pherim㌠

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pherim㌠さんの日記

(Web全体に公開)

2016年
04月07日
05:12

よみめも30 断片的なものの冒険

↑東京駅朝6時発成田空港行きバス車内



 本日昼便にて一時帰国します。写真は先月出国時のもの。成田空港~東京駅1000円のバスの存在を、台湾人ツイートから知った次第。時代は変わるものですね。きょう夕刻にもたぶん乗ります。疲れてたら京成かも。

 ちょっとさいきん高速移動が続いたので、今回の帰国中はしっとり過ごす所存。実家とネット上の散乱物整理とか。あと当SNSの拡張やります。すっかり遅くなっちゃいました。



 ・メモは10冊ごと、通読した本のみ扱う。
 ・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。


 ※詳細は「よみめも 1」にて→ [後日掲載&URL追記予定]


 
1. 小田垣雅也 『キリスト教の歴史』 講談社学術文庫
 
 しかしそれが聖書としてキリスト教の唯一の聖典であるのは、われわれがそれに主体的にかかわるか否かにかかっているのであって、客観的に聖書が神の言葉であるからではない。聖書は聖書であるのではなくて、聖書になることが大事であると言えるかもしれない。 p.18-9

 《信じる》ということをめぐって、いわゆる神秘化を前提にしたような言葉の連なりにはまず興味がそそられない。そこには文字通りに「意味がない」。この2,3年ぼくが仏教やキリスト教関連の書籍をよく手にとるようになったのは、宗教とは無縁に暮らしていると思い込んでいる「なにも信じていないつもり」の人々の言葉よりもその意味で、信頼のおけるケースが多いということは多分ある。なんら参照項をもたずに感じるまま、欲するがままに放たれる言葉がつまらないというのはあまりにも当然のことだけれど、背後に層なり構造なりを無量に積んだ言葉を読みたいなら、結局のところは宗教を眼差すことになる。言葉は関係性の産物で、関係性が生む社会の別語が宗教だからだ。

 したがってまたアウグスティーヌスの三位一体論理解も様式論的単一神論に傾いている。一般的に言って彼の思想は多くの矛盾を含んでいる。キリスト教の伝統的考え方と新プラトン主義の要素も、彼の思想の中で矛盾なく統一されているとは言いがたい。しかし、たとえばパウロの場合がそうであったように、矛盾があるということの方が、かえって思想として真実であることもありうる。 p.71

 とりわけ非信徒にとってこそ、本著者のような存在がありがたすぎる。信仰の諸相をポストモダンの手つきで腑分けしてくれる、きわめて明晰な翻訳家として読めた。



2. 高村薫 『太陽を曳く馬』 下 新潮社

 「しかし、それは正解の半分でございましょう。けっして実現されることのない拒絶という幻想の傍らには、実は一片の現実に支えられて有る<私>の生が滲みだしているのでございます。(略)拒絶し続ける、その表明が生の駆動力になるのでございますよ。言うなれば生命の、永遠のヒステリー状態―――。私は感覚的にはジャコメッティのあの、無理に細長く引き伸ばされた人物を思い浮かべるのでございますが」 p.323

 いざ息子を葬ってみると、いつかのあの拒絶の二文字が頭に浮かんできて離れない、これではまずいというのでしばらく歩くことにした、とのことでございました。だから歩くというのが、ほんとうに彰閑さんらしい―――」 p.334

 こゝまで書いて、私はまた少し考へ込んでゐます。君の望んでゐたのがあらゆる意味作用からの自由だつたとしたら、君が最後に描いてゐたあの円環たちは、存在の手触りなどではなかつたのだらうか。君をこの世界から連れ出してゆく円形のなかの円形、意味を破壊する円形だつたのだらうか――― p.361

 


3. フェルディナント・フォン・シーラッハ 『禁忌』 酒寄進一訳 東京創元社

 彼の長篇を読むのは初めて。すでに読んだ短篇集の二冊はいずれも驚異的だったけれど、この長篇でまず感心するのはあの短篇作のテンションをまったく落とさずラストまで書きぬいていること。その意味では、連なりの秩序をもった短篇集と言えなくもない。

 共感覚的な感性をもつ主人公の乾ききった世界認識は、著者の持ち味がいかんなく発揮されて楽しめた。(ただし「共感覚」をめぐる直接的な言及はない)
 とりあえず、少なくとも翻訳された物は今後も全て読み続けるだろう作家であることを確認。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日掲載&URL追記予定 ]



4. マーク・エプスタイン 『ブッダのサイコセラピー』 井上ウィマラ訳 春秋社

 再読に値する名著で、いずれあらためて思うところを書き出したい。既存の行為者とか療法に対する距離感が自分にはどんぴしゃ。人間を観察する視線の角度に親しみを覚えるというか。

 残念すぎるのはこの邦題で、いくらなんでもこれはひどい。原書には“Thoughts Without A Thinker”と類稀な良タイトルが附されているのに、いったいどうしてどうしてこうなった。



5. プラユキ・ナラテボー師 『自由に生きる』 サンガ出版

 二ヶ月前発刊の新著。本作をめぐっては、タイ東北部のお寺にてプラユキ師ご本人にお話を伺った。↓
 
  プラユキ師・精神科医Kさんと。: http://twitcasting.tv/pherim/show/ 

 上記ツイキャスに出ない箇所では、中部経典「アーナーパーナサティ(出入息念経)」を概略する七章の簡潔ぶりに感銘を受けた。
 とはいえ本作全体としては、《仏教をめぐる本》というよりも《暮らしのなかで活かせる仏教の知恵》を様々な実例やタイ仏教の現代史を絡めて語り倒した内容。医学博士・熊野宏昭さんとの対談も読み応えあり。



