↑左画像:ニコライ堂鐘楼部より。字幅から媒体未掲載ゆえ蔵出し写真です。
イスタンブルとの関わりについては→「円蓋の導く灯り」http://bit.ly/2WrCii6
地味に変なバズりかたをしたニコライ鐘楼ツイ→https://twitter.com/pherim/status/1107432481450426368
中画像:苗族の剪紙破線繍(↓第2項)
右画像:《立法者スルタン・スレイマン1世の刀剣》@トルコ至宝展(↓第10項)
本稿は
「よみめも47 ザンスカール・チベット編」の続編です。
(よみめも47→https://tokinoma.pne.jp/diary/3117 )
・メモは十冊ごと、通読した本のみ扱う。
・くだらないと切り捨ててきた本こそ用心。
1. リチャード・ブローティガン 『ブローティガン 東京日記』 平凡社
原題 Richard Brautigan "June 30th, June 30th"
ここ東京では
ホテルの部屋を出るときにいつも
きまった四つのことをする
ぼくのパスポート
ぼくの手帳
ペン
そしてぼくの英和辞典
をもっているかどうか確かめるのだ
人生のほかの部分は完全な謎である
Tokyo May 26, 1976
A Mystery Story or Dashiel Hammett a la Mode
すべてが黒いヒスイのようにかがやいている
ピアノ(発明された
彼女の長い髪(地味な
彼女のあきらかな無関心(弾いている音楽への
彼女の心は、その指から遠く、
百万マイルもむこうでかがやいている
黒い
ヒスイのように
Tokyo June 4, 1976
A Young Japanese Woman Playing a Grand Piano in an Expensive and Very Fancy Cocktail Lounge
孤独の生みだした距離が
四次元を出現させる
飢饉のときに虫をみつめる
腹をすかせた三羽のカラスのようなものとして
Tokyo June 6, 1976
Worms
ひとつの世界をはじめること
start〔start〕vi.①行動などを
はじめる。着手する。出発する。
終わらせるために
Tokyo June 12, 1976
Starting
ぼくはこのタクシーの運転手が好きだ
まるで生きることに意味がないみたいに
東京の
暗い通りをかれはとばしてゆく
ぼくもおなじように感じているんだ
Tokyo June 17, 1976
10pm
Taxi Driver
ぼくはその一部だ
いや、その全部であるが
ぼくがその断片にすぎない
という可能性も
ないわけじゃない
はじまっていながら
はじまりをもたないのがぼくだ
ぼくはまた耳の上まで
クソでいっぱいなのでもある
Tokyo June 17, 1976
Taking No Chances
<話すってことは話すってことなのだ>
ぼくたちの話すことを
ぼくたちはくりかえし
そしてそれからぼくたちは
ふたたび話していてそういうふうに
話すことが話すってことなのだ
Tokyo June someday, 1976
Fragment #3
2. 苗族刺繍博物館 『ミャオ族の刺繍とデザイン』 大福書林
苗族および侗族の民族衣装写真が凄い。反面数紗繍、皺繍、脱蝋などの技法を駆使した刺繍文様の数々に圧倒され通しで、なかでも一本の糸をばらした極細の糸目で色面を構成する剪紙破線繍はガチにヤヴァい視覚的訴求性をもつし、赤糸刺繍を藍で染め直した刺繍から経年脱色により赤味が抜けた結果生じる布地の神懸かり的な煌めきは、数十万円のビンテージ物ジーンズの上に立つ威風すら。こうして環境的物質的制約のなかで数十世代かけ研ぎ澄まされた表現力を、現代はひたすら失わせる時代なんだよな。失われゆくからこそ世に広く知らしめられもするという逆説。
ところで巻末解説、ミャオ族の支族としてのモン族(Hmong)とタイ~ミャンマー域にいるモン族(Mong)を混同して読める記述があり、もしかしたら本当に混同されているのかもとか。両者はカタカナ表記が同じなだけでまったく別の人々で、Hmongの方もタイ山岳部にいるから混同する人や本は関連分野の専門家でも結構多いのだけれど、バンコクの工芸品店などで見かける「モン族」は専らMongのほう。とはいえ本書にとってこんなことは枝葉の繊毛クラスにどうでも良いことで、トータルでとても素晴らしく情熱的な一書でした。
