・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌や資料目的など非通読本の引用メモは番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。よろしければご支援をお願いします。
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1. 大崎清夏 『新しい住みか』 青土社
水場
彼女が川になったことは
しばらく経ってから聞いた
教えてくれたのは新聞記者だった
よく知っている川だった
そうか、彼女が、と思った
最近その川で水を汲んでいた私は
なぜ水道が止まったのかやっと理解した
いつものように2リットルのペットボトルをもって川へ行った
川だとばかり思っていたがよく見ると彼女だった
彼女は運動家だったのだから
考えてみれば自然ななりゆきだった
やっとわかったの、と川が笑った
私も川になりたくなった
まだ何も言いださないうちに
なれるなれる、と川が流れた
はじめに深く息を吸った
裸足の裏でせせらぎを整え
それから徐々に川になった
緑の苔がすこしずつ爪を覆い
岩石のまるみが背骨を運んだ
舞うというよりは確かめるような仕草で
彼女のからだは急流を造形していった
その水しぶきを浴びるためには
一筋しかない道を通って
言葉は彼女の岸辺で動かなかった
ときどき彼女は言葉をじっと見た
できるだけ左や右に偏らないように
からだの軸を意識しながら
そのあと何度か一緒に食べ
ほかんとした時間を一緒に歩き
それぞれ必要なものを同じ店で買う
そのうちほどよい隙間ができてくる
あなたの骨ばった身体のかたちと
わたしの猫背の身体のかたちが
同じ街並みにまるく収まり
汗ばんだ胸に風がとおって
まだ文法にはないことを
私たちは教えあう
私が私の守護言語で悲しみの歌を歌ったとき
あなたもあなたの守護言語で悲しみの歌を歌った
わかるということはときどき
さっぱりわからないまま私たちに降る
月夜の散歩から帰る道の途中で
冷えた手がつかむと海は意味になる
魚の背骨がつかめば海は速度になる
ぷらんくとんがつかんだら、海は宇宙になる
なることは
あるようになること
2. ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』 橋本一径訳 平凡社
知るためには自分で想像しなければならない。一九四四年夏のアウシュヴィッツの地獄が、どのようなものであったのかを想像してみなければならない。想像不可能なものを引合いに出すのはやめておこう。それを想 像することなど、どのような方法によってもわれわれにはできないし、最後までやりぬくこともできない――というのも実際そうだからだ――からと言って、自分を守ってはいけない。われわれには想像してみる義務が あるのだ、このきわめて重い想像可能なものを。()可能な芸術作品のどれよりも貴重で、またどれよりも痛ましいこれらの断片は、それらが不可能であることを望んだ世界からもぎ取られたものだ。つまりそれらはすべてに抗してのイメージである。()それらにふさわしいやり方でそれらを見ることができないという、われわれ自身の不能に抗して、商業的イメージで窒息せんばかりの、われわれ自身の飽食な世界にこうして。 9-10
このような根源的絶望の淵にあって、おそらく「抵抗への誘惑」は、消え去る運命にある存在自身から切り離され、収容所の境界を超えて送り出される記号に託されることになったに違いない。「ここでなされている暴虐を世界にどうやって伝えるかが、ずっとわれわれの最大の関心事だった」。 12
想像不可能性をめぐる言説は、厳密に相似をなすふたつの異なる体制を持っている。ひとつは歴史をその具体的な単独性において認識しようとしない美学主義に由来するもの。もうひとつはイメージをその形式的な個別性において認識しようとしない歴史主義に由来するもの。()とりわけ目につくのは、一部の重要な芸術作品が、その解釈者たちの間で集団殺戮の「不可視性」についての行き過ぎた一般化を引き起こしたことである。クロード・ランズマンの映画『ショアー』の形式的選択が、表象不可能、形象化不可能、不可視、想像不可能、等々についての道徳的かつ美学的な一言説すべてにとってのアリバイとして用いられたのはこのためだ。だがこのランズマンの選択は個別的なもの、つまり相対的なものである。それはいかなる法則も打ち立てはしない。「時代的資料」をひとつも用いていないからといって、映画「ショアー』は写真アルシーヴ全般の地位についての断定的な判断を下すことを許すものではないのだ。そして彼が代わりに呈示したものはとりわけ、顔、言葉、撮影された場所の映像・音響イメージが――およそ一〇時間にわたって――織りなす、印象深い緯糸を形作っており、これらすべての構築は諸々の形式的選択と、形象化可能性という問 題の総動員によって成し遂げられているのだ。
