・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌の部分読みや資料目的など一部のみに目を通すものは基本省いてます。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。よろしければご支援をお願いします。
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1. ウラジーミル・マヤコフスキー 『戦争と世界』 小笠原豊樹訳 土曜社
夜は黒人の
売春婦、
休息しようと、
物陰に
身体を横たえる暇もあらばこそ、
女の上に
飢えた新しい一日が
灼熱の胴体をのっけてくる。
屋根の下に押し込められていた者らよ!
一握りの星たちよ、
叫べ!
驚いて飛び退け、宵という名の修道士よ!
行こう!
コカインの歯に腐食された
鼻の穴をおっぴろげて、
牝どちに見せつけよう!
ロシアよ!
アジアの強盗の情熱はもう冷えたか?
血の中で欲望がどっさり沸いている。
福音書の蔭に隠れたトルストイの輩を引きずり出せ!
やせ細った足をつかまえろ!
髭面を石畳の上で引きずれ!
イギリスよ! トルコよ! どかーん!
なんだ、あれは? きこえただろう?
こわがるな! くだらねえ!
大地よ!
見ろ、その髪の生え際、どうしたんだ?
塹壕の皺がおでこに刻まれてる!
シーッ……すげえ音だ。 太鼓か、音楽か?
ほんとか?
あれがそれなのか、まちがいなく?
そうだ!
始 ま っ た。
拙稿「ルーシの呼び声 (3)」 http://www.kirishin.com/2022/07/06/55065/
固い地面や、
海原も、
大気さえ徹底的に掘りおこされた。
うろたえるこの足をどこに向けよう。
魂はすでに発狂し、
すでに泣きじゃくり、
突発的なことばで祈っている。
「戦争よ!
もうやめてくれ!
あんたがやめさせてくれ!
もう大地は丸裸なんだ」
殺されたやつらは助走の勢いでよろめきつつ、
あと一分は
首なしで
走る。
こういう風景を眺めて、
悪魔は
夕焼けのような欠伸を煙草代りにくゆらす。
これは、鉄道線路の星座のなかで、
火薬工場に照らされて
くっきりと見える
ベルリンの空だ。
だれも知らない、
何日経ったのか、
何年経ったのか、
戦場で
大地の盃に一滴ずつ染みこませて、
最初の血が戦争に捧げられたときから。
これじゃだれだって感涙に喧んじまう!
だが、この場には、おれもいるんだ。
でっかくて、
不格好なおれだから、
用心しいしい通り抜ける。
おお、なんとすばらしいこのおれ、
数限りないおれの魂どものなかで
一番よく光る魂に包まれている!
祝ってくれる人たち、
お祭り気分の人たちの間を縫って行くと、
――ちきしょう、
おれにぶつかるな!
だしぬけに、
真っ正面に彼女がいる。
「こんにちは、おれの恋人!」
髪の毛の一本一本を磨く、
ウェーブのかかった、
金髪。
おお、どんな南の国から吹いてきた。
どんな風が、
秘めた心臓でこんな奇蹟を行ったのか。
花盛りのきみの目は
二つの草原だ!
おれは陽気な子供、
その草原でとんぼを切っている。
冗談ではないし、皮肉な笑いでもない。
真っ昼間だというのに、音も立てずに、
二人ずつ組になって、喧嘩っ早い王様たちが
乳母に見守られ、お散歩の最中。
大地よ、こんな愛がどこから来たのだろう?
なんと――見ろよ
あそこの
木陰で
カインが
キリストと碁を打っている。
見えないって? そんなに目を細くしても見えないか?
まるで二つの割れ目じゃないか。 もっと大きくあけてみな!
ほうら、おれのでっかいまなこは
だれでも入れる大伽藍の扉だ。
みんなあ!
愛されてるやつも 愛されてないやつも
知り合いも 知り合いでないのも
長い行列をつくってこの扉に流れこむんだ。
すると
おれが声を大にして叫んでる
そいつ
自由な人間が現れる。
ほんとだよ
おれを信じてくれ!
