・メモは十冊ごと
・通読した本のみ扱う
・再読だいじ
※書評とか推薦でなく、バンコク移住後に始めた読書メモ置き場です。雑誌は特集記事通読のみで扱う場合あり(74より)。たまに部分読みや資料目的など非通読本の引用メモを番外で扱います。青灰字は主に引用部、末尾数字は引用元ページ数、()は(略)の意。
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1. 吉野弘 『詩の楽しみ: 作詩教室』 岩波ジュニア新書 読書メモ
恐竜の肋骨の一本一本に区切られる星の無数
何処ひどく関係のない遠くで
橙色の月めがけて
すぽんと海を脱ぐ魚
(詩集「川崎洋詩集」)
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海を脱ぐと表現されているので、ふだん、魚が素肌で巨大な海を着込んでいることもあらためて私たちに感じられ、全身を撓めて海を脱ぐときの、魚の胴のしなやかなひねりとその力強さまで伝わってきます。
魚が海面上に跳び出たということを単に伝達したいだけならば、〈水中から海面上に魚が跳び出た〉と書いて充分なわけです。しかしそういう表現では〈海を脱ぐ〉という表現から感じられるような、魚のピチピチした躍動感と生きのよさが捕えられません。ここが詩の表現と普通の文章との決定的な違いだということを知ってほしいのです。
要するに意味がわかりゃあいいんだろ、では、詩の表現の魅力に近づくことができません。 113
紙風船 黒田三郎
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
(詩集「もっと高く」)
よく知られている時ですが、私はなぜか、この詩の第一行〈落ちて来たら〉に惹かれます。紙風船にもそれ自身の重さがあり、打ち上げられて、ある高さまで達すると落ちてくることを知らされるからです。同じように、私たちの打ち上げる願いごともまた、それ自身の重さのために落ちて来ます。私たちの日常をふりかえってみれば気付くように、人は希望を追い求めながらたえず障害に阻まれて挫折し、ときには放棄しそうになります。それが落下に当たるでしょう。希望を打ち上げるということはその落下とのたたかいみたいなものです。
〈落ちて来たら〉という一行は、そうした内容をすべて包含して静かに支えています。この詩は、紙風船のイメージの中に交互に働く、打ち上げの力(人間の意志)と、それにさからう落下の力(物理的な自然法則)とを同時に感じさせます。希望はたった一度打ち上げただけでこちらの望み通りになるものではなく、希望自身の重さで(大きさに比例して重く)落ちてくるということ、希望と落下が一つの取り合わせであって別々のものでないことを語っているのではないでしょうか。 217-8
「波濤がはげしく咲いているのだ」の西垣脩「探しもの」をめぐる一節も印象深い。「母親は少しばかりの緑に守られた白い燈台になった 一人ぼっちで本が読みたいから」。
探しもの 西垣 脩
階段は足音によって階段となる
息子は降りてくるし
母親は昇ってゆく
裸の少年は一日中
しなやかな獣になって
家の中や庭のすみずみを
歩きまわる
夏休みを探しているのだ
父にも一緒に探せとせがみにくる
宿題の絵は
海の風景がいいだろうと父はいい
息子は岩ばかりの海を描いた
波濤がはげしく咲いているのだ
母親は少しばかりの緑に守られた
白い燈台になった
一人ぼっちで本が読みたいから
しきりに階段をのぼる
姉は青いだけの空に
無言で雲を描きそえて
父は断崖絶壁を目を細めて見る
それらはいつかひろがって
無数になるのだが
夜の魚になる父の姿はまだ
そこにはない
(『西垣脩詩集』) 120-2
2. ハン・ガン 『別れを告げない』 斎藤真理子訳 白水社
한강 “작별하지 않는다” 문학동네 2021
雪
一つの雪片が生まれるためにはごく微細な埃か灰の粒子が必要だと、子供のころに本で読んだことがある。 雲は水の分子だけでできているのではなく、水蒸気に乗って地上から上ってくる埃と灰の粒子でいっぱいだというのだった。二個の水の分子が雲の中で結束して雪の最初の結晶を作り出すとき、その埃や灰の粒子が雪片の核になる。分子式に従って六個に分かれた枝を持つ結晶は、落下する途上で出会った他の結晶たちと結束をくり返す。雲と地面の間の距離が無限ならば雪片も無限に大きくなるだろうが、落下時間が一時間を越えることはない。何度もの結束によってできた枝の間には空間があるので、雪片は軽い。吸い取った音をその空間に閉じ込めて、実際に周囲を静かにする。枝たちが無限の方向に光を反射するため、いかなる色も帯びず、白く見える。 83-4
温かい光に吸い込まれるように眠りに落ちるたび、まぶたを押し上げる。目が開かないのは眠気のせいか、まつ毛と目頭の間に張った薄氷のせいなのか、はっきりしない。
朦朧としてゆく意識の中に顔また顔が浮かび上がる。見知らぬ死者たちではなく、遠い陸地で今、生きている人たちだ。それは恍惚であり、また鮮明でもある。生々しい記憶が同時に再生される。序もなく文脈もない。一斉に舞台になだれ込み、てんでに違う動作をする大勢の踊り手のようだ。体を伸ばした瞬間にそのまま凍りついた瞬間たちが、結晶のように輝く。
わからない、これが死の直前に起きることなのかどうか。私が経験したことのすべてが結晶になる。もう何も痛くない。精巧な形に花開いた雪片のような、何百、何千もの瞬間が同時に輝く。なぜこんなことがありうるのかしら。すべての苦痛と喜び、骨身に染みた悲しみと愛が、混じり合うことなくそのままに、巨大な星雲のように同時に一つのかたまりとして光っている。 123
鳥
インソンが差し出したそうめんの袋を私がつい受け取ると、鳥たちが私の肩に移ってきた。インソンがやっていたように乾麺を一本折って二羽に同時に差し出したが、どっちと先に目を合わせるべきかわからず、私はとまどった。鳥がくちばしで乾麺を折るたびに、シャープペンシルの芯が折れるようなかぼそい衝撃が私の指先に走った。 121
遮光布におおわれた鳥かごの中では、アマが止まり木に足をかけているだろう。眠りに包まれたその体は、闇の中にあって温かいだろう。胸の羽毛の下では、心臓が規則正しく動いているだろう。