()例えばジェラール・ヴァイクマンは次のように記している。「ショアーにはイメージがなかった、そして今もないままである」。それは「目に見える痕跡のない、想像不可能な」ものですらある。「ひとつの眼差しも絶対に存在しない、絶対的な災厄」。「廃墟のない破壊」。「想像の彼方、記憶の手前」。「眼差しなきもの」。さればこそ、「ガス室のイメージすべての不在」を、われわれにとって避けがたいものとせんがために。一九四四年 八月、アウシュヴィッツの五号焼却棟で、ガス室の扉自体を枠にして撮られた二枚のイメージは、このような美しき否定美学を反駁するには不十分だろうか? そもそもこのようなイメージ行為は、芸術の実践についての思考――それがどれほど正しかろうと――によって、正当化、さらには解釈されるようなものなのだろうか?モーリス・ブランショが記しているように、「どんなものであれ芸術の実践が、不幸に対する侮辱になるような限界というものがある」。
()ところでバタイユ――形なきもの (informe)についての不屈なる優れた思想家――が、アウシュヴィッツを最初に想起するときに使う用語は......似たものに関係している。 38-9
そしてバタイユ――不可能性についての優れた思想家――は、まさしく彼が「アウシュヴィッツという可能なもの」と記しているように、収容所を可能なもの自体として語らなければならないことをよく理解することになった。()
[p※ヘルマン・ラングバインの記述] 一般的生活の基準は何ひとつとして絶滅収容所には当てはまらなかった。アウシュヴィッツ、それはガス室であり、選別であり、人間が操り人形のように死へと屈するプロセスであり、黒い壁と、銃殺された者を焼却棟へと運ぶ車の経路を示す、収容所の路上の血の滴りであり、誰ひとりとして殉教者として名をとどろかすことのない、無名の死であり、囚人と看守との饗宴であった。[......]アウシュヴィッツにあっては、餓死に瀕する囚人の光景と同様、たらふく腹を満たしたカポたちの姿も日常茶飯事だった。[......] アウシュヴィッツにおいてありえないことはなかった。すべて、文字通りすべてが可能だった。 40-1
耐えがたく、不可能、然り。しかしそれでもなおフィリップ・ミュラーは求める、「想像しなければならない」と。すべてに抗して想像する、そのためにはイメージについての困難な倫理がわれわれに求められる。優れた不可視のものではなく(耽美主義者の怠慢)、恐怖についてのイコンでもなく (信仰者の怠慢)、単なる資料でもなく(知識人の怠慢)。単なるひとつのイメージ。不適合だが不可欠の、不正確だが本当の。その本当のイメージが、逆説的な真理についてのイメージであるのは言うまでもない。イメージは言うなればここでは歴史の目であり、可視化しようというその執拗な使命である。だが同時にイメージは歴史の目のなかにある。それはちょうど台風の目について言われるような、きわめて局地的な領域であり、視覚的な中断の一瞬である (べた凪となることもあるこの嵐の中心領域は、「雲の少なさがその解釈を難しくする」ということを思い起こ しておこう)。 55
「知ること、そして知らしめることは、人間であり続けるためのひとつのやり方だ」と語るのは、「アウシュヴィッツの巻物」に言及するッヴェタン・トドロフである。同じく自己のイメージを保持すること、すなわち語の心理的・社会的意味において「自分の自我を守る」こと。さらには夢想のイメージを保持すること。収容所が「魂を粉砕する」真の機械であろうとも――あるいはそうであるからこそー、SSは囚人に対して死活的に最小限度の睡眠時間を認めている以上、その恐怖の機能は中断されうるのだ。プリーモ・ レーヴィが述べるように、そのときには「閉じかかったまぶたの裏で、夢が激しく渦巻いている」。
あたかも地獄から機知や文化、余命の破片をもぎ取ろうとするかのように、囚人たちをも、すべてに抗して保持することを望むだろう。なおついでに言えば「地獄」という言葉自体が属するのも この芸術の領域である。アウシュヴィッツを語るためにわれわれは当然のようにこの語を用いるが、実はそれはまったく不適合で場違い、不正確である。()地獄が宗教的信の発案による法的フィクションであるのに対し、アウシュヴィッツは政治的・人種的錯乱の発案による反-法的な現実である。 60-1
この現在の地獄から四枚のイメージをもぎ取ることはさらに、一九四四年八月のその日においては、残存の四つの断片を破壊からもぎ取ることを意味した。残存であって、生存ではない。なぜならこれらのイメージが証言するものを生き延びた者は、カメラの正面にも背後にも、誰ひとりとして――ダヴィト・シュムレフスキと、おそらくSSを除けば――いなかったからだ。()ではそれらはどの時間からわれわれのもとに届いたのだろうか。閃光の時間からである。それらはいくつかの瞬間を、いくつかの人間の身振りを捉えた。ところでこのふたつのシークエンスを見て分かるのは、ほとんどすべての顔が、あらゆる劇的な表現を通り越して、死の作業に集中しているかのように、下を向いているということである。下へ、なぜなら大地が彼らの運命だからだ。その傍らでは人々が煙となって舞い上がり――死のフーガ(Todesfuge)――、他方では彼らの灰が砕かれ、埋められ、呑み込まれる。そしてまさにこの灰のなか、焼却棟の周囲のあちこちに、ゾンダーコマンドのメンバーたちは、自分たちの生き残りの物を、できるだけ多く紛れ込ませることだろう。体の物(髪、歯)、聖なる物(聖句箱)、イメージの物(写真)、書かれた物(アウシュヴィッツの巻物)。 63-4
すべての欠陥は、総合という理念をもってしてイメージに臨んだという事情から生まれたのである。
イメージとはひとつの行為であって、事物ではないのだ。
ジャン=ポール・サルトル『想像力』 68