2. 劉慈欣 『三体 Ⅲ 死神永生 下』 大森望 光吉さくら ワン・チャイ 泊功訳 早川書房
灯台が完成した夜、ボートで海に出て、灯台の光を離れたところから眺めていて、そのときだしぬけに悟った。死とは、永遠に点灯している唯一の灯台なんだと。つまり、人間、どこへ航海しようと、結局いつかは、この灯台が示す方角に向かうことになる。すべてが移ろいゆくこの世の中で、死だけが永遠だ。 108
死だけが永遠だ。死神永生。
試練をくぐり抜けることによって、理想的と言ってもいい民主主義社会を実現した。しかし、人類が 宇宙をめざした場合、社会が道徳的に大きく後退することは避けられない。宇宙は歪んだ鏡のようなもので、人類の暗黒面を最大限に拡大する。青銅時代、裁判の被告のひとり、セバスチャン・シュ ナィダーが発したひとことが、彼らのスローガンとなっていた。すなわち、『人類が宇宙で迷子になれば、五分後には全体主義に到達する』
民主的で文明的な地球にとって、銀河系に全体主義の種が無数に播かれるという皮肉な展望はぜったいに受け入れられないものだと彼らは考えた。
人類文明という幼い子どもは、玄関のドアを開け、外を覗いてみた。しかし、果てしなく広がる夜の深い闇に縮み上がり、あわててドアをまたしっかりと閉ざしたのである。 152
地球から八億キロメートルも離れた木星の裏側で、故郷に帰ってきたような気分を味わうとは夢にも思わなかった。ほぼ三世紀前のなつかしいすべてが見えない巨大な手によってくるくる巻かれ、絵巻物のような円筒にされたあと、いま、程心のまわりでゆっくり回転するこの新世界になったかのようだった。 179-180
これはすでに書いたことではあるけれど、圧倒的に長大な時間を個の物語の内に感覚させてくれるこの書き口は傑作宇宙SFならではだし、たまに読むと面白いを飛び越えなにか不可欠の滋養さえ与えてくれる実感がある。読み終えた己の構成要素としてすでに不可欠の、という意味でそれこそ文学のないし芸術の必須要件だともいえ。
数年に一度あるか否かの質量・密度、素直に凄かった。
歌い手はあまり不平を言わなかった。生きていくには、思考と精神力がたくさん必要だった。
宇宙のエントロピーが上昇すると、秩序が低下する。その過程は、巨大な均衡鳳がその果てしなく 広い黒翼で万物を押し下げているかのようだった。けれど、低エントロピー体はその例外だった。低エントロピー体はエントロピーを減らし、秩序を増やした。漆黒の海面からそそり立つ燐光の柱のようだった。それは、意味だった。楽しみよりも高いところにある、最高位の意味。この意味を維持するために、低エントロピー体は存在しつづけなければならない。
それよりもさらに高い意味については、考えても無駄だった。それについて考えても、どこにもたどりつかないうえ、危険だった。それよりもさらに無駄なのが、意味の塔のてっぺんについて考えることだ。そもそも、意味の塔にはてっぺんなどたぶん存在しないだろう。
座標に注意を戻すと、母世界の空を飛び交う行列虫さながら、多くの座標が空間を行き来している。 座標のピックアップは主核の仕事だ。メインコアは空間を通過するあらゆるメッセージを呑み込む。中くらいの膜、長い膜、軽い膜。もしかしたら、いつかは短い膜さえ呑み込めるかもしれない。メインコアはすべての星の位置を覚えている。受けとったデータをさまざまな形式のマップや位置情報と照らし合わせることで、メッセージの発信元の座標が特定できる。メインコアは五億時粒前の位置情報とも照合できると言われるが、歌い手はまだ試したことがなかった。そんなことをしても無意味だろう。それほど遠く離れた時代には、この宇宙に低エントロピー集団はまばらだったし、たがいに遠く隔たっていて、潜伏遺伝子や浄化遺伝子を進化させることもなかった。けれどいまは――
うまく隠れ、よく浄めよ。
すべての座標の中で、偽りがないものは一部だけだった。 234-5
