように、すぐにでもこの世界と自分自身への絶望に転化しかねない危険なものである。 109-111
動画:許鞍華『投奔怒海』(アン・ホイ『望郷/ボートピープル』Ann Hui "Boat People"1982)
https://twitter.com/pherim/status/1160807559923527681
ともあれ、2019年には多方面で参考にさせてもらった一書。当時はひたすらその密度濃度に圧倒されていたが、いま読むと色々印象が変わってみえ意外だった。この2年の、無自覚の深化をおもう。いや、かなりマジに自覚できない。まぁ背伸びはするもんだ、ってことかもしれない。いまさら言いますかっていう。この歳で。(頻発エイジズム自虐)
文化研究者の李鷗梵も、この時期の香港人について、「古い主人と新しい主人の両者による政治的策略のために、リンボのなかに閉じ込められてしまっていた」と表現している。海外という「天国」に移住できない香港人にとって、リンボ(辺獄)の果てで自分たちを待っているのは「地獄」なのではないか――そのような不安感が、とりわけ一九九〇年代の初めまでは支配的で、それ以降は次第に「無奈(どうしようもない、仕方ない)」といった、ある種の諦めと受容の感情が強くなっていったという。 264
『リンボ』(Limbo,智齒) https://twitter.com/pherim/status/1456063390204383236
6. 『Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる』 東京都美術館
「おばあちゃん、あるある。猫がけっころがしても写る写真機がある」といってな、ピッカリコニカを持って来てくれたのが、写真を撮りだした始まりだったな。
ツイートでみかけ、不思議に泥臭さを感じるキュレーションが気になって最終日むりやり11時過ぎの用事前に駆け込むも大当たり。通年ベスト級てか2020年代ベスト10入りしておかしくない、とはいえcozyで抑えの利いた良展示。
展覧会鑑賞スレッド(会場/図録/作品画像たっぷり、テキスト引用あり):
https://twitter.com/pherim/status/1446668126880288769
都美館学芸課ってこういう仕事もするんだな、って新鮮な驚きもあった。敷地隣の大学に10年籍置いてたけど、これは感じたことのないムーヴ。中原淳行って担当学芸員、写美と庭園美術館にいたひとらしい。なるほど都立美術館内のそういう異動が生む趣向ってあるんだね。
雨上がりの水溜りが
太陽が出て干上がってしまうまでは
空の明るさを映し出している
そんな自分でありたいのです
7. 竹本健治 『闇に用いる力学 赤気篇』 光文社
情報が本来的に持つ矛盾性の大きな要因はつじつまあわせの有用な道具である〈言葉〉と〈意味内容〉との関係の曖昧性にあるといっておこうかな。そしてつきつめていうなら、それはまさに『外界から取りこまれた情報はその当人の情報処理系に処理可能なかたちにしか処理されない』という点に還元されなければならないんだ。
()
そう、死は高度な同一化を求める。そしてそのためには死と結びつく情報群も高度に同一化された、つまり規範的なものであることが必要だ。もっとも死そのものが稠密なつじつまあわせの結果、すぐれて規範的な情報となるために、それに結びついた自動的に高度な同一化が推し進められるという側面もあるんだけどね。だから両者は相互依存的に強化され、そうして高度に規範的となった情報群はその稠密なネットワークを周辺へと押しひろげ、系全体の骨組みのなかでもひときわ中心的な、いわば大黒柱のような存在に成長するだろう。そしてこの死を克服する装置であり、同時に自己同一性の中心的な基盤でもあるような情報群を僕の友人は〈原器〉と名づけている。俗な言葉でいえば、それはその人間にとっての生きがいというものに大きく重なりあうはずなんだ。
()いや、むしろそうしたものに縛られ、支配されることによって、人間ははじめて自己同一性を保持できるといったほうがいいだろう 301-3
留学帰りの才媛が「~よ」「~だわ」「~なの」とか言わねーだろ、って読みづらさがもう凄いんだけど、要するに高齢者の《若い知的日本人女性》像っていまだそれなんだっていう現実知らなさぶりに驚く。これだけ巧緻溢れる小説書ける作家でさえ。なので映画パンフとかで白人インタビューの和訳してる人に何を要求しても無駄と知る。読書の意外な効能すぎるだろ。