自らの言説のなかで歴史的アルシーヴと偽造アルシーヴを区別しないクロード・ランズマンが、「呪われたフィルム」という有名な仮説に行き着いたとしても、もはや驚きは少ない。() スピルバーグは再構成するほうを選んだ。だが再構成とは、ある意味でアルシーヴをでっち上げることである。仮に私が、SSの撮ったある現存のフィルム――撮影は厳しく禁止されていたから、それは秘密のフィルムだ――を見つけたとしよう。そこにはアウシュヴィッツの二号焼却棟のガス室で窒息させられた三○○○人のユダヤ人が、男も女も子供もいっしょにいかにして死んでいったかが示されているとしよう。もしもそんなフィルムを見つけたら、私はそれを人に見せないばかりか、破棄してしまうことだろう。なぜそうするのかを言うことは私にはできない。それは自明のことなのだ。 125
すべてのイメージ行為は、現実の不可能な描写からもぎ取られるものである。とりわけ芸術家たちは、明白な経験として知っている――人間による人間の破壊に直面したことのある者なら誰でも――表象不可能に屈服することを拒む。だから彼らは連作すべてに抗してのモンタージュを制作するのだ。彼らは災厄が無限に増殖しうるものであることも知っている。カロやゴヤ、ピカソ――のみならず、ミロやフォートリエ、スチシェミンスキやゲルハルト・リヒターも――は、あらゆる方向から表象不可能なものに挑みかかり、純粋な沈黙以外の何ものかを導き出そうとする。彼らの作品において歴史的世界は憑きものに、すなわち想像するという熱病、同じひとつの時代の旋風を取り巻く様々な形象の――類似や相違の――氾濫になるのだ。 161-2
一九四五年にアメリカ軍映画局が、ジョージ・スティーヴンス撮影による収容所解放時のシークエンスの利用――すなわちモンタージューを検討するために、ジョン・フォードに話を持ち込んだのは、偶然のことで はない。またこれと並行して、シドニー・バーンスタインが友人のアルフレッド・ヒッチコックに、英国軍向けにベルゲン=ベルセンをはじめとする収容所で撮影されたシークエンスのモンタージュについて助言を依頼したのも、偶然のことではない。複数の証人――このバーン スタインのフィルムの編集者ピーター・タナーを含む――が伝える、「ホラーの帝王」のリアクションは、非常に示唆に富むものである。すなわち必要なのは調査のモンタージュ、犯罪捜査の形をとるモンタージュを構築すること(ヒッチコックが得意としていたものである)ではなく、裁判の形を構築することだったのだ(彼は当惑して「周囲を歩き回りながら」、とりわけまったく新しいジャンルに属するこれらのイメージが相手の場合、それはあまり得意ではないと告白した)。
だがヒッチコックは、この形に必要なのが何も分け隔てないモンタージュであることを、ただちに理解した。第一に、犠牲者と死刑執行人を分けてはならなかった、すなわち犠牲者たちの遺体を、ドイツ側の責任者が見つめるところと一緒に呈示しなければならなかった。その緩慢さがなおさら恐怖をあおる、長いパノラマ撮影を、できる限りカットしないという決定はそこに由来する。第二に、収容所それ自体と、それを取り巻く社会的環境を切り離してはならなかった。たとえその環境が、ごく普通の、こぎれいな、のどかで、牧歌的なものであったとしても――あるいはまさにそうであったからこそである。ヒッチコックとバーン スタインのふたりは、ごく早いうちから、これらのアルシーヴの耐えがたい特徴は、まさに残りのすべて――つまり鉄条網の向こうの残りの人類とのコントラストにおいて、この重すぎる明証性の否認や拒絶を呼び起こしかねないことを理解していた。だからこそ大量虐殺の否定は、より直接的な近隣地域から収容所を切り離す、差異そのもののうちに書き込まれるのである。 177-8
[p※解説]
分析治療が分析医 その人の自己分析を「終わりなき課題」としてともなっていたように、歴史もまた、断片を再構成しながら、自己自身をも絶えず解体し、再構成する営みだからである。「「真の歴史」とは議論の余地のない「文献考証的な証拠」を身につけたようなものではなく、おのれの恣意性を認識した歴史、おのれを「不安定な建築物」として認識した歴史なのだ」。タフーリはそれを「危機の計画=企図」とさえ呼ぶ。
フロイトは論文「終わりある分析と終わりなき分析」のなかで、古代ユダヤの対ローマ戦争の指揮官・歴史家であるフラウィウス・ヨセフスの著作(それはユダヤ民族の壊滅的な殺戮を生きのびたわずかな「生き残り」のひとりによる「証言」の、いわばプロトタイプである)における、キリスト教徒をめぐる記述の「抹消」や「歪曲」を例として取り上げ、「抑圧」などの心理的防衛機制をこうしたテクストの改竄になぞらえて説明している。タフーリが言うように、「表象化である限りにおいて、歴史もまた抑圧と否定の結果である」。だからこそ、歴史みずからの不安定性をめぐる自己分析が必要とされるのだ。
繰り返し「見損なわれ」、「語られ損ね」られてきたアウシュヴィッツの四枚の写真は、収容所をめぐる歴史分析それ自体における「抑圧」を示していたのではないだろうか。 327-8
拙稿「カルト、抵抗、不可能性。 再監獄化する世界(6)」
http://www.kirishin.com/2022/08/29/55942/
3. 佐藤究 『テスカトリポカ』 角川書店