程心は宇宙服の手袋をはずし、冷たい壁に彫られた字の跡を指先でなぞった。それから壁にもたれて、ただぼうっとランプを眺めた。これに似たデザインをどこで見たのか、いまやっと思い出した。 パリのパンテオンだ。その地下にあるジャン・ジャック・ルソーの墓では、これと同じような、たいまつを握った一本の手が突き出している。いま、このランプが放つ弱々しい黄色の光は、電気が発しているものではなく、息も絶え絶えの小さな炎のように見えた。
「あんまりおしゃべりじゃないんだね」羅輯が程心に向かって言った。その声には、程心がひさしぶ りに触れる気遣いがこめられていた。
「この人は前からこうなんです」AAが言った。
「ふうん。昔のぼくはおしゃべりだったけど、そのあと話しかたを忘れてしまった。でも、それからまたしゃべれるようになって、いまはおしゃべりが止まらない。子どもみたいにね。うるさくないかな?」
程心はなんとか笑顔をつくった。「ぜんぜん。ただ...これを目の前にして、なんと言ったらいいのかわからなくて」
そう、いったいなにを言えるだろう。文明は五千年にわたって狂ったように走りつづけてきた。たえまない進歩が進歩をさらにあと押しして加速させ、無数の奇跡がさらに大きな奇跡を生み出して、人類は神にもひとしい力を持った。だが結局のところ、ほんとうの力を握っているのは時間だった。 292
程心は関一帆の肩に頭をつけて泣いた。思い返してみても、こんなに激しく泣いたのは雲天明の脳が体からとりだされたとき以来だった。あれは……千八百九十万三千七百二十九年と六世紀前のことになる。六世紀など、地質時代の長さにくらべれば誤差の範囲だ。しかし、程心がいま涙を流しているのは、雲天明のためだけではなかった。それは、あきらめの涙だった。いまようやくわかった。自分など、風の前の塵、大河を漂う草の葉でしかない。程心はいさぎよくあきらめ、風が自分の中を吹 き抜け、陽光が魂を貫くにまかせた。
程心は時の流れに魂をゆだね、関一帆といっしょに柔らかな腐植土に座ると、沈黙したまま抱擁をつづけた。木漏れ日が地面につくる日の斑が、惑星の自転とともにゆっくり動いていく。程心はときおり心の中で自問した。また一千万年経ったんだろうか。心の中にある小さな理性が、そういうこともありうると告げる。 391
3. 岸政彦 『はじめての沖縄』 新曜社
実際、一九七二年に日本に復帰した後、七五年の海洋博のあたりから、沖縄の景気はずっと悪い。ここ数年は、外国人も含めた観光客の激増という要因もあり、とても景気が良くなってきているが、復帰後の景気の悪さの印象が強烈に残っていて、六〇年代の高度成長期の、勢いのあった沖縄の記憶は、ノスタルジックな物語のなかで何度も呼び覚まされている。
加えて、戦争を否定した平和憲法のもとへ復帰するのだという期待が、基地をそのまま残した復帰という現実に裏切られ、そのことが日本に対する大きな落胆となった。そもそも、沖縄戦そのものが、本土の「国体」を守るための戦いだった。その戦争のなかで膨大な数の沖縄の人びと――大半が非戦闘員の一般市民だ――が殺された。そのときに沖縄は本土に見捨てられ、犠牲になったのだが、基地を残したまま復帰することで、沖縄はもういちど見捨てられ、またもや犠牲になったのである。
本土への強烈な憧れと同時に存在する、強烈な反感。沖縄の「アイデンティティ」には、家族や地域への素朴な愛着から、日本本土やアメリカに対する「拒否の感覚」まで、さまざまな要素がある。 64-5
『ハブと拳骨』2006 https://twitter.com/pherim/status/1518074980747005958
収容所生活も終わり、戦後復興期に入ったとき、沖縄の人びとの暮らしを支えたのは「戦果」と「密貿易」だった。「戦果」とは、米軍の物資を窃盗・横領したり横流ししたりすることをいう。密貿易は、台湾などから船で物資をひそかに運搬し、沖縄や本土まで運んでそこで転売することである。とくに「戦果」のほうは厳密には「違法行為」だが、当時の沖縄の人びとで、それが「悪いこと」だと思うひとはほとんどいなかったと語られた。それは、生きるために必要なことだったし、また米軍も大目にみていたという。
()
沖縄戦と戦後の高度成長期によって、沖縄的なものは失われてしまったのではない。それはむしろ、現在の沖縄的なものの、はじまりの経験だったのだ。 145-6
