・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌は特集記事通読のみでも扱う場合あり(74より)。部分読みや資料目的など非通読本の引用メモは番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。
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1. 最果タヒ 『不死身のつもりの流れ星』 パルコ出版
美しい枝が、空の骨のように、露出している、冬は目の中にある夢が、それらにからめとられて、わたあめのような雪を作っていく、目が覚めたら白くうすく積もった、アスファルトが、踏むと少し見えて、きみは桜の話をする、生きていくことに答えがあるわけがない、
桜色の詩 30
春ののどけき
本当なら人は好きという気持ちより、自分の心臓のなかにある花畑の住所を伝えるべきだ、地上のどこかにはかならずあって、きみを手に入れたい、と言うしかなかった感情が、白い質素な花を咲かせている、言葉は愚かだな、すぐに暴力的なことを伝えてしまうな、きみに安心をもたらすためだけにある花畑、風が吹いて黄緑と白が混ざり合って楽譜のようだ。
愛していると伝えると、すべて台無しになる、
だから、愛してほしいと願ってしまう。
ここまで、来てほしいと。 33-4
彗星たち
きみじゃないとだめなんて、そんな都合のいいまぼろし、口にさえできない。美しい水が流れていくからついていった、私が体を持ち、自由なふりをしていても、本当はすべての行き先が決められていると何度も思う。夜の濃くなった緑の中から、ピンク色の雲を見るとき、わたしは真っ暗な宇宙を思い出して、当時恋人だと信じていた、自分の体が燃えるあの音を、思い出していた。すきって言わなかった、すきって言わなくても、この世界にはわたしときみしかいなかった。 36
美しく美しくと泣いている骨でも肉でもないぼくの湖 39
きみを美しいと思うとき
ぼくはできればだれかを裏切っていたい、
まばたきの回数でこの火は簡単に消える、
世界がとても恐ろしいというだけなのに、いい人だと思われて、
ぼくは急に暴力を振るいたくなってしまう、
できないから、愛とか語るんだけど。
悲しみについてだれも知らないらしい、
だれも悲しみを、 きみの心臓が生んでいるとは知らないらしいよ。
ときどきぼくがきみを不幸にしていると思うのだけれど、
きみが美しいから、許されていると感じるんだ。
ろうそくの詩 25
きみのことを好きだって言ったスピードのままでぼくが生きていくならあっという間に死んでしまってきみの返事も聞けないんじゃないかな 28
薔薇をのぞきこむときと、
ホテルの部屋に初めて入るときは、すこし似ていて、
ぼくはしばらくのあいだだけ、
ここに身を預けるのだと、ふと気づく。
すとんと床に荷物が置かれたような、
なにかが軽くなる感覚。なにかを、忘れていく感覚。
さみしさよりももっと、安心に似た心細さに、
名前をつけなかった人類を、ぼくはたぶんずっと愛している。
ホテルの詩 47
網膜の詩
きみは愛されているけれど、美しい緑色の茂み、紫色の影が潜んでいて、覗き込むと茶色の枝だけがこちらを見ていた、きみの瞳みたいだ、ただの網膜があって、その中で踊っていた人が行方不明になる。 恋をすると、見つめ合うと、抱きしめ合うと、いなくなる、いなくなるその人に、一度ぐらい恋をしたいのに、きみが、私に好きと言う。 60
きみが見ている眩しすぎる光が、わたしには
きみそのものの輝きに見えるんだよ。沖合で
水面が光をボールがわりにして遊んでいる
いつもどこかでは朝焼けで、はじめて空を飛
んだ鳥がいる、なにも知らない私は、なにも
知らないから、羽ばたきや赤色の空を知らせ
る、風のひとすじのように、きみに、きれい
って言いたかった。光が、朝焼けが、海が、
すべてのきれいなものが好きになる。きみが
残してくれたもの。
宝塚駅の詩 67
指輪に刻まれた詩
夕焼け(あなたとなら琥珀になってもいい)
()
唱える、私たちの愛は永遠、こんな時間でさえも、昼間のひとりの、ひざしのなかで、肌にあったさみしさよりはましだった、私は昔々とても不幸で、しんでみたかった。 82-3