リオ・ブラボーの雄大な流れに沿ってメキシコ連邦高速道路2号線を南下しつづけた。ヘルメットのシールドに流れる風景を見つめ、逃走用の地図を思い描きながら、この先に待つ果てしない日々のことを考えた。どこまでも逃げ、ふたたび力を手に入れ、家族を殺したドゴ・カルテルに復讐する。命乞いをする者もすべて殺す。縄張りを奪い返し、カルテルを立て直すには長い年月がかかるだろう。それでもおれはすべてを成し遂げる。
絶望という言葉はバルミロにとって意味をなさなかった。世界の残酷さを受け入れ、神に血を捧げ、地獄のような毎日を戦士として歩む。痛みには慣れている。アステカの神に祈り、苦痛と連れ立って歩くことには。 82
佐藤究を読むのは初めて。人気ぶりを耳にはしていたのでそれなりに期待はして読み始めたけど、かなり驚いた。期待値の遥か上だったのは言うまでもなく、“この種の地力”はこれまで日本語小説から感じたことのない類のものだったからだ。無理にひねりだせば、子供の頃読んだジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』の濃さ&面白さ、120%エンタメだけど純文学のナニカをつけ抜けているような。ナニカの言語化は試みないけれど。(なにかもったいないので)
一九世紀初頭、南米で戦利品とされていた人間の干し首がヨーロッパでもてはやされたために、南米で部族間の戦いが引き起こされたという歴史に深く埋もれている事件がある。
――スコット・カーニー『レッド・マーケット 人体部品産業の真実』(二宮千寿子訳)
ドゥルーズ=ガタリいわく、資本とは「これまで信じられてきたものの一切を寄せ集めた雑色の絵」、いわば、超近代と古代の奇妙なハイブリッドなのである。
――マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ 河南瑠莉訳) 150
マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(ふぃるめも57) https://tokinoma.pne.jp/diary/3655
借金をする代わりに山垣が考えついたのが、臓器を売ることだった。自分の腎臓を売ってMDMAを買った人間がインターネットの世界には何人も実在していた。借金をするよりも腎臓を売ったほうがいい、と考える者たち。そこには人間の欲望が深く関わっている。みずからの臓器を金で売ると決めること、それ自体のなかにマゾヒスティックな〈死の快楽> の作用があった。恐怖を楽しめる者は、手術日が近づくにつれてナチュラルにトリップし、ハイになれた。 179
麻薬戦争のさなかに子供を殺され、抜け殻になってしまう麻薬密売人もいた。麻薬密売人だけで はない。「この国から麻薬犯罪を一掃したい」と熱弁を振るっていた検事が、家族の殺害を予告さ れるとあえなく正義を放りだし、辞職してアメリカ合衆国へ一家で逃げ去っていく。 「家族は最大の弱点になり得る。
()家族とは何なのか? それは生者を指すのではない。それは力への賛歌のようなものだ。その向こう側には何もない。そして力への賛歌は言葉によって作られる。 275
バルミロと野村は、昼も夜も休みなく働きつづけた。一日の睡眠時間はどれほど長くても四時間だった。常にアドレナリンを副腎髄質から分泌させている二人の姿は、人知れず独占の基盤を築いているベンチャービジネスの起業家そのものだった。 283
後半になって登場する“じかん”をめぐるコシモの思索。これで極私的には、今年読んだベスト小説のランク入り確定。
じかんがふろにはいっている、そんな言葉を口にしたとき、少年院の法務教官はコシモを呼び止めて注意した。「まちがってるぞ」と言った。「正しくは『風呂に入っている時間』だ」
同じようなことはパブロとの会話でも起こっていた。じかんがゆうひにしずんでいる、と言ったコシモの文法を、パブロはゆっくりと訂正した。「夕日が沈んでいる時間――だろ?」
()
コシモにとって時間は、主体や事物の容れ物ではなく、生命そのものだった。時間こそが主語だった。時間のほうがこの世界を経験しているという考えかたは、一般常識から見ればまるであべこベで、フィルムのポジとネガを反転させたような世界観だといえた。「こういう考えかたをするのは、どうやら自分だけのようだと気づいたコシモは、誰かと時間の話をするのを控えるようになった。 377
髑髏、動物たち。戦士の装備でさえ美しかった。ケツァル鳥の緑色の羽根飾りで覆った円盾の華麗さはたとえようもなく、燃えている星のように輝いて見えた。
あるときコシモはバルミュに時間の話をした。
常にコシモは、時間という容れ物のなかをいろんなものがすぎ去っていくのではなくて、時間そ のものがいろんな姿を持ち、表情を持っているように感じていた。 「そんなきがする、とコシモはスペイン語で言った。だから、このへやのコパリのけむりも、じかんがコパリのけむりになってなかれている。
コシモの話を聞き終えたとき、バルミロは法務教官やパブロとはちがって、コシモの文法を訂正 しなかった。
「おまえの感覚は正しい」とバルミロは言った。「おれの祖母も同じだった。遠くの町へ出かけるとき、彼女はよく『帽子一つぶんかかる』とか『帽子二つぶんだね』と言ったものだ。時間が帽子の形になって目に見えているのさ。帽子を編むのにかかる時間が、すなわち帽子に宿る神のことだ。帽子の形はもともと神の住む世界にあったもので、それが人の手仕事を通して外に出てくる。帽子にも神が宿っている。それがアステカの時間だ。物はたんなる材料の組み合わせではない。そこにも神々の秩序がある。そして――」