「沖縄的なもの」について、社会学者は好んで語りたがるが、また一方で、そうした沖縄的なものの語りのなかにひそむ素朴な本質主義の危険性についても語られている。私たちは、沖縄の人びとの暮らしのなかの「独特の感覚」を語るとき、ついそれを文化的DNAだの、独特の風土などという、くだらない、無内容のものに還元してしまう、というわけだ。こういう本質主義は、厳しく批判されることになる。
しかしまた、それを批判する人びとは、「沖縄的なもの」は単なる語り、あるいは「カテゴリー」で、そのつどのその場の会話のなかでやりとりされ、「構築される」ものにすぎないと言ってしまう。そのときそれは、ただの嘘、フィクションになる。
私は、沖縄的なものは、「ほんとうにある」と思っている。あるいは、もっと正確にいえば、ほんとうにあるのだということを私自身が背負わないと、沖縄という場所に立ちむかうことができないような気がしている。 187
沖縄返還50周年を記念して、という後付けのいいがかりも準備しつつ、要は個人的関心から沖縄関連映画のインタビューを行った。
拙稿「どぅなんの風 『ばちらぬん』『ヨナグニ 旅立ちの島』監督インタビュー」
http://www.kirishin.com/2022/05/06/54159/
拙稿「ジェンサンの風 『義足のボクサー GENSAN PUNCH』主演・尚玄インタビュー」
http://www.kirishin.com/2022/05/26/54440/
拙稿「沖縄戦からの風 『島守の塔』主演・萩原聖人インタビュー」
後日URL追記
その関連で読む。よそ者(やまとんちゅ)が近づきたくても溶け込めきれない「沖縄」世界の鳥羽口をうろつき続ける感じが良い。「はじめての」と付くが、この意味では移住しようがうちなーと結婚しようが感受しつづけるのだろうものとして。
原理的には、それぞれの仕事には、その担い手についての内的な必然性はない。私たちは全員、交換可能な存在である。 全員が原理的に交換可能になると同時に「かけがえのない個人」という概念が生じるのは、とても興味深い。しかしこのかけがえのなさは、とても抽象的なもので、それ自体が交換可能である。つまり、「誰もが」かけがえのない個人である、という意味でそれは、全員が交換可能である。あるかけがえのない個人を、ほかのかけがえのない個人に交換しても、そのかけがえのなさは変わらない。ここでも、任意の等価交換がいつでも可能なのだ。245-6
雇われた会社員やアルバイトとして私たち は、つねに流動し、果てしない移動を繰り返し、他人とその場所を交換しあっているが、そこで私たちは突然、透明な冷たい壁に、音もなくぶち当たることがある。
私たちはそこで、実体化した社会という壁に、頭をぶつけているのである。そして実は、言葉というものは、交換できないものたちの間でしかうまれない。言葉はそもそも、なりかわるものができないものたちが、それでも何かを伝え合うためのものだからだ。このようにして私たちは、毎日の生活のなかで、なんとか言葉を紡ぎだしていくのである。
()
私たちは社会のなかで生きているにもかかわらず、 経験を交換できない。これはとても、本質的なことだ。私たちは言葉を交わして、社会のなかで他者と関わって生きているのだが、それぞれの経験や体験を交換することができない。できることはただ、言語という、まったく個人的でないような公共的な道具を使って、おたがいに合理的に「理解」しあうことだけなのだ。
()
沖縄の独自性を、単なるラベリングやイメージに還元しないこと。それは実在するのだ。しかし同時に、そうした独自性を、亜熱帯や「民族的DNA」に還元するような本質主義的な語り方を、一切やめること。そして、できるだけ世俗的に語ること。
「抵抗するウチナンチュ」のような、安易な、ロマンティックな語り方をやめること。しかし同時に、沖縄の人びとの暮らしや日常のなかに根ざしている、日本に対する違和感や抵抗や「拒否の感覚」を、丁寧にすくい上げること。