あの頃の私にはわからなくていいよという態度でいることはとても難しくて、それを言い当てられた気がして恥ずかしかった。 私はずっと誰でもいいから話を聞いてほしくて、誰でもいいから好かれたかったのかもしれない。 好かれたかったけどその人が好きなわけではなかった気がする。そういうことが全部バレてしまった気がして、居心地が悪かったのだ。
あのころ、自分のことが好きなんだねなんて言われたら、苦しくて泣いてしまっただろうなぁ。 自分を愛しているというより、愛せる他人がいなかった。「きみ」と呼べる人がいなかった。そういうさみしさをどうしたらいいのかわからなくて、他人に伝わらない話をして、わからないよと言われて泣いた。私の話なんて本当はしたくなくて、でも当時の私には私の話しかできなかった。自分のことなんて愛してないけど消去法でそうなってしまうんです、と叫び出したくなる「自己愛」が苦しくて仕方なかったのです。
あのころ、詩が書けていたら、と思う。詩を読むことができていたら。「きみ」が空洞のままで書かれているのを読めていたら。そこに孤独があったなら、私はどう思っただろう。詩を書くときにだけ、思い出す心細さがあって、あれは多分当時からずっとあるものなのかもしれない。あのさみしさが思い出せなくなったらきっと私は詩の書き方がわからなくなるでしょう。
詩にしかふれられないさみしさがあると、私が信じている理由はこれです。
読んでくださってありがとうございました。 92-3
2. 村田沙耶香 アルフィアン・サアット他 『絶縁』 小学館
9つの国/地域から9人の作家が参加したアンソロジー。
各話想起に便利なので、公式の紹介文を下記引用する。
突如若者に舞い降りた「無」ブーム。世界各地に「無街」が建設され――。
(村田沙耶香「無」)
夫がさりげなく口にした同級生の名前、妻は何かを感じとった。
(アルフィアン・サアット「妻」/藤井光・訳)
ポジティブシティでは、人間の感情とともに建物が色を変える。
(ハオ・ジンファン「ポジティブレンガ」/大久保洋子・訳)
先鋭化する民主化運動の傍らで生きる「あなた」たちの物語。
(ウィワット・ルートウィワットウォンサー「燃える」/福冨渉・訳)
都市に走った亀裂、浸透する秘密警察、押し黙る人びと。
(韓麗珠「秘密警察」/及川茜・訳)
ブラック職場を去ることにした僕。頭を過るのは死んだ幼馴染の言葉だった。
(ラシャムジャ「穴の中には雪蓮花が咲いている」/星泉・訳)
家族の「縁」から逃れることを望んできた母が、死を目前にして思うこと。
(グエン・ゴック・トゥ「逃避」/野平宗弘・訳)
3人の少年には卓球の練習後に集う、秘密の場所がある。
(連明偉「シェリスおばさんのアフタヌーンティー/及川茜・訳)
6人の放送作家に手を出した男への処罰は不当か否か。
(チョン・セラン「絶縁」/吉川凪・訳)
上記、順に日本/シンガポール/中国/タイ/香港/チベット/ベトナム/台湾/韓国。
大陸中国の郝景芳をハオ・ジンファン、香港のホン・ライチューを韓麗珠と表記されてるの不思議。(映画だと慣用的に逆)
よみめも番外にあたる記事「芥川賞を予想する」の総論部で、芥川賞受賞作に代表される日本の「純文学」の狭さと「エンタメ」との区分けによる中間項の喪失を腐したけれど、直近に読了したものとして強く念頭にあったのが本作。村田沙耶香は目下日本の純文学スターで、この短編集でも冒頭を飾り圧倒的に長い紙幅を許されているけれど、残念ながら一番つまらない。というか、なんか他と毛色が違いすぎて並び立ってる感にさえ欠けてみえる。
狭いジャンルは他にも沢山あるしあっていいから純文学そのものを腐したいのではなく、日本の出版文化が「純文学」と「エンタメ」の間隙にある表現領域を抹消しつづけてきた傾向こそがこのガラパゴス変態状況を招いている。『絶縁』でも村田沙耶香以外の8カ国/地域の若手作家の小説は、いずれも「純文学」にも「エンタメ」にも入りにくく、日本で同様の作品があっても芥川賞も直木賞も獲りようがない種のものだ。かつ、文学作品として面白い。
これはでも、書いているうち「文学」だけではまったくないなと気づかされる。というか『十年』香港版およびタイ版と、是枝監修の日本版との比較で4年前に同じことを書いて国際交流基金本へ寄稿していたのだった。