それが止まったのはいつだったのだろう、と私は考える。私が涸れ川で滑らなかったら、その前に水を飲ませることができただろうか。あの瞬間に道の選択を誤らずそのまま歩いてきていたら、いや、その前にターミナルでもっと待って山を抜けるバスに乗っていたなら。
✻
またもや箱の上に積もった雪を手のひらでかき落とし、穴の中に入れてみる。穴の底が平らではな いのでまっすぐに置くことができない。真っ暗な穴の底を両手で引っかいてならし、その間に箱の上 に積もった細かい雪を払う。 誰も出してくれない次のサインを待つかのようにしばらくしゃがみ込ん でいた後で、穴の底に箱をおろす。 箱の表の白っぽさがもう見えなくなるまで、両手で土をすくって 入れる。さっき掘り出した土をスコップでその上に盛り上げ、手のひらで力いっぱい押し固めて小さ なまんじゅうを作る。黒い土の表面がたちまち雪におおわれていくのを見守る。 140
鳥って、信じられないくらい、元気なふりをするのよ、キョンハ。
最後まで顔を上げて止まり木に止まっていて、落ちたらもう死んでるの。 154-5
人
今もまだ体を震わせながら、コツコツと短い杖をついて後ろのドアまで歩いていったおばあさんが私の方を振り返る。微笑しているのか挨拶のつもりか、単に憮然とした表情なのかわからない顔で私を見やってから向き直る。
こんなに人通りのない場所に人を下ろしてもいいのだろうか。だがよく見ると森の間に、黒い石を並べて積み上げた石垣が家を取り巻いているのが見える。雪の積もった石垣と石垣の間に道ができている。あの小道に沿っていくと村があるのだろうか。老人の両足が雪の積もった地面にちゃんと着地するのを待って、運転手が後部ドアを閉める。ぼたん雪をかぶりながら腰を曲げて歩く老人の姿が車窓の向こうへ遠ざかる。それがもう見えなくなるまで、私は首をめぐらせて見守る。理解できない。あの人は私の血族でも知人でもない。しばらく並んで立っていただけの知らない人だ。なのにどうして、あの人に別れを告げたみたいに心が揺れるのだろう?
()
運転手が開けて降りていった前のドアから風が吹き込んでくる。頭痛がひどくなるにつれて私の心 はだんだん麻痺し、あの知らないおばあさんとの別れがいつしか遠ざかる。不安も、助けなくてはならない鳥のことも、インソンへの思いまでもが、疼痛が引いた鋭い線の外側へ追いやられる。
さっきよりも暗くなり、車の中に吹き込む風がだんだん激しくなったことに私は気づく。またもや吹雪が始まるのだ。まるであのおばあさんがPのバス停に立って静けさを作り出していたのであり、姿を消すときにそれらを全部回収していったとでもいうように。
森が叫びながら揺れている。木々が戴いていた雪が舞う。割れんばかりの額を窓に押し当てて、私は海岸道路で見た吹雪のことを考える。遠い水平線の上に散っていた雲について、何万羽もの鳥の群れのように低く飛んでいた雪片たちについて考える。白い泡沫を駆って、島を飲み込みそうなほど押し寄せていた灰色の海のことを考える。 108-9
顔を上げて私が尋ねると、インソンが答えた。
私じゃないよ。
じゃあ誰が、と聞こうとして私は口をつぐむ。この種の書類のコピーを手に入れる過程は生やさしいものではない。しわだらけの軽い両の手が布団の中から出てきて私の両手をつかんだ瞬間のことが頭をよぎる。楽しく過ごしていってください。疑いと慎重さ、空ろな温かさが混じった二つの目が私を見つめていた。 248-9
もう変だとは思わない、とインソンは言った。
父さんが十五年間、刑務所にもいて、あの向こう岸の村にもいたということを。
机の下で膝を曲げていたときの私が、同時に、滑走路の下の穴の中にもいたということも。
あなたが見た夢について考えれば考えるほど、真っ暗な金魚鉢の中で動く魚のひれみたいにゆらゆらした影のことも。
✻
本当に誰かがここに一緒にいるのだろうか、と私は思った。二か所に同時に存在していて、見きわめようとした瞬間、一ところに固定される光のように。
それはあなたなのと次の瞬間思った。あなたは今、揺れ動く糸の端につながっているの。暗い金魚鉢の中をのぞき込みながら蘇ろうとするあなたのベッドで。 296-7
エマヌエーレ・コッチャ・コッチャ『家の哲学』の、《夭折した双子の妹と一緒に写っている写真の、どちらでもあり得る自分》のエピソードが想いだされた。感覚の
ちょっとだけ目をつぶるね、本当にちょっとだけ。
雪の隔壁の上に載せた彼女の手のひらの上に、紙コップが載っていた。私は腕を伸ばしてそれを受け取った。 ろうそくは指一節の半分ほども残っていなかったが、紙コップ全体が温かかった。それが炎の熱のためなのか、インソンの体温のためなのか、区別がつかなかった。
紙コップを目の前に持って、インソンがいる方に向かって横向きに寝た。ろうそくの芯から絶え間なく湧き出る炎の輝きが染み出して、落ちてくる雪片すべての中心に火種が灯ったように見えた。炎の縁に触れた雪片は、感電したように震えながら溶けて消えた。続けて落ちてきた大きな雪片がろうそくの青白い芯に触れた瞬間、炎が消えた。ろうに浸っていた芯が煙を吐き出した。ちらちらしていた火の粉も消えた。
大丈夫。私に火がある。
インソンのいる方の暗闇に向かって私は言った。上半身を起こし、ポケットの中のマッチ箱を出した。 ざらざらする摩擦面を指先で探った。その面でマッチ棒を擦ると、火の粉とともに炎が起きた。硫黄の燃える匂いが広がった。ろうに浸った芯を起こして炎を移したが、すぐに消えてしまう。親指の爪のところまで燃えてしまったマッチ棒を振って消すと、再び暗闇がすべてを飲み込んだ。インソンの息が聞こえない。雪の壁の向こうからは、いかなる気配も感じられなかった。 ※ まだ消えないで。
火が燃え移ったらあなたの手を握ろうと私は思った。雪の山を崩して這っていき、あなたの顔に積もった雪を拭こう。私の指を噛み切って血をあげよう。
けれどもあなたの手が触れなかったら、あなたは今、あなたのベッドで目を覚ましたところなのだろう。
またもや傷に針が刺されるあそこで。血と電流が一緒に流れるあの場所で。
息を吸い込んで、私はマッチを擦った。火はつかなかった。もう一度擦るとマッチ棒が折れた。折れた軸を手探りで握りしめてまた擦ると、炎が起きた。心臓のように。脈打つ花のつぼみのように。世界でいちばん小さな鳥が羽ばたきするように。 298-9