6. プラユキ・ナラテボー師 『気づきの瞑想を生きる』 佼成出版社 [再読]

 著者ご本人とお話しするにあたり再読。プラユキ師の著作は他にもあるが、上述『自由に生きる』刊行までは本著が師の主著といってよく、内容も総括・総花的。恐らく多くの読者がこの本のハイライトは、森のなかで師が蚊の大群に刺され続けながらも瞑想を続けたことで、ある大きな気づきへと至る場面だろう。個人的には他に、師の出家時に父親役を引き受けてくれた村の男性ポー・ヌーを看取る箇所で、下記の一文によって締められる。

 なるほど。こういうときは環境のめぐり合わせや心の状態に無闇に逆らわず、合わせていけばいいんだな。そこでじっくりと味わってみることにした。不思議に軽くて静謐なこの状態は、そんなに悪い感じじゃないという気がした。 p.226-7 



7. 岸政彦 『断片的なものの社会学』 朝日出版社 

 私たちには、社会を信じることはできない。それはあまりにも暴力や過ちに満ちている。
 私たちはそれぞれ、断片的で不十分な自己のなかに閉じ込められ、自分が感じることがほんとうに正しいかどうか確信が持てないまま、それでもやはり、他者や社会に対して働きかけていく。それが届くかどうかもわからないまま、果てしなく瓶詰めの言葉を海に流していく。
 そして、たまに、海の向こうから、成長した美しい白猫の写真や、『素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち』という本が届くことがある。
 だからどうした、ということではないが、ただそれでも、そういうことがある、と言うことはできる。 p.214




8. 村上隆 『芸術起業論』 幻冬舎

 ニー仏さん(在ミャンマー仏教研究)からツイキャスに誘われた際(→ http://goo.gl/O4IPHV、せっかくの機会だからと読み出したら面白かった。ニー仏さん的には、業界を代表するアーティストで弁も立つ村上隆の著作にあたることは、現代美術全般を知るうえで手っ取り早い手段に思えたのだろうし実際そうなのだけれども、完全に業界内にいた人間にとってはまさに同じ理由から、読む必要を感じない「という位置づけ」の本でもあった。

 作品を意味づけるために芸術の世界でやることは、決まっています。
 世界共通のルールというものがあるのです。
「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」
 これだけです。 p.140




9. 村上隆 『芸術闘争論』 幻冬舎

 よく、最近デビューしたばかりの若いアーティストが勘違いして、忙しい忙しいと言います。けれど、忙しいのは当たり前なんです。(略)どんなに忙しくても評判のよかったものをやりながら、別ラインも作っていくエネルギー、パワフルさがなければA級にはなれない。それだけのことです。 p.254

 そして、最終的にはそれが戦略ではなくて素でやれるかどうか、ということがすごく大事です。天然とよくいわれますが、天然であるかどうかを見極めるにはトレーニングが必要です。心の内部まで下りていって、その奥にあるわだかまりみたいなものを一個、また一個と取り出していってこれを成長させたり、結晶させていくということをしないといけない。 p.273


 一見物静かなひと、穏やかなひとでも、爆発的なマグマを内に抱えている。ぼくが目撃してきた一流・超一流の表現者たちに共通するのは抱えるマグマの膨大な熱量であって、村上さんの場合はこの暴発を抑え流れを整えるために、並々ならない努力を言語化作業に充てている感じがする。というのが主たる感想。



10. 『地球の歩き方 ラオス』 ダイヤモンド社

 ぼくが貧乏旅行をしはじめた90年代後半は、『地球の歩き方』にラオス編やバングラデシュ編などが出ることはあまり考えられなかった。若者は今より多く海外旅行へ出かけていたけれど、大勢は欧米だったし、アジアに目が向く人間でも大半がインドやタイなどに留まっていた。その意味では本著の存在自体が日本人旅行者の価値の多様化が進んだ証とも言えるのかもしれないが『地球の歩き方』、反面内容的には本当につまらなくなったなとおもう。それでも他社の日本語ガイド本よりは基本マシゆえ重宝はしますけれど。

 今年初めにラオスへ行く可能性があって、とりあえず読み通した。結果ラオス滞在は実現せず、まあでも行ったことない国の本を通読する楽しみってありますよね。

 

▽コミック・絵本

α. 石黒正数 『ネムルバカ』 徳間書店

 心地良いスピード感で一巻完結のすっきり漫画。描線もストーリーラインも明瞭で、台頭期の窪之内英策が想い起こされた。このひとの作品を読むのはたぶん初めて。すでにかなりの履歴がある漫画家さんなんだね。ラストもきれいにまとめるのだけれど、よく考えたら『スカイ・クロラ』的ホラー感もちょっとあるなり。
 
 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日掲載&URL追記予定 ]



β. 五十嵐大介 『カボチャの冒険』 竹書房

 作者の飼い猫カボチャが主人公。冒険といっても読み手がカボチャに感情移入できるような冒険ストーリーが待っているのではなく、あくまで猫は猫、人は人で断絶しているあたりがいかにも五十嵐大介な好ましい掌編。にしてもこのひとの描き込みは単なる癒し系でも幻想系でもなく細部がけっこう機能的でロジカルなんだよね。そこが比類なき魅力の源かな。

 旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。[→ 後日掲載&URL追記予定 ]






 今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~m(_ _)m
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