タイと香港の反政府運動の混じり合いが、極私的な交接と並行して描かれるウィワット・ルートウィワットウォンサー「燃える」が、やはりピカイチに強い印象残る。
各訳者の解説も読ませる。おまけで語る作家の佇まいが素敵な動画を。↓
3. スタジオジブリ編 『宮崎駿とジブリ美術館 [1] 美術館をつくる イメージボード、スケッチ集』 岩波書店
三鷹の森ジブリ美術館、短編映画も観てみたいしいつか行きたいと思いながら、「でもきっと数カ月先までチケット採れないんでしょう」とか思い込んでいまだに行ったことがない。井の頭公園の奥にあることすら今さら知った。
大判本で、美術館構想時の宮崎駿によるイメージイラストやスケッチだらけで、あらゆる箇所で夢が語られ、現実との接合のなかで具体案へと落とし込まれていく過程が垣間見えて興味深い。
にしても、想像力の宝庫すぎてね。ジブリブランド確立後ゆえのサポート体制を通じた、宮崎駿空想世界の顕現力の凄まじさとか。あと大学生時の油画とかけっこう迫力あって、アニメ画と全然違う奥行きがいい。ルオー+マティスみたいな群像画(↑冒頭画像)とか、ミロ野獣派期みたいな抽象画など。
『君たちはどう生きるか』 https://twitter.com/pherim/status/1680550137427369984
次回よみめもで扱うだろう2巻の『企画展示をつくる 2001年〜2020年の軌跡』と併せ600頁、27500円。お高いけど全英訳もついてるし、息長く売れるのでしょうね。岩波の美術本はしっかりしてるし。
『君たちはどう生きるか』鑑賞の流れで手にとった(お金厳しいので図書館借りですけど)のだけれど、宮崎駿作品世界の場合、画や物語の空白を埋めるためにギミックや設定が準備されるのではないし、構築された世界設定の細部各々が物語へ結びつく有機的関係性の緊密さこそ特徴なのだなとあらためて。
いや、ま、とりあえず四の五の言わず、まずは一度行っておこうと思いました。この秋にも。
4. 乗代雄介 『それは誠』 文藝春秋
僕たちは武蔵野線に揺られながら眠りこけているところで、今こうしてる僕たちは、そこで見ている夢みたいなものだ。何もかも、夢みたいにはっきりしない。 84
全編に横溢する箱庭感が良い。修学旅行時にグループで教師の目を騙し、主人公の叔父へ会いに行く筋立ての内に、ジュブナイル冒険譚や私小説的な屈託や、淡い恋や発達障害児の生きる世界描写や、武蔵野線を使った列車トリックまで入り込む。それら諸要素はいずれも、いつかどこかで読んだりみたりしたことのある懐かしさを抱かせるが、その連なりそのものに一貫した本作固有のムードが看取され、総体としてまとまりのある読み味を感覚させる。
けれども若干、導入部のガチャガチャした感じは気になる。この長さでの「涎」の描写はほんとうに有効なのかとか。
それを見ていた若い母親が、彼らよりもさらに小さな息子をささやかな落ち葉と光で包んでやり、公園中に響く嬌声を引き出した。
僕らは一言も喋らず、全員でその様子を長いこと眺めていた。僕が一番ぐっときたのは、その遊びの偉大な先駆者が、おしまいの方にはその輪を離れてたことだ。彼女は一度、自分の水筒に戻って喉をうるおすと、荷物番の保育士と話を始めたまま、二度と戻らなかった。
そういうのを見て松が何を考えてたのかは、僕にはわからない。でも少なくとも、間の悪いところで出発しようとはしなかった。松がそうしたのは、園児たちに集合がかかったところだった。自分もそこへ行こうとするみたいに、勢いよく立ち上がった。 56
僕も借りてぱらぱら読んでみたけど、ことわざってのは実にいいもんだとしみじみ思ったね。なにしろ、今も昔もみんなが同じ意味で使ってきたんだから。例外はあるけど、基本的には、古来せっせと口にしたり紙に書いたり電子機器に打ち込んだりしながら、こぞって意味を揺るぎないのにしてきた。意味っていうのはそんな風に、墓を踏み固めるみたいにして埋まってるべきもんなんだ。自分だけのって枕詞で言の葉をお楽しみの奴らにはバカバカしくって付き合いきれない。僕はもう、ことわざしか信じたくないって気分だ。