3. 高野秀行 『西南シルクロードは密林に消える』 講談社文庫
雲南からミャンマー北部を経てナガランドへと至る、およそ規格外というしかない密林山岳徒歩の旅。それは勢いゲリラ、と領域国家から名指される諸勢力の協力をあおぎつづけ密入国をくり返す旅とならざるを得ない。これを敢えてやろうという発想自体、このひとの生きる動機が単なる売文冒険家を逸脱することを証している。なにしろ露見すれば軽くても関係国入国禁止の措置は覚悟せねばならないし、しかし露見せずに手記の刊行など不可能だからだ。
こういうタイプの行動原理、現代日本人ではまったく稀有な発現だとまずは言えるだろう。バンコクに片足を置いてそれなりに本を読んでいると、一見これと近しいようなマインドをもつ風来坊・放浪心性はよく見かけるが、たいていは社会システムの内に安住することだけはやめない時点で結局凡庸の域を出ない。
筆致の軽妙さに、すでに熟練の文章家たる高野秀行ならではの技術が活きる。インドシナ半島の北限域、ヒマラヤの裾野を這うように進む反文明的に不鮮明な足取りの、生の人間たちとの交接による鮮烈な描写がいかにも楽しい。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日更新 ]
4. 坂本由美子 『ナガランドを探しに』 社会評論社 [再読]
心の一書、人生を変えた10冊みたいなものを聞かれた際に、よく想起されるのが本書。おそらく十代の終わり、初めてインドへ行った前後に初めて読んだ。
今より厳しい外国人立入禁止の秘境へ、ひょんなことから若い女の子が入り込む。探検家でも紀行作家でもなく、というよりまだ何者でもない20代前半の女の子が、というところがまずスゴい。そして今回十数年ぶりに通読して、のけぞった。記憶に色濃い実際のナガランド滞在中の記述に、いつまでも入らない。半分過ぎても入境しない。ああわが心の一冊よ、記憶とはかくも以下略。
ともあれ。読み返してみて「こういう不思議な本だからこその重い衝撃だったのだな」とも感じ入る。書き手としては何の技術も構成力もないけれど、そこらへんのプロによる紀行物よりずっと魅力あるんだよね。それはおそらく、この一冊にかけている熱量や実質的な時間の莫大さによるものだとおもう。誰でも生涯に一つは傑作を書けるものだ、というどこかの格言があったけれど、まさに本著はその良い一例。
下記原稿執筆にあたり再読の機縁とした。よきかなよきかな。
ナガランド舞台の農村労働歌ドキュメンタリー傑作『あまねき旋律』試写メモ:
https://tokinoma.pne.jp/diary/3071
関連Tweets: https://twitter.com/pherim/status/1072464388794318850
5. 河口慧海 『チベット旅行記(一)』 講談社学術文庫
下記はまだインド入りする前、シンガポールの日本領事館にて藤田領事へのひとこと。この旅における慧海の姿勢がよくあらわれた一節。
「私はもとより僧侶の事で軍隊を率いて行くという事は思いも寄らぬ。よし率いて行くことが出来るにしたところが私はそういう事は望まない。出家は乞食をして行くのが当り前ですから乞食になって出掛けて行くつもりです。どうせ今からこうああと充分方法を考えて置きましたところがその方法がはたして間に合うか合わぬか分らぬから、到る処に従いその機に応じて方法は自おのずから生じて来るであろうと思って居りますからこれから出掛けて行きます」 34
以下、ふだんよりメモ引用の割合多めにて。
ラサ府では折々洗うことがありますけれどもこの辺では私が一年ばかり居った間に二度位洗うのを見た位のものです。それとてもすっかり身体を洗うのでなく顔と首筋を洗うだけですから、身体からだは真っ黒で見るからが嫌に黒く光って居ります。よく洗えば随分色の白い人もあるですが、もしもこざっぱりと洗って綺麗な顔をして居るとあれは不潔の女であるといって笑うです。 77