3. 岡倉覚三(天心) 『新訳 東洋の理想』 古田亮訳 平凡社
Okakura Kakuzō "The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan" London: J. Murray, 1903
副題は「岡倉天心の美術思想」。古田亮による解説(というか論考)が読ませる。
平野に定住してから後も多年の間、中国タタール人は、依然として遊牧民的政治観念を保持し続け、初期の中国が分かれていた九つの地方の長官は、牧と呼ばれていた。彼らは天によって象徴される部長的な神を信じた。天は慈悲により人類に対して数学的な秩序をもって種々の運命を降り注いだ。中国語で運命を意味する語は命、すなわち命令であることから、おそらくは、この宿命論の根本観念はタタール人によってアラビア人に貸し出されて、イスラーム主義になったのであろう。 49
※『書経』によれば、冀、兗、青、徐、予、荊、揚、雍、梁の九州のこと。
孔子の生涯を顧みて、単に彼が音楽の美について愛情をこめて語っているいくつかの対話ばかりではなく、次のような数々の逸話を思い出す人もあるだろう。音楽を聞くのを止めるくらいなら、断食をした方がましだと言った話、ただそのリズムが民衆に及ぼす効果を目にしたいがために土器を叩いている子供のあとをつけていった話、また、太公望の昔からその土地に伝わって現存する古謡を聞きたいという熱意からわざわざ 斉の国まで出かけていった話などである。 52-3
※儒教の根本規範は礼と楽とされる。共同社会の秩序 を保つための儀礼と音楽が重視された。
※これら三つの話については、この通りのエピソードの 出典は不明。「論語」「述而第七」には、孔子が斉の国にいた時、韶という古い曲を聞いて、その音楽に心を奪われて肉の味がわからなくなったとある。
仏教とは、ひとつの成長である。最初に釈迦が教義をひらいた金剛座は、今日ではこれを見つけ出すのはきわめて困難になっている。この信仰の殿堂には、相次ぐ建築家たちが自分たちの持ち来たったものを個々に付け加えて寄進建立された巨大な柱や入念な回廊の迷路に取り囲まれているからである。世代という世代が、壮大な屋根を広げようと自分たちの石材や瓦を持ち寄ったのである。その屋根というのは、あの菩提樹そのもののように、日夜、人類にいっそうの安息の場を与えてくれているものである。ブッダガヤがそうであるように、仏教生誕のイメージを隠しているのは、何世紀にもわたる闇なのだ。愛と尊崇の花輪がそれを厚く覆っている。そして、宗派的なプライドや敬虔がなす偽りが、それぞれ独自の色相をもって、周囲の大海の水の色を変色させている。とうとうそれは、幾筋かの水流とかつてその支流であった水流とを区別することをほとんど不可能にしてしまっている。 84
足利時代の貴族たちは、各々の道での趣味人であり、藤原時代の祖先たちと同じく、奢侈の概念から出発して洗練へと向った。彼らは藁葺の小屋に住まうことを好んだが、これはもっとも貧相な小作人たちのそれに似ていながら、実はその設計はショウジョや相阿弥といった最高の天才たちの手になり、その柱には遠くインドの島々から舶載されたもっとも高価 な香木が使われていた。また、茶釜までもが、雪舟の意匠に基づいた驚くべき匠の技だった。彼らの言うところでは、美は事物の生命であり、外に向かって表された時よりも内に向かって秘められた時の方が、より深いものとなるのが常である。宇宙の生命が、常にかりそめの現れのもとに脈打っているのに等しいのだという。あからさまにするのではなく、ほのめかすこと。これは無限なるものの秘訣である。完全というものは、およそ成熟というものがそうであるように、人に感銘を与える点では弱いものだ。なぜなら、その成長というものには制限があるからである。
したがって、たとえば硯箱に装飾を施すにも、外面は単に漆を塗るにとどめて、内側の見えない部分を高価な金細工にすることが、彼らの喜びとなる。 187-8
たしかにアジアは、時間を食い尽くそうとする交通機関の強烈な喜びを知らない。だが、アジアは巡礼と遊行僧という、いっそう深い旅の文化を持っている。インドの行者は、今でも村の主婦に乞食し、また夕暮れの樹下に坐して土地の農夫と喫煙談笑をかわす、まことの旅人である。彼にとって、田舎は自然の地形のみでなっているものではない。そこには習わしがあり交わりがあって、人間的な要素と伝統とが結びついたものであり、身近なドラマの喜びと悲しみとをほんの束の間でも分かち合った人間の優しさと親しみで溢れている。日本でもまた、田舎に住む人であっても旅に出れば、その途中、名所を訪ねては発句、つまり、いかに無学な者でも手の届く芸術形式である短いソネットを書き残さない者はいない。
そうした経験の仕方を通して、成熟した生きた知識として、また堅固でありながら温和な人間性の思想と感情の調和として、東洋的な個性の概念が育まれる。また、そうした交流の仕方を通して東洋的な人間の交わりが維持されるのであるが、印刷された指標のようなものとしてではなく、文化の真の手段としてのそれである。
こうした西洋に対するアンチテーゼの連鎖は、限りなく伸ばすことができるだろう。しかし、アジアの栄光は、これよりももっと積極的ななにものかである。それは、あらゆるアジア人の心に脈打つ平和の鼓動の中にある。帝王と農民とを結ぶ調和の中にある。あらゆる同情、あらゆる好意が崇高なる一体性の直感の中にある。 247-8
しかし、今日、大量の西洋思想が我々を戸惑わせている。こう言ってよければ、ヤマトの鏡は曇らされたのである。()我々の未来の秘密は自身の歴史のなかにあることを、我々は本能的に知っており、その糸口を見出そうと必死に模索を続けている。しかし、こうした考えが正しく、自身の過去のなかに再生の源泉が秘められているとしても、我々が認めざるを得ないのは、今この瞬間に、何か力強い補強を必要とするということである。なぜなら、近代の卑俗さという焼けつくような日照りが、生命と芸術の喉をからからに渇かしているからである。
我々は、闇を切り裂く稲妻のきらめく剣先を待ち望んでいる。というのも、新しい花々が咲き出てその花が大地を覆う前には、 恐るべき静寂が破られねばならず、また新しい活力となる雨粒が大地を活性化しなければならないからである。だが、その大いなる声が聞こえてくるのは、アジアそのものからでなければならないし、この民族の古からの道をたどってくるものでなければならない。