なんでこんなの載ってるんだと思ったからよく覚えてるけ ど、〈眼光紙背に徹す〉のページを読んでる時、突然、松がのばした自分の足を落ち葉に埋もれさせて、斜面に横たわった。「は、葉っぱかけて」と言ったあと「い、い、いいよ」と付け足した。 68-9
第169回芥川賞最終候補作。
「芥川賞を予想する」 https://tokinoma.pne.jp/diary/4984
芥川賞落選当夜の本人ブログ
[ https://norishiro7.hatenablog.com/entry/2023/07/19/180000 ]など周縁のことどもをめぐり、思ったことなど上記投稿コメント欄に書きました。
「帆一郎はね、あなたが学校で一番やさしいって」
言葉が首筋を這って、耳の後ろに回りこんでいくような感じがした。瞬間、道を下ってきた車のライトに背後から照らされて、僕たちの影が足元からふいにのびた。車が曲がってむしり取られるように消えた後には、アスファルトがさっきより鈍い闇となって広がった。
「あなた、佐田くんでしょ?」
「そうです」
()
「帆一郎も連れて行ってくれたのね。それだけでうれし くて」
僕は聞きながら、萎れてはいたけど上げたままだった左の親指をしまった。なんか、その腹がすごく寒々しく感じたん だ。この指はタイピングでろくに使わないから、あんまり面の皮が厚くできてないんだろう。 87
5. 燃え殻 『ボクたちはみんな大人になれなかった』 新潮社
スーは、体育座りをしたままコトリと倒れて、ベッドで丸くなった。寝ぼけまなこのまま、ジェルを前髪に雑に塗って、ぼんやりしているスーに声をかける。
「んじゃ、行くね」
「うん」スーの大きな瞳の視線の先にボクは映っていなかった。心ここにあらずという感じだ。しばらく押し黙ったままだったスーがいつものようにボクを呼ぶ。
「あなた」
「ん? どうした?」
「忘れ物」
「忘れ物? は、ないと思うよ」
「だね」スーはそう言うと笑顔を作って見せた。
「行ってきます」
「うん」扉が閉まりきる直前、スーはベッドの上で背中を向け、丸くなったまま片手を挙げて、手を振っていた。ボクは少し呆れながら遅刻を挽回しようと非常階段に急いだ。
次の日の早朝、佐内の自宅と所有物件に国税局査察部の家宅捜索が入った模様が、各局のニュースで流れた。 123-4
映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』が、なんの期待もせずネトフリで観始めたら主演の森山未來からヒロイン伊藤沙莉、親友役/東出昌大はじめ想定外に良くて、原作も一気読みできたし小説として楽しめた。
映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』Netflix他
https://twitter.com/pherim/status/1678597771392335872
著者はまずTwitter垢として知っていたためもあり、芸能TV業界人が出した小説という偏見からこちらも期待値はかなり低めだった。けれどのっけに宇多田ヒカル『Automatic』を出し、小沢健二各曲やUA『数え足りない夜の足音』へ、あるいは『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』から『エヴァンゲリオン』へと固有名の散発的な挿入を継いでいく感じは、同世代読者への情操的な喚起力とセレクトされる具体名の大衆性が秀逸だなとおもう。なにしろ登場する舞台が渋谷・中目黒から六本木界隈の「業界エリア」へ集中するため、固有名は全国区でないと読者の幅が確保されない。自伝的でありながら、ここは著者が実際に浸ったであろう“渋谷系”のエッジ部分が意図的に排除されたと推察できる。
前半で一度登場する「南極観測隊の夫へ送った3文字」のエピソードが後半でくり返されるのが上記引用部。ファム・ファタール的な全編のヒロインとはべつに、夜の底で出逢うラスボスのような女として登場するスーとのさり気なさ過ぎる別れの場面が、実は伏線回収であったと数ページあとに続く下記引用部で明かされる。このへんもしっかり巧緻が凝らされ、ふつうに作家として能力の高いひとなんだなと。
DJは早口のバリトンボイスで続ける。