そして、すべての神々は人間の血と心臓を食べて生きている。血と心臓を捧げなかったら、太陽も月も輝くのをやめるだろう。 427
わかるか、坊や。心の耳で聞くがいい。ここに世界の奥深い秘密がある。重要なのは、戦争に勝つ前に、雨の恵みを受ける前に、まず何よりも国が国でなければならないということだ。そのために必要なのは、仲間同士で殺し合わないということだ。おれたちは家族ということだ。おたがいに殺し合えば、敵国と戦争になる前に、雨が降り大地に草木が芽吹く前に、民は一人残らず死ぬだろう。人間とはまとまりのない群れだ。一人が殺されると仕返しに一人を殺し、その仕返しにまた一人を殺し、その仕返しにまた一人を殺す。ドミノ倒しさながらだ。群れのなかで暴力は伝染するのさ。その怒りと憎悪の連鎖を抑えこみ、暴走する群れを力ずくでまとめ上げなければ、戦争の勝利 もなく、雨の恵みも無駄となる。
特別ないけにえが用意されるのは、そのときだ。血と心臓がただ一枚の黒き鏡に捧げられ、ばらばらに砕け散った鏡の破片であるおれたちの心の目が一つに結びつけられる。戦争の勝利を祈るのでも、雨の恵みを祈るのでもない。
すべてはテス カ トリポカに支配されている ―そのことを思い起こすために祈る。 436-7
4. 田村洋三 『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』 中央公論新社
萩原聖人インタビュー記事執筆にあたり通読した書籍の一。
拙稿「沖縄からの風 『島守の塔』主演・萩原聖人インタビュー」
http://www.kirishin.com/2022/07/22/55330/
こんな沖縄戦の記録を巡る旧軍人と県民の『せめぎあい」のはざまで、なおざりにされて来た テーマが一つある。それは県民の安全を願いながら、県民に戦争への協力を求めなければならな い二律背反に苦しみつつ、自らの使命に徹して職に殉じた県首脳や職員の姿が、あまり書かれな かったということである。
()
軍と協力してあの戦争を指導し、大きな惨禍をもたらした官に対する深く屈折した心情が、沖縄戦研究者の筆と足腰を重くしていると思
われる。
「だから、戦中の県庁・警察部職員が汗と脂と苦渋にまみれ、命がけで戦場行政に心を砕きながら、沖縄の県都・那覇から首里へ、更に南部・島尻の摩文仁へと追い詰められていった苦難の道筋、その間、立ち寄った一四の壕は、戦後半世紀以上も経つのに、これまでだれもまともに調べになかった。戦場行政の拠点であった那覇市字真地の「県庁・警察部壕」の所在地調査が長年、幻の状態のまま放置されていたのは、その典型であろう。 2-3
前半は島田関連で先行して読んだり観たりしたものの元ネタ書籍としてよく調べてるなと感心するまでだったが、ガマ内部や沖縄本島南部への退避過程を詳述する後半になると、その大著ルポだけがもつ迫力に圧倒され通し。検索してみると大阪日日新聞社経由の読売新聞大阪本社社会部肌とあり、しかし著書検索では沖縄戦関連のみがかかる、それ自体が入魂ぶりの痕跡といえそう。この気骨なんだよな。全国紙や大手通信社記者からいつのまにか消えたもの。
日野啓三、近藤紘一、開高健etc. もちろん「良い記事」「良い本」を書く記者や記者出身作家はなお大量にいるしそんなの当然なんだけど、辺見庸以降の小粒化はやはり否みがたい。時代とか新聞社の変容に帰結させるのは簡単だけど、ほんとうのところ何に由来するのか、突き詰めて考えるほどよくわからなくなる。
島田自身は、戦争の行方をどのように見通していたか――。 「早くから『この戦争は負けやと思う。しかし、わしの口から、それは公式の場では言えんしのう』とおっしゃってました」と言うのは、島田が大阪府の内政部長として赴任した日から秘書官を務めた曾我新一(故人)である。
「私は地方課員から秘書に任命されたのですが、先ず感心したのは国際的な視野の広さでした。それは昭和十四年からほぼ三年間、上海総領事館の警察部長をされたことによると思いますが、とにかく、よく本を読まれた。初めて本屋へお供した時、私の耳元で「オイ、アメリカを見てくれ、アメリカや」と小声でおっしゃる。何のことかと思ったら、アメリカ関係の書物を捜せ、ということなんです。英語はもちろん敵性スポーツまでが禁じられた時代ですから、洋書はもちろん、アメリカについて書いた本は、なかなかありませんでしたが、それでも田舎の本屋には意外に残っていた。出張すると必ず、本屋回りをされ、あれば必ず買って読んでおられたですねえ」 130
島田が、沖縄戦の日本側主力である日本陸軍第32軍トップの牛島満に一目置かれたのも上海在任中であったことを考え併せるとなんとも。上海と神戸いずれも思うものあり。
上海滞在文学散歩的連ツイ: https://twitter.com/pherim/status/1012886455058755584
拙稿「不穏の残響、神戸の近代。 再監獄化する世界(3) 『スパイの妻<劇場版>』」
http://www.kirishin.com/2020/10/16/45715/
一九一九年(大正八年)九月、島田は第三高等学校文科丙類(仏文)に入学した。同期生には評論家の大宅壮一、フランス文学者の桑原武夫、河盛好蔵、作家の梶井基次郎、詩人の三好達治、歴史家の服部之総、俳人の山口誓子、映画評論家の飯島正など、後に文化人として活躍する逸材が多かった。島田は、すぐ野球部に入った。 193