欠落感の由って来るところは必ずしも家庭の経済状態そのものではなく、家をあけがちな父親のせいでもない。それは彼女自身の理解によれば、吸収浴の旺盛な時期にその手段も対象も遠ざけられたままだったせいだ。本来彼女の血肉になるはずだったもの――あらゆる知識、あらゆる品性、あらゆる能力、あらゆる教養――の絶望的な空白を埋めるものは、だから当時の彼女にとってはひとつの夢想以外にあり得なかった。
私は私からすべてを奪ったあの親たちの子供ではない。私はもっと高貴な血を引くものだ。 166
「オヤ、お珍しい。何か用事でも」
斜め向かいから尺取り虫が声をかけてきた。そしてそれは全く茎田の予想通りだった。
()
直感的な理解を論理的に分析することが習い性になってしまっている茎田は、いちおうそのパターンを“他人の弱みへの指向性”と捉えていた。人の失敗はどんな小さなものでも見逃さないし、その匂いを嗅ぎつけた場合は必ず追求の手をのばしてくる。それは全く徹底していて、ひょっとすると宇津島のパターンの独特な点は、具体的な内容よりも、むしろその首尾一貫ぶりにあるといえるかも知れなかった。 186
ともあれ、話としてはかなり面白い。すこしずつ既視感あるギミックの連なりで、底の破れたようなヤバさを感じるには至ってないけれど、それを期待させるその時点で稀有の水準には達して存分に読み甲斐ある。
――馬鹿野郎。馬鹿野郎。馬鹿野郎。馬鹿野郎。
世界はその言葉でぎちぎちに埋めつくされ、今にもパンクしてしまいそうだった。ましてそのひとつひとつにいくつもの感情がまとわりついているとすればなおさらだろう。怒り。悲憤。後悔。憎悪。絶望。嘆き。虚脱。自虐。未練。呪詛。まだまだ数えきれない感情が渦巻き、犇めきあい、マグマのように煮え滾っている。地殻に小さな亀裂を探りあてさえすれば、どこまでもそれを押しひろげ、地表を突き破って噴火せずにおかない。そして今の彼にとって亀裂の種は至るところに転がっていた。
それでも常時噴火の衝動に身を任せるわけにいかないというセーブが働いているのは彼に残った最後の人間的な自覚からではなく、そうしてしまうと結局噴火の機会を長期的に奪われてしまうからに過ぎない。とどのつまり、それは自己規制などではなく、あくまで他から押しつけられたものでしかない故に鬱屈した憤懣はいっそうつのるばかりだった。
とはいえ、全くの自力でセーブを続けるのは既に不可能だった。だとすれば少しでも状況を紛らわせてくれるものに縋るしかない。それが呑めない酒だった。彼は捻じこむようにそれを体内に放りこみ、ひたすら世界と自己の関係が麻痺するのを願った。
けれどもそれでいくらでも苦痛が軽減されただろうか? 答えは否というほかない。確かにある部分は麻痺するようだが、ほかの部分でそれ以上に感情が暴風となって吹き荒れ、彼は木屑のかけらのように揉みくちゃにされてしまうのだ。それでもまだ呑まずにいるよりましなのはギザギザに尖り立った気分が内側ではなく、外に向かうからなのだろう。
彼は荒れた。目に映るものすべてが敵だった。 468
“文学的”な飾り立てを巧妙に回避しつつ、迫真的であろうと試みる描写の周到さ。
すると――どうしてなのだろう、まわりの空気がゆるゆると粘り気を増し、水のなかにアルコールを注いだときのように縮れた糸屑状の影となって蠢く様がはっきりと眼に見えはじめた。人の周囲ではその歩み引きずられて渦を巻き、とりわけ店の前などでは動きが激しく乱れている。もちろん大きな流れの具合もよく分かった。そして彼自身もそんな粘り気を増した空気に搦め捕られて、次第に動きが不自由になっていくような気がした。 417-8
8. 渡辺雅史 『アラフォーウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』 ワニブックス
寿司ラーメンやピザなど従来の出前食との違いも全面化して語られ、Uber Eatsの実際があれこれ分かり楽しい。ただ悲惨さアピで面白さ増す向きもあるのだろうか、著者のメタボとか糖尿高血圧への過度の言及はちょっと狙いがわからない。てか漂う尺伸ばし感。
読みやすさを徹底追及した結果、紙量の割にスカスカとなるこの手の本、久々に読んだ気がする。たまには良い。
9. 照木公子編 『作って楽しむ万華鏡の秘密』 文化出版局
現在の万華鏡を初めて見た人は皆、一様に驚きます。これが万華鏡? そして感動します。こんなに美しい世界があったのか、と。 4