「1957年、日本初の南極観測隊が南極に近づいていました。当時、電報は高級なものでした。そこで南極に向かう夫に向かって、妻は短い電報を送りました。う~ん、 ロマンチックですね」
あの時の少し酔い過ぎて顔を赤らめたスーの顔が頭をよぎり、玄関の扉が閉まる寸前の、背を向けたまま手を振る姿が浮かんだ。
「そして、その妻はたった3文字の電報に愛のすべてを託したのです。そう、たった 3文字で愛を伝えたのです。『アナタ』と」 127-8
6. 石田夏穂 『我が手の太陽』 講談社
熟練溶接工の逡巡。溶接や解体の現場をめぐる細部描写、具体的な工程描写がひたすら面白い。工員の煩悶をめぐる小説ながら、社会批判の視座をほぼ持たない語り口は逆に新鮮。令和だなというか、醒めた俯瞰視座の埋め込まれ感にAI共生時代の兆しを深読みできなくもない(かもしれない)。
しかし、「溶接工だけが知る火の本質」に固執するわりに、機器や化学現象に関する具体記述の深度に反して、火の描写があまりにも単調で惹かれないまま終わってしまうのは惜しい。
結果、こんなに長い必要のある作品だったかという疑問が生じる。
ミニマルな読み味は好きなので、他作も読んでみたく。
第169回芥川賞最終候補作。
「芥川賞を予想する」 https://tokinoma.pne.jp/diary/4984
7. 大沢在昌 『売れる作家の全技術』 角川書店
もちろん、考えることは苦しいでしょう。でも書くことは楽しいはずです。 193
読者が小説を読むということは、理解をしたいということなんですね。登場人物の行動原理が理解できるかどうかということが、読者がその小説に入っていけるかどうかという部分と深く関わってくる。主人公、敵役、恋人、すべての人間の行動が、「この人だったら、こう行動せざるを得ないんだろうな」と読者に理解されること。()どんな人間であっても一〇パーセントくらいは理解できるというキャラクターを設定すること。そして、自分がその登場人 物の立場に立って、なぜそんな行動をとるのかと聞かれたときにちゃんと答えられるだけの理 論武装をした上で書くことが大切です。 212
編集B 児童文学の角野栄子さんから聞いたお話ですが、彼女が「魔女の宅急便」を書き上げ たときは続編やシリーズ化などまったく考えていなかったそうです。 とにかく、キキというキ ャラクターを全身全霊で書いた、二〇〇パーセント書き尽くした、だから書き終わったとき、 自分の中は空っぽで、読者や編集者から第二弾を書いてほしいと言われても、「もう、何も書 けません」と言っていたということでした。目の前の作品にすべてを注ぎ込んだ、その結果と してシリーズ化されるほどの強い作品になったということなんだと思います。 最初からいろんな可能性や広がりを目論むのではなく、まずは目の前の作品に全力を尽くすこと、出し惜しみ せずにすべてを注ぎ込むことが大事なのではないかと思います。
大沢 今の話、すごくよくわかります。部屋を隅から隅まで全部調べて、もうこれ以上調べる ところも行ける場所もないと思って初めて、もう一枚のドアが開くとか、キャラクターが出来 上がれば出来上がるほど、まだ書いてないことがあったと気づくということが作家にはあるんですね。ですから、そのとき思い浮かんだことは全部書く、全力で書くというのはものすごく大切なことだと思います。 204-5
「君はお茶が好き? それともコーヒー?」と聞かれれば、「コーヒーです」と答えるし、「砂糖は入れる? それともブラック? ミルクは?」とさらに細かいところまで突き詰めて考えていく。つまり、役のキャラクターを台本に書かれていない部分まで、より具体的に、リアルに、細部まで細かく作り上げていくというのが、スタニスラフスキー・システムと言われる方法論です。
小説の登場人物にも、私は同じことが必要だと思います。重要な役になればなるほど、この細部がきちんと出来上がっていないと、小説の中でキャラクターが立ち上がってこない。キャラを立たせる、生きたキャラクターを描くというのは、その人間があなたの中で、あたかも実在しているかのように、はっきりとした個性を持って生活できるかということです。そこがきちんとできていれば、たとえワンシーンしか出てこない役でも、あるいは細部の描写が一切なくても、読者にはなぜかそのキャラクターが生きて伝わるんですね。