なんすかねこの綺羅星ぶりは。この陣容から「断」の島田が飛び出たんだねっていう。
大宅壮一と桑原武夫が梶井基次郎と同学年というのも意外。
「()負傷兵は激痛に耐えられず、思わず軍医を殴ってしまいました。怒った軍医は『お前なんかに関わっておれん。ここで腐って死ね』と言い残し、出て行きました。負傷兵は切れかかった腕をブラブラさせながら外へ飛び出し、『東条(太平洋戦争開戦時の総理大臣兼陸軍大臣)、恨むぞーッ!』と二度叫び、「お母さーんッ」と叫びました。その直後、バーンと手榴弾の爆発音がして、それっきりでした。自決したり、苦しんで死んでいく兵士の『東条恨むぞ』の叫びは何度も聞きました。でも、いまわの際は、みんな『お母さーん』でした」 335-6
5. ピラール・キンタナ 『雌犬』 村岡直子訳 国書刊行会
https://twitter.com/pherim/status/1562808766764298245
何も見えず、ただ懐中電灯が照らす先に何かの断片が浮かび上がるだけ。うっそうと茂る葉、苔に覆われた木の若枝、目玉のような模様がびっしり入った羽を持つ巨大な蛾が光に驚いて飛び立ち、怯えたように、ダマリスの頭の周りで羽ばたく......。長靴は根に引っ掛かり、泥に沈み、つまずき、滑り、倒れまいと手をついたところは、固かったり、濡れていたり、筋張っていたりした。ざらざらしていたり、毛むくじゃらだったり、とげが生えているものにも手が触れて、蜘蛛か木の上に住む蛇、それとも吸血コウモリかもしれないと思い飛び上がったが、噛まれることはなかった。蚊には刺されたが、気にせず闇のなかで探しつづけた。べとべとした暑さが、まるで地衣類のように肌に張りついてくるのを感じる。隣村のディスコの音楽みたいに耐えがたいカエルや虫の大合唱は、ジャングルのなかではなく頭のなかで鳴っているように思えた。そのうち懐中電灯の光が弱くなってきたので、電池が切れる前に引き返すしかなくなった。ダマリスは打ちひしがれ、泣きながら小屋へと戻った。 73
子を諦めた女が、溺愛する雌犬の妊娠により突如陥る失意と嫉妬。廃屋敷へ借りぐらす風変わりな筆致が読ませる。
コロンビアの密林を背にした海際のぼってりと濃密な自然&天候描写は、昨年ベスト『ザリガニの鳴くところ』の湿地も想わせ惹き込まれる。
『ザリガニの鳴くところ』https://twitter.com/pherim/status/1436983288518758403
事前知識皆無で読み出し、自然の濃い汽水域の描写に『ザリガニの鳴くところ』が想起され、ところどころに登場するヒスパニックっぽい地名からも中盤までフロリダあたりを舞台としてイメージしていた。中盤で登場人物らが黒人なのだと気づき、後半でコロンビアが舞台なのだと初めて知る、それ自体がけっこうめくるめく読書体験として楽しめた。マルティニクランスヘッド(ハブ)とか私的新出単語の数々。
帰るとすぐに眠ったが、少しも休息にならなかった。騒音と影の夢を見た。 彼女はベッドで目覚めているが、動くことができず、何者かが襲ってくる。その正体は小屋に入り込んできたジャングルで、彼女を包み込み、地衣類で覆い、耐えがたいほどの虫の騒音で耳を聾し、やがて彼女自身がジャングルとなり、木の幹に、苔に、泥になり、それらすべてが同時に起こり、そしてそこで雌犬と出会う。犬が挨拶代わりに顔を舐めてくる。だが本当に目が覚めたとき、彼女はまだ独りぼっちだった。外は激しい嵐になっていて、風が屋根をたたき、雷鳴が大地を揺るがし、隙間から入り込んだ雨が強風にあおられ小屋のなかを漂っていた。 口ヘリオを思った。この猛り狂う嵐のなかでみすぼらしい舟の上にいる夫、身を守る道具といえば救命胴衣とレインコートにビニールシートだけ。だがそれよりも、雌犬のほうが心配だった。山のなかでずぶぬれで、寒さに凍え、死ぬほど怯え、助け出してくれる飼い主もいない。ダマリスはまた泣き出した。 73-4
著者が30歳前後の9年間を過ごしたコロンビア西部海岸の僻村での体験を、のち都市部へ越したあと、乳幼児が寝静まった夜中2時間のうちに携帯で書き溜めたのが本作という。そもワイルドな9年のジャングル汽水域生活を選んだのも、内陸の町に生まれ作家を目指し、ドロップアウトして世界放浪へ出た流れでの結婚生活(破綻して離脱)というから、きっと大変にガッツあふれる女性なのだろう。
ちなピラール・キンタナ出身地のカリはコロンビア西部山中で、南北に距離は離れるもののアピチャッポン『MEMORIA メモリア』後半舞台のメデジンと、同じ山脈沿いの町という地勢はかなり似ている。
拙稿「明滅するリアル 『MEMORIA メモリア』」
http://www.kirishin.com/2022/03/04/53173/
6. 對馬達雄 『ヒトラーに抵抗した人々 - 反ナチ市民の勇気とは何か』 中公新書
ナチス支配下のドイツで実は大量に存在した反ナチ活動の調査発掘、それらが黙殺されてきた原因の解析、いずれも見事な抵抗運動研究の良概説書。映画『ワレキューレ』の結実を生むようなシュタウフェンベルク英雄視へ至る2方向の動き(英雄の“必要”とそれ以外の“不要”)に代表される、むしろ戦後の占領国行政により戦時中の反ナチ活動の姿が歪曲/隠蔽される流れは、現代史の複雑さ、多面性を想わせて熱い。