これまでの定型的な話法からはみ出すような、沖縄の人びとの多様な経験や、基地を受け入れさえするような複雑な意思を、そのままのかたちで描きだすこと。 ()
いまだ発明されていない、沖縄の新しい語り方が存在するはずだ。 248-9
4. TBSテレビ報道局『生きろ』取材班 『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』 ポプラ新書
2021年公開映画『生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事』の監督・佐古忠彦も取材班のひとりだけれど、著者名内の『生きろ』は2013年放送のTBS『報道ドラマ 生きろ 戦場に残した伝言』のほうを直接的には指している。そこから派生した先に2022年7月公開予定映画『島守の塔』があり、その主演・萩原聖人インタビューの準備にあたりまず通読、という流れ。より分厚く通読できるかわからない『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』ほかへの橋頭堡、的な。
『生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事』 https://twitter.com/pherim/status/1533081856794836992
佐古忠彦って、筑紫哲也News23の実戦隊長的な現場中継の立ち姿が自分の印象としては強いので、表現水準的にも高いドキュメンタリー映画の監督になってることは嬉しい驚き。1995年に神戸のまだ煙燻る被災地からの中継で、言葉に詰まり立ち尽くした姿はいまだ鮮明に覚えている。そういう熱さあるひとだから、島田叡に芯の部分で感応したんだろうなと。
本書自体は、端的によくまとまった新書になっていると思います。とくに島田の最期の謎をめぐる記述が読ませる。
5. ウラジーミル・ソローキン 『親衛隊士の日』 松下隆志訳 河出書房新社
「神は興き、其仇は散る可し......」とユヴェナーリー神父が唱える。
我々は十字を切り、拝礼する。私はお気に入りのイコンである炎眼の救世主に向かって祈り、我らが救世主の凄まじい眼力に震え慄く。救世主はおん自らの裁きにおいて厳しく、不屈であられる。その峻厳な眼から闘争の力を集め、己が魂を鍛え、性を磨く。敵への憎悪を蓄える。知性を研ぎ澄ませる。
かくて、神と我らが陛下の仇は散るのである。
「敵に勝たしめ......」
敵の数は多い、これは確かだ。ロシアが灰色の灰から立ち上がるやいなや、自覚を持つやいなや、 十六年前陛下のご尊父ニコライ・プラトーノヴィチが西の大壁の土台に最初の石を置きなさるやいなや、外なる異分子と内なる悪鬼から隔てられるやいなや、敵どもは、あたかもムカデの如く、ありとあらゆる隙間から這い込んできたのだ。大いなる思想がそれに対する大いなる抵抗をも生むというのは真のことだ。我々の国家はいつも内外に敵を抱え込んできたが、聖ルーシ復興の時代ほど敵との戦いが熾烈を極めたことはなかった。この十六年間にいったいいくつの首が処刑台に転がり、いく台の列車が仇敵どもとその家族をウラルの向こうに運び去り、いく羽の赤い雄鶏が朝焼けに貴族の屋敷で鳴き、いく人の軍司令官が枢密庁の拷問台で屁を放り、いく通の匿名の手紙 がルビャンカの〈言と事〉箱に投げ込まれ、いくつの両替官の口に違法に貯め込んだ紙幣が詰め込 まれ、いく人の書記官が煮えたぎる熱湯で茹でられ、いく人の異国の使節が三台の黄色い恥の〈メーリン〉に引きずられてモスクワから追い払われ、いく人の報道者が尻に鴨の羽を突っ込まれてオスタンキノ・タワーから突き落とされ、いく人の煽動三文文士がモスクワ川に沈められ、いく人の貴族の未亡人が羊毛の長外套に包まれ、裸で失神した状態で親元へ送り届けられたことか......。
毎度、ウスペンスキー大聖堂で蝋燭を手に立ちながら、私は内に秘めたある反逆的な考えに思いを巡らせる。もし、我々がいなかったらどうなっていただろう? 陛下ご自身のお力で切り抜けられただろうか? 銃兵に、枢密庁に、それにクレムリンの連隊だけで足りただろうか?