寒いばかりではない、もう苦しくて荷を背負って居る荷持に縋らなくてはならぬ〔荷物を下さなくては苦しい〕けれども景色もまた佳よいです。よく見る勇気もなかったが起伏蜿※(「虫+廷」、第4水準2-87-52)えんえん、突兀とっこつとして四端あたりに聳えて居る群雪峰は互いに相映じて宇宙の真美を現わし、その東南に泰然として安坐せるごとく聳えて居る高雪峰はこれぞドーラギリーであります。あたかも毘廬沙那大仏びるしゃなだいぶつの虚空に蟠わだかまって居るがごとき雪峰にてその四方に聳えて居る群峰は、菩薩のごとき姿を現わして居ります。苦しいながらも思わず荘厳雄大なる絶景に見惚みとれて居りますと「久しくここに止とどまって居ると死んでしまいますから早く降くだりましょう」と言って手を引いてくれますので、この日は四里ばかり山を降ってやはり巌の間に泊りましたがなかなか寒いです。その時苦しい中にも一首浮びました。
ヒマラヤの雪の岩間に宿りてはやまとに上る月をしぞ思ふ 104
漸く火が出来てぐるりに壁形かべなりに積んであるヤクの糞に火が付きましてから水汲みに出掛けるので、チベットの鍋なべをもって水汲みに川へ出掛けたです。で、その鍋に水を汲んで来てそれから湯を沸かす。湯は高い山の上で空気の圧力が弱いから奇態にじきに沸く。沸騰ふっとうすると茶を手で揉もみ砕いて入れます。それから茶を煮る時には天然のソーダを入れます(チベット山中にあるソーダ)。どうしても二時間位煮ないと茶がよい色になって来ないです。よく煮ないとチベット人の言いますには毒だと申しますからよく煮るのです。そうしてよく出来上りました茶〔湯〕の中にバタと塩とを入れてそれから実は摩擦すればよいのですが、そんな器械はございませんからその儘指で掻き廻してそれを飲むのです。茶はシナの番茶の固まったのです。それを鍋に一杯の水を入れて煮るです。鍋はおよそ一升入り、その代り昼後は飯は一切喰わない。
露宿ろしゅくの危険 さて自分が集め得られただけのヤクの糞および野馬の糞を、一旦湯を沸して真赤な火になって居る上へ一面に継つぎ足たしてそうしてその上へ砂を打掛ぶっかけて埋め火にしてしまうです。もちろん夜通しカンカン火を焚いて居ると大変都合のよい事がある。というのは猛獣などがその火を見てやって来ないです。雪の中に居る豹で実に恐ろしい奴がある。これは英語にスノー・レオパルド、学名をフェリス・ユニガというのでチベット人はただシクと呼んでおる。 129-130
その翌日白いテントの主人が出て来て乾葡萄、乾桃、乾棗ほしなつめなどを持って来まして私の泊って居る主のラマと交易こうえきしました。それは何と交易するかと言うと羊の毛あるいはバタと交易するんです。その交易に来た人はラタークの商人あきんどです。おかしなチベット語を使って話も漸ようやく分る位に出来るんです。 142
野馬の説明 を少しして置きたい。野馬はチベット語にキャンというて北原の野馬だとして居るが、その実は野の驢馬ろばであって英語にはチベット語をそのまま用いてキャンというて居る。学名はエジュアス・ヘミオニスであるとのことだ。その大きさは日本の大きな馬ほどあって背中の色は茶がかった赤い色で腹が白い。背筋がまっ黒で尾は驢馬の尾のごとく細く鬣たてがみもある。すべての様子は馬と少しも変って居らないがただ違って居るのは尾だけである。そうして余程力の強いものでその走る速力も非常なものですが決して一疋で出て来ることはない。大抵二疋かあるいは五、六疋、あるいは数十疋群を成して出て来る。妙な馬で半里も向うの方からくるくる廻りながら四、五町手前まで来るとまたクルッと廻ってあたかも狐が後を向いて見て居るような風に見てそうしてまた驚いたような風をして逃げ出す。 177-8
「第二十六回 渇水の難風砂の難」の「その水が真赤」の項目(158)、ウジが沸いた赤い水を、切布で漉すだけで飲んでしまい、「極楽世界の甘露」とまでいう場面。違うなと。次元が。
あと「雪中河畔の群鶴」とか「氷光明徹裡の寒月」とか、さらっと並ぶ小見出しの語が地味にカッコよいのよね。思考と漢文素養が近い感じ。
こういう女連れのある巡礼者は大抵人を殺さぬ者であるということを聞いて居りましたからまず大丈夫と思いました。
けれどもその人たちは強盗本場の国から出て来たのです。その本場というのはどこかというとカムの近所でダム・ギャショの人であるということを聞きましたから少しく懸念も起りました。何故ならばその辺の諺にも
人殺さねば食を得ず、寺廻らねば罪消えず。人殺しつつ寺廻りつつ、人殺しつつ寺廻りつつ、進め進め