冒頭でそう述べて始まる本書、マジでヤバい。万華鏡って比喩でわりによく使うのだけれど、自分が思ってた「万華鏡」は子供の頃の体験に基づくもので、それは言うまでもなく子供向けの玩具を通した体験で、そういうのとは次元の異なる絢爛世界が奥向こうへ広がっていることに想像が及んでなかったと思い知る。
あと自作推奨コーナーも良い。ハンダごての醍醐味とか、そういや昔一瞬だけ手を出してたなぁって。そこから先に広がる世界、あるんだよね。目を背けがちだし、背けてることにも気づかないフリをかましがち。そのようにして形作られる日常の仮構性という秘密が覗ける、万華鏡。
10. 『第34回東京国際映画祭公式プログラム』 公益財団法人ユニジャパン
たぶんコロナ対応で上映時間帯が21時前後終了に制約されていたのと、会場が分散したせいもあってか去年ほどのタイトさはなく、プレス向けに高速輪転する流れに乗っても今年は一日最大5本だったかな。去年は長編7本の日も複数あった。まぁでも会期中に2本長文記事挙げたのでそこそこのキツさはあったかも。ってこれも無計画生活のシワ寄せですけど。
全160ページ。索引みる感じ、全上映作品数は200本ほどっぽい。でも最終日プレス向けに配られた資料では、126本と。どういうことなんだろう。みたいな雑感とか連ねるのがプログラムよみめもの効能っぽい。
ちな去年の第33回プログラムも同じくちょうど160ページ、ただし上映本数は↑資料によれば138本。これもみた目もっと多い。
▽コミック・絵本
α. ヤマザキマリ とり・みき 『プリニウス』 5-7 新潮社
書記青年と百人隊長と猫に加え、カルタゴ沖からフェニキアの幼女も連れ立つプリニウス一味の北アフリカ行がやたらに面白く、ネロとポッパエアを軸とする宮廷劇へ作者のエネルギーが割かれるのがもったいなく感じられるほど。もちろん両軸あって回るにしても。セネカがどんどこ覇気のない爺さんになっていく描写はやや違和感。覚醒→死のクライマックへの下ごしらえなのだろうけど。
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β. 瀬野反人 『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』 3 KADOKAWA
世界観に慣れてくると、通訳のけもの娘ススキのかわいさが引き立ってくる。何者なんだというのがそういえばよくわかってない。話の進行に従い論理的類推の射程がだんだん長くなってるのだけど、これどこまで伸ばせるのかは商業的に興味湧くところ。この点は、昔より今のほうが多様化が進んだぶん自由度も高いのかもしれない。
あとこの単行本の判型、通常のコミックより微妙に大きくてかなり薄いの、なぜこうなったんだろう。薄いのは連載ペースが遅いからと想像できるけど、とくに密な絵というわけでもなく微妙に大きくした理由がいまいちわからない。単なる見た目の差異化かな。話がそれ申した。
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γ. 水上悟志 『戦国妖狐』 1, 2 マッグガーデン
里見八犬伝の剣と魔法要素が全面展開する感じ。極大化したゲンコツが襲ってくる描画のみ過剰に粗く、でかすぎてコマを突き破る表象になるあたり、作者の強迫的ナニカの反映をやや感じる。幼いころ誰かにゲンコツ喰らってたんだなとかは、まぁ思うよね。頭カラッポにしてページめくれる感じは、たとえばプリニウスとかヘテロゲニアにはない良さなんだよな、紛れもなく。そういうとこだいじ。
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δ. KAKERU 『天空の扉』 1, 2 日本文芸社
異世界RPG設定ながら、“ルーラ”専門家が極端に重要な地位を占める世界観。トラック野郎+運び屋+超口径レールガン砲手みたいな。ドラクエFFのよく馴染んだ世界観設定上で回る物語を、一部キャラのパラメータを突き抜かせることで一斉更新する手際はけっこう斬新。そこ一点突破でここまでやるかっていう。その余波がどう具象化しゆくのか今後の展開も楽しみす。
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今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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