そして、合唱に合わせ、心のなかで静かにつぶやく。
「否」
39-40
2028年のロシア。帝政が復活したクレムリンの壁も赤の広場も白く塗り替えられ、復活した帝政を支える親衛隊士=オプリーチニクたちが生まれ変わった《白の広場》を闊歩する。否、赤いメルセデスに乗って行き交う。
ロシア語に大量の中国語が混ざり込む描写のリアリティたるや、ウクライナ侵攻後ロシアの中国依存をまさに預言していて笑う。以前『青い脂』を読みかけて放置していたソローキン、向き合う気力体力さえあれば面白いんだな『青い脂』も楽しみになってきたなと思う昼。
塔に住まうは不遜な輩 面皮の厚い恥ずべき輩 まるで神を畏れぬ輩 そして神を信じぬ輩は 己が穢れた罪にどっぷり浸かり いつまでも現を抜かしては よろず聖なるものを愚弄する 愚弄しては嘲笑し 悪魔の所業で己を覆う 皆が聖なるルーシを蔑む 正しき教えを守る聖なるルーシを 皆が真理を笑い物にする 皆が神の名を辱める
我らはこれより心置きなく 果てなき青空を飛んでいく 近隣の商業国を越え 鬱蒼たる森や林を越え 自由なる緑の野や原を越え 透き通る川や湖を越え ヨーロッパの古都を越え さらに根気強く飛んでいき 大海原のはるか先にある 神を信じぬ国へと至るのだ 104-5
直上引用部は、半角スペース箇所で実際にはすべて改行され、現代へよみがえった「親衛隊」(опричники)の行状が叙事詩調に謳いあげられる。その調子は10ページほどつづき、下記のごとく突如転調する。
第三の十の昼を飛び越えて 第三の十の夜を飛び越えた 目をやると神を信じぬ国が見えてきた すかさず隙を突いて飛びかかり 七つの頭で燃やしにかかった 七つの頭で、七つの口で 不信心者どもを貪り食らう
食らった骨はべっと吐き出し、また焼いて燃やしにかかり、悪党どもを、悪党のなかの悪党どもを、胸くそ悪い父なし子どもを、神を信じず面の皮が厚くすべての神聖なるものをすべての至聖なるものを忘れたやつらを焼いて燃やすアスモデウスの末裔の如くゴキブリの如く悪臭芬々たる鼠の如く焼き尽くさねばならぬ情け容赦なく焼き尽くすきれいさっぱり焼き尽くす呪われた父なし子どもを焼く純粋で穢れなき火で焼いて焼いて焼くそして窓に一枚ガラスの固い窓に頭突きをかます一 発目は持ちこたえ二発目でひびが入り三発目で割れる己の頭を薄暗い部屋に突っ込む悪党どもは天罰を恐れて隠れたが見える我の黄色い目は暗闇でも見えるよく見える目を凝らして最初の悪党を見つける四十二歳の男衣装戸棚に隠れていた広い炎で戸棚を焼く戸棚が燃えるのを眺めるしかしなかに座り込んで微動だにしないやつは恐れている戸棚は燃えている木材がぱちぱち音を立てているしかし出てこず我は待つが我慢できない叫び声を上げて扉を開け放ち我はやつの口に細長い炎を我が忠実な炎の串を放ちやつは我の炎を呑み込む呑み込んで倒れる続けて我は二人の子どもを六歳と七歳の娘を探す幅広いベッドの下に隠れていたベッドに幅広い炎を浴びせるベッドが燃える枕が燃える衣服が燃える二人は我慢できずベッドの下から飛び出す扉に向かって走る後ろから広い扇形の炎を吐く燃え上がる燃えながら扉にたどり着く続けて探すもっとも甘美なものを探す女を三十歳の臆病な金髪女を見つける浴室の洗濯機と壁の間に隠れていた肌着一枚で座っているむき出しのお膝がだらしなく開いている恐怖で麻痺しているつぶらな目でこちらを見ているが我は急がず鼻の穴で女の眠たげな匂いを吸う女の近くに近くに近くに近づく愛撫するように見る鼻でお膝に触れるそっと押し広げる広げる広げるそれから極細の炎を我が忠実な炎の串を吐く女の胎に吐く狭く吐くそして女の震える胎を炎の串できつく満たす女は非人間的な声で泣き喚く我は炎の串でゆっくりと女を姦る姦る姦る姦る姦る姦る姦る姦る姦る姦る姦る
108-110
太字修飾ママ。本書の読み味が凝縮された箇所なので全引用してみた。
私はユダヤ人に対しては常日頃から穏健な考えを持っている。私の亡き父も反ユダヤ主義者ではなかった。バイオリンを十年以上嗜んでいる者は誰でも自動的にユダヤ人になっちまうのさ、と口癖のように言っていたものだ。母上――あなたが永遠に追慕されんことを――もまたユダヤ人のことを穏やかに受け取っていたが、我々の国家にとって危険なのはユダヤ人ではなく、ロシア人の血を引きながらユダヤ人のように振る舞っている、似非ユダヤ人の方なのだと言っていた。数学者の祖父などは、小僧の私がドイツ語の勉強を嫌がっていると、ちょっとした詩を朗読してくれたものだ。それはソ連の詩人マヤコフスキーの有名な詩をもじり*1、祖父が自ら作った替え詩だった。
もし俺が
年老いた
ユダヤ人だったとしても
それでも
nicht zweifelnd und bitter*2