そういう諺がある国の人でなかなか女だって人を殺すこと位は羊を斬るよりも平気にして居る位の気風でありますから容易に油断は出来ない訳です。けれどももうそこに着いた以上は虎口ここうに入ったようなものですから逃げ出そうたって到底駄目だ。殺されるようなら安心してその巡礼の刀の錆さびになってしまうより外はないと決心して泊りました。 181-2
バンコク会社在庫の一。
6. 河口慧海 『チベット旅行記(二)』 講談社学術文庫
30章までの1巻で、日本を発ちシンガポール経由でカルカッタ入りしてネパールを抜けカイラスの麓までたどり着き、63章までの2巻ではそこからほぼ真東へラサ・ポタラ宮へ到達してしまう。しかし慧海『チベット旅行記』講談社学術文庫版は全5巻である。この先どうなるのか予想もつかない。
バタ茶の製法が面白い。三尺もあろうかという木の筒桶にバタと茶〔湯〕と塩を入れて、そうしてその筒桶に相当した棒の先を菌のような具合に円くして、その棒で日本で言えば龍吐水で水を突くような具合にシュウッシュウッと扱こき上げ扱こき下げるその力は非常なもので、我々にはとても出来ない。その扱き上げ扱き下げる間に茶やバタが摩擦されて一種の茶〔湯〕が出来るので、チベット人はその扱き上げ扱き下げる時の音の良否で旨いのと不味いのとの出来るのが分って居ると言ってるです。 34
ところで酒を飲むことを防ぐために僧侶が市街まちに行って帰って来る時分には門の所に立って居る警護の僧に対し口を開いて香においを嗅かがすのです。で酒の香いがして居ると引捕ひっつかまえる。ところがなかなか僧侶もずるい。充分酒を飲んで足はひょろひょろ、眼はうとうとして居りましても口には少しも酒の香いをさせないようにするのです。それは蒜にんにくを沢山喰って蒜の香いのために酒の香いは消してしまうのです。 148
其寺それをマニ・ハーカンと言う。マニとは心のごとくなるという意味で、心のごとくなるところの真言しんごんを書いた紙を沢山に集め、其紙それを円く長い筒のようにしてその外部そとを銅板で綺麗に被おおいなお金銀で飾りを付け、そうしてその中心には鉄の心棒があって、くるくる右へ廻すようになって居ります。その大きなのを祀まつってあるからマニ・ハーカンと言いますので、これはことにチベットで名高いのであります。 159
マニ・ハーカンは温泉の出る村近くの小寺として登場するのだけれど、このハーカンは注の英字表記ではLha-khangとなっていて、ザンスカール滞在時にもこの綴りは「ラカン」の読みでしばしば目にした。
乾燥馬糞にて焚き火の儀(ラカン・キャンプサイト)tweets:
https://twitter.com/pherim/status/1107592316594708480
字数の制約ゆえ説明は省いているけれど、この「ラカン」そのものには“場”という程度の意味しかなく、↑このツイートの場合にはゴンボランジョン礼拝の場、くらいの意と推測される。
食器を自分の着物で拭く位の事は平気なもの、卑陋至極ではありますが彼らは大便に行っても決して尻を拭わない。またインド人のごとく水を持って行って左の手で洗うというような事もしない。全く牛が糞をしたように打棄り放し。しかしこれは少しも奇態な事ではないので、上は法王より下は羊追いに至るまでみなその通りですから、私のように隠れ場へ紙を持って行くというような事をしますと大変に笑われるのみならず不審を抱かれるです。
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やはり首筋から背中、腹に至っては真っ黒なんです。アフリカ人の黒いのよりもなお黒いのがある。で、手の平がなぜ白いかと言いますに、向うでは麦粉を捏る時分に手でもって椀の中でその麦粉を捏る。であるから手の平に付いて居る垢は麦粉の中に一緒に混って入ってしまうんです。それで手の平には垢がない。まあ垢と麦焦しとを一緒に捏て喰うといううまい御馳走なんです。そういう御馳走をです、黒赤くなった歯糞の埋うもれて居る臭い口を開いて喰うのです。 163-4