内からの勝利か、さもなくば、外からの大いなる死あるのみ。 252-3
以下、古田亮《「東洋の理想」でひもとく岡倉天心の美術思想》より。
しかし、その不二一元論が「日本が祖先から教え込まれた」もので、それに基づく至上命令として西洋のものに染まることを拒絶した、と読めるこの部分には注意を要する。簡潔に言 えば、「東洋文化の本能的な折衷主義」のおかげで日本が西洋から必要とする要素のみを選取ったとしても、それは祖先から受け継がれた国民的な思想としての不二一元論があったことによるのではなく、そうした折衷現象を理解する際に、ヴィヴェーカーナンダの世界観、宗教観、ひいてはインドの古代思想との関連性を持って説明することができる、というに過ぎない。
この一種の言い換えが、『東洋の理想』の特異な面であり、同時に誤解を生みかねない危うさだったのではないだろうか。この先、岡倉が日清戦争を正当化し、「新しいアジアの強国」となる使命を日本が果たすべきだと述べた時、その根拠が不透明にならざるを得ず、読む側の解釈を広げてしまう憾みがあるからである。「アジアは一つ」という、やや強引で扇動的な言い方も、岡倉自身から生まれてきたというよりも、実はこのヴィヴェーカーナンダの宗教思想に惹きつけられていたことが要因となり、それを文化や美術の領域にも応用可能であると気づいたところに発せられたものだったのではないだろうか。 304-5
このような不二一元論というインド思想に端を発した主張だったからこそ、『東洋の理想』 では「アジアは一つ」というフレーズが意味を成していたのである。岡倉自身が「不二一元 (アドヴァイタ)という言葉は、二つでない状態を意味しており、存在するものはすべて、外見はいかに多様であろうとも実際には一つであるという」と説明している不二一元論の、その包括的なる宇宙論的な思想に照らせば「世界は一つ」、「人類は一つ」、「地球は一つ」と言った ほうが、はるかにこの原理に叶っていることになる。「アジア」という限定は、「西洋」を 「外」とする限定によって「二つなるもの」を想定している点において、ある意味では不二 元論とは矛盾しているだろう。
しかし、岡倉にとって不二一元論との出会いは、インドという場においていかにしてアジアは一つかを考える際の根本となった。岡倉は自分で作ったこのテーマに、広くは文化史、狭くは美術史という専門分野でストーリーを展開し、解答を試みようとした。それが『東洋の理想』の骨子となったのである。そして、改めて考えておかねばならないことは、岡倉が日本はいかにして一つであり得たかについて、「民族の不思議な持続性」によるとした点である。そこに、日本神話や皇国史観を恣意的に差し挟むことも容易だったという意味において、『東洋の理想」全体が誤読されることになる要因があったといえるだろう。 435
西田幾多郎は、遺稿となる「場所的倫理と宗教的世界観」において、全体的〈一〉と個別的〈多〉と矛盾的自己同一なる歴史的世界は、どこまでも自己表現的であるとしたが、まさに老荘的世界観を近代思想の言説に置き換えたものに他ならない(西田 2004)。
近代日本における芸術表現の理想を「自己に忠実な生き方 life true to self」というフレーズ に集約させた岡倉。その真意が、東洋的、老荘的な意味での自己、生命の本質となる自己が、自らの自然と歴史に従うことで新たな芸術表現を生み出すことができる、というところにあったとするならば、西田がたどり着いた自己表現的世界の有り様を、すでに岡倉は美術思想の文脈で描き出していたともいえるだろう。
少し広く眺めることにしよう。東洋的な意味での自己が孕む〈一〉と〈多〉との矛盾的自己 同一という事態は、西田哲学が創り出したものではない。〈一〉すなわち〈一〉ではなく、〈一〉すなわち〈多〉、あるいは〈多〉すなわち〈一〉とする思想は、インドでは古くはヴェーダの中に、中国では老荘の中に、あるいはインド・中国を経て日本に届いた大乗仏教の中にすでにあったものだ。また不二一元論についてもインドに限らず東洋の諸理想の中で、道(タオ)、「一即多」「空」の思想といった、別々の姿で現れていたとみることができよう。そして、『東洋の理想』執筆前後の思想界では、ヴィヴェーカーナンダによる不二一元論の再燃があり、若き鈴木大拙がポール・ケーラスのもとで『老子』と『大乗起信論』を英訳していたという状況があった(安藤2018)。「東洋の理想』が、大きくはこうした背景を持って生まれた著述であることを再確認しておく必要があるだろう。
アジアは〈一〉であり、同時に〈多〉である。では、アジアはどのような意味において一つであり得るか。ここに考察してきたように「自己に忠実な生き方」というキーフレーズへのアプローチは、わずかながらもそのヒントを与えてくれたかに思われる。自己=〈一〉は、複数の他者〈多〉との関係性の中にしか 〈生 (life)〉を生きる場を見出すことができない。自己は絶対的な存在ではなく、絶対的な〈一〉でもない。すべてはそこからはじまっている。
したがって、「内からの勝利か、さもなくば、外からの大いなる死あるのみ」という『東洋の理想」の最後のフレーズに関しても、どのような意味での勝利や死なのかを考えることが重要となろう。これを単にインドの独立を訴えたものだったと読むだけでは今日的な読み方とは言えない。もし誰かとの闘いが生じているならば、その場合の自己とは誰か、あるいはどのような自己なのかを問うところからはじめなければならない。グローバル化とナショナリズム化の二つの龍がうごめく否応なき混沌の世界に住む現在の私たちにとって、これは決して過ぎ去った問いではない。
今を生きる私たちは、どのような自己に忠実であるべきなのか。この先の時代も『東洋の理想」が読まれる限り、それは繰り返し問われていくことになるだろう。 453-5
『第三批評 創刊号』Booth販売始めました。→ https://booth.pm/ja/items/6349906
4. クレア・キーガン 『青い野を歩く』 岩本正恵訳 白水社
Claire Keegan “Walk the Blue Fields” Faber and Faber, London, 2007