ドイツ語を
学んだだろう
それを話していたという
ただそれだけのために
しかし、皆が皆、私の親類のように親ユダヤというわけではなかった。憎悪の発露が起き、ユダヤ人の血がロシアの大地に流されることもあった。こうしたことはどれも〈正教徒氏名〉に関する勅令が下るまで燻りつづけた。この勅令により、正教の洗礼を受けていないロシア国民はすべからく、正教徒の氏名ではなく、彼らの国籍に応じた氏名を名乗らなければならなくなった。その後、我々の国の多数のボリスがボルーフになり、ヴィクトルがアグヴィドルになり、レフがレイプになった。かくて、いと聡明なる陛下はロシアにおけるユダヤ人問題を最終的にきっぱりと解決なさったのだ。陛下は利口なユダヤ人たちをすべてご自身の翼下に収められた。愚かな連中は方々に散らされた。そして早々に、ユダヤ人がロシア国家にとって甚だ有益であることが判明した。財政、商業、外交において、彼らはなくてはならない存在だった。
しかし、陛下のお后様となると、これはまた別の話だ。これはユダヤ人問題ですらない。血の純粋さの問題なのだ。仮にお后様がタタール人やチェチェン人の血を半分引いていたとしても、同じ問題が残っただろう。もはやそのことからは決して逃れられない。そして神に栄えあれ......。
*1 もし俺が/年老いた/黒人だったとしても/それでも/倦むことも怠けることもなく/ロシア語を/学んだだろう/レーニンが/それを話していたという/ただそれだけのために。[原注]
*2 疑うことも苦い思いをすることもなく。ドイツ語。[原注] 181-3
拙稿「ルーシの呼び声 (3)」 http://www.kirishin.com/2022/07/06/55065/
6. 黒田龍之助 『ロシア語のかたち』 白水社
よみめも19の山田均『タイ語のかたち』と同シリーズ。語学といえば白水社、が出すだけあって、どちらもシンプルなつくりだけれど練られていて習得度高い優れものだった。街の看板表示を読み取ることに力点置くあたりもタイ語のかたちに共通する長所。黒田龍之助って前に新書本も読んだけど、依然輪郭のつかめない謎の人イメージ。肖像画がシルエットだけで中央白抜きで?マークが浮かんでる感じ。ともあれ要領の良い書き手としての信頼度はまた上がったなど。
7. 川添愛 『言語学バーリ・トゥード Round1』 東京大学出版会
軽い読み物感と頭の体操になる感の塩梅が好ましい。言葉の意味を単語の内側に求めがちな一般人が犯しがちなコミュニケーション齟齬を、内側の空虚をよく知るその筋の専門家が解き明かす実際面の切り口と言い回しが逐一楽しい。プロレスファンならさらに楽しいのだろう。
自分の主張に使う言葉の正しさを「辞書によれば~」みたいに補強する人間(のいる風景)が昔から嫌いなんだけど、なんかそういう無自覚のおもねりを股裂きの刑に処すような痛快さがあって良い。いや誰かを批判してる本ではまったくないのですけどね。
8. 森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』 角川文庫
アニメは観ているけど原作を読んでいない『四畳半神話大系』のほうをさきに読みだす気になったのだけど、手元へくる順でこちらから読むことに。木屋町、先斗町から祇園、京大、北白川のあたりを舞台とするコンパクトな空間性と、三階建て電車や深淵な奥行きもつ古書店などブラックホール的特異点のかけ合わせに想像力が刺激され良い。古書店パートはやはり自分が携わったあとと前では映えかたが違うなと。
あと羽海野チカ画によるたった見開き2ページの「あとがきにかえて」の訴求力、イメージ喚起力が凄くて、凡百の長文解説の類っていったい何なんだなどおもう。
で、アニメ版観始めたら予想外に原作通りで、飽きて途絶なう。同じ湯浅政明アニメ『四畳半神話大系』は神感しかなかったのだけど、案外さきに原作読んでたら同じように感覚したのかも。どうだろう。
9. 鈴木健一 菊池昌彦 他 『なるほど!よくわかる朝鮮半島の歴史 ~韓流歴史ドラマがもっと面白くなる!』 洋泉社MOOK
3パート構成。副題の「韓流歴史ドラマがもっと面白くなる!」をめぐる記述はうち主に冒頭カラーのパート1部、担当著者は菊池昌彦&西森路代。パート2が歴史概説で鈴木健一。西森は東アジア映画&ドラマTLではよくみるので個人的におっと。
ホン・サンス映画主演履歴もある韓流女優&『ポーランドへ行った子どもたち』監督チュ・サンミへの単独取材を前に、朝鮮半島の歴史をおさらいしとかないでは、という目論見から通読。観始めれば面白いことは予想できるも韓流歴史ドラマはいまだ全くの未見だけど、渤海国舞台のとかかなり興味深い。日本でいうとアイヌ物の感覚に近いのだろうか。