キャラクター表を作って、一人一人の登場人物について思いついたことをどんどんメモしていくという方法もいいでしょう。最初からすべてのキャラクターが出来上がっているわけでは ありません。途中から登場する人物や脇役でも、メモをどんどん増やすことで人物に厚みが増します。この厚みこそが物語を面白くするということを覚えてください。 57
ベストセラーを出すだけが作家の価値のすべてではない。文学賞を取るという形で評価される人もいるでしょうし、きちんと読んでくれるいい読者がつくという場合もある。そもそも、本来好きじゃないもの、柄に合わないものを書いてうまくいくことはまずありえない。その人が一番書けるもの、合っているものをきちっと書き続けることでしか、作家としてのポジションを築くことはできないと思います。「この小説はこの人にしか書けないよね」というものを書かなければいけないということです。「こういうものを書く人は他にもいっぱいいるじゃん」と思われるようなものを書いていてはダメ。「これは売れそうだ」「これなら読者が増えるだろう」などと思って取りかかってうまくいくほど小説は甘くはないし、小説の読者はヤワじゃない。 272
プロになるのは並大抵なことではないし、プロになってからは、並大抵という言葉では表せないほど大変なことが待っているということを、この最後の講義で皆さんにお伝えしたつもりです。自分を苦しめ、追い詰めて、これ以上ないと思った、さらにその先があると信じて書くこと。一〇〇パーセントの力を出し切って書けば、次は一二〇パーセントのものが書けるし、限界ぎりぎりまで書いた人にしか次のドアを開けることはできません。それを超えた人間だけがプロの世界で生き残っているんです。偉そうなことを言いますが、私自身がそうだったからこそ、断言できます。 284
8. 千葉雅也 『オーバーヒート』 新潮社
あなたには大事なものがある、などと言われるのは屈辱的だ。何が大事かは僕一人で決める。
了解、お盆のときに見に行きます。とでも返事をすればいいが、なんとなく後回しにし、ナイキの紺のウインドブレーカーをはおって自転車で例の喫茶店に行き、今日はホットドッグとアイスコーヒーにした。 ここのホットドッグはケチャップとマスタードに加えて得体の知れない白い精液めいたソースがかかっている。その味はどうもはっきりせず、酸っぱいような甘いような不明瞭なもので、良くも悪くもない。ただ、それが脇に垂れてきて指につくときがあるから、慎重に持つようにしている。
曇りの日だった。カーテンを開けたのにカーテンを開けた気がしない弱い光の日。今年の梅雨入りは早かったから、早く明けてほしいと思う。夏が好きだと僕はよく言っている。あらゆる生命活動が限界に達する季節、さらには死者までも生き生きと隣に出没するお盆が一番好きだ。生と死が曖昧になるのは性行為にほかならない。イク、というのはフランス語では「小さな死」と表現する。異性を求めて蟬が死ぬまで鳴く。同性を呼んで鳴く蝉がいればいいのに。
この夏も盆の時期に宇都宮へ行く予定だった。自分の頭の中で言うだけなのに「帰る」と言う のを避けている。安易に「帰る」と言うと、抗えない力で体が引っぱられるようで、なんだか怖かったのだ。 58-9
『デッドライン』小説デビュー作に比べ、第2作となる本作は、思いつきの串団子感がより強い。上記引用部でも、ホットドッグ上に精液をみてその味から指の触感へ至る描写は『デッドライン』に通底する良さがあるけど、「大事なもの」をめぐる前段や「帰る」をめぐる後段との連環に乏しい。ツイッター投稿をそのまま載せた態の挿入文が本作特有のリズムを生む点も含め、短冊集成のような印象がいや増す。だから悪いということではないが、『デッドライン』のほうが好みではある。
「私、○○という者ですが、 先日ツイッターでコメントをいただいたようなのですが」
「―ああ、あの」
そして黙っている。僕は反応を待つが、 小野寺の視線は下に向いていて僕を正面から見ていない。
人を呪う言葉が頭の底から一挙に立ち昇ってきて、それを吐き出してしまえと思うのに、言葉はビールの泡のように浮上しては破裂して消える。消えてしまう。
「逆張り、と言われると―