https://x.com/critic3rd/status/1832054567036678190
「願いごとをして!」母が感極まった声をあげる。
若者は目を閉じ、閉じてみると、なにを願えばいいのかわからない。今日のこれまでで、一番不幸な瞬間だ。それでも、強く息を吐いて、ろうそくを吹き消す。 147
人の生に意味が宿るのでなく、そばを吹く風や辺りに棲む動物の体温こそに世の秘密は息づいている。
浅瀬に着くと、這うようにして岸に上がり、砂浜に倒れこむ。息を弾ませてあたりを見まわすが、服は波にさらわれている。 彼は最初に海から陸に這いあがった生物を想像し、どれほど勇気のいることだっただろうと思う。 呼吸が落ち着くまでそのまま横たわり、やがて船の泊まっている桟橋へ向かって歩きだす。遠くのほうでカップルが犬を散歩させている。 149
霧の立ちこめる、小雨のやまないヒースや藺草の茂る荒れ野こそが本当の主人公というような囁きの、密やかな物語。
断わってはいけないのは彼女もわかっていたが、コールを手放すことはとてもできなかった。やがて赤ん坊は亡くなり、結局、コールは火にくべた。なによりも彼女の心を乱したのは、息子が一度もしなかった小さなあれこれだった。あんよを一歩もしなかった、木登りを一度もしなかった、雨の多い夏を一度も経験しなかったと思うとつらかった。台所のテーブルで宿題をさせたり、ドリルに金銀の星をつけたり、泥だらけで玄関に飛びこんできたり、ブレザーを用意するために肩幅を計ったりする未来を、当然だと思っていた。それなのに、未来は消され、音もなく視界から落ちて消えたもののように、どこかへ行ってしまった。
二月が過ぎ、天気がくるくる変わる三月が訪れた。マーガレットはますます迷信深くなった。スープを飲もうとドゥーリンのパブに入ったとき、猫が暖炉に背を向けて座っているのを見て、あわてて飛びだして石炭の注文を追加した。丘がいつもより近く、あるいは黒く見えると、雨が降った。 200
※コール:胎児の頭部を覆う羊膜の一部。幸運の印とされる。
今、中国人は神父の手にとりかかって強く引っぱり、このままでは手首からもげてしまうと彼は思う。頭が持ちあげられて回され、描く円はしだいに大きくなる。頭の両側をひざではさまれる。中国人は、彼の背骨の付け根から、尾てい骨からなにかを引きずりだして、上のほうへ持っていく。膨らむことを拒む固いなにかがあるが、手は気にしない。神父は、まだ準備ができていないのに、体の内側で水が岸から引いてつぎの波を形づくるときのようになにかが折りたたまれるように引いてゆくのを感じる。それは口から砕け出て、すさまじい叫びが、彼女の名前があふれ、すべてが終わる。 49
クリスマスから新年までの夜は長い。二番目は、天井板の切れ端で自分の農場の干し草小屋を作り、手足をついてくぐり抜ける。少女は新年の誓いを書き、上の兄の新しい生物学の教科書で「生殖」の章を読み、二番目の兄と同じような驚嘆を感じる。()紙幣はすべて半分になり、店員にも銀行の係員にも、それが本物だと信じてもらえない。最後には、近所の人たちがみんなそこに立って笑い、もう家は直せないなと言っている。
奇妙な夢も見る。青く暮れた夕べに家に戻ると、煙が上がっていないので不安を感じる夢。なかに入ると、家が空っぽになっている夢。メモがあり、彼は少しのあいだ悲しくなるが、悲しみは続かず、最後にはふたたび青年になって、ひざをついて火を点けている。夢のあと、彼は目覚め、愛の行為のきっかけを作ろうと妻に話す。
マーサは半分眠ったまま、「あんたを置いて出ていくわけないでしょ」と言い、背を向ける。
ディーガンは体を伸ばす。妙なことを言う。マーサが彼を置いて出ていくとは、そんなことが彼女の心をよぎったことがあるとは、思いもしなかった。今夜はこの家も妙な感じだ。マーサのバラは、 長年のあいだに壁を伝って伸び、風に吹かれて窓を叩いている。階段では、水のような緑色の影が震えている。不安な気持ちになって、ディーガンは酒を飲もうと一階に下りる。いつの日か、すべて終 わるだろう。借金の証書を取り戻したら、鉄の箱を買って、オークの根元に埋めよう。農場の心配をしなくてよくなれば、未来は手のひらのように大きく開けるだろう。子どもたちの母親のマーサは、ちょっとした旅行に出かけたり、新しい服を買ったりしてしあわせになるだろう。西アイルランドを旅しよう。マーサは朝食にレバーとタマネギを食べるだろう。もう一度、暖かな海岸を歩こう。 砂だって気にせず歩こう。
ディーガンは酒を持って居間に行く。レトリーバーは炉辺の敷物に横になり、温もりのなごりを吸いとっている。まだ犬の買い手は見つからない。犬は赤いベルベットの上着を着ている。娘をよろこばせようと、マーサが休みのあいだに縫ったものだ。 111-2
5. 小浜逸郎 『日本の七大思想家』 幻冬舎
丸山眞男/吉本隆明/時枝誠記/大森荘蔵/小林秀雄/和辻哲郎/福澤諭吉、全475ページ。列伝ではなく、紹介というほど客観性も意図されていない、“俺の考える日本七大思想家”。良書。
第一章 丸山眞男
まず、「天道」の絶対的価値を否定して、「道」に生身の人間の作為を認めるということは、とりもなおさず戦時という現在の硬直した価値観も相対化できる可能性があることを意味する。また、御用学問として取り入れられた朱子学が、時代の進展と共に内在的に解体の道をたどったということがもし本当ならば、いま支配的と考えられているイデオロギーも、たとえ外からの衝撃がなくてもやがては流動化させることができることを意味する。
つまり丸山のこの仕事は、本人の自覚がどこまであったかは別にして、ひとつの秘められた判じ物の役割を演じたことになる。いつ赤紙が来てもおかしくない状況の中で、自己の遠からぬ運命を究極まで見極めていたであろう青年学士・丸山が、学問の永遠性を信じて未来の学士 たちに自分のできることを精一杯伝えきろうとするその気迫のこもった文体は、緊張感を通り越してしばしば凄みさえ感じさせる。丸山を論じる人々はこれからも多く出るであろうが、この書を通過せずに彼を論じる資格はないと私は思う。 71
第二章 吉本隆明
吉本の読者にはよく知られているように、彼はまず、言語の本質を、「自己表出と指示表出の二重性」として描き出している。