結果、得た知識が直接的に役に立つことは皆無だったが、「準備はしたぞ」という精神的余裕の補充にはまぁ意義あったかの。
拙稿「信従のまなざし、遠流の明晰。」http://www.kirishin.com/2021/11/19/51548/
『ポーランドへ行った子どもたち』 https://twitter.com/pherim/status/1532560873973501952
拙稿 「ある脱北少女と韓流女優の祈り 『ポーランドへ行った子どもたち』 チュ・サンミ監督インタビュー」
http://www.kirishin.com/2022/06/13/54644/
10. 福冨渉 編訳 『はじめてのタイ文学2016 現代タイ文学の作家10名10選』 SOI BOOKS
朝のトイレで1,2篇ずつ読む。つまりは大のほうで、1週間くらいをかけ読み通した。読まない日は、11時からの上映で不覚にも席をたつ羽目になったので、朝はトイレでタイの小説を読んだほうがよいというライフハックを得た。起き抜けには白湯を飲んだほうがよい、みたいに。ふだん映画館では通路際の席へ座ることが多いのに、こういうときにかぎって珍しく、真ん中に座っていたりする。
最終話が、巨大高級モールのカフェに各動物種族の客層が集う描写から始まっていて、キリンカフェが好きな猫とか登場するのだけど、これ完全にサヤーム~プロンポン界隈をゆきかうアラブ富裕層や東洋人や白人のメタファーになっていて、自身のバンコク感覚ととても親しいものを感じて和む。全編読みたい感じは他の作品もみな同等にあるのだけれど。
▽コミック・絵本
α. 原泰久 『キングダム』 24-31 集英社
同じ武闘者描く漫画でも、史実ベース作はドラゴンボールと違って強敵スケールの桁をどんどん上げることができないのはつらいとこよね。
でまぁ登場キャラがあらゆるバージョンで限界までイキり尽くすのだけど、そして城壁内の一般民衆が武将や王の飛ばす檄にブチ上がったりするのだけど、唐突にそのノリが超絶滑稽に映りだし、まったくノレなくなって一瞬困った。これ明らかにウクライナ戦争の影響なんだけど、まぁそういうこともあるんだなって新鮮ではある。感性の自動調律のようなものが働いて、わりとすぐまた入り込んで楽しめるように戻ったのだけど。
函谷関と武関。気になって地理歴史などググり確認。思いのほか北だったのと、30巻前後の李牧別働隊と同じくのちの劉邦は南から入って咸陽落としたんだね、という2へぇ。
β. ヤマザキマリ とり・みき 『プリニウス』 11 新潮社
プリニウス幼年篇および青年篇。おのおの1巻以上の長さで読みたいくらいで、ネロにはあんなこだわったのにここ駆け足なのはもったいない。まぁ、合作だしそんな長く続けるモチベーションはないのだろうけど。
あと騎兵による槍投げの使用についての論著成立へ至る軍役描写など意外性 突如のヴィンランドサガとかヒストリエ感(欧州戦史物感)あってよい。ただ格闘シーンとか戦場における緒戦描写なんかは致命的に下手で、流れのある動きを描くのって才能なんだなと。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ https://amzn.to/317mELV ]
γ. 藤本タツキ 『チェンソーマン』 1-4 集英社
かなり前に漫喫かどこかで1巻だけ読みかけた本作だけど、ルックバック&さよなら絵梨の流れで読みだす。ふつうに面白いのだけど、やはり両短篇のパンチに欠けて映るあたりは、このひとの構成力を逆に証しているのかもしれず、などおもう。学園要素を警察特殊課に置き換えた呪術廻戦みも感得。
δ. 『ロコロココミック』
『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』鑑賞時、シネコン姐に授かりし一冊。
とくにジャイアンとしずかちゃん周辺に今ならポリコレ的にNGなネタも満載なんだけど、こども向け付録なら見逃されるということなのかどうなのか。
コロコロコミック公式に由来説明発見。→https://corocoro.jp/news/326391/
『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』 https://twitter.com/pherim/status/1502487576904540160
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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