今回は、山形国際ドキュメンタリー映画祭上映特集《春の気配、火薬の匂い:インド北東部より》オンライン配信全14作を扱います。
なお、今回扱う作品はすべてオンライン無料公開中です。(12/11まで)
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http://neidocs.tokyo/
※本稿では12/12以降の閲覧を想定し、当企画外の動画を掲載しています。
タイ移住後に始めた、劇場/試写室で観た映画をめぐるツイート
[https://twitter.com/pherim]まとめの第163弾です。
強烈オススメは緑、
超絶オススメは青で太字強調しています。
(2020年春よりネット配信作扱い開始。黒太字≠No Good。エッジの利いた作品や極私的ベストはしばしば黒字表記に含まれます)
■ドキュメンタリー特集《春の気配、火薬の匂い:インド北東部より》
http://neidocs.tokyo/
『森の奥のつり橋』 “In the Forest Hangs a Bridge”
籐で編まれた峡谷にかかる橋を更新する。
“橋を守ってきたボラン族やジラン族”など異部族間での共同作業をめぐる描写が面白い。政府支給のワイヤーが現代を象徴し、伝統技能として受け継がれてきた知の全体性を変容させる。インド北東州アルナーチャル・プラデーシュの絶景善哉。
"In the Forest Hangs a Bridge" https://twitter.com/pherim/status/1336287655814840320
『森の奥のつり橋』“In the Forest Hangs a Bridge”(Sanjay Kak監督’99年作)の共同作業部は、さながら異世界マンガ瀬野反人『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門』2巻の人間文明版、楽しい。
瀬野反人 『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』:
1巻(よみめも59) https://tokinoma.pne.jp/diary/3877
2巻(よみめも62) https://tokinoma.pne.jp/diary/4004
『ミゾ民族戦線:ミゾの蜂起』“MNF: The Mizo Uprising”
印北東部ミゾラム州。1966~86年ミゾ民族戦線他の独立運動と和平合意プロセス巡る、戦線/政府軍/キリスト教会等指導者らの証言が明快。
国軍の市街地空爆に疑問符をつけつつも、最も安全な州になったと結ぶいかにもなインド政府映画局制作品。
"MNF: The Mizo Uprising" https://twitter.com/pherim/status/1336812744574582784
『田畑が憶えている』 “What the Fields Remember”
アッサム州ネリーの町周辺で1983年、2千以上の人々が虐殺された。犠牲者はベンガル語話者のムスリムで、パキ分離独立直後の混乱などより圧倒的な“近さ”に驚く。
一族を数十人単位で失い自分だけ生き残った人々の、回想する表情の穏やかさが沁みる。
"What the Fields Remember" https://twitter.com/pherim/status/1460806792871481348
『老人と大河』“Old Man River”
推定百歳超の古老が、ブラフマプトラ河のほとりで今生を語る。洪水のこと、水牛のこと、生命の理。
極私的にブラマプトラ(フなしの方が馴染みはある)といえばバングラデシュかチベットだったので、アッサム=中流域の様子は新鮮。ガンジスに隠れがちな世界級大河の諸相。
"Old Man River" https://twitter.com/pherim/status/1344896673806368768
『僕らは子どもだった』 “Loralir Sadhukatha”
アッサム統一解放戦線ULFAの生々しい記憶を、’90年代生まれの監督が家族友人へ訊ねる。
サリー姿の母親が「みんなインド軍に殺された」とぽつり語る場面は衝撃。北東州の中でアッサムは最も“インド化”が進んだイメージを無根拠に持っていたと自覚する。
"Tales from Our Childhood" "Loralir Sadhukatha" https://twitter.com/pherim/status/1339042340086812673
『秋のお話』 “Duphang-ni Solo” 1997
アッサム州ボドの民俗劇を扱うドキュメンタリー。
舞踊劇が、独立運動の爪痕を心に残す人々の希望となる様を描く。理念先行気味で、舞踊自体をもっと構成的に見せてくれたらという惜しさ。
時折挿入されるボド解放の虎/Bodo Liberation Tigerの痕跡映像も良い。
https://vimeo.com/427742780
"An Autumn Fable" "Duphang-ni Solo" https://twitter.com/pherim/status/1513353271171190786
『秋のお話』劇中で演じられる物語や舞踊は基本ヒンディー神話型ながら、終盤に「王様の耳はロバの耳」風の物語も登場。
英国統治の影響を一瞬感じたけれど、イソップ寓話も源泉はギリシア神話フリギア王ミダスの物語まで遡れるそうで、フリギアって現トルコ内陸なのでふつうに古代伝播物やもしれず。
『こわれた歌、サビンの歌』 “Sabin Alun”
アッサム州カルビ文化の伝統歌。ラーマヤナの一部がスピンアウトしたような歌詩に、口承されし人々の時間が揺蕩う。
聴き手の男女や子供、運転手など映り込む歌い手以外の人々が見せる、監督の作為から洩れでた仕草や演技素人ならではの表情が全編楽しい。
"The Broken Song" "Sabin Alun" https://twitter.com/pherim/status/1343922768916561921
『めんどりが鳴くとき』 “Haha Kynih Ka Syiar Kynthei”