元日の礼式は朝起きますとすぐに麦焦しを山のように盛り立てて、その上へ五色の絹――ハンカチーフを集めたような物を旗のような具合に挿し、また麦焦しの粉の中にはバタと乾酪がはいって上に乾葡萄、乾桃、信濃柿のような小さな黒い乾柿が蒔いてある。で、其果をまず第一に主人からしてちょいと右の手でつまんで何か唱え言ごとを言いながら空中へ三度ばかりばらばらと撒まき、そうして其果の幾分を自分の掌裡に取って喰うのです。それもやっぱり黒い垢だらけの手へ取って喰って居る。 169-170
まず山雲と戦う 時に油然として山雲が起って来ますと大変です。修験者は威儀を繕い儼乎たる態度をもって岩端に屹立きつりつします。で、真言を唱えつつ珠数を采配のごとくに振り廻して、そうして向うから出て来る山雲を退散せしむる状をなして大いにその雲と戦う。けれども雲の軍勢が鬱然と勃起し、時に迅雷轟々として山岳を震動し、電光閃々として凄まじい光を放ち、霰丸簇々として矢を射るごとく降って参りますと修験者は必死となり、今や最期と防戦に従事するその勢いは関将軍が大刀を提ひっさげて大軍に臨んだごとき勢いを示し、強くここに神咒を唱えつつ、右の手の食指を突立ててあたかも剣をもって空中を切断するように縦横無尽に切り立て、それでもなお霰弾がどしどしと平原に向って降り付けると、大いに怒って修験者それ自身が狂気のごとく用意の防霰弾を手掴みに取って虚空に打ち付け投げ付けて霰と戦うです。 178
防霰堂という、山上に見留た謎の小堂をめぐる記述からこの剣と魔法の世界へと発展するのだけれど、間に「チベットには二季しかない」旨の説明段落が入ったりして色々尋常でない。それもまた本書の魅力の端源やもしれず。
7. ジュール・ヴェルヌ 『八十日間世界一周』(上) 高野優訳 光文社古典新訳文庫
子供向けの抄訳でない完訳版を読むのは初めて。上巻はロンドンを出てスエズ・ボンベイ・シンガポールを経て香港から上海沖へ達するまでを描くが、
インド編ってこんなだったんだと素朴に驚く。むしろインディ・ジョーンズ風味の一ルーツですらあったんだなと。奥地で生贄にされそうな美女を救い出すとかもう絵に描いて額縁に入れタイトルに「男のロマン」って付けるくらいにベタベタな。それでこの風味こそ、
高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』(↑)の裏返った面白さの前提になってたりもする。
あと主人公のノリがカンバーバッチ版シャーロック、感情移入を拒むがゆえの面白さね。
8. 岸本葉子 『ブータンしあわせ旅ノート』 角川文庫
ブータンについてほとんど何も知らない女性が諸々あって現地へ旅立ったあとの紀行文。ザンスカール滞在前に読んだが、帰国後の今めくると異なる観想も浮かび興味深い。遠く離れていながらともにチベット文化圏のため言葉に共通点多いのも新鮮。
あと野菜各々の旨味に気づかされる後段の描写が、自身ネパールで受けた衝撃と瓜二つで和めた。
文庫版あとがきに登場するナラティヴ・ベースト・メディスンという概念は極私的初出。
ブータンの人の幸福感は、家族や周囲との絆から、しばしば説明される。チベット仏教を背景に来世や生まれ変わりを信じているからだとも。いずれにも私は肯ける。
この世で人と人との間に居場所を見いだせると同時に、それらを超えたさらに大きな連関の中にも自分はいると感じられる。そうした揺るぎなきナラティブなベースによって、心を平らかに保てるのではと思うのだ。 238-9
バンコク会社在庫の一。
9. 長倉洋海 『アフガニスタン 山の学校の子どもたち』 偕成社
アフガニスタンというと、岩山ばかりで人の少ない閉ざされた小国というイメージがつきまとう。けれどそれには世界地図のメルカトル罠も影響していて、実際には面積で日本の倍近く、人口も3100万人おり、国家順位で言えばどちらも上位1/4に入る大規模国家と言って良い。また歴史上も東西交易路の中核でありつづけたわけで、つまり一口にアフガン、戦争、タリバンなどとまとめることは、本当は難しいほど多様性に充ちた土地なのだ。
というようなことを思いつつこの写真集をめくったのは、どの写真も昨年滞在したザンスカール~ラダックと、人工部のみイスラムギミックに移し換えれば見分けるのも至難だろうという程度には、自然ベースが同じに見えたからだ。それもそのはず、本書で扱われる「アフガンの山の学校」とは国土の東端、ヒンドゥークシュ山脈の谷あいに建つそれを指していて、ヒマラヤから直に連なるこの山脈とインダス源流域を挟んだ向かいにラダック地方は位置している。