にもかかわらず、帝国教会をのぞく福音派教会とカトリック教会はナチズムに順応せず、キリスト教信仰を守る唯一の砦、ナチ化されない存在でありつづけた。しかも戦況の悪化とともに、教会離脱者が減り、逆に教会信者が増えていった。そのためヒトラーの意をうけて、強硬論者の党官房長ボルマンも教会解体を戦後の課題に先送りしたという。
こうした事態の推移を注意深く見ながら、モルトケ、ヨルクそれにメンバーの政治学者オットー・フォン・ガブレンツ(一八九八―一九七二、戦後ベルリン自由大学教授)たちは、国家のあり方について議論しはじめていた。最初は彼らも、国家を「個人の自由の庇護者」と位置づけて、信仰にしろ、宗教倫理にしろ、個人的問題という前提から出発した。だがこの前提そのものがあまりにも現実から遊離したものであることを、自覚せざるをえなかった。
ポグロムに始まり、戦時下のユダヤ人やシンティ・ロマ人の強制移送、ホロコーストの進行、民族絶滅というすさまじい戦争犯罪、ナチ犯罪を問うべき司法の崩壊、無関心をよそおう国民大衆の態度が現実を覆っている。人権の抹殺と暴虐のかぎりをつくす不法国家とそこで利己的に生きる人びとを前にしながら、これまでのように世俗的な国家を絶対視するのは単なるフィクションではないのか。最悪の現実世界を無視して、形式的な政教分離 にとどまる議論だけではすまないはずだ。宗教倫理はもはや個人レベルにとどめおくべきではなく、国家的なレベルでも、つまり世俗の権力をも絶対的なものとはしない「神の国の尺度」(キリスト教倫理)が必要とされているのではないか。こう考えるようになった。
その結果として、彼らはヨーロッパ世界に根を下ろし育まれてきた「キリスト教的精神」 (「キリスト教的西欧精神」)にふたたび活力を与え、戦後ドイツ再建の理念にしようとする。こうした考えは《クライザウ・サークル》だけではなく、《フライブルク・サークル》《ケルン・サークル》などにも共通にみられる。
モルトケたちがナチズムの弾圧に屈しない唯一の組織である教会に注目し、戦後国家の暴走の歯止め役を教会に期待するのも、右のような文脈からである。モルトケは四一年来、福音派教会の代表者ヴルム牧師(ヴュルテンベルク州教会監督)、カトリックのベルリン司教プライズィングの意見を徴して、最初の全体会議(四二年五月二二―二五日)を開いているが、『構想』の基本的立場を表す「前文」の冒頭にはこう記されている。
ドイツ国政府はキリスト教的精神をわが国民の道徳的、宗教的な革新、また憎悪と虚偽の克服さらにヨーロッパ諸国民共同体の再建の基礎であると考える。(「新秩序の諸原則」)
ここにはヒトラードイツを誕生させた、現実の相争う国民国家の枠組みを超え、西欧的視野でドイツの再生をめざす基本姿勢が読みとれるだろう。実際フライアやローゼマリーたちは「クライザウの人びとはヨーロッパ的視野で考えていた」と強調している。後述する経済秩序のプランもそうした思考の所産であった。ちなみにいうと、イスラム世界圏はいまだ彼らの脳裏にはなく、想像を超えていた。 182-5
またESCSからEEC、EUへ至る一見経済原理主導に映る欧州統合の潮流の底に、ナチスの戦争経済への反省に端を発する世俗的国家への絶望=キリスト教的価値観に駆動された倫理的エリート主義を読み込む流れは圧巻。そういうことはいかにもありそうで、さすが枯れてもヨーロッパ感。
7. 古川日出男 『平家物語 犬王の巻』 河出書房新社
「お前は、醜いのか」
「俺はなあ、穢いんだ」
映画『犬王』連ツイ https://twitter.com/pherim/status/1528005262891552769
映画『犬王』。古川原作を読んでからの再鑑賞が、初めより全然良かった。
ダンゼンスゴイ。なんだこの独創的かつ忠実な構成力は。
手塚治虫どろろ芸事版の妙趣+松本大洋画の膂力。湯浅監督作“夜は短し歩けよ乙女”は森見原作読後の再鑑賞を退屈に感じたから驚く。Murnau“Nosferatu”の矜持も想起され。
古川日出男、たまに読むとすごくいい。つづけて読みたくはもうならないだろうけど。(謎のスタミナを要するので)
8. 浜本隆志 『魔女とカルトのドイツ史』 講談社現代新書
ナチス映画記事執筆のため関連の図書館本まとめ予約をしようとリストアップした際、もしや大昔の蔵書棚にあったかもと探し発見。このタイトルで新書だとかなり怪しい中身もあり得るけど、本書に関しては至極真っ当な研究者の余技という感じ。
阿部謹也リスペクトなハーメルンの笛吹き男フィーチャー章が、以前同書(阿部『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』)を熱中して読んだ身としては嬉しかった。あとヒトラー・カルトの論立ても良い。これは素朴にそして大いに参考にさせてもらうことになりそうな。
阿部同書↑+ブレーメンの音楽隊から着想された拙稿「スープにされない日」
URL後日追記
9. 山田済斎編 『西郷南洲遺訓: 付 手抄言志録及遺文』 岩波文庫
島田叡が沖縄へ携行した二冊の一が西郷南洲遺訓。もう一冊が葉隠というあたり、暗示感パないんですよね。
という読みはいかにも浅いのだけど、案外深い。ということを一連の思索・行動を通して感得するなど。
拙稿「沖縄からの風 『島守の塔』主演・萩原聖人インタビュー」
http://www.kirishin.com/2022/07/22/55330/