その先が続かない。呼吸を奪うほどに言葉が溢れてくる感覚があるのに、それが弾丸になってくれない。依然として小野寺は目線を落としたまま、何も考えていないみたいに突っ立っている。何も聞かないつもりなのか。
目の前には一個の身体があった。肉の塊だ。その存在というか重量は、圧倒的な現実だった。生命があった。それに対して、僕が始終余らせていた言葉は、結局は言葉の幽霊にすぎなかったのだろうか? 小野寺の握りこぶしくらいの心臓が収縮し、暗い液体が体を巡っていくのが見える。
「お兄さん! お兄さんたち!」
がなり立てるような声が横から割って入り、僕と小野寺は同じくその方を向いた。着物姿で真っ赤な口紅をして髪をソフトクリームみたいに巻き上げていて、女装タレントかと思うがおそらくは女性で、名刺を差し出している。
()
なるほどこういう授賞式には「先生」に銀座で遊んでもらおうと営業が来るのだ。それに呆気にとられ、そして視線を戻すと、小野寺はそばの誰かと話し始めていた。
僕は敗北したのだ。
去って行く着物姿の背中はがっしりして見え、僕はその脇を追い抜きながら、「でも高くないですか」と言い捨てて、大広間から出た。 89-90
9. 村上春樹 『1Q84』 BOOK1〈4月-6月〉前編 新潮文庫
バラバラに8年近くを間に置いて読んでいるためだろう、本書の少女作家ふかえりと、『騎士団長殺し』の秋川まりえの人物造形が結びつかず、かなり似通っていることに今さら気づく。ふつうのテンポでの会話ができないことに始まり、「初潮を迎える」言及や「胸の大きさ」を気にする描写まで。後者などは、アンチ村上春樹勢がキモがるところでもあるのだろうけど。
あと天吾は他作の男主人公に比べかなり饒舌で、青豆のほうが村上春樹スタンダードな「僕」に近い感じとか。初読時はのめり込んで読み終えるにすぎないし、加えて読書メモも付けていないとなれば、こうした他作との比較みたいなメタ方向へ感想が展開しゆく機縁はそも生じようがなかったとは言えそう。
それはそうとここよみめもでは、村上春樹をびっくりするくらい扱ってなかったことに今さら気づく。2013年に始めたけれど『1Q84』はそれ以前に読んでいるから扱ってないし、ふぃるめもと異なりこちらは2年強の中断期があって、『騎士団長殺し』はその間に読んだらしくやはり扱っていないし、新刊『街とその不確かな壁』は途絶放置中で読み終えてすらいない。
けれどもまぁこれはこれで、再考する良い機会にはなるからゆっくりメモを残していこう。
10. 佐藤健寿 『PYRAMIDEN』 朝日新聞出版
現ノルウェー領有のスヴァールバル諸島に残る、旧ソ連時代の炭鉱町ピラミデンの廃墟化した現在を撮る写真集。原子力のプリピャチ同様エネルギー源確保のために造られた町は当時優遇され、またあまりに極地であるため西側世界に属す同島の隣町との交流も放任されたことからハリウッド映画やロックなどもこの町では受容されていたという。
その経済的/文化生活的な先進性は軍艦島をも想わせるが、プリピャチや軍艦島と大きく異なるのは、北極圏に位置するためソ連崩壊時の建物やインテリア、壁のヌードポスター群までもが色鮮やかに冷凍保存され続けている点で、これは《映え》る。でもインスタ小僧/少女は容易には近づけない。ロシアのウクライナ侵攻で立ち入り制限がかかったことから、その困難度はより上がっているらしい。「氷平線」を見渡すレーニン像がの後頭部を撮る写真はかなり異様にして爽快。
▽非通読本
0. 吉行淳之介 「水の畔り」 吉行淳之介全集 1 新潮社
https://twitter.com/pherim/status/1668590562801487872
彼は床屋へ行ってみるつもりになった。背の高い椅子に坐って、髪を刈り上げる鋏の乾いた音でも耳にしたら、いくらか気持がなだらかになるかと考えたからであった。
歩きながら、また彼は少女のことを考えはじめた。少女の姿を瞼に浮び上らせようとした。しかし、その輪郭のうちで彼の皮膚に生き生きと触れてくるのは、わずかに少女の指だけであった。ある冬の日、冗談のように彼の両手でつつみこんだ少女の片方の掌を、乱暴に彼の外套のポケットへ投げこんだときの記憶である。