《この人間が何ごとかを言わねばならないまでにいたった現実的な与件と、その与件にうながされて自発的に言語を表出することとのあいだに存在する千里の径庭を言語の自己表出 (Selbstausdrucken) として想定することができる。自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたったもので、これが人間の言語の現実離脱の水準をきめるとともに、ある時代の言語の水準の上昇度を示す尺度となることができる。言語はこのように対象にたいする指示と対象に たいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質をなしている。》
この本質規定、特に「自己表出」という規定にありありとにじみ出ているのは、人間の観念構成力とか、現前している知覚世界とは次元の異なる「非在」のものを想像する力とかを、言語成立の条件として強く打ち出している点である。その限りでこれはまったく正しい。
さらに『言語美』では、時枝誠記の言語過程説(『国語学原論』一九四一年・岩波書店)に多くを負いつつ、しかし時枝の「意味」論を退けて、その延長上で言語の「価値」と言語の「意味」とを、やはり「自己表出と指示表出の二重性」という自前の本質規定によって振り分けている。吉本自身の言葉によれば、言語の「価値」とは、「意識の自己表出からみられた言語構造の全体の関係」であり、言語の「意味」とは、「意識の指示表出からみられた言語構造 の全体の関係」である。 140-1
第四章 大森荘蔵
もともと「意志」は他者の存在を前提にしなければ成り立たない。「散歩をしよう」と意志することは一人でできるが、その一人でもできること自体が、他者たちに取り巻かれた「この世界」の只中で行なわれるのである。一人で散歩をしようと意志することは、まさに他者を交えずにそれをしうるという、否定態としての他者関係の表現以外の何物でもないからである。筋肉の随意性(動作の自由)は、単に「意志」を可能にする生理的条件であって、それはソクラテスに批判されたアナクサゴラスの「原因」と同じである。
プラトンの『パイドン』によれば、アナクサゴラスは、ソクラテスがこの椅子に座っていられる「原因」は、椅子の仕組みとソクラテスの筋肉や骨や腱とがうまく適応していることだとした。ソクラテスはこうした物理的生理的条件を「原因」とすることを否定し、真の原因とは、なぜ自分がここに座っていることが善いことなのかを解明した暁に現われるものだとした。
大森の意志論にも同じことが言える。他者との関係を動かす「行為」の全体的意味との関連で意志を語るのでなければ、人間の作用としての意志を論じたことにはならない。 260
第五章 小林秀雄
もうひとつは、同じエッセイで彼自身が自己分析しているように、長い間物書きをやっているといろいろな文章ができあがってしまう理由のひとつは、分析し論難し主張することを旨とする「批評」という表現形式が、自分の文章を自在にあやつっているような錯覚を与えやすく、そのため自分の文章に関する自分の支配力を過信させることになるからだというのである。その自己過信という未熟時代が自分の場合は他の文学者たちに比べてよほど長かったようだ、だがじつは、自分で作る文章ほど、自分の自由にならないものはないことを、経験がいやおうなく教えた。書くことは、いつまでたっても容易にはならない――そう彼は内省している。
こういう内省の仕方そのものにも、思想家としての小林の特質がよく出ている。それは、文章表現に対する異様なほどの倫理感覚と美意識の現われであり、また一般に人々が生きる経験を積み重ねた果てに思い知る、「一番自由にならないものは自分自身だ」というあの感慨を、自分の職業に託して語っていることをも表わしている。 282-3
《前に、「きわだつみのこえ」に触れましたが、あの本を読んだ時、すぐ気付いた事があった。が、言えば誤解されるだけだと考えて黙っていた。それは学生の手記に関してではない。編集者たちの文化観の性質についての感想であった。手記は、編集者達の文化観にしたがって取捨選択され、編集者達によってその理由が明らかにされていたからである。戦争の不幸と無意味を言い、死に切れぬ思いで死んだ学生の手記は採用されたが、戦争を肯定し喜んで死に就いた学生の手記は捨てられた。その理由が解らぬなどと誰も言いはしない。理由には条理が立っているのである。ただ私は、あの本に採用されなかったような愚かな息子を持った両親の悲しみを思ったのです。私はそういう親を知っていた。彼は息子を軍国主義者などと夢にも思っていなかったし、彼自身も平和な人間であった。戦犯が死刑になる世の中で、戦没学生の手記が活字の上で裁かれるなど何の事でもない。それはよく解っているが、そこに何の文化上の疑念も抱かないという事は間違っていると思います。文化が病んでいるのです。(中略)遺書にイデオロギーなどを読んではいけないのである。(中略) たとえ天皇 陛下万歳の手記が幾つ採録されていたところで、どれもこれもが千万無量の想いを託した不 幸な青年の遺言であったという事に関して、一般読者は決して誤読はしなかったであろう。 そういう人間の素朴な感覚には誤りがある筈がないと私は思う。編集者達は言うかもしれない。私達は感情を殺さなければならなかったのだ、と。進歩的文化の美名の下にであるか。彼等は、それと気付かず、文化の死んだ図式により、文化の生きた感覚を殺していたのである。》(「政治と文学」)
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「戦争の不幸と無意味を言い、死に切れぬ思いで死んだ学生の手記」が採用され、「戦争を肯定し喜んで死に就いた学生の手記」が捨てられることによって、歴史の意味は捏造される。しかし小林が難じているのは、実証的な公平性を欠くことで正しい歴史が記述されなくなるというような通俗的な観点においてではない。彼の視線は違ったところに凝集している。「あの本に採用されなかったような愚かな息子を持った両親の悲しみ」はどこで浮かばれるのか。「遺書にイデオロギーなどを読」むことは「文化の死んだ図式により、文化の生きた感覚を殺」すことだ。