あと征韓論の周辺事情は込み入っていて、周知のイメージはかなり誤解に基づいているんだなとか。
10. 村上春樹 『東京奇譚集』 新潮社 〔再読〕
イッセー尾形のAudible朗読がむっちゃ凄い。イッセー尾形のひとり芝居風に作品として屹立していて、初読時のイメージが良い方に裏切られるたび軽く唸ってしまう。その反動か他の村上春樹作品の他ナレーター朗読に微妙なものを感じがっかり。ちな松山ケンイチ朗読『螢・納屋を焼く・その他の短編』はかなり良いです。
バンコク時代から移動中などにポッドキャストを聴き続けてるけど、ある時期からAudibleにも手を出した。明治から昭和中期くらいの小説を流すことが多かったけど、現代物も悪くはないね。というわけで以降、過去に読んだものを中心にAudible聴取物もよみめもで扱っていこうとぞ。(聴いただけで〔再読〕表記も違うけど〔再聴〕でもないしとりあえず)
▽非通読本
0. テジュ・コール 「苦悩の街」 (『新潮』六月号)
メモの最初のページには、配給食料を家に持ち帰るときに使った紙袋の模様を元にして、街の紋章を描いた。紋章の中央には、手袋をした片方の手が描かれていた。「これは古代の本に描かれた旅に似ている」と旅人は思った。「通常の地図を使っていては、することの困難な旅。でも、ちゃんと現実の場所――よそと比べて少しも現実離れしているわけではない場所――にたどり着く旅。そうした旅の本質は、移動した距離にあるわけじゃない。旅の危険は到着とともに消えてなくなるわけではない、ということに気付くのが大事だ」
モクレンの木立のそばで、彼女はまた女の天文学者に会った。二人の会話は午後の早い時間に行われた。というのも、天文学者は夜は一人で、屋根の上にある観測所で静かに過ごしたかったからだ。二人は離れたままで会話をした。「市民の中には自分だけは災厄に襲われることがないと信じている夢遊病者がいる」と天文学者が言った。「夢遊病者って誰のこと?」「眠っている人のことではなくて、間もなく目を覚まそうとしている人のこと」「そういう人を見ると腹が立つ?」と旅人は言った。「とんでもない。逆よ」と天文学者は言った。「忘れては駄目。私たちは皆、元々夢遊病者だった」。それは暖かな日だった。いつもと比べても暖かかった。 113
その夜、彼女は目を覚まし、自分が泣いていることに気付いた。体中に痛みがあり、喉は焼けるようだった。彼女は暗闇だけがもたらすことのできる明晰さで、事態を理解した。街の紋章は、直接目にしたときに何に見えるにせよ、視野の周縁で見たとき、あるいは記憶の中で思い起こしたときには、決して変わることがなかった。それはいつも同じものを描いていた。王冠から放射状に伸びるスポーク。空から見た円形の都市だ。
▽コミック・絵本
α. よしながふみ 『大奥』 6-7 白泉社
よみめも投稿を始めてから『大奥』を扱うのはどうも初めてらしく、ということは5巻以前を読んだのは9年以上前ということになる。腰を抜かしかねんなり。6巻、綱吉から家宣の死、幼き吉宗の利発さ。謎疾病による男子払拭の世界観もこのコロナ禍でまた異なる色帯びたよね。
7巻、江島生島事件。寛永寺&増上寺墓参り帰りの木挽町芝居見物と茶屋遊び描写の恍惚。性差を超えた同一名だけでなく死期までダブる宿命的決定論的、そしてマルチバース的ともいえる奥の深さ。政変よりも艶事を濃密に描かず描く筆力の圧巻。これ話進むごとどんどん面白くなるやつかも、と9年越しに気づく迂闊さ。
β. ゆうきまさみ 『新九郎、奔る!』 9-10 小学館
京での足利将軍代替わりをめぐるいざこざと、駿府遠江伊豆めぐる今川家騒動を同時並行的に描く筆力。マンガはマンガとして消費されるのできっとあまり指摘もされてないのだろうけど、これ凡百の歴史小説家をふつうに超えたことやってるよね。
太田道灌をめっちゃ不穏かつかわいいオッサンに仕立てる技量とか、小説ではちょっと読んだ記憶がない領域。あえていえば和田竜一かな。司馬遼太郎とか吉川英治期には想像し難い造形だし時代性もありそうだけど。
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γ. ウラ・シマモト 島本かず彦編集 『アンノ対ホノオ。』
アオイホノオ同人誌『シン・ゴジラ』フィーチャー本。島本かず彦編集って島本和彦じゃないのかと混乱したけど、コミケ流儀なのかもわからず兎も角読む。
庵野秀明初期実験作『じょうぶなタイヤ』を執拗なまでに熱く語るの良い。アオイホノオをまだパラ読みしかしたことないので、個別のパロディネタをよく解さないまま読み進んだ感はあるものの。以上、youtubeで《宇宙大戦争》を聴きながら書きました。
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δ. 二瓶勉 『人形の国』 6 講談社
面白くなってきたから驚く。あとBLAME!、シドニアとの同一世界観も地味に増してきた感。これやっぱ自己模倣とかで全然なく、きっちり更新してるよね。ナウシカ味あるのも良いよう。
ε. 小山宙哉 『宇宙兄弟』 1 講談社
大昔にけっこう読み進めたはずだけど、1巻を読んで安心。ほぼ覚えてない。つづき楽しみ。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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