写真はひたすらのどかで遊ぶ子どもたちは皆キラキラしているのだけれど、あとがきによれば日本の援助に支えられたこの学校の生徒168人中、48人が父親を内戦で亡くしていると。現代はいまだ、そういうことが起こり得る土地とそうでない土地がある蛮族の時代に過ぎないのだ、ということをひとはしばしば忘れて物を言う。自戒。
10. 『トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美 展覧会図録』 日本経済新聞社
導入部や作品解説の他に、いずれもトルコ人著者による論考/エッセイを4編収録。トルコ文脈だと、イスタンブルはイスラーム化以前もずっと「イスタンブル」と表記されるのが新鮮だった。近世江戸を語るとき「東京」というときの奇妙さも、恐らくナショナリティと結びつけばたやすく消えるのだろうとも。ソウルを漢城(のハングル読み)とは呼ばないことの逆パターンですね。
《トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美》展tweets:
https://twitter.com/pherim/status/1124319870332485633
▽コミック・絵本
α. 森薫 『乙嫁語り』 11 KADOKAWA
実質トルコ巻となる展開、乙嫁で地中海が観られるとは思ってなかったな。アレキサンドリア行き帆船とか。前巻アンカラでの設定丸々公開に驚いたけれど、なるほど学者を遡行させて数珠つなぎに後継エピソードを描いていくなら、不可逆の近代を匂わせるトルコ巻の意味は大きい。全体の折返し地点となるし、英国領事+帆船港湾で
『シャーリー』『エマ』ワールドに接続してるしね。乙嫁序盤の中世放牧世界も風雲急を告げる予感しかなく。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日更新 ]
β. 鶴田謙二 『冒険エレキテ島』 1 講談社
鶴田謙二
『Spirit of Wonder』(よみめも23)の空想科学系譜。ストーリーはラピュタ・パズー少年の娘っこ小笠原バージョンとでも言えそうなマシニカルワンダー&アドベンチャー探索物。この水準で奇想抜群かつ絵の巧い漫画家って恐ろしく稀有な気がするけれど、その表現力に見合う知名度を得ていないのは寡作ゆえかな。艶やかさも込みでその絵柄だけをとると沙村広明に親しくも感じられ、寡作でもいいから長く続いてほしいなと。2巻楽しみ。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ 後日更新 ]
γ. 堀内孝 文・写真 牧野伊三夫 絵 『青い海をかけるカヌー マダガスカルのヴェズのくらし』 福音館書店
月刊たくさんのふしぎ2019年3月号。ってこのシリーズ、メジャーなんだろうか。まったく知らず。ともあれ陸地的にはアフリカ圏とはいえ、インド洋からミクロネシアへと通じるアウトリガーカヌー文化の影響下たるヴェズの暮らしを描く絵本。著者2人は高校同窓らしく、マダガスカルにハマりすぎてマダガスカル語が堪能となったせいで、堀内が現地でスパイ容疑をかけられたことを牧野が付録の「ふしぎ新聞」で暴露するという謎展開がジワる一冊。しかもこのふしぎ新聞すでに408号発刊だそうで、世界ってほんとに無限、マジ∞。
ヴェズの非アフリカ成分の由来となったマレーからの貿易風について以前喋りました。↓
「インド更紗とモンスーン貿易風」(ツイキャス録画):
https://twitcasting.tv/pherim/movie/172737802
δ. 柳田国男 原作 京極夏彦 文 中川学 絵 『やまびと』 汐文社
遠野は震災の翌冬に訪れたので、登場する地名と巻末の絵地図、攫われた人々との連環に感慨あり。
「えほん遠野物語」というシリーズ中の一作。柳田+京極+絵本作家4人の取り合わせは豪華ながら、全4巻セットで6480円と値段も豪華。図書館推薦棚でこれだけ見かけたが、機会あれば他も読んでみたい。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
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