ここには文化と政治、文化と歴史の関係に対する小林の強靭な信念が生きている。 311-2
《「月日は百代の過客にして、行きかふ年も亦旅人なり」と芭蕉は言った。恐らくこれは比喩ではない。僕等は歴史というものを発明するとともに僕等に親しい時間というものも発明せざるを得なかったのだとしたら、行きかう年も旅人である事に、別に不思議はないのである。僕等の発明した時間は生き物だ。僕等はこれを殺す事も出来、生かす事も出来る。過去と言い未来と言い、僕等には思い出と希望との異名に過ぎず、この生活感情の言わば対称的な二方向を支えるものは、僕等の時間を発明した僕等自身の生に他ならず、それを瞬間と呼んでいいかどうかさえ僕等は知らぬ。したがってそれは「永遠の現在」とさえ思われて、 この奇妙な場所に、僕等は未来への希望に準じて過去を蘇らす。》 321
第六章 和辻哲郎
極端な例を比較に用いて恐縮だが、たとえばニーチェのあの苛烈な思想は、父がプロテスタントの牧師であったことに関係しているだろう。彼のキリスト教道徳否定の思想のすさまじさは、文字どおり全身全霊をかけて父殺しを遂行しているといった趣である。もちろん、ニーチェにはそうしなければならない「歴史的・風土的」理由があった。ヨーロッパを二千年間支配したこの「愛の宗教」は、彼の血肉をかけた戦いによってはじめて、そのルサンチマンにもとづく偽善性と奴隷道徳性との側面が徹底的にあらわにされたのである。「思想は血で書け」はニーチェ自身の言葉だが、それをみずから実践した結果、彼は狂気にまで走ってしまった。
ところが和辻がキリスト教や仏教について語ったもの(『原始キリスト教の文化史的意義』『日本精神史研究』など)を読むと、意識的ではないのだろうが、そういう暗黒面への視線を封じてしまっているような気がして仕方がないのである。なんという穏健で調和的で肯定的な姿勢だろうか。 血塗られた歴史も、いったん和辻的な「文化史」という距離を置いた方法で括れば、その残忍性やニヒリズムは、脱色されざるをえない。そしてこの脱色の力は、おそらく文化を深く愛する彼の美的センスや包容力と表裏一体のものであろう。そしてこの表裏一体性 が、彼の「文化史」的記述を予定調和的な枠組みにとじ込める性格のものにしていることは否めない事実である。
文化への愛を語るには、それでよいかもしれない。しかし学のテーマが「倫理」ということになればどうだろうか。この主題にとっては、人間の暗黒面との戦いが必須のものとして要請 されてくるのではないだろうか。
ところが和辻のこの調和的な傾向は、『倫理学』においても明らかににじみ出ているのである。 411-2
第七章 福澤諭吉
また言うまでもなく、この年に彼がこれを書いたのには、前年、朝鮮の独立を目ざして金玉均らが起こしたクーデター(甲申事変)が福澤が支援の熱意を示したにもかかわらず、清の干渉によって失敗に帰したという背景がある。福澤は日本に逃れてきた金玉均を一時かくまったが、清政府に配慮した日本政府は、金を小笠原に流した(やがて金は上海で暗殺される)。こういう生々しい実体験があるために、福澤は清と朝鮮の二国の独立の可能性に対して、次のよ うに否定的評価を下さざるをえなかった。
《我輩を以て此二国を視れば、今の文明東漸の風潮に際し、迚も其独立を維持するの道ある可らず。(中略)今より数年を出でずして亡国と為り、其国土は世界文明諸国の分割に帰す可きこと、一点のあることなし。如何となれば、麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓両国は其伝染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞するものなればなり。》
「世界文明諸国」の最も有力な国がじつは当の日本であったことを、福澤思想の延長上でどう考えるかという難問が、あたかもこの小論を契機として発生するわけであるが、それを一応保留しておくとすれば、彼のこの予言はまさに的中したというほかはない。 441-2
140年前の朝鮮で、あるクーデターが失敗に終わる。金玉均ら独立党が起こした反乱は、いったんは王宮を占拠し新政権樹立へ至るが、清朝の介入により3日で水泡へ帰す。文字通り三日天下に終わった、のちにいう甲申政変である。福澤諭吉は、この反乱を支援し、失敗後も金玉均を自力で匿うが、ことは清朝と日本の外交問題へ関わるため守りきれず、金玉均はのち上海で暗殺される。
現在の韓国における反日言説が無視するじかない史実の一つに、こうして少なくない日本人が朝鮮の独立を支援した履歴がある。世の常としてひとは自分に都合の良い事実だけを事実とみなすものだが、客観的にみれば「事実」はひとの数だけ存在することを、自覚のうえでおのが正義を執行する者が稀なこともまた世の常だ。
「脱亜入欧」の実態的な呼び水とも目されがちな『脱亜論』だが、1885(明治18)年「時事新報」一面に社説として掲載された本稿は、実際には戦後まで忘れ去られていた文章であり、そも筆者が福澤諭吉であるという証拠も見つかっていないという。これは知らなかった。
6. アゴタ・クリストフ 『悪童日記』 堀茂樹訳 ハヤカワepi文庫
いわずと知れた名作だけど、はっきりと通読した記憶がなく、初めてかも。のわりに全編が基本的に既視感のなかへ留まってた。とはいえ家政婦を性的にイカせたりする場面は「あら~(ハート」ってなった。
モラルの一般通念に依存する部分を淡々とこそぎ落としていくスタイルは、少年のうちだからこそ恐るべき子供たちで済むけど青年以降それで話を面白くするにはサイコパス化しかないのか否か、など思う。て意味では未読続編が気になるっちゃ気になりますの。
7. 阿部和重 『オーガ(ニ)ズム』 上 文春文庫
主人公・阿部和重。いや何千ページ目の真打ち登場よっていう。しかもCIAエージェントとの愛すべき凸凹バディ展開、妻・川上すら登場。もうお願いだから続けて、妻・川上でスピンアウトするジョジョみたいな一生物大河もとむ。ってとこで終わっちゃうのが阿部和重調と言われたらそれも納得なんですけどネ。
ピストルズ終盤の伏線連続回収は「ことの終わり」を予感させつつ三部が来るあたり村上春樹クロニクルも想起させ、主人公・阿部和重の大長編は近代日本語文学の私小説潮流風刺のようでもあり。なんかこの阿部和重も苦渋や葛藤に満ちてはいるんだけど、日本的私小説的高湿度の苦渋や葛藤とは一瞬もかぶらないコミカル具合が、四畳半神話大系とか化物語風な対象化タッチをも想わせ。ってあれこれ連想しちゃう罠。罠、だろうな、やっぱ。つづきたのしみす。