メガラヤ州のカーシ民族は伝統的に女系社会。末の女子が相続権をもつが、今日の村議会は女性を排除する。男達の汚職を暴き村八分に遭った女性3人の強気な顛末が潔い。
タイのケーンに近い笙音楽と、独特進化を遂げたトタン屋根建築気になる。
[動画見当たらず]
"When the Hens Crow" "Haha Kynih Ka Syiar Kynthei"
『禁止』 “La Mana” (’18)
メガラヤ州カーシ民族の母系社会を描き、『めんどりが鳴くとき』(’12)と同じTarun Bhartiya @LudditeNed監督作で同じ人物も登場するが、格段に複雑多層化していて驚かされる。
スマホ片手にFacebook操る姿の画一性が、口ずさむラップの世界標準ゆく鋭さを担保する光景に謎の感慨。
[動画見当たらず]
"Not Allowed" "La Mana"
『めんどりが鳴くとき』『禁止』のTarun Bhartiya(@LudditeNed)監督インタビュー動画のみ発見。↓
『ルベン・マシャンヴの歌声』 “Songs of Mashangva”
山奥に点在するタンクル・ナガ集落群の古老たちから民謡を蒐集し、伝統の継承と革新を図る歌手ルベン・マシャンヴの来し方。
印マニプール州の峰々を渉猟しキリスト教化の制約を超え、自然体でフォーク&ブルースへ融合させ歌い継ぐ姿は猛々しい。
"Songs of Mashangva" https://twitter.com/pherim/status/1337290965552250880
『マニプールのラースリーラ』 “Raas Leela of Manipur”
18世紀半ばマニプールのマハラジャが創作したという、クリシュナと羊飼いの女たちをテーマとする女性群舞「ラース・リーラ」の映像記録。ドレミの歌やケチャっぽい掛け声の唐突なる混入驚く。作品履歴の分厚い1936年生まれAribam Syam Sharma監督作のYoutubeアーカイヴ
[動画見当たらず]
"Raas Leela of Manipur"
『浮島に生きる人々』 “Phum-Shang”
湖に遊弋する天然の浮島で暮らす人々。“自然保護”を名目に追放を企む政府船に抵抗する女達の頑強さと、見え隠れする差別構造。
浮島を曳航する丸木舟、当局人員運ぶ木造平底船など印北東部マニプールの湿地ギミック眼福。夜闇に水草製の家屋燃やす火焔の赤い鮮烈。
"Floating Life" "Phum-Shang"
※本作冒頭の家屋焼け落ち場面から、タルコフスキー『サクリファイス』を強烈に想起したあたり後日追記予定。
→https://twitter.com/pherim/status/1257492335648100353
“ 詩について言うならば、私はそれをジャンルとは考えていない。詩、それは世界感覚である。現実に対する関係の、特別な方法なのだ。
パステルナークを、チャップリンを、ドヴジェンコを、溝口のことを思い出してほしい。このような芸術家は、存在の詩的構造を理解することができる。”
― Tarkovsky
『新しい神々に祈る』“Prayers for New Gods”by Moji Riba
インド北東7州最北のアルナーチャル・プラデーシュに取材。
グローバル宗教=キリスト教と、その到来を迎え撃つ在来信仰の新潮流という構成。しかし哲学的昇華はないとされる“在来固有の供犠”等で登場するギミックはチベット仏教の祭具であり、オリエンタリズムの典型的側面も。
"Prayers for New Gods"
『ナガランドの胎動』 “New Rhythms in Nagaland”
序&終盤の集落景こそ惹かれるが、中盤からは直球すぎて逆に笑えるインド官製プロパガンダ。
ナガランド民族服の青年少女がインディラ・ガンディーと話して空軍機に試乗、工業地帯やタージマハル等引き回された後インドの凄さを語る笑顔の毒々しさ。
レア映像豊富ではある。
[動画見当たらず]
"New Rhythms in Nagaland"
劇中に登場する労働歌のもつ独特のうねりある節回しが、『あまねき旋律』そのものでほんのり邂逅感。実はこれ、『森の奥のつり橋』での共同作業のさなかの作業歌で先に感じたことだけれど、言うまでもなく同じナガランドのほうが歌の響きもぐっと近い。
拙稿「なぜあなたと歌うのか」http://www.kirishin.com/2019/01/13/22745/
『あまねき旋律』連ツイ:https://twitter.com/pherim/status/1048080687822123008
余談。
インド北東州への個人的な関心はかなり古く、20歳前後の頃に読んだ坂本由美子『ナガランドを探しに』まで遡る。
「よみめも51 東京発、イスタンブル行。」 https://tokinoma.pne.jp/diary/3317
長らく外国人立ち入り禁止の続く秘境へ、何者でもないただの女子大生がひょんなことから身分を隠して潜入した経緯を綴る手記で、心の一冊となった旨は上記よみめもに述べた。この本、たしか岡崎京子かよしもとばななあたりが言及してたんだよね。さくらももこか松任谷由実だったかもしれない、とにかくそのあたり。そのあたりってどのあたりだよ、って我ながら意味不明の括りだけれど、なんかこういうものが一方のジャンルをなす内面世界を生きていたのです。当時は。
で、今回の特集配信を実際観通すことで、かの謎の逆三角形地帯へのイメージはだいぶ鮮明になったし、かなり変わったとも言える。解像度が上がればそこにはスマホ駆使する若者らがおり、経済流通があり人々の欲望がふつうに現代社会を構成することは頭ではわかっていても、やはりイメージとしてもつには材料がなさすぎた。州ごとの特色や差異なんてほとんど考えることもなかったし。
この企画、公式アカウント @neidocs1 がpherimをフォローしてくれて知ったんだよね。ありがたいことです。
てか山形ドキュメンタリー映画祭は去年までバンコク半住だったことや、若干びびってたのもありまだ行ったことがなく。来年通常開催になったら行く可能性はあるかな。けっこうある気もする。インドの東北、まず日本の北東。っての。
おしまい。
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