そんなことを思い出しながら、彼は一つのことを自問自答していた。少女が彼の傍に居ないから、彼の心が不安定なのか、あるいはもともと彼の心にある空白を埋めるためにとりあえず少女の記憶を呼び寄せようとしているのか。
身のまわりで稀薄になった空気をゆすぶろうとするように、彼は身じろぎし、薄鼠色の水の流れに沿って歩いていった。 199
降りつづける雨のもと、肺病のため郊外で静養する青年と、謎めいた少女とが文を交わし、密かに会う。
戦前生まれの文学青年はみな同じ夢をみるのかなというほど既視感ただよう仕立てながらも、出来事に頼らずふとした仕草の内へ心の機微を編み込む言葉運びが心地よい。
田舎の古ぼけた映画館では、彼の興味を惹かぬ映画ばかり上映していた。それでも、彼はしば しばそこの椅子に坐る。ある映画の一場面では熱烈な恋愛をしている男女が抱擁して、女の顔がクローズアップされた。その女の表情を見て、おやあの女のおなかの中で蛔虫が這いまわりはじめたのかしら、と彼は咄嗟に感じたりしてしまう。 211
▽コミック・絵本
α. 冨樫義博 『HUNTER×HUNTER』 37 集英社
このひとの場合、統合が失調してないと描けない作品世界ゆえに唯一無二なのだという感慨を、『レベルE』以来ひさびさに強く抱いた。
いわばその失調時空の現出が作品世界内ギミックである《念》でいう《絶》の状態で、そこへの往還がネーム製作における肝となる。いきおい身心への負荷は他の漫画家とは根本的に質を異にして少なくとも現役作家では類をみないが、過去へ遡れば誰かしらモデルがいるような気もする。漫画家である必要はない。さて誰だろう。
各王子のキャラがどんどこ伐り立っていくの、戦慄よね。そして名だけ言及されつづけ、姿表さぬヒソカの不穏。
β. ゆうきまさみ 『新九郎、奔る!』 11 小学館
京の政争と坂東~遠江の騒擾、備中荏原のご領地内政の3本柱の交互に見せ所をつくりつつ、同時並行で物語を進めゆく力業あいかわらずおそるべし。というか細川vs山名の応仁の乱篇よりずっと複雑微細な手つきへと描写が深化しつづけているのが凄い。こんなん仮に大河ドラマ化とかされても、細部の大半が捨象されちゃうんだろうな。でもよく考えたらこの作品、はじめから大河ドラマ狙ってるよねきっと。個人的にはもっとじっくり構えたNetflix製作とか動かないかなと思うけど、戦国でも明治維新でもない歴史物の複数シーズン企画なんてまぁ通らないよねきっと。アニメ化ならあり得るかな。かもしれない。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
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(▼以下はネカフェ/レンタル一気読みから)
γ. 松本直也 『怪獣8号』 4-6 集英社
リヴァイキャラ=小柄おかっぱ男子で身体的に超絶切れるサブリーダーってのが“21世紀のスネオ級”に定番化してるんだね。
「まさか新人隊員が怪獣8号だったとは!」みたいな現実暴露+拒絶反応からの受容過程始まる。という定型だけど描写のキレの良さで先を期待させる感じはとっても好ましゆ。
6巻。四宮父娘の亡き母めぐる回想交える下りはとても良いのだけど、あまり造形的に面白くない9号が長生きしすぎて後半にダルさを生んでる。数エピソードで消える凶悪キャラとしては色々斬新でしたけど。
δ. 真鍋昌平 『九条の大罪』 2 小学館
面白い。どうみても『闇金ウシジマくん』のような驚かしで万人受けを狙うスタイルとは対極を目指してる感あり、でもまんまドラマ/映画化可能な仕上がりもきちんと設えられてる観あり、要はより構成的/目的的に感じられる。牢獄化した介護施設でむりやり老人に食わせる冷や飯に冷やボンカレー(ドンカレー)を職員が試し食いして「ロウソクみてぇ、激マズ!」と悶える場面、素晴らしくグロい。たぶんおおかたの読者に意識はされないんだけど、すこし前にさりげなく“美味しいカツカレー”を食べる場面が入ってるんだよね。この無意識へ働きかける巧さ、ね。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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