8. 青崎有吾 『地雷グリコ』 KADOKAWA
女子高生主人公の学園物テイストに騙されるけど、主人公をおっさんにして舞台を地下にしたらまんま『カイジ』な世界観。ただ、圧倒的に賢く先輩男子らをコテンパンにやっつけてく主人公の内面だけは描かれない点が、いつも焦ったりパニクってるのが味のカイジとは異なるし、だからかわりと飽きも早い。続きが読みたいとは思わないやつ。
けっこう話題の一作になってる気がするのは不思議。こういう好きな消費者はアニメとかに行きそうに思えるけど、そうでもないのかな。
9. 藤本高之 編著 『イスラーム映画祭アーカイブ 2024』 イスラーム映画祭
https://x.com/pherim/status/1767929673651212573
2024年春イスラーム映画祭9のアーカイブ本。2020年のイスラーム映画祭5開催時にそれまでの5回を総合した大部が出され、6以降に恒例化した出版物で、十数本の上映作個別解説と専門家コラム10本ほどが毎回の軸となる。2024年は比較的欧州作が多く、極私的に特筆すべきはなんといっても『私は今も、密かに煙草を吸っている』が上映されたこと。冊子のコンテンツとしては、拓徹さんのカシミール映画『ハーミド』コラムが、インドサイドで撮られた本作にめっちゃ批判的なアツい内容だったこと。この熱は2025年の『カシミール 冬の裏側』上映へと連なる。
10. 藤本高之 編著 『イスラーム映画祭アーカイブ 2021』 イスラーム映画祭
https://x.com/pherim/status/1363123651537559552
イスラーム映画祭6時のアーカイブ、よみめも未扱いだったのを発見したゆえ遅まきながら。タイ映画『孤島の葬列』上映があった回。今からみると真っ赤な装丁が目立ち、在庫の余りが発見されたのか2025東京会場でこれだけバックナンバー販売されていた。
『イスラーム映画祭アーカイブ 2022』https://tokinoma.pne.jp/diary/4550
『イスラーム映画祭アーカイブ 2023』https://tokinoma.pne.jp/diary/4893
▽コミック・絵本
α. 東村アキコ 『かくかくしかじか』 4 集英社
え~、そういうことなの……。という展開。がっかりではなく、超驚きとかでもなく、そっかぁ……そうだよな、だからあぁいう描かれかたをしてきたのかというこの後出し納得感自体はしかし、なかなかに意外だし驚きだし、これは巧いなぁと。
それに宮﨑の実家で漫画描く&絵画教室で教える&オフィスでお仕事の三竦みで、そのまま実家に彼氏紹介できない感じ、“先生”に本当の夢を話せない感じ、小金稼ぎ状態をズルズル引き伸ばしてしまう感じ、のトライアングルを表現してるの、隙だらけ風で隙がない構成よね。からの大阪転居、駆け出し漫画家がみる業界の華みたいの、これは読ませる。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ https://amzn.to/317mELV ]
β. 鶴田謙二 『鶴田謙二作品集』 壱+零.弐 自主制作
ほぼ1982-85年の超初期鶴田作品集だった《壱》に、1992-4のチャイナさんの顰蹙1-2など小品6,7編を加えた増補版的体裁。
庵野秀明がこちらでも新たな序文を寄せており、「ぜんぜん新刊出ないし過去物は絶版なってるし、仕方ないから俺が作品集だした」的な鶴田愛あふれる文面で、マジどういう関係性だったんだろう。みるからに学生つながりっぽいけれど。チャイナさんの繁盛記ほかレイプを笑いネタへ含むムーヴは今ならあり得ないけど、これを「おおらかな時代だった」とさえ言えない空気をキツさと表現するのもまかりならん感じが「正しい」のはべつにいい。でも「全面的に正しい」勢に気味の悪さが漂ってきてるのも確かなんだよね。焚書坑儒にはならず、きちんとこれはこれで人の目に触れる機会を守らない排斥姿勢は違うでしょ、って。
作品自体については《壱》@よみめも前回にて。
旦那衆・姐御衆よりご支援の一冊、感謝。
[→ https://amzn.to/317mELV ]
(▼以下はネカフェ/レンタル一気読みから)
γ. よしながふみ 『大奥』 17-8 白泉社
家茂キャラが純心すぎて切ない。天皇の匿された妹が将軍の嫁で、将軍に勝海舟が惚れてたり、それで長州との難局切り抜けたりってもう神懸かり過ぎてヤバい。よしながふみはたぶん海外にも研究者いるだろうけど、ここらへんの凄味まで理解されたりするのだろうか。
δ. 芥見下々 『呪術廻戦』 17-20 集英社
死滅回游序章。日本が特別扱いになる世界観、読者はみなピンと来るのかな。なんか鼻白んでまうってか、世界を救うとか言って毎度採掘現場とかで戦ってる戦隊モノみたいな滑稽さに対する自己諧謔もない感じは、そも世界展開前提になってるだろう漫画原作の現場を想像するだによくわからないところ。そこらへんは鳥山明とかの頃よりむしろ後退してる気も。半面、グローバル化とか円安によりアニメ文化と日本流行が日本現代文化の一般化知悉化状況を生み、それで良くなってきた、配慮の必要がなくなってきたというのはたぶんありそうだけれども。このあたりは、自動翻訳AIとかで益々加速する流れすな。
でもやっぱり、俺のせいだ
俺が弱いせいだ
日車、なんでさっき術式を解いたんだ
初心に還った、虎杖
ε. 鈴木祐斗 『SAKAMOTO DAYS』 1 集英社
奥さんにメロメロの昼行灯が元凄腕の殺し屋で、っていう設定自体はありがちな。画のポップさとコミカルさのほど良い塩梅がいかにもウェルメイド感を醸し、計算高い。ここからどう破れていけるか、破れず規定のアニメ化とかやり遂げて終わるのか。みたいな意味でつづきが気になる。
今回は以上です。こんな面白い本が、そこに関心あるならこの本どうかね、などのお薦めありましたらご教示下さると嬉しいです。よろしくです~
m(_